■ 03 … 001
「私は近い将来に死ぬと思う」
日の暮れる頃、僕を人気のない岸辺に呼び出した五十嵐ビビは何の前振りもなくそんな大それた世迷い言を言い出した。胸中で反芻してみる。近い将来に死ぬと思う……
心を占めるのはただ『パードゥン?』という一言のみだ。
「パードゥン?」
っていうか思わず口にしてしまった。無理もないように思う。
この島での共同生活が始まって数日。僕らは大きく分けて三つのグループを形成していた。仲の良し悪しで決まったわけでなくて、島流しの憂き目にあっている現実に対する考え方の、温度差そのままに分かれた形だ。
佐伯フユを中心とした、島での生活をエンジョイする穏やかな三人組。
新居シノブを中心とした、今すぐにでも島から帰りたいと考える五人組。
音城スグヤを中心とした、どちらの考えも時期尚早だと考える慎重な三人組。
また三つのグループとは別に、僕や五十嵐ビビのように人間関係に深入りしないはぐれ者も五人いる。一口ではぐれ者と言ってもそのあり方は千差万別だ。例えば僕は『付かず離れず』を信条としている。これは島に来る前より持っていた人間関係に対する考え方で、生意気な言葉を使えば処世術と言ってもいい。
五十嵐ビビはひょうひょうとしていて、お喋りなくせに自分のことは語らない、とっつきづらいミステリアスな人間というのが僕の印象だった。そんな彼女が言うに事欠いて、近い将来に死ぬと思う、などと。パードゥンって感じだ。
僕は真顔のまま頬を掻く。
「……新手の冗談?」
尋ねるとビビは小さく笑う。よかった、冗談みたいだ。
「はは……なんだそうか、ビビは冗談がうま……」
「冗談は苦手だよ、至って真面目なんだけれどね?」
よく見れば目は笑っていない。……冗談じゃないみたいだ、背に汗をかくのを感じた。マジかよ。片手で両目の間、鼻の根の辺りをぐりぐりと抑えながら尋ねる。
「冗談じゃないって言うなら……どうしてそんなことを思ったのさ?」
「単純さ、私の固有能力があるからだよ。簡単に言えば『未来予知』だ」
思わず息を飲む。
僕らは基本的に、互いに固有能力を明かしていなかった。
〈行使者〉でない普通の人間からすれば僕らなど人の皮を被った怪獣に他ならない。それで理不尽な差別された経験を持つ僕らは基本的には互いの固有能力を打ち明けないまま島での共同生活を送ることを決めていた。人となりを知らないうちに固有能力を知ってしまったら、人格よりも固有能力ありきで相手を見てしまうからだ。そんなのはごめんだった。色眼鏡で見られることも、見てしまうことも。
しかし今、はぐれ者の五十嵐ビビは僕に向けて、その手の内を語る。
「規程された錆色の福音』。高確率で発生する未来を予知する」
「……それでビビは自分の、その……死を見たってこと?」
白いワンピースを着た少女は潮風に目を細め、サイドテールを踊らせながら答える。
「正確には少し違う。ある日を境に、自分が体験するであろう事象がまったく見えなくなったんだ。この島で起こる出来事のいくらかは依然として予知できるにも関わらずね。
これがどういうことかを考えて、観測者を失った事象は観測できない――という当たり前の結論に行き着いたんだ。私の意識が途切れたきりになってしまうってこと。
それってつまり、死ぬってことじゃない?」
「……………………」
未来に自分自身に降りかかる物が予知できないのは、未来に自分がいないから。
その理屈はわかる。それはいいけど、疑問が浮かんでくる。
「どうして、僕にそんなことを、打ち明ける?」
僕とビビとは同じはぐれ者同士。仲がいいってわけじゃない。彼女が相談を持ちかけるなら、付かず離れずを信条としている僕よりも、もっと適した相手がいるように思えてならなかった。
たとえば中立派の人格者、先の前提を怖れず自らの能力を明かした音城スグヤとか。
「規程された錆色の福音は他人が絡む事象を予知した時、相手への理解度によってビジョンが変わってくるんだ。人となりをよく知った相手のことなら鮮明に、よく知らない相手のことなら曖昧に……って具合にね。このことから私は規程された錆色の福音の正体が、他人を知ることで精度を上げる高度な予測能力の類なんじゃないか、って考えを持ってるってわけ」
