■ 05 … 005
――01:03――
そう広くはない孤島だ、暗がりを照らしながら歩き続けていれば八嶋ナデシコと接触できると思っていた。しかし誰かと会えるどころか……
「この森、こんなに広かったっけか……」
殿を歩くチカシが三人の胸中を代弁するようにつぶやいた。
孤島に来て二日やそこらで探索は終えている。たとえ夜の森の中であっても僕ら〈行使者〉には白昼のように鮮明に見て取れる。迷う要素はない……そのはずだったが、行けども行けども森を抜ける気配がない。
「ね……アスク君」
佐伯フユが背後から服の裾を引く。僕は立ち止まって振り返る。
「うん?」
「音が止んでる……」
言って彼女は背後を振り返った。僕もそちらを向く。
「本当だ……」
けたたましく鳴り響いていたガトリング砲の轟音が消えていた。……何かあったんだろうか? 近江ナユタは万華回廊を持つからダメージを受けることはないが、同時に彼女から攻撃を加えることはできないはず。そんなナユタ相手にガトリング砲を向けることに飽いたのか、あるいは……
……他に関心が向いた?
嫌な想像だった。狂乱した倉見モカが関心を寄せるのは、人間だ。十人しか残っていないこの島の中、僕ら三人やモカ本人、相対していたナユタを除くと……残るは五人。浅倉エイジが進んで学校に向かうことはないはずだから、それも除けば四人。
もうひとりの狂乱者である、仲間を手にかけてしまった神楽坂ドルチェ。
ドルチェを食い止める為に命がけの足止めをしている宇都宮コトリ。
僕らの探している八嶋ナデシコ。
そしてエイジが探している辻ミモリ。
モカの前に立ったのがドルチェやコトリだったなら、いい。話を聞く限り、ガトリング砲に対抗できる能力を持っている。でもそうではなく、ナデシコやミモリがあの場に訪れたら……? 未だ彼女たちの能力を知らないけれど、自衛ができない固有能力だったなら。そう思うとひどく不安に駆られる。
「……、…………」
言霊使い師を使って強制的に呼びかけるべきだろうか? ……しかし日に三回という制限がある以上、念の為に温存しておきたい気持ちもある。
それに予感がある。
僕は半透明の亡霊を横目で見た。
アッシュブラウンのサイドテールが透けて向こう側の木の樹皮が見えた。五十嵐ビビ。もしも致命的な出来事が起こるなら、彼女がそれを告げるはずだ。体育倉庫に居た時、倉見モカの襲撃から僕を逃がすために、月を見ろと言った時のように。仲間の死を前に覚悟しておけと言った時のように。
彼女が沈黙しているってことは、きっと誰かに危機が訪れているわけではない……はず。僕がこの忌むべき能力を使うのは彼女が口を開いてからでも遅くはない……はずだ。
根拠に乏しい『はず』ばかりの思考。自分でも呆れるくらい他力本願だ。
なんの合理性もなかったが、それでも僕はビビを信じると決めていた。
「……行こう」
しばらく歩いた。
勝手知ったるはずの森。彷徨うように進むと、開けた場所に出た。
ちいさな神社の跡だ。
神社というよりも、もはや古臭い祠が残っているだけ……そんな空間だ。木々に囲まれた、祠のある、開けた空間。その中心に少女は立っていた。
「さがしものは、なんですか?」
前髪を切りそろえたストレートのミディアムヘア。僕の胸元ほどもない低めの背丈。何より目を引くのは孤島の森の奥深くだというのに、黒いゴシックロリータという装い。非日常的なこの場所に対し、彼女のその違う意味での非日常的な服装というのは、そういうモチーフの絵画のように整って見えて、不思議なことに不自然さが薄れていた。
少女の名は辻ミモリ。
年齢は十三才。ケンイチの次に幼い仲間だ。三つのグループに属さないはぐれ者だったが、幼い彼女が独りになることに年長者の僕らが思うところがなかったわけではない。特におせっかい焼きだった新居シノブなどはしきりに気に掛けていたように思う。けれど結局はグループに属すことなく孤立した。
