■ 06 … 001
――01:35――
「アスク。ひとつ手があるかもしれない」
僕、佐伯フユ、黛チカシ、辻ミモリの四人で今後の方針を決めている最中、そう切り出したのは黛チカシだった。
「手って……なんのさ」
「今の話だと、暴れまわってるモカやドルチェと出くわすかもしれないリスクを採らない、ってことだよな」
彼女らを止めるべく行動している近江ナユタや宇都宮コトリと話す時間を設けたかったが、それは早計だ。せめて倉見モカ・神楽坂ドルチェへの対抗手段を考えてからでなければならない。結論が出るかも判らないことをここで話すより、ミモリとの合流を果たしたことをエイジに連絡し、八嶋ナデシコとの合流をそれぞれで目指すべき……話がそちらに進んでる所だった。
木に寄りかかったチカシは、手の中で焔の球を玩びながら言う。
「倒せるかもしれない……神楽坂ドルチェを」
「…………!」
息を飲んだ。
悲恋を唄う蜘蛛。見えざる糸を操る能力。浅倉エイジから聞いた限り、能力の汎用性は比類ないように思う。それが殺傷目的で振るわれているのだから怖気が走る。チカシはそんな能力を持つドルチェを倒せるかもしれないと言った。
「それは……マジ? リアリー?」
「マジ。リアリーであり、そしてイエスだ」
緊張感を削ぐ返答だった。聞いた僕も僕だが。
「必要になるのは、僕の八咫烏の焔羽根……それからミモリの能力だ」
「……霧の迷宮を……?」
ミモリを振り返る。彼女は両手をお腹の辺りで重ね、悠然とした立ち姿で僕らを見ていた。神楽坂ドルチェの悲恋を唄う蜘蛛……見えざる糸を自在に操る能力の攻略にミモリの霧の迷宮が必要……? 判るような気がする……出口のない迷宮の檻、そういう能力だ。応用の幅が非常に広いように思えた。けど八咫烏の焔羽根の方はどうだろう? 熱くない炎……チカシを馬鹿にするわけではないが、霧の迷宮と共にドルチェを追い詰める想像はとてもできなかった。まだフユの氷化粧との組み合わせの方が腑に落ちる。たとえば氷の迷宮を作る、とか。
「一体何をしようって言うんだ?」
「それは――」
尋ねると、チカシは僕らに語る。神楽坂ドルチェを打倒する方法。
……聞いてるうちに血の気が引いていった。
「――これでおそらくは詰みだ。ドルチェには何もできない」
チカシ。この中学生はなんてことを思いつくのだろう。
たしかに、それは……
僕はその方法を、その光景をイメージしてみる。
「いける……」
知らずに口を割って出ていた。
何度かイメージを重ねてみる。……やはりいける。現実的な……光景だ。
「確かにそれなら、確実に倒せる……」
チカシは顔を赤くし、はにかんだ。
「! ははは、そうとも! 俺の八咫烏の焔羽根なら造作もないさ!」
「まあ、霧の迷宮があっての話だけど」
「そ、それはそうだけど……」
一気にしゅん、となる。十四才の年相応らしい反応だった。
倒せる。確実に。
でも……それはそう明るい話ではなかった。
僕はミモリに視線を向ける。微笑を浮かべて佇んでいる。その横ではフユが難しい顔を浮かべている。どこか落ち込んだような、そんな表情だ。
「……、…………ミモリ」
ミモリは「はい」と応える。
「今チカシが言った合わせ技なら、確かにドルチェを打倒できると思う。それにはミモリの、霧の迷宮が必要だ。でもそれは……正直、酷なことだ」
「……………………」
「とても……酷なことだよ」
正気でないとはいえ、仲間に向けて自分の固有能力を使う。どれだけの覚悟がいるか。そして僕とフユはそれを、仲間に仲間を手に掛けさせることを――強いようとしている。年下の少年少女の固有能力を、仲間を傷つける為に使わせようとしている……
……正しいと言えるのか。
生き残る為にチカシの提案を受け入れるのは……正しいのか?
