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砂時計の夜  作者: 七緒錬
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■ 03 … 002

 ――22:16――


 埃臭い体育倉庫の中、僕は膝を抱えて、窓ガラスから入る星明かりを頼りに半透明に透けた五十嵐ビビを見ていた。この幽霊の所為でビビが故人という実感は薄かったが、それは紛れもない事実なのだ。


 僕は彼女に向けて呼びかける。


「ビビ」


 夕方の体育倉庫、虫たちの声や、木々が風に揺られる他に音はない……そんな静寂の中だ、僕の声が届かなかったということはないはず。


 けれど半透明の少女は先程までのおしゃべりを潜め、無言のまま虚空で体育座りをしている。白いワンピースが重力を無視するようにふわふわと揺れていた。


「ビビ……」


 もう一度呼びかけてみても、やはり声は返ってこなかった。

 便宜上幽霊と称しているが、この半透明のビビは、意識を持った存在ではない。


 規程された錆色の福音(ラストブレス)で未来の出来事を知ったビビは、テレパシーを応用することで、未来に向けてこの『半透明の亡霊』を発したのだ。


 テレパシー能力はどうやら汎用的な能力らしく、すべての〈行使者〉が使える。だが島流しの憂き目にあった際に携帯電話の類を没収された僕らがテレパシーを使って島の外の家族や友人たちと接触を図ることができるかと言えば、NOだ。理由は単純で〈行使者〉同士でしか使えないからだ。心の中にSNSやメッセンジャーアプリを常駐させるようなイメージだ。互いにログイン状態でなければ使えない……


 考え方の違いから三つのグループとはぐれ者に別れた僕ら十六人にとって、そんな能力は無用の長物だった。ビビはしかしそれを応用してみせた。


 ()()()()()()()()()。メッセンジャーアプリに例えるならリマインダー機能といった所か。ビビが未来の自分に向けて発信した情報はさながら残留思念となって彼女の遺体に残っていた。僕の固有能力である言霊使い師(メーラーデーモン)は、サイコメトリー――遺留物からそれを残した人物の手がかりを得る超能力――の如く彼女の死体から情報を垣間見た。半透明の五十嵐ビビは、そういうカラクリによって僕の周りに浮いているわけだ。


 正直、彼女の遺体に能力を使うことに抵抗はあった。まるで遺言を盗み見るようで気が引けてならなかった。しかし五十嵐ビビの亡霊は僕を名指しして語った。『これは伊吹アスク、君に向けて送る、遺言のような物だよ』と。言霊使い師(メーラーデーモン)という能力を持つ僕に向けた存在であると。ビビは予知していた死に抗えなかった未来に備えて、このおしゃべりな亡霊を発していたのだ。


 五十嵐ビビはきっと、付かず離れずの信条だけでなく、この言霊使い師(メーラーデーモン)があることを見越して僕に声を掛けたのだろう。


 聡明な五十嵐ビビらしい次善策……それはいい。


 彼女の死を悼めと言うのなら、いくらだって慟哭する。

 無念を晴らせと言うのなら、その努力をしようとは思う。

 友達を失った悲しみを晴らせるならば、どんなことだってできる。


 けれど彼女は、この半透明の幽霊は、自身の死にまつわる出来事を口にしていない。遺言と言って手向けたくせに、何も語ろうとしない。自分の死を語らない口が語るのは、


『――困ったね。疑いを晴らさないと、君は五十嵐ビビ殺人の汚名を着せられてしまう。その為にまずこの埃臭い体育倉庫を出ないといけないわけだけど、下手に行動したら疑いは強まってしまうね? そして頼れる味方はいない。八方塞がりだ』


 愉しむような声音で。

 笑えなくて、どうだっていいことばかり。


「ビビ…………」


 僕はどうすればいい。

 僕にどうしてほしいんだ。


 教えてくれなければこの埃臭い体育倉庫で容疑を晴らすこともできずに、きみの死にまつわる何もかもわからないまま、いたずらに時間を浪費してしまうだけだ……


「なんとか言ってくれよ……」


 半透明の五十嵐ビビは、僕の呼びかけに応えることはない。

 深いため息を吐いた。


 どれくらいそうしていただろう。


 体育倉庫の扉の隙間から入ってきていた夕暮れの残滓はとうに夜の冷たさに変わっている。今は何時頃だろう? どれくらい要領を得ないビビの亡霊を相手にしていただろう。長袖のシャツにジーパンという服装だけでは肌寒くなるかもしれない。深夜に備えて辺りを暖かくしておくべきだろうか? そんなことを考え始めていると、


