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砂時計の夜  作者: 七緒錬
19/30

■ 06 … 003

 ――02:04――


「行ったか……?」


 黛チカシは冷たい地面に横たわりながら視線を這わせ、先ほどまで自分たちが立っていた場所を探す。人影は見つけられない。霧の迷宮(フォレスト)。チカシの側に倒れている辻ミモリの能力……彼女の意識がある限り、チカシは仲間の影を見つけることはできない。


「ぐ、う、っ…………!」


 なんとか身体を這わせて側に倒れたミモリの左手に触れる。少年の冷たい手が少女の温かな指先に触れる。指先を握るとミモリはぎこちなく首を動かしてチカシの目を見た。それから、そっと微笑する。言葉はない。その代わりに口元に赤い筋が零れた。もしかしたら肺をやられたのかもしれない、ミモリの身体の下にもおびただしい量の血液があった。チカシはどうにか笑いかけて応える。


 会話をするまでもなく、ふたりの意思は明確に疎通していた。


 神楽坂ドルチェ相手に使うつもりでいた霧の迷宮(フォレスト)八咫烏の焔羽根(プロメテウス)の合わせ技。それをこの場で倉見モカ相手に使う。


 倉見モカが振るう殺傷手段であるガトリング砲はあくまでも小岩井テンマの能力、鍵と竜殺しの(ミリオン)剣を叩く槌(スミス)によって生み出された物だ。倉見モカ自身の固有能力は未だ不明。その点が不安要素になって、この合わせ技を倉見モカでなくて神楽坂ドルチェに使うと決めていた。


 たとえば宇都宮コトリの、春への扉(ロケットダイバー)……音速を越えて活動するという破天荒な能力であれば通用しない。浅倉エイジの彷徨う羅針盤キャッチミーイフユーキャンのような転送能力もそうだ。しかし倉見モカは今のところ徒歩以上の活動手段を見せていない。であるなら自分たちの能力の組み合わせは通用するかもしれない。賭ける価値はある……そう思えたのだ。


「……、…………」


 ただひとつ問題がある。自分たちの意識が、果たしていつまで保つか。八咫烏の焔羽根(プロメテウス)霧の迷宮(フォレスト)も意識を失えばそこまでだ。焔は空気の中に解けて消えるし、見えない迷宮もたちどころに霧散してしまうだろう。


 チカシはミモリの温かな指先の感覚を確かめるように、微かに力を込める。今はまだ肌の温もりを感じることができる。でも……ガトリング砲の弾を受けた箇所に意識を向ける。つい先程まで灼熱の痛みがあったはずなのに……今やなんの感覚もない。ただ、だくだくと……まるで満杯のバケツに穴でも開けたみたいに、そこから血液がこぼれ続けるのが判る。


 どうやら死というものは人の身に降りてくる時、その覚悟を持った人間に対して恐怖を与えない性質を持つようだった。肉体がその体の持ち主に対して最期に行う奉公か、あるいは神の慈悲か。いずれにしても結果は同じ。


 確信がある。意識の消失は――自分はもう、そう長くはない。

 怖れはない。ただせめてどうか、と願う。


 この生命が途切れるよりも早く、自分たちの戦いが、実を結ぶことを。


 八咫烏の焔羽根(プロメテウス)が作る焔の明かりに目を細めながら、チカシは仲間のことを、アスクとフユのことを思う。


 チカシとミモリが仲間に手をかけることを決意した時、あの年上のふたりはひどく後ろめたく感じていたようだった。こちらを慮る優しい眼差しが、重荷を背負うことは年長者の務めであるはずなのにと、そう告げていた。


 こんな時なのに。

 こんな島なのに。


 こんな……現実なのに。


「ふ……」


 その底抜けのお人好し加減を思うと、つい笑ってしまう。超常現象行使者という怪物同士であるはずなのに、年齢を理由にした良心の呵責など。向けられた良識を少しだけ煩わしいとは思うけれど、滑稽だとは思わなかった。それが優しさに他ならないことをチカシは理解できているからだ。


(……俺だって役に立つんだ)