できることなら、この場で最年長の僕が担うべき役目だ。けどその方法を思いつけず、そしてそんな悠長なことを言っている場合ではなかった。この時間だって倉見モカと相対しているはずの近江ナユタや、神楽坂ドルチェと相対しているはずの宇都宮コトリの戦いがあって初めて成立している。手段があるなら、方法があるなら――悩まず、躊躇せず、直ちに実行に移すべきなのだろう。
……たとえそれが正しくなく、あまりに罪深いことだったとしても。
「伊吹アスクさん。あなたの勇気を履行するためには、必要なことだと思うのです」
年下の少女は、その覚悟を口にした。
「ミモリにできるなら、やり遂げましょう。たとえこの手が血塗られてしまおうとも。よろしくおねがいしますね、黛チカシさん」
「! ……ああ!」
チカシがミモリの前に立って、彼女の両手を取った。ふたりの少年少女たちは頷き合う。……彼らは今、誓いを交わしたのだ。仲間相手に――その能力を使うと。
僕とフユは顔を合わせた。
「……………………」
「……………………」
言葉を交わすことなく、どちらともなく視線を逸らす。
捨てきれない感傷を持つ僕らはただ、願うのみ。どうか神楽坂ドルチェと出会うよりも早く、チカシの提案に変わる手段を思いつけますように――、と。
『八嶋ナデシコ』
……そんな時だった。
出し抜けに半透明の亡霊が耳元で囁いた。僕らの探すもうひとりの少女の名前を。
『現役アイドルである彼女は誰に気を許すでもなく孤立し、五人のはぐれ者に数えられることになっていたね。その孤立はアスク、君の付かず離れずという信条に近いけれど、もっと俗な意図だった』
唐突な、この場にいない探し人のパーソナリティ……確かに彼女の孤立はそういう性質だ。近江ナユタのように他者を拒絶するでもなく、五十嵐ビビのようにひょうひょうとしているでもなく、辻ミモリのように孤高でいるわけでもない。必要に応じて他人と接触し、そうでない時は干渉を控える。言ってしまえば利己的な損得で物を捉える、大人のような少女だった。そのことを隠そうとしない辺りが、その身勝手さに対してもまるで嫌悪感を抱かないでいられる要因なのかもしれない。
「……、…………!」
五十嵐ビビの亡霊が仲間のことを語る時、いつだって……
僕ははっとして、背後を振り返る。
神社跡を覆う森の奥……茂みを抜け出てくる人影の姿があった。
「? ……あっ!」
僕の視線を追ったのか、フユが声を上げた。
スタイルの良い身体を包む衣服はパーカーにスパッツという野暮ったい物で、顔には赤いフレームの眼鏡をしている。こちらに向かって長い黒髪を踊らせて一心不乱に駆けている。
「ナデシコちゃん!」
フユに名前を呼ばれた彼女――八嶋ナデシコは正面に立つ僕らに気づいたようだった。数十メートルほどの距離を挟んでいても、その表情が判った。
「……!?」
僕らを見たナデシコはひどく驚いたような顔を浮かべた。仲間を見つけた時の驚きとはまるで違っていて、行動を咎められるのを予感した子どものそれに近い。けどそれだけでなく、形の良い眉の歪み方などからもっと別の感情が伺えた。怒り、苛立ち、悲しみ、後悔……決してポジティブとは言えない様々な感情が入り混じった表情。
なにが、あったんだろう? 彼女にあんな表情をさせる何か。嫌な予感を懐きつつ、僕は口内にたまった唾液を飲んで喉を鳴らす。
十メートルを切る。
僕は四人を代表するように軽く手を上げて口を開く。
「ナデ――」
名前を呼ぶ暇もなかった。八嶋ナデシコは僕ら四人のすぐ真横をすり抜けていった。ハァッ、ハァッ、というひどく荒い息遣い、それから大粒の汗の雫を落として。
「……!?」
明らかに普通ではない。その背に向かって声を投げようとしたその時、
「……っ!!」
それよりも早くナデシコは唐突に身を翻して、僕らに何を言う暇も与えず、すぐ目前まで駆け寄って来た。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ――――」
荒い息の掛かるような距離まで近づく。瞳孔の開いた目と目が合う。やけに充血している……
ナデシコは僕と佐伯フユの手を取る。
「ちょ――」
「きゃっ、なに――」
そしてそのまま駆け出す。僕とフユは引きずられるように、よたよたと駆ける。
一体、なんだって言うんだ!? 言葉もなく手を引いて……何をしようっていうんだ!
「フユ、アスクっ!」
「…………?」
チカシが僕らを呼ぶ声を背に、考える。森の奥から駆け抜けてきたナデシコ。あの表情。それはまるで、何かから逃げている者のものなんじゃないだろうか……? それにナデシコの接近を伝えたビビの亡霊のこともある……
僕はチカシとミモリの背後に視線を向けた。
時間が、止まった気がした。
七分袖のカットソー。袖のない薄手のカーディガン。キュロットスカート。左右に結われた癖のない髪。暗い銃口をこちらに向け、狂気に支配された少女――倉見モカが立っていた。その目に冷たい光を湛えて。
僕は腹の底から絶叫する。
「――――逃げろおおぉぉッッ……!!!!」