落ち着いた佇まい。言葉を語る時の口調。やさしげな意思の光を宿した精悍な瞳……年齢に見合わない、完熟した、達観した精神をその幼い少女は持っていた。孤島への軟禁という憂き目に合ってなお彼女は動じた様子を見せずにいた。動じない彼女に対し、情けない話ではあったが、年長者の僕らができることはなかった。だから彼女は群れることなく、また群れることを否定することもせず、ひとりきりでいた。そのあり方は孤独ではなくて孤高。そんな彼女が、迷ってたどり着いた僕らに向けて尋ねた。
さがしものは、なんですか。
「……、…………」
八嶋ナデシコと接触するために島を歩いてきた。
もう一人のはぐれ者、この辻ミモリのことは浅倉エイジが探すと言っていたからだ。……何から話すべきだろう? そう悩んでいると、ミモリは幼きモナリザのように微笑む。
「霧の迷宮。それがミモリの固有能力です」
両手を胸の前に広げて、淡々と語る。
「『さがしもの』が見つからなくなる、というチカラです。あの轟音を聴いたミモリは、この能力を使って森に身を隠していたのです」
「……さがしものが見つからなくなる?」
「そうなのです」彼女はこくんと頷く。「ですので、ミモリを探しに来る人は、ミモリに会うことはできないのです。……よって御三方はミモリを探しに来たわけではない、ということになります。そのため尋ねさせてもらったのです、さがしものはなんですか、と」
理屈にかなった話だ。彼女自身と相対しようと考えて行動したら、彼女と出会うことはできない。倉見モカ、あるいは神楽坂ドルチェにしても、辻ミモリのことを見つけられないのだ。彼女を探す浅倉エイジにしても同じことが言える。もうひとりのはぐれ者、八嶋ナデシコを探す僕らだったから、偶然出会えてしまった……そういうことか。
おそらく能力の範囲は辻ミモリ本人を中心とした広範囲のもので、『さがしもの』ってのも広義に渡るのだろう。だから、
「……それじゃ、森の出口を探そうとした俺たちは」
僕と同じことに思い至ったのだろう、チカシがそう言って、
「はい。“出口”という探しものをロストして、迷い、この場所にたどり着いたのでしょう」
辻ミモリは頷いて答えた。
佐伯フユが「はえぇ……」と感嘆の息を漏らした。
霧の迷宮とはよく言ったものだ。僕はそんな風に考えながら口を開いた。
「……ナデシコを探していてね」
「八嶋ナデシコさんを?」
「そう。実は……」
僕らはここにたどり着くまでの経緯をこのゴスロリ服の少女に話す。
体育倉庫を蜂の巣にした倉見モカ。モカの属する三人組のうち、二人が死んだこと。モカを食い止めるために近江ナユタが立ちはだかってくれたこと。佐伯フユ、黛チカシたちと合流したが、日向ケンイチも死んでしまっていたこと。そこへ五人組の崩壊を告げにきた浅倉エイジのこと。そして僕らが儚い希望と使命感を胸に抱いて、合流するために行動することを決めたこと。
僕らの話を黙って聞いていた辻ミモリは、桜色の唇を開いて、
「痛ましいお話です」
そう言った。そのまつげは哀しげに伏せられていた。
「能力の暴走が我々を死に至しめるのなら、対話をするべきなのに……倉見モカさんや神楽坂ドルチェさんは乱心されている。彼女たちの目を盗んで生存者との合流を急ぎたいという考えには賛同できます」
辻ミモリはひとつ頷いて、
「ミモリも同行します。いいですか?」
フユが「もちろんっ」と答えた。僕らの前に出てミモリの両手を握る。
「よろしくだよ、りーちゃん!」
「……りー、ちゃ、ん?」
きょとん、とした顔を見せるミモリ。フユは胸を張って、
「ミモリちゃんだから、りーちゃん。……いや?」
「嫌というか……」ミモリは困惑顔で明後日の方向を見て、「そのように呼ばれたのは初めてのことです。なんだか背中がムズムズ……っとしてしまいます」
「かわいいよ、りーちゃん。ね?」
僕とチカシを振り向いてくる。僕らは顔を合わせて苦笑してしまう。
「そのうち僕もあす君って呼ばれそうだな」
「ちぃ君よりマシだと思わないか」
どっちも似たようなもんだ……男ふたりで肩をすくめた。
