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砂時計の夜  作者: 七緒錬
24/30

■ 07 … 005


 ――03:50――


 コトリの口から、僕はエイジの死を知った。


 僕らと別れた彼は、運悪くドルチェの前に身を晒してしまったという。彷徨う羅針盤キャッチミーイフユーキャンで逃れようとしたが間に合わず、ドルチェの悲恋を唄う蜘蛛(シルクロード)によって絡め取られ……


「守れなかったよ……」と淋しそうにつぶやくコトリに、僕は何も答えられなかった。島から出たいと願う五人組。仲間が仲間を手に掛けるのを止められなかったという自責……彼女に掛けられる言葉があるはずもなかった。エイジの魂が、ただ安らかにあるよう、祈ることしかできない。それは黛チカシや辻ミモリ、日向ケンイチの死を知ったコトリにしても同じことだった。同じ島に居ながら知らぬ間に息絶えていた幼い仲間たち……少年少女たちのことを知ったコトリは目を伏せて、それから吐息をこぼす。魂その物の一部を吐くような、重い吐息だった。


 それからコトリは言った。


「……いつまでも下向いてちゃ、ダメだな」


 死んでしまった仲間たち……そのことは悔やんでも悔やみきれない現実だ。でもだからって、それを引きずり続けるのはひどく後ろ向きなことだ……仲間たちの死という経験をした僕らが囚われてはいけないことだって、コトリの真っ直ぐな声が雄弁に語っていた。


 僕はその決意に頷いて答えた。

 せめて彼らの分まで……生き延びるのだ。


 コトリは情報を共有していると、お説教を終えたフユたちが僕らの方へ歩む足音が聴こえる。振り返るとパーカーにスパッツという衣服を着たナデシコの姿が見えた。


「な、なに見ちょる……」


 言いながら、恥ずかしそうに身をよじる。さっきまで裸だった人間とは思えない言葉だ。


「ねえその下ってさ」

「うおおぉぉぉ聴こえん! あー、あー、あー! 聴こえない聴こえないけぇ!」


 興味本位で聞こうとしたら拒まれた。顔は真っ赤だ。うーん、まぁ普通に考えて、セクシャルなハラスメントに該当するかもしれない。その辺の倫理観念をこの数分で植え付けた佐伯フユの母親適性は高いな、と思った。


 目が合うと、フユは微苦笑して見せた。僕もそれに苦笑を返す。


「ナデシコ。さっきは助かった……ありがと」


 僕の側に立つコトリが言う。

 ナデシコはコトリを見て、すぐに視線を逸しながら、


「……礼を言われるようなことはしてないけぇ」


 そう答えた。


「照れてる?」


 フユの言葉にナデシコは「違うわ!」と答え、


「筋合いと違うことで礼なんて言われたら、むず痒いからに!」


 頬を赤くしてそんなことを言う。八嶋ナデシコ……はぐれ者同士、あまり付き合いはなかったけど、この数時間でその素顔がだんだん見えてきた気がする。


 彼女は僕らに対して一定の距離を作り、その溝を埋めようとすることを嫌っていた。それはきっと現役のアイドルという稀有な出自が培ってきた処世術のようなものなのだろう。いざ接してみればツンケンした言動を除けばとても素直で、お礼ひとつで顔を赤くするような少女なのだ。

