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世界各地にブックメーカーと呼ばれる〈行使者〉がいる。精度の差こそあれど彼らの持つ固有能力は同一で、超常現象行使者を探し出すことができた。そう珍しくない能力ゆえに各国の政府機関に数名から数十名ほどが飼われている。自らが超常現象行使者でありながら同胞たちを政府に売る犬と、そう蔑まれている。
固有能力の名前すら看破する彼らによって外界から隔離される面々は定められている。瀬戸内海のとある無人島には十六名の名前が記された。
浅倉エイジ(15)…………彷徨う羅針盤
新居シノブ(18)…………釈迦の黙劇
五十嵐ビビ(16)…………規程された錆色の福音
伊吹アスク(17)…………言霊使い師
宇都宮コトリ(14)………春への扉
近江ナユタ(17)…………万華回廊
音城スグヤ(18)…………風薫る
神楽坂ドルチェ(15)……悲恋を唄う蜘蛛
倉見モカ(15)……………満開領域
小岩井テンマ(18)………鍵と竜殺しの剣を叩く槌
佐伯フユ(15)……………氷化粧
寒川トシユキ(15)………星明かりを縫う者
辻ミモリ(13)……………霧の迷宮
日向ケンイチ(11)………玉石金剛
黛チカシ(14)……………八咫烏の焔羽根
八嶋ナデシコ(14)………白昼夢想
***
島生活も三日目ともなると、自然と仲良くなるグループができあがっていた。
孤島にある村跡に立つ家屋の中、グループごとに生活拠点を探していた。
……島での生活に適応している三人組がいた。
「わははは! チカシ、フユ、地下室を作ろう! 秘密基地を設置するのだ!」
「住まいの中に秘密基地を作るという前衛的な発想。面白い、乗った」
「乗らなくていいよ! 元ある家屋を使わせてもらうだけだよちぃくん、ケンちゃん!」
「昔の住人が戻ってくることがあったら、部屋が増えてるやんけ! っておどろくぞ!」
「ビルドの腕が鳴るなケンイチ。そうだ、いっそ迷宮を作るというのはどうだ?」
「おぉチカシは天才なのだ! ボクちょっと方眼紙を探してくるのだ!」
「迷宮を作るのに方眼紙って言う平成生まれらしからぬ発想! ってそうじゃなくて!」
「まぁいいじゃないかフユ。フユには中ボスのフロア前のトラップなんかを頼むと思うぞ」
「グッドアイデアなのだなチカシ! 脳細胞が冴え渡っているのだ!」
「……いい加減にしないと、わたしが今この場でボスになりますよ!」
「わははは! 屍を越えていくのだー!」
「エリクサーくらいはドロップしてほしいぞ」
……元の暮らしに戻りたいと苦悩する五人組がいた。
「この木造の家屋を解体して筏を作るというのはどうだろう」
「待て待てトシユキ、間違いなく政府とかに捕捉されるぜ?」
「ならコンクリートの建物なんかを使って海底を進むというのは?」
「一応聞くがよ、息は?」
「海中の酸素を取り入れてなんとか頑張る」
「両生類に進化しろってか! 嫌だわ! せめてありのままで沈みたい!」
「ワガママだなエイジは。シノ姉たちを見ろ、真剣に話してくれているぞ? 見てみろ」
「どれ……」
「……シノ姉、お風呂ってどうするつもりよ。時間別?」
「んーそうねぇ……なんか海中がどうとか言ってるし、男子は海水でいんじゃないかしら」
「海水も滴るいい男はいいけれど、磯臭くなるよ」
「コトリの言葉にも一理あるわねぇ……んー、じゃ、なし?」
「意義なーし」「右に同じ」
「……な?」
「な? じゃねーよ! 俺たち男子をリジェクトする算段をしてるじゃねーか!」
「ありのままだったな」
「なんでちょっとしてやったり顔だよ! くそぅ、今のうちに男湯を確保しとくぞ!」
「異議なーし、だ……」
……中立を謳う三人組がいた。
「困ったねぇ。役場ってのはどうしたことか。……広いな!」
「建物を決める段階で気づけ! なんで掃除道具を用意した今言うの、ばかなの?」
「手厳しいなぁモカは。だって中立派だぜ? どどーんと構えてないといけないだろ?」
