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砂時計の夜  作者: 七緒錬
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■ 03 … 004

 一時いっとき、呼吸を忘れた。

 スグヤと、テンマが……死んだって……?

 何かの間違いだ、そんなの……! 死んだって死にそうもない奴らだった!!


 取り乱しそうになる。けどモカのイメージはあまりにも鮮明で……受け入れざるを得ない。ビビに次ぐ仲間の死。この島で何が起きてるって言うんだ……!? あまりにも不条理だった。しかし僕の前に訪れた倉見モカは不条理を嘆く暇を与えてくれない。彼女の心の表層に泡沫のようにひとつの言葉が浮かび上がった。


 ()()()、と。


 狩人の目。

 揺るぐことのない殺意は未だ僕を捉えている。


「…………ッ!」


 僕は再び校舎に向けて駆け出す。

 再びけたたましい轟音が鳴り響き、数多の弾丸が虚空を切り裂いた。


「ぐ……ッ」


 左腕に鋭く熱い感触。まるで引きちぎられたような痛み。


 校舎の影に身を忍ばせるのに成功。耐えず痛みを発する左腕を見ると前腕部を一発の銃弾が貫通していた。皮膚を破り尺骨を砕いて生まれた穴から、マグマのように熱い血液がドクドクと吹き出していた。


「……、……!」


 やばい……止血、し、なければ……

 しかし止まってなどいられない……!


 校舎の裏を駆け出す。

 すぐ真後ろ。銃弾が校舎を穿って、ついさっきまで僕がいた場所を縫っていく。


 なんて貫通力だ、校舎などでは大した弾除けにもならない! ……とは言えこの銃撃は当てずっぽうのはずだ。目視できる位置まで迫られる前にこの場を脱さなければ……


「はっ、はっ……」


 アドレナリンのせいか駆け出してすぐに左腕の痛みは我慢できる程度になるも、足がもつれて姿勢を崩して膝をつく。


「―――!」


 致命的な失敗……!


 すぐ頭上に轟音。直後にパラパラと校舎の欠片が降り注いでくる。僕の向かうであろう方向に向けて乱射をしたのだ。射線はさらに僕から見て前方へと撫でるように進んでいった。


「…………!」


 偶然に救われた……膝をつかなければ蜂の巣にされていた……!


 ――ガガガガガガガ!!


 校舎を掘削するようなガトリング砲の掃射は上下左右と無秩序に校舎の壁に無数の風穴を開けていく。下手な鉄砲もなんとやら、僕の位置を見失ったモカは適当に狙いをつけているのだ……!


「く……」


 左腕の上腕部を握りながら息を飲む。

 まいった……下手に動けば返ってそれが命取りになりかねない。

 かといって、ここで身を屈め続けていてもやり過ごせる保証はないし、僕を追うモカが目視できる位置までやってくればその時点でアウトだ。


 万事休す……どう動けばいい……!?


『さて、困ったね』

「!?」


 背後から声。砕かれた校舎の粉塵に透けた亡霊が耳打ちしてくる。


『モカの振り回すガトリング砲は鍵と竜殺しの(ミリオン)剣を叩く槌(スミス)が造った物。弾切れや弾づまりの類は望めないだろうね』


 映画の登場人物が窮地に陥っているのを眺めているような口調。しかし思えば……


 ――今夜はきっと月が綺麗だよ。


 僕は彼女のその言葉に従って体育倉庫を出た。もしもあの埃っぽい個室の中に留まっていたならどうなっていただろう? 逃げ場のない体育倉庫では悲鳴を上げる暇もなくボロ雑巾のように殺されていたはずだ。


 この瞬間まで考える余裕がなかったから失念していた。五十嵐ビビの亡霊は規程された錆色の福音(ラストブレス)によってこの未来を知っていたのだ。知っていて、僕に逃げる猶予を与えたのだ、月が綺麗などと回りくどいことを言って。


 自分の死因すら語らない彼女が、果たしてなんの目的で?


 ……いや、それを考えるのは後だ。彼女が再び口を開いた以上、そこに何かしらの意味があるはず。ビビ……君は何を伝えようとしている……?


 半透明の五十嵐ビビを見ると、彼女はそっと上空を指さした。ここからでは校舎が邪魔になって月を見ることができない。


 その代わりに人影を見つけた。


「――え」


 星明かりの下。校舎の屋上からこちらを見下ろす漆黒の双眸……

 目が合った時、半透明の少女が言った。


『近江ナユタ』


 それは確かに、その少女の名前だった。

 前ボタンを外した紺色のブレザーにチェック柄のプリーツスカートというどこかの学園の制服を着た少女。長いストレートの黒髪は満月に照らされて天使の輪のような艶を瞬かせた。漆黒の瞳……つり目がちな双眸はまっすぐに僕を見下ろしていた。


「……………………」

「……………………」


 ガトリング砲の轟音の中、僕らは言葉もなく、ただ見つめ合った。


 近江ナユタ……なぜ、校舎の屋上なんかに……?

 まっすぐ僕を見下ろして、何を思っている……?