 コトリの口元が歪む。


「おや、礼は余計だったか。では取り消そう」

「…………そうせい、そうせい!」

「嘘。何度でも言うよ、ありがとうナデシコ、助けてくれて。命の恩人だな」

「なっ…………」


 二度目の言葉を向けられたナデシコはひどく狼狽する。

 僕とフユは思わず笑ってしまった。


 宇都宮コトリという少女はなんていうか、意地の悪い妹のような、そんな性格をしているようだった。ツンケンしている中身は素直なナデシコからすれば水と油、天敵みたいだ。


「あは……」

「……ふ」


 そんな天敵の笑みを見て、ナデシコも応えるようにちいさく笑う。

 仲間同士の、緊張感のない、弛緩した空気。


 ずっとそんな空気ならよかったが……そうもいかない。

 各々が笑っていると、倒れたままのドルチェのうめき声が聴こえた。揃ってそちらを向く。未だに意識は戻っていないようだったが、時間の問題だろう。


「アスク」


 ナデシコが僕に声を掛ける。


「…………」


 コトリが黙って僕を見る。

 僕は、目を閉ざして考える。


 ……彼女たちは尋ねている。神楽坂ドルチェの処遇を。


 冷酷に仲間を手に掛けたドルチェ……意識を取り戻した彼女が自分を打倒したナデシコや僕らに対して何を思うか。想像に容易い。体感時間を操作するナデシコが傲慢な狩人たるドルチェの隙をつく形で飾った勝利にきっと二度目はなく、故に彼女をどうにかする機会は今しかないのだ。


 できることは自ずと限られる。説得しようとしたって彼女の心に届くとは思えない。そして僕らにはドルチェの糸の使用を限定するような術もない。


 つまるところ、ナデシコやコトリはこう言っている。

 殺すなら今しかない、と。


 今を逃せばきっと彼女は自分たちの死神になる――と。


「……………………」


 いくら……いくら仲間たちを手に掛けてきた咎があったとしても……

 ドルチェ自身もまた、仲間であることも事実だ……


 僕らに、彼女を裁く権利があるだろうか? それはただのリンチ……私刑ではないか。道徳を無視した、物の道理から外れた人でなしの選択ではあるまいか。良識がそう考える一方でこうも思う。僕らの仲間の命を奪ったことを、どうして僕ら以外の何者かが裁ける? 僕ら自身が裁かなくては、喪われた命が浮かばれない、と。


「……、…………」


 仲間の命を奪った裁きを、その仲間自身の命を奪う形で、報わせる……きっとそれは正しいし、誤っている。鏡合わせのジレンマだ。糸口のつかめないコンプレックス。どちらを選択をしても後悔が待っている、冷たい二者択一…………


「……………………………………………………………………………………」


 やがて僕は決断した。


 瞳を開く。倒れたままの、時折うめき声を上げる神楽坂ドルチェを見る。キャミソールとミニスカートが冷たい地面の上に無造作に広がっている。


 僕は口を開こうとして――その寸前。


『ところでだけどね、アスク』


 半透明の亡霊が、歌うように口を開いていた。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 今さら……

 どうして今さら、そんなことを言い出す……


 対面した時には黙っていたくせに……

 チカシやミモリが命を賭した時には何も言わなかったくせに……!


 胸中で燃え上がる青色の炎のような感情など伝わるはずもなく、彼女は言葉を続ける。


満開領域(ペインキラー)と言ってね。自分を中心にした数メートルほどの距離にいる生命のあらゆる痛み(ダメージ)を癒やす――()()()()


 頭が真っ白になる。

 治癒能力だって?


『残念ながら死者を起こすことは叶わないけれど、傷も病気も彼女の側に立てばゆっくりと治癒することができる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……、…………」


 待て……

 待ってくれ……


 これまで五十嵐ビビの亡霊が誰かの能力を語った時……

 その誰かは、例外なく…………


 僕は息を飲んで、それから辺りを見回す。伸び切ったゴムのように弛緩した無数の半透明の糸が、木々の間に掛かっている。糸の天蓋の下、左右には僕らの他に人影はない……


 僕は背後を振り返る。

 そして、見つけた。


 ヒュッ……、ヒュッ……


 浅い呼吸を繰り返し、おぼつかない足取りで茂みを抜ける、チカシとミモリの能力によって倒れたはずの少女――倉見モカの淀んだ瞳が、僕らを捉えた、その瞬間を。


「……………………」

「……………………」

「……………………」

「……………………」


 時が止まったような、そんな気がした。

 けれど時間は僕の感覚などお構いなしに、冷酷に流れていた。


 モカが手をかざすと、虚空に無骨な鉄塊が出現する。


 鉄塊というにはあまりに洗練されているそれには、いくつかの穴があった。数えてみる――六つ。それは僕らの為に用意された墓穴に繋がっているのだろうか。


 ガトリング砲――


「ヒュッ……、ヒュッ……、ヒュッ……」


 ビビが満開領域(ペインキラー)と呼んだモカの固有能力――治癒能力があっても、チカシとミモリによって受けた攻撃は堪えているのだろう、照準はなかなか定まらないようだった。そのおかげで数秒ほどの猶予を僕らは得ていた。チカシとミモリから与えられた時間を使って、死を目前にした僕らは行動を起こす。