 想いの強さを示すように、焔の玉の勢いが増す。


 ガトリング砲の音は止んでいる。突如として現れた炎が何らかの固有能力であることは理解できたはずだ。狂気の中にいる倉見モカであっても、炎に巻かれればきっと逃げ道を探すだろう。――霧の迷宮(フォレスト)によって見つからないはずの、出口をだ。炎に満たされた出口のない迷宮。それがチカシとミモリの能力を合わせて実現した必殺の攻撃方法だった。もちろん、八咫烏の焔羽根(プロメテウス)は熱のない無力な炎……閉じ込めた相手を無情に焼き殺すことなどはできない。それでも――対象の生命を脅かす可能性を秘めている。


 炎は常に周りの酸素を消費している。それはチカシの生み出す焔とて同じことだ。酸素の完全な燃焼は二酸化炭素を、不完全な燃焼は一酸化炭素を生む。そのどちらもが人体にとって猛毒となる。霧の迷宮(フォレスト)八咫烏の焔羽根(プロメテウス)の組み合わせは密閉空間で炎を炊き続けるのと同じ驚異を秘める。逃げ場を探しても見つからず、一酸化炭素と二酸化炭素、あるいは両方の中毒になるのを待つことしかできない……まるで空気で出来た蟻地獄のような攻撃。


 酸素は空気よりも重く、逆に一酸化炭素や二酸化炭素は軽い。火災の際に姿勢を下げて行動しろと言われるのはこれに由来する。大地に横たわるチカシとミモリを脅かすのはしばらく先の話で、倉見モカにダメージが蓄積する方が早いはずだ。それで倒れるまで――、


(……、なんとか…………意識を……保た……ないと……)


 意識が霞む。視界の中のすべてが曖昧にぼやけ、四肢の感覚が遠のく。気づけば手の中で握りしめていたはずの温かな指先の感触も消えている……ミモリは未だ意識を保っていてくれるだろうか? それを確かめる術はない。


(まだだ……まだ落ちて……たまる、か…………でなきゃ、なんのために…………)


 チカシの脳裏によぎるのは、島に訪れるよりも以前のことだった。

 それは忌まわしい記憶だ。


 一般家庭の一人息子としてどこにでもあるベッドタウンに生まれ落ちた黛チカシは相応に育つ。友達を作ることに不自由しない生活がずっと続いていくものだと、理由なく信じているような、そんな無垢な少年だった。転機が訪れたのは小学校の高学年に上がった頃だった。年金生活のはじまりまで残り数年……そんな年齢に差し掛かっていた父方の祖父が長年務めてきた会社のカネの横領に関わっていたことが発覚した。額の問題は重要ではないが、少なくない金額であったという話だ。


 祖父のしでかした出来事はまたたく間に噂となって、ベッドタウン中の関心を集めた。友達は同情的だった。変わらぬ友情を誓ってくれる律儀な者もいた。けれど町を蝕む下劣な関心はゆっくりと小学生の少年たちの下まで歩み寄り、純真なはずの心に理不尽でつまらない悪意の篭った言葉をいくつもいくつも植え付けていった。あの子にはあまり近づかないように――、とそんな具合にだ。


 子らですらそれだ、大人であった両親がどんな思いをしていたことか。事件の発覚から二ヶ月ほどが過ぎた頃、両親は引っ越しを決意する。それは仕方のないことだと小学生だったチカシにも割り切ることができた。家族はベッドタウンを後にして、別の町に居を構えた。


 ……噂というものは感染症の毒のようなものだとチカシは思う。


 新しい生活に馴染み始めた頃、チカシは己に奇異の目が向けられていることに気づく。散々向けられてきた、正体の知れた関心……どこから聞いたのか、その町にも伝わっていたのだ。逃げ出したはずなのに、逃げきれていなかった。両親がそのことに気づかないはずもない。抱え込んだストレスが家庭不和に繋がるのに時間は掛からなかった。安息の場所であるはずの家庭が、黛家の者たちにとっては気の休まらない場所に変わった。その『かすがい』であるチカシがひどく深刻なストレスを抱えるのは明白だ。学校にも、町にも、家にも、多感であるはずの年齢の少年が気を許せる場所はなかった。責め苦のような青春時代……灰色の日々。