『アスク』


 ふわふわと虚空に浮きながら、半透明の五十嵐ビビは口を開いた。


『体育倉庫の染みを数えるのにも、飽きてきた頃じゃないかな?』

「……、……それ想像? それとも予知をして言ってるの?」

『今夜はきっと月が綺麗だよ』

「月だって?」

『と言っても別に漱石の言葉を借りてるつもりではないよ? ふふふ、期待したかな?』

「口の減らない困った幽霊ちゃんだな……」


 僕はため息を吐く。ビビは意味深な言葉を言ったきり、押し黙る。

 月、ね。体育倉庫のちいさな窓からではとても見えそうもない。


 僕は今、五十嵐ビビ殺しの容疑で閉じ込められている。ここから抜け出せば疑いを深めることになるかもしれない。そうも思ったが、ビビの言葉はヒントの類かもしれないのだ。少しだけ躊躇ってから、体育倉庫の扉に手を掛けてみる。


「あれ」


 予想に反し、鍵の類は掛けられていないようだった。


 少しだけ訝しむが、考えてみれば単純な話だった。なにせ僕らは超常現象行使者……みな念動力の類は扱うことができる。鍵なんて無意味なのだ。本気で拘束するつもりなら違う手段を取る。アリバイのない僕を体育倉庫に閉じ込めたのはあくまで形の上……本気で疑われているわけじゃないってことだ。そう考えれば少しだけ救いはある。


 僕は埃臭い体育倉庫を抜け出して、すっかり夜の帳の下りた校庭に足を踏み出す。


 校庭を挟んでとうの昔に廃校になった中学校の校舎が見えた。背後から四月の冷たい夜風が駆け抜けていく。微かに潮の香りが混ざっていた。


 僕は視線を空へと向ける。

 人里から遠く離れた無人島の星空は、薄暗い体育倉庫に慣れた目には少しだけ眩しい。


「月が綺麗、ね……」


 確かにビビの言った通りだった。宝石箱をひっくり返したような星空の中、一際輝く月。数奇なことに満月だった。……ビビは僕に月を見せて何を伝えようとしたのだろう。月はただ無責任にきらめくだけだ。半透明の少女に問いかけようと視線を下ろした、その時。


「……、…………?」


 校庭の先、校門。人影を見つけた。

 百メートル以上の距離が開いていても、見慣れた仲間の姿は判別できた。


『倉見モカ』


 耳元で、半透明のビビが、慣れ親しんだ仲間の名を口にした。

 七分袖のカットソーの上から袖のない薄手のカーディガンを羽織り、キュロットスカートにハイソックスという服装。低めの背丈や左右に結った癖のない髪に十五才という年齢よりも幼い印象を覚える。


 校庭を挟んだこの距離でも、まっすぐに僕を見てるのがわかる。

 ……それはこの一週間で見たことのない、嫌な視線だった。


 睨めつけるような鋭い瞳。けれどそこに悪意や害意は感じない。実験動物を観察でもしているかのような――そんな視線。体育倉庫を抜け出したことを咎めているのだろうか? ……理屈ではないが、違うように感じた。僕は彼女に向けて軽く手を上げてみせる。彼女は何の反応も返さず、校門を抜け、校庭を歩む。足取りはしっかりとしていて、まっすぐにこの体育倉庫に向かっている。


 本当に……なんだろう?

 妙な違和感が膨らんでいく。その正体はすぐに知れた。


 モカは三つのグループのうち、音城スグヤを中心とした、中立の三人組に属する少女だ。彼女を見かける時、側にはいつだって音城スグヤの笑顔や小岩井テンマの仏頂面があった。明るく無茶を言うスグヤに、無言のままそれに付き合うテンマ。ふたりの年上の男子に向けて、この中学生は辛辣な口ぶりで接していたっけ。よくバランスの取れた愉快なトリオ……それがモカたちに対して抱いていた印象だった。彼女がひとりでいるのを見るのは、はじめてのことかもしれない。


 ……スグヤの奴はどうしたのだろう? 仲間思いのあいつが仲間の中から死者が出た今、妹のように接しているモカをひとりにするだろうか? ましてや容疑者である僕に近づくことを許すだろうか……


『倉見モカは、音城スグヤと小岩井テンマのふたりと共に、島での暮らしに対して慎重な考えを持ったグループを築いていたね』


 半透明の少女が僕のすぐ目の前に躍り出て、そんなことを語りだす。


『中立を謳う三人のうち、ふたりの男子は皆に固有能力を明かしていた。音城スグヤの風薫る(ケミカルイオン)に、小岩井テンマの鍵と竜殺しの(ミリオン)剣を叩く槌(スミス)