「――ッ!」


 コトリの姿が消え、次の瞬間にはモカの腹部に膝蹴りを入れていた。春への扉(ロケットダイバー)による音速を越えた攻撃だ。攻撃を受けたモカの身体が後方に飛ぶが、背後にあった半透明の糸に引っかかる形で留まった。


 ヒュッ……、ヒュッ……


 僅かな時間の後、まるで攻撃など受けていなかったかのように、再びガトリング砲の銃口を僕らに向けようとしている。……そんな! まともに入ったはずだ! 満開領域(ペインキラー)の治癒能力か……!? 身体へのダメージなら僅かな時間で癒やせるってことか……!


「……言霊使い師(メーラーデーモン)!」


 言霊使い師(メーラーデーモン)。日に三度しか使えないこの能力は同じ相手に続けて使えないという制限もある。僕はまずモカを蹴り飛ばしたコトリに能力を向け、ほんの一瞬だけ繋がった直後、モカに向けて心のバイパスを繋いだ。


 倉見モカの瞳に映っている光景を見る。ガトリング砲の銃口はしっかりと僕らを覗いている――照準はもはやしっかりと定まっている……!


 そのことを知った僕の顔が真っ青に染まっているのが見えた。


 僕は心に様々な情景を浮かべる。

 それは例えばこの島で見た瀬戸内海の静かな潮騒だったり、幼い頃に通っていたゲームセンターの内装だったり、生前の音城スグヤと笑い合った日々の光景だ。心が繋がった今、モカもまたその光景を見ているはずだった。心に描かれる様々な光景を以って困惑させて、わずかでも時間を稼ぐ――


 その意図はしかし、上手く適わなかった。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()…………』


 ただその一言のみに支配された倉見モカの狂気に、むしろ僕の心が飲まれそうになる。


「ッ!! ……!」


 再びコトリの姿が消えるが、銃口はしっかりと僕らに定まっている……間に合わない!


「――――」


 モカが見る光景に、一点の変化が起きていた。

 銃口の先に立つ僕らの中ひとり……佐伯フユが両手を前に出している。


 それを目にした瞬間、


 ――パキッ、

 ――パキパキパキ――ッ!


 モカの周りで、そんな音が発生した。

 続いて、彼女の身を刺すような冷気。


 モカの両目は捉える。

 自分の身体を受け止めた半透明の糸が、瞬く間に凍っていく様を。


『物を凍らせる能力だよ。生き物なんかはちょっと無理だけど……冷やしたりはできるよ』


 氷化粧(フロージア)

 物を凍らせる能力。


 モカの身体を受け止めた半透明の糸をフユが凍らせた……!

 氷によって自由にならないのは身体だけじゃない。


 脅威だったガトリング砲もまた――


「……コトリ!」


 僕は音速を越えて行動しているはずの少女の名前を呼ぶ。音の速度の先にいる彼女にそれが届いたとは思えなかったが、意図は通っていた。コトリはモカの目前に姿を現す。強い蹴りが捉えるのはモカの身体ではない。僕らを狙っていたガトリング砲……!


 低温下では金属も脆くなると聞いたことがある。それはおそらく、鍵と竜殺しの(ミリオン)剣を叩く槌(スミス)によって造られた武器もまた克服できない弱点であるはず……!


 ――パリイイィィィン!!