 疑問はいくらでも浮かぶ。けど口を割って出ることはなかった。こんな状況下で問いを投げかける暇なんてない。ほんの数秒に満たない間を挟んで、僕は口を開こうとした。


 しかしこの轟音の中だ、声が届くはずもなかった。だから口元を大きく動かして言葉を伝えようとした。逃げろ、と。けどそれも間抜けな話だった。だって、声を掻き消してしまう轟音が響いているのだ、ガトリング砲の存在に気づかないはずがない。彼女はそれに気づいた上で僕を見下ろしているのだ。


 ……近江ナユタは十六人の中で最も無口な少女だ。中立派の小岩井テンマも寡黙ではあったが受け答えくらいはしてくれた。けどナユタときたら一度も口を開いていない。僕に限った話でなく、十五人の誰しもが彼女との間に距離を感じていたと思う。他人との間に断絶的な溝を持つ彼女は当然三つのグループに加わることもなく、僕やビビと同じはぐれ者。おしゃべりなビビと対象的で、同じくらい何を考えているのかわからない。それが彼女に持つ印象だ。


 そんな彼女が校舎の屋上で、この轟音の中で、僕を見下ろし、何を思っている……?


 ナユタは僕に背を向けて、屋上の向こうへと消えていった。

 少しして、けたたましい轟音が途切れた。


「……、…………?」


 かすかに躊躇して、それから僕は校舎の、ガラスが粉々に砕け散った窓を覗く。銃弾によって穿たれた穴のおかげもあって廊下と教室を挟んだ先に校庭が見える。


 ふたつの人影があった。


 背後にガトリング砲を浮かせた、薄手のカーディガンを羽織ったツインテールの少女。その正面に立っているのは、ブレザー服を着た黒髪の少女。


 倉見モカと、そして近江ナユタが、向かい合っていた。


「ば――」


 全身が泡立つのを感じながら窓枠に手をかける。残った小さなガラス片が指先を傷つける。それに構わず身を乗り出そうとして――


 ――ガガガガガガガ!!


 兵器の容赦のない咆哮。惨劇の予感に思わず強く目をつむる。窓枠に手をかけたまま動けずにいた。絶え間なく轟音が鳴り響く。


 くっそ……ちくしょう……! 止められなかった……!

 ナユタがモカの前に立つのを……止められたはずなのに……!


 窓枠を掴んだ右手を握りしめる。手の中でガラス片が砕けて無数の傷を作った。激しい後悔の激情を、その痛みによって堪える。


 どれほどそうしていたか。

 きっと時間にして数秒ほどの間だったはず。永遠に感じた轟音が止む。


 静寂の中、むごたらしい光景を予感しながら恐る恐る目を開いた。


「……、……え…………」


 ――先ほどと何ら変わりない、近江ナユタの背中があった。


 紺のブレザーも、夜空のような黒髪も、健在。

 見たところ無傷のように見える。あれだけの銃撃の中、一発も当たっていない……? 考えづらいことだ。でも、そうでなければ無傷の説明なんてつかない。


万華回廊(カレイドスコープ)


 半透明の亡霊、五十嵐ビビがそっと耳打ちしてくる。


『自身を被覆する“空間の膜”を作り、近江ナユタに対するあらゆる接触を素通りさせる――空間に干渉する固有能力』


 その言葉を理解するのに数秒の時間を要した。彼女に着弾したかに見える銃弾はすべて彼女を被覆する空間の膜に阻まれて、彼女の背後に出現するってことか。万華回廊(カレイドスコープ)。その固有能力によって誰も彼女を傷つけることはできない……


『もっとも、彼女から触れることもできないってことでもあるんだけどね。無敵でありながら同時に無力でもある。そういう能力なのさ』


 デメリットがないわけではないようだった。それにしたって破格の能力だ。


 そんな彼女を前にした倉見モカは訝しむように銃撃を止め、しかし怯む様子は見せなかった。口元が動く。ここからでは声を聞くことはできなかったが、紡がれた言葉は察することができた。――コロス、だ。やがてまたガトリング砲の轟音が響く。無数の銃弾は近江ナユタを覆う空間の膜に阻まれて背後の壁を穿っていく。近江ナユタは一歩も退く素振りを見せない。


 そんな彼女が、振り返った。


「――――」

「…………!」


 教室や廊下の窓越しに彼女の目が僕を捉えた。

 彼女はそっと腕を上げる。まっすぐにどこかを指さす。その先にあるのは校門だ。


 ……ここを離れろってことか。


 彼女は僕を逃がす為にあの殺意の狂気に抱かれた倉見モカの前に立ち、万華回廊(カレイドスコープ)を使ってみせたのだ。確かにあの能力があればガトリング砲を前に生き延びるのは容易かもしれない。……けど、本当にいいのだろうか? 彼女ひとりをこの場に置いて、逃げ出してしまって……


「…………、…………っ」


 一瞬の逡巡。


 僕はちいさく頷いて、それからその場に背を向けて駆け出す。

 この場に留まったところで、僕にできることは、ない。


 僕の言霊使い師(メーラーデーモン)という無力な固有能力では満足に逃げることすら叶わなかった。この場に残ったところでナユタの足を引っ張ることしかできない。理性的にはそれが理解できた。けど……


「……、……ごめん…………っ」


 狂気を前に彼女を独りきりで立ち尽くさせることに引け目を抱かないはずがなかった。駆けながら、僕は自分がやるべきことを考える。


 ……スグヤとテンマの死と、モカの狂気。これを島の皆に伝える。もはや五十嵐ビビの死のアリバイなどと言ってる場合ではない。一刻も早く、皆とこれからのことを考えるべきだ。


「……、ビビは……そういう役目を担わせたかった……ってこと……?」


 半透明の亡霊を横目で見る。

 すぐ側に漂い続ける彼女はやはり何も答えてはくれない。


 僕はそうして、近江ナユタの助力のおかげで学校を後にすることができた。


 ――生存者 十三名

 ――死者   三名:五十嵐ビビ、音城スグヤ、小岩井テンマ

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