 まっすぐこちらに向かうモカには、ビビの亡霊の姿は、見えない。


『中でも鍵と竜殺しの(ミリオン)剣を叩く槌(スミス)のユニークさは決して無視できないよね。固有能力の脅威度に逆比例した武器を創生・貸与することができる――脅威度の高い固有能力の持ち主にはプラスチック包丁とかで、脅威度の低い者にはピストルなんかになる、ふざけた能力。十六の固有能力の中でも特殊だって断言できるね、小岩井テンマのあれは』


 始まったビビのおしゃべり。ひとりきりでこちらに足を向ける倉見モカを見ながら、奇妙な違和感はわけのわからない危険信号に姿を形を変えていた。無性に嫌な予感がする。僕は半ば無意識に腰を落としていつでも走り出せるような体勢を整える。


『……脅威度が圧倒的に低い固有能力を持つ者なら、どんな武器が創生されるかな?』


 ビビが退くように身体を滑らした瞬間、モカが立ち止まった。

 彼我の距離は五十メートルを切っている。


 あの睨めつけるような、けれど感情の見えない視線を僕に向けたまま、モカは片手を掲げる。すると背後の虚空に無骨な鉄塊が出現した。鉄塊は突起ある特徴的なフォルムで、その先端には蜂の巣のような無数の穴が見えた。


 僕はその特徴的なフォルムを持つ鉄塊の正体を知っている。現実で見たことこそなかったが、映画やゲームの中ではその破壊力に定評のある、お約束の一品だ。


 ガトリング砲――

 理解した。僕を見るモカの視線。あれはきっと、狩人の目なのだ。


 ()()()()()()()()()なのだ。


「――ッ!」


 ガトリング砲が出現したのとほぼ同時に地面を蹴って駆け出す。


 ――ガガガガガガガ!!


 駆け出してすぐに冗談のような轟音が響いた。チェーンソウのエンジン音をより猟奇的にしたような、そんな音だ。直前まで僕のいた地面を弾丸がえぐり取っているのであろう、地震のような揺れが足の裏に伝わる。


 や、ばい……! やばいやばい、やばい……!

 冗談じゃない! 立ち止まったら一瞬で死ぬ! 殺される!!


 心臓が早鐘のように鳴るのを感じながら、体育倉庫の裏に身を滑らすようにして逃れる。


 ガトリング砲の轟音に混じって、銃弾が体育倉庫を掘削する音が聴こえた。まるでベニヤ板を砕き割るような頼りない音だった。


 体育倉庫なんて一瞬で壊れる! どこか、別の所に身を隠さないと……!


 辺りを見回す。学校を囲うように広がる森と、それから中学校の校舎がある。けど、それらまではそれぞれ数十メートルの距離がある。遮蔽物の類はない。となると、体育倉庫の影から飛び出し、そのどちらかに身を隠すまでの数秒間、ガトリング砲の前に無防備な身を晒す必要がある……できるのか、そんなの!?


 体育倉庫の影に隠れることができただけで九死に一生を得たような気持ちがある。もう一度、それも数秒間もの間なんて、正攻法では無理だ。となると――


 僕は手のひらを開いた。短い半生の中で見慣れた手のひらがある。

 この手は今や、超常現象を行使する怪獣の物なのだ。


(やるしか、ない……)


 超常現象であの銃弾の雨から逃れる方法を考える。


 念動力を使って虚空で銃弾を受け止める? ……そもそも目視できない。

 体育倉庫をえぐり取って盾にして駆け抜ける? ……数秒と保たないだろう。

 モカの目前に砂嵐でも起こして目眩ましを作る? ……慰めにもならない。


 汎用能力だけで逃れることは難しい。自ずと固有能力を使うことに選択肢は絞られてくる。言霊使い師(メーラーデーモン)。頼らざるを得ないのか。


 忌むべき能力を、襲い掛かって来るとはいえ――仲間に向けなくちゃいけないのか。


「くそ……」


 体育倉庫の壁を貫通して僕のすぐ真横を銃弾が飛んでいく。迷ってる暇はない。僕は手のひらを痛くなるほど握りしめた。

 目指すのは森の方ではなく、校舎の影だ。わずかだがそちらの方が近い。


 ……呼吸を止めて、駆け出す!


 念動力を扱って体育倉庫の壁をえぐり取って遮蔽物にしながら飛び出すのと同時に、モカのすぐ目前に砂嵐を出現させる。迫り来る銃弾。集中力がそれを可能にしたのか、銃口から射出された数十発の弾丸を念動力によって虚空に留めることができた。


 けどそれらはほんの数歩分を駆け抜けるだけの時間稼ぎにしかならなかった。盾代わりの壁はすぐに用を足さなさなくなったし、砂嵐など気にする素振りもなくこちらを睨んでいる。視線が絡んだその瞬間、僕は念じていた。


言霊使い師(メーラーデーモン)……!」


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