「占いみたいなもの……ってこと?」
「タロットカードは相手が知りたいことを知らなければならないし、占星術は相手の生年月日を知らなければならない……占いとは上手いことを言うね、まさにその通りだよ」
彼女は微笑んで頷いてから、ほう、とため息を吐く。
「そうして自分の死を占った私だけどさ、まぁ困る、大変困る。十代半ばのおぼことしてはね、もうちょい生き残りたいなーと思えてならないわけだよ」
「おぼこて、君」
「うん? ……うわあ、ちょっと顔が赤いよ? 純情過ぎやしないかい?」
……頬が熱い。なんてこと言い出すんだよ、なかなかの恥辱だ。
「っていうか、そんな可愛い顔されたら私もちょっと……恥ずかしい」
自分で言い出しといてこの物言い。五十嵐ビビという人間がますます判らない……
ともかく、とビビは笑ってみせてから言葉を続ける。
「三つのグループに属さない君がさ、一番、身軽な人間なんじゃないかなって思うんだ」
「身軽、ね……」
付かず離れず。
その信条を持つ僕への外からの評価。
「そんな君と行動を共にしていたら、他の十四人のことを知れるだろう?」
……そういうことか。
自分の死という結末を回避するため、島で生活する十六人の相関図をより正確な情報としてインプットしておきたい――そう考えているのだろう。互いのことを知れば予知は精度を高め、自身の死という最悪の可能性を回避する術を見つけられるかもしれない。そのため島の面々と付かず離れずの関係を保つ僕と行動を共にしようと考えた……
「わかりやすいだろう?」
手品の種を明かしたような微笑を浮かべ、ビビは肩をすくませた。
確かにわかりやすい話だと思えた。
僕はちいさく頷く。
「……そういうことなら構わない。一緒に島を歩けば、それで良いわけだよね」
「そ。私はこう見えてシャイでね、君のようなコミュ力MAXな若人には一目置いている」
「シャイってどの口で言うんだよ……」
「その目は疑ってるね? 今も心臓ドクドク言ってるよ、なんなら確かめてみるかい?」
言いながら白いワンピース越しに、ふくよかな部位を持ち上げるようにして近づける。
「確かめるって……」
何を。
……ドキドキを?
…………どうやって。
ニッ、と彼女は笑う。
人差し指で、まるでボタンでも押すような仕草で、
「ポチッとな」
「するか!」
今度は両手をワキワキとしながら、
「こう、わしづかみに」
「しないわ!」
ドアノブか何かを回すような仕草で、
「確☆変」
「してたまるか! そんな射幸心を煽るような不思議な何かがあんのかよ!」
「素朴な脂肪だよ? しかしここにはすべからくそういう物が詰まってるんだ」
「詰まっててたまるか!」
「触ってもないのにどうしてわかるんだい? 憶測で物を言うのはよくないよ」
……ああ言えばこう言う!
手を伸ばせば触れられる生々しい距離でそんなふざけたこと言わないでほしい……!
「まったく、まったく、ホントに! シャイってどの口で言うんだよ……!」
セクハラをされる身にもなってほしい。困る、困ってしまう。
ビビはくすくすと笑った。
そんな笑顔を見て、ふと疑問がよぎった。
規程された錆色の福音……未来予知の能力。
「ビビ。もしかして、僕がなんて答えるか……」
彼女は童話の中に出てくる不思議な猫のように、にんまりと笑う。
「ひ・み・つ♪」
それから数日の間、ビビと行動を共にした。
付かず離れず。ビビは僕のそんな信条に付き合って十四人との交流を果たしていった。そんな矢先、彼女は痛ましい水死体で発見される。
彼女から『死』という予知を聞いていたにも関わらず、僕にそれを止める手立てはなかった。海藻の絡まったあの生々しい亡骸を前に、ただ無力感に打ちひしがれた。
……最後に交わした言葉はなんだっただろう? 思い起こすと「じゃあ、また明日ね」なんて当たり前のやり取りだった。二度と叶わない明日の再会の約束を思い返しながら、僕は彼女の死体に向けて自身の能力を使った。
そうして僕はめでたく幽霊憑きになったわけだ。