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砂時計の夜  作者: 七緒錬
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■ 11 … 002


 五十嵐ビビの告白した言葉を整理するための時間を求め、砂浜に足跡を残して過ごしていた。ビビは未来予知という固有能力によって自身の死を予感し、それを回避するための手段として僕に声を掛けたと言っていた。付かず離れずの人間関係を信条にしている僕がこの孤島の仲間の力になれるというのなら協力を惜しむ理由はない。


 とはいえ……


「ビビが死ぬかもしれない、か……」


 理屈は通っていたし、また彼女がそんな嘘を吐く理由もないが、信じたくない言葉だった。だって……それはそうだ。軽口を叩いてセクハラを披露して、生命力溢れる姿を見せた少女が近い将来に死んでしまうだなんて、信じたくない。


 彼女の吉兆を受け入れられないわけではない。

 彼女がその吉兆を笑顔で語ったことに、衝撃を受けていた。


 ……単純に、ショックだったのだ。


 彼女の年齢は十六。僕よりも一つ年下の少女がそんな覚悟を決めるだなんて。果たしてどんな半生を過ごせば決意できるだろう? 自分の身に降り注ぐ理不尽に抗うと。


 それに比べて僕はどうだ。彼女の語った言葉を受けてこんなにも動揺している。


「まったく……」


 年上のくせに、みっともなくて、情けない。ため息が出る。


 ……しっかりしろ伊吹アスク。十四人との交流を始めるまでに気持ちを立て直すんだ。明日の朝から共に行動すると約束した。それまでに心を落ち着けて、いつも通りに付かず離れずの信条に基づいて軽口を叩けるようにしとかないと。そうでなくちゃ、自分の能力が捉えた“未来”に抗おうとする彼女に申し訳ない。


 僕もまた向き合わなくちゃ。自らの、島の仲間たちと迎える未来と。


 煩悶としながら黄昏色の混じった海原を眺めていた。浜辺には沈み行く日輪の名残のような飴色のさざなみが寄せては返している。


 ――ざぁ、ざぁ……


 足元に迫ったちいさな波が靴に届く。またたく間に靴下まで濡れていく感触。四月の瀬戸内海の海水は冷たい。ひんやりした感触が煩悶していた心を冷やしてくれた気がした。


 ……後で乾かすとして、もう少し深くまで行ってみようか。


 僕はそのまま脛の辺りまで海水に浸す。ぐっしょりとズボンが濡れて重くなる。微かに絡みついてくるような海水の感触を服越しに感じ、その冷たさは予想どおり心を落ち着かせる。しばらくの間そうして、足をさざなみに晒したまま、ぼんやりとしていた。


 ――ぴちゃ、ぴちゃ……


 斜め後ろから海水を踏みしめる音。振り返ってみる。そこには両手に靴を持ち、裸足を海に浸している制服姿の少女がいた。長いストレートの髪の先端に海の飛沫が飛んでいくらかの細い房を作っている。少女はそれを気にする素振りもなく、ただ漆黒の瞳に僕を映していた。


 いや、本当に僕だろうか? 背後の黄昏の海を眺めていたのかもしれない。

 言葉もないまま、僕も視線を海へ戻す。背後の少女は動く気配もない。


 ――ざぁ、ざぁ……


 波の音と、それから飴色から夜色に染まる空のグラデーションだけが、僕らの間にはあった。


 付かず離れず……

 その信条からすれば、僕は振り返った瞬間に彼女に声を掛けるべきだったのだろう。実際、たとえば五十嵐ビビや佐伯フユ、あるいは八嶋ナデシコだったなら、僕は沈黙したままで海を眺めるのをやめて軽口を叩いていたと思う。


 どうしてだろう? どうして、僕は……そこに立った近江ナユタ相手に口を閉ざしたのか。背を向けて、共に海を眺めることを良しとしたのだろう。今この瞬間も口を閉ざしているのだろう。口を閉ざしたまま平穏な心でいられるのだろう。まるで幼い頃からずっと共にいた相手を伴ったような、そんな穏やかな心の凪を得ているのだろう……


 近江ナユタ……僕はこの鉄面皮の彼女に、どこかで……


「あの、さ」


 気づけば僕の声は静寂を破っていた。まるで神社やお寺の境内に広がる静寂を破ったような、そんな理由のない罪悪感があった。それを無視して、僕は尋ねようとする。


 どこかで会ったこと、あったっけ。

 そんなふうに言おうとしたけど、僕の口は全く別のことを尋ねていた。


「好きな奴、いる?」


 …………。……今、僕の口は、何を尋ねた? 好きな奴とか言ったか……?

 言った……間違いなく……!


 僕は慌てて背後を振り返る。


「……………………」


 近江ナユタの漆黒の瞳が見開かれ、口がぽかんと開いていた。何言ってんだこいつ、みたいな表情だ。空の色がそうしているのか、その表情は微かに飴色に染まっている。


「いやっ、違う、違くて……!」何が違うんだろう、と思いつつ僕は言葉を探る。「……ええとさ、だから、ほら! ……僕たち突然、ここに連れて来られたよね。超常現象行使者に覚醒して、政府によって家族や友達から引き離された。もしかしたら、それで……誰かと離れ離れになったんじゃないかって思ったんだ。それから……好きな人、とかとさ……」


 ナユタは少しの間、沈黙する。……いや、彼女が喋ってるところなんて見たことないけど。しばらく僕をじっと眺めて、やがて彼女は背を向ける。


 ――ぴちゃ、ぴちゃ……


 そして砂浜を歩いて行く。……下手なことを訊いてしまった。まったく、我ながら何を言ってるんだろう。やっぱりまともじゃないな、もう少しだけ海を眺めていよう……


 近江ナユタが向き直る。僕を見て、


 いーっ、


 と、唇を左右に開いて、白い歯を見せた。


 幼い子がやるような仕草に僕は何も返すことができなかった。彼女は数秒ほどそうしてから、再び背を向けて、駆けていく。去っていく彼女の背中を、砂浜に刻まれていく足跡を見ながら、僕はぼやく。


「……つまんないことで、喧嘩しちゃったかも」


 怒らせてしまっただろうか? でも、それなら……なんで。


「楽しそうだったんだろう?」


 そして自分の心はなぜ、弾んでいるのだろう? ……明日の日が登ればわかるだろうか。

 わかればいい。そんなふうに思った。





 ―― そして 次の砂時計の夜がはじまる ――

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