 いっそ何もかも。家も、町も、自分も、燃え尽きてまっさらな灰に代わってしまえばいい。そういう気持ちがなかったと言えば嘘になる。だからこの孤島に隔離された時、チカシは心の底から笑った。自分はあの暮らしから開放されたのだ……! それは久方ぶりに浮かべる偽りない笑顔だった。


 島には同じ境遇――超常現象行使者である少年少女たちがいた。けれどどうしたことか、彼らの多くは『早く島を出たい』『戻りたい』と願っている様子だった。チカシは口にこそしなかったが、反感を抱いた。――帰りたい生活があることを恵まれてると思わない奴らと、どうして話が合う。


 チカシにはほとんど別の星で暮らす異星人ほどにその心境が理解できなかった。自然と島で生活することに抵抗を抱かない者たちとつるむようになった。佐伯フユ。日向ケンイチ。交流し、身の上を語り合い、心を通わせていった。


 フユの両親は新興宗教の幹部であるという。強い信心は娘に対しても敬虔な信徒であることを強要し、少女はまるで自由のない生活の中にいた。


 ケンイチは神経の通わない四肢の持ち主だった。病室から空を泳ぐ雲を見るのが好きだと、屈託のない笑顔で語っていた。


 チカシは自分の出自など瑣末ごとのように思えるふたりの生活を、それでもなお純粋に育つことができたその性根を、心を、明るさを、人の善さを、ただただ尊敬した。それは遠い日に失ってしまっていた、友達の条件のひとつだった。


 フユとケンイチと過ごす日々がチカシの強張った精神を解したのだろう……五十嵐ビビの死を発端とした一連の事件を経た少年は、フユとケンイチ以外の人間と行動することをよしとすることができた。


 伊吹アスク。島に残りたいでも、島を出たいでも、中立でもない半端者と思っていた。そんな彼と話してみればしっかりとした信念を持っていることに気づけた。一方的に半端者だとレッテルを張っていたチカシ相手のことだってアスクは『仲間』と呼んでくれた。アスクと同じく半端者であったはずの辻ミモリにしても、また自分とは異なる所感を保つ浅倉エイジにしても、曇りのない眼差しを持った人間だと知ることができた。


 いつの間にかチカシは認めていた。自分たちは十六人の運命共同体……仲間であること。孤島に訪れることで手に入れた、かけがえのない仲間……


 ――どうかひとりでも多く生きてほしい。そう願うことができた。


 アスクはいつの間にか閉じていたまぶたを開く。


 無数の焔の球や、それから木々に囲われた草の上。自分たちを傷つけた倉見モカが、そのちいさな身体を横たえているのが見えた。どうやら意識を奪うことには成功したようだった。まだ生きてるだろうか? ……わからないが、仮に生きていたとしても、なんらかの後遺症が彼女の狂乱を窘めて、仲間たちの生存を手助けするはずだった。


「は――、――」


 笑おうとして、ふと、気づく。

 倉見モカの姿を目にすることができるってことは……


 チカシは手の中の、少女の指先に意識を向ける。感覚がない中、感じた気がした。――辻ミモリの手が冷たくなっていること。


「…………………………………………」


 声を投げかけようとするも、喉は上手に鳴ることはなかった。そもそも声が出たところでなんて声を掛ければいいのだろう? ……わからない。深い眠りに落ちた仲間を労う言葉すら上手く思いつかない自分に気づいたチカシは、苦笑した。


 焔の勢いが、急速に弱まる。


 瞳を閉じる。もはや二度と見ることのない世界を惜しむように、ゆっくりと。まぶたの裏にフユとアスクの姿を思い浮かべてみる。彼らはこの先、無事に生き残ることができるだろうか? 困難が続くことは確実だが……チカシが仲間と気を許したふたりの行く末にどうか、平穏が訪れればいい。


 最後の一呼吸をして、ふと、黛チカシは思った。

 仲間を案じる心境というのは、存外……


「……悪く、ない……………………」


 それからいくらかの時間を置いて、深い夜闇が森に戻ってくる。静寂が横たわる二人と一人を優しく包み込んだ。


 ――生存者  六名

 ――生死不明 一名:倉見モカ

 ――死者   九名:五十嵐ビビ、音城スグヤ、小岩井テンマ、

           日向ケンイチ、新居シノブ、寒川トシユキ、

           浅倉エイジ、辻ミモリ、黛チカシ


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