「そういうのを見栄って言うのよばか。スグヤってさぁ、ほんとズボラっていうか……」
「許せ。ほら、とっておきのスメルをプレゼントするから」
「……体臭を操作する力で松茸の香ばしい香りを作るな気色悪いわ!」
「痛い痛い、足蹴にするなって。足を上げるのはエレガントじゃないぜ、レディ?」
「口の減らない……もう。次ふざけたら発砲するから」
「……預けたメイド・イン・テンマな拳銃でかい? 穏やかじゃないな……」
「満開領域で治すから問題ないわ」
「モカは些かサイコパスのきらいがあるよね……テンマ、どう思う?」
「テンマ―、このちゃらんぽらんな男、がつんと言ってよ。一緒の生活とか滅入るー」
「手伝え。雑巾がけを」
「「すみません……」」
どのグループにも属さないはぐれ者たちが五人、それぞれの住まう場所を検めていた。
「……困ったのお……高いマンションがない……虫とかだいじょぶじゃろか……」
「風水的に北が吉と見たことがあります。お日様が上る方角ですね。お茶碗を持つ方です」
「ここら辺がみんなと近所付き合いできそうだな。よっし、挨拶に行こうかな」
……そんな日の夕方の出来事だった。
はぐれ者のひとりである五十嵐ビビが、同じはぐれ者の伊吹アスクを呼び出した。人気のない岸辺にて、彼女は伊吹アスクに言った。
「私は近い将来に死ぬと思う」
「パードゥン?」
……そうして少年少女たちの交流がはじまっていく。
清流の如く澄んだ時の流れに、ただ流されるように。
「……ビビ。もしかして、僕がいいって答えるのもわかってたの?」
「ひ・み・つ♪」
あるいは砂時計の砂が、さらさらと落ちていくように。
ふたりが別れた後のことだった。
伊吹アスクの後ろ姿を見送った五十嵐ビビが、こぼす。
「……こんな感じでよかったのかい」
どこからともなく、その独り言に答える声があった。
『一言一句ピッタシじゃん。本当に覚えてないのわけ?』
「ないよ、“前”の記憶なんて。……しかしそうか、行動をなぞっているか」
顎に手を当てて思案するように呟くビビに、声は応える。
『ま、被って当然っしょ。どのみち今日言うつもりだったんっしょ? 自分の……』
「死を、でしょう? 言うつもりでいたよ」
『ってことはビビ。あんたは今……見えてるんだ? 起こってはいけない未来が』
「……まぁね」
しばしの間、沈黙が生まれる。
それを破ったのはビビの方だ。
「それにしても透明の糸を振動体にして盗み聞きの手段に使うなんて、よく思いついたね」
『盗み聞きだなんて人聞きの悪い。……経験値があるからな』
「三日もあれば声を聴くための糸を張り巡らすことくらい、簡単?」
『言うほど楽じゃなかったけどね。……っと、そろそろそっちに着くよ』
その言葉から三〇秒も経たない内に、ビビの側に少女が姿を現す。キャミソールにミニスカート、編み込みのサンダル、ウェーブ掛かった金髪に気の強そうなつり目……神楽坂ドルチェ。彼女と目を合わせたビビは、親しい相手に向けるような微笑みを浮かべる。
「しかし正直に言って意外だった。君が協力者になってくれるのはさ」
微笑みを向けられたドルチェは、苦々しそうに視線を逸らす。
「……醜態を晒したままでいられるわけがないし」
「でも前の君は、今の君とは別だ」
「一緒よ。シノ姉を失った瞬間、同じことが起こるって確信があるから」
誤解した寒川トシユキがドルチェに向かい、ドルチェはそれを返り討ちにし、そして引き返せない狂気の道を歩いて行く……そんな可能性だ。
「アタシは絶対にそれを避けたい。アンタと目的は一緒。だったら協力するし」
ビビはそれにやはり親しげに微笑んで応えた。ドルチェは「フン……」と居心地悪そうに鼻を鳴らす。その視線は海に向いている。日の沈み始めた瀬戸内海。飴色の海……どことなく淋しい光景を目にしながら、ドルチェが尋ねる。
「しかし、ビビ……今度もアイツに話さないといけないんだろ」
ビビもまた瀬戸内海に視線を向け、黄昏色の景色を共有する。