 凍てついたガトリング砲の砲身がコトリの蹴りを受け、粉々に砕け散る。

 凍った半透明の糸によって拘束された少女の目前……


 チカシとミモリを奪った忌むべきガトリング砲が無数の氷の欠片になって降り注ぐ様を、モカは唖然と眺めていた。


「……こうしておけば、よかったんだね」


 フユは懺悔するように言った。

 それはきっとモカから逃げるナデシコに出会った時……チカシとミモリを喪うことになったあの瞬間のことだ。あの時に逃げ出さず、こうして氷化粧(フロージア)を使っていれば、きっとチカシとミモリは――


 その後悔を言葉で否定するのはあまりに簡単だ。でもきっと彼女の心は納得できないはずだった。僕は何も言えず、視線を逸らす。


 パタリ、と腰を抜かしたナデシコを見る。彼女はホソボソとした声で言った。


「……はー、寿命がいくら合っても足りんわ……」


 白昼夢想(パーソナルトーン)……体感時間を操作する能力を持つナデシコは今の今まで、僕らの感じた永遠のような一瞬を、文字通り長く引き伸ばしていたのだろう。……銃弾より早く動くことができない以上、体感時間を遅らせる能力はむしろ、自身の精神を苛むことにしかならない。自分たちを狙うガトリング砲の銃口を向けられた地獄のような一瞬を、彼女は何分、何十分、下手したら何時間分も体験していたのだ。腰を抜かすのも無理はない。


 そんな彼女を尻目に、近江ナユタが悠然とした足取りで僕の前に立った。


「……………………」


 何を語るでもない。相変わらず何を考えているかわからない少女。僕の前に立つってことは、何か策があったのだろうか? しかし万華回廊(カレイドスコープ)……あらゆる接触を遮断する固有能力。銃弾は彼女の身体を透過するだけに終わらないだろうか? やはり何を考えているのかわからない。


「…………、…………」


 僕はいま一度、辺りを見回す。


 狂気に取り憑かれた神楽坂ドルチェ、倉見モカ。

 そして僕ら――伊吹アスク、佐伯フユ、八嶋ナデシコ、宇都宮コトリ、近江ナユタ。


 島に残った、たった七名の生存者がこの場に集っている。


 攻撃手段を奪われたモカは何を言うでもなく、虚ろな目で僕らを睨んでいる。

 その目は依然、ただ一色――『コロス』とだけ言っている。


「う、……ッ……なめ……てんじゃない……わ、よ……ッ」


 反対側で呻き声を上げる神楽坂ドルチェ。意識が戻ったのか、身を起こそうとしている。


「……フユ!」


 ナデシコがそれを見て口を開く。フユはドルチェの身体から伸びる糸を凍てつかせ、モカと同様に拘束した。


「……! ……!!」


 狂気に抱かれたふたりを氷の錠によって捕らえた僕たち。

 まるでその一瞬を待ち望んでいたかのように――、


『さて、アスク』


 半透明の亡霊は口を開いた。

 僕の目前にその身を躍らせる。


『お願いがある』


 ……お願いだって?

 この期に及んで……何を言い出す?


『今だからこそだよ。全員が揃った今でなければいけなかったんだ』


 まるで僕の心を覗き見たかのように言う。

 全員がこの場に揃った今……五十嵐ビビは何を願うと言うのだろう?


言霊使い師(メーラーデーモン)で、あるイメージを、この場の全員に送ってもらいたい』


 六人同時に、ってことか。

 それはできないことじゃないけど……


 イメージって、一体何をさ。

 僕が胸中でそう尋ねると、彼女はそれに答えるように言った。


『私を。――今君が見ている私を、みんなと共有してほしい』


 ……! みんなに一斉にビビの亡霊を見せる。たしかにそれなら不用意な混乱を招かずに、言霊使い師(メーラーデーモン)が捉えた死者の言葉を受け入れられるかもしれない。けど、ビビは何を言うのだろう? 何を語るのだろう……九人の仲間を喪った今になって。


 僕の疑問に答えるように、半透明の少女は儚げに微笑む。


『この世界の真実を』


 ――世界の真実……?


『この時を待ってたんだ。ずっとね』



 そして僕ら七人は、彼女の声を聞く。

 冷たい現実を。

 逃げ場のない運命を。


 ()()()()()()のことを。


 ――生存者 七名

 ――死者  九名:五十嵐ビビ、音城スグヤ、小岩井テンマ、

          日向ケンイチ、新居シノブ、寒川トシユキ、

          浅倉エイジ、辻ミモリ、黛チカシ


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