「そう。私たちにできるのは、可能性を先延ばしにすることだけだ」
「……アイツはまた選択すんのかな……辛い道を」
「わからないよ。彼が決めることだから」
「うそつき」
ドルチェは瞳を閉じる。とある光景をさめざめと思い起こすことができた。
……それはひとりの少年の記憶だ。
無力な少年のたった一夜限りの冒険譚。失うばかりの過酷の日。
たどり着いた先でひとりきり、少年はひとつの決断をした。
喪失の痛みを省みることなく、未来の自分に向けて、記憶という希望を送る……そんな黄金の決意だ。それは果たされた。希望は“ひっくり返った後の世界”に届いたのだ。
ただひとつ、その提案をした五十嵐ビビすら想定していなかったエラーが生まれた。“前”のアスクたちにとって“ひっくり返った後の世界”は遠い未来のことだ。遠い未来を観測する五十嵐ビビの精度は大した物であったけれど、記憶を送信するアスクとの間にはほんの微かなズレが発生してしまった。
結果、思い描いた未来にその記憶は届きはしたが――受け取る相手が変わった。
そして神楽坂ドルチェは見た。少年が見るはずだった、彼の辿る過酷な一夜を。
ひとりきりの朝、太陽に向けて決意を口にした、少年の記憶を。
『――何度だって繰り返してやる。絶対にたどり着いてやる。
誰一人欠けることなく、十六人で、この朝日を見る……絶対に』
アスク越しに見たその日の太陽が、あまりにも綺麗で……
毎日繰り返されているはずの朝焼けの景色が、あまりに心に残って……
らしくもなく、彼の抱いた十六人全員でその朝日を迎えるという甘い希望に共感した。だから記憶を受け取ったドルチェはいち早くビビに接触を果たした。ビビは目を丸くしながらもドルチェの言葉を疑わなかった。『前の世界』では最初に命を落としたビビと、そして狂乱者のひとりだったドルチェ。砂時計の世界を克服するという大きな夢のための同盟を、ふたりは結んだ。
それはきっと奇跡的な同盟だ。
しかしドルチェとビビが心を通わせても……奇跡の同盟を以ってしても、たどり着ける結末は決まっている。この世界での可能性の旅を終えた後、伊吹アスクに次の“ひっくり返った後の世界”に向けて記憶を送る選択を強いる……それがこの同盟が導き出せる精一杯の結末だった。奇跡を経験したって変えられない。肝心な過酷をアスクに丸投げすることしかできない。……今回の世界ですべてを解決することなど叶わない。
己の無力さを嘆いた少年は朝焼けの中で決意した。繰り返し続けていく砂時計の世界。次の自分に記憶を託すと。自分たちの結末を『なかったこと』にはしないと。本人にその記憶が受け継がれることはなかったが――それこそ『なかったこと』にはならない。
ドルチェやビビはその黄金の決意の手助けをすることしか、できない。
「アイツはさ……アイツは、バカなオトコだ……」
確信があった。彼はまた同じ決意を、酷な道を歩む決意をするだろうという予感が。次の世界へ記憶を送るという決意を。あの少年は何度でも同じ決断をする。擦り切れそうな日々を過ごし、そしていつしか到れる――砂時計の朝に。
……懸念はある。
今のドルチェと同じように、別の誰かが彼の記憶を手にしてしまいかねないという可能性だ。受け取った人間によっては彼の見る希望を戯言と切って捨て、『なかったこと』にしてしまうかもしれない。
そうしたら全てがパーだ。
痛みも悲しみも苦悩も嘆きも反目も信頼も、決意も。
もっとも。
神楽坂ドルチェは懸念こそすれど、本気で心配しているわけではなかった。
だって、彼のあの一日を笑える人間が、いるはずがない。
硝子細工のように脆い少年が生き抜くと決意した過酷な砂時計。朝焼けのように眩しい希望に、触れた心が震えないはずがない。潔白さに絆されたドルチェ自身がそう思うのだ、間違いない。きっと十五の希望を束ねることだってできるはずだと、そう信じていた。
「本当、バカ…………」
ため息を吐くようにドルチェが言う。
微笑んだビビが答える。友達に向ける気楽さで、家族に向ける温かさで。
「本当に、そうだね」