ミモリは僕らを見て微笑し、「りーちゃんと呼ばれるのも、貴重な経験かもしれませんね」と応えた。フユはひまわりのような笑顔を浮かべた。
いくらかフユと話してから、やがてミモリは僕を見る。
「ミモリのことより。アスクさん、伊吹アスクさん」
「うん?」
僕の瞳を覗いてくる。少しの間見つめて、
「しゃがんでください」
唐突にそんなことを言い出した。
しゃがむ、って。一体どうしてだろう? 正面からミモリの視線を受け止めることで真意を探る。澄んだ瞳が作る優しげな眼差し。辻ミモリの穏やかな表情からは内心を窺い知ることはできなかったが……拒否することでもないだろう。言われるまましゃがむ。
ミモリは僕の目前まで歩んでくる。そうして僕の髪の中に指先を埋めた。ぽふ――、というような擬音が脳裏に浮かぶ。冷たく軽い手の感触がそのまま左右交互に揺れる。
「…………………」
「…………………」
無言のままそれを繰り返す。二度、三度……
傍から見ているフユやチカシも無言のままそれを見守っている……
「……ミモリ、辻ミモリ」
「なんでしょう、伊吹アスクさん」
「どうして僕は年下の少女の前でしゃがんで頭を撫でられているんだろう?」
僕の胸中は大変、複雑な感情のうねりが去来している。年上として立つ瀬がないというか。なんだろう、さっきは佐伯フユから「強い子」って呼ばれたし……
「こうしてしゃがんでもらわないと、手が届かないからでしょう」
「そういうことじゃないんだけど」
しゃがめって、そういう理由で言ったのね……
「頭を撫でているのは、男の子はそうされると嬉しいと、前に知ったもので」
「どこで知った」
「いんたーねっとです」
「よくないとこ見てんじゃねーかなぁ……」
ソースを是非知りたいところだった。
というか、もう一度問いたい。なぜ? パードゥン?
「ふぁ、ふわあぁ…………」
ミモリは大きく口を開いた。その両目の端には小さな雫が浮かんでいた。
「……人の頭を撫でながら、ずいぶんと大きなあくびをするね」
「ふみゃ……いつもは寝ている時間なのです」
日付は変わっているだろうが、それにしても全力でお子さまである。ますますもってこの状況はなんだろう……年下の少女にあくびをされながら撫でられる。ミモリは眠気を払うように首を振って、それから真剣な瞳を僕に向けた。
「伊吹アスクさん。あなたの勇気に敬意を表したいのです」
「勇気? なんのこと……」
「ミモリたちは物言わなくなった五十嵐ビビさんを見つけた際、消去法であなたを容疑者と断定し、体育倉庫に閉じ込めることに反対の意を挟まなかった……友の死に最も傷ついていたはずのあなたに、そんな過酷を強いた」
「……それは、だって」
「仕方のないこと、では済まされません。我々はあなたに対して非道いことを」
髪の中に埋まった指先が微かに震えている。ミモリの表情はけれど、変わらずにいた。
「そんなあなたが。倉見モカさんや神楽坂ドルチェさんの乱心を知って、それでも……彼女たちを止める方法を探す決意をした。非道いことをしたミモリたちと共に」
「それが……それが、勇気だって?」
「そうです」
頷くミモリ。その澄み切った両目から、僕は視線を逸らす。
だって、それは違うんだ、ミモリ。
視線を逸した僕の両目が捉えたのは半透明の少女だ。五十嵐ビビの能力が残した、然るべき時に言葉を発する亡霊……
僕は生前のビビ本人から彼女が近い将来に落命することを聞いていた。死後に至ってすら、彼女は半透明の亡霊という姿をとって、今もこうして僕の側にいる。……ミモリからすれば僕はビビという友の死を乗り越えているように見えるのだろう。でもそれはひどい欺瞞だ……僕はビビの死を乗り越えたわけじゃない。実感がないだけのことだった。
欺瞞は他にもある。
僕が勇気を出して狂乱する仲間を止めようと思い至ったわけじゃない。ビビの亡霊に導かれるまま、気づけばその選択を口にしていただけ。僕ひとりで決めたことではないのだ。それに仲間を止めたいと願うことは誰でもできる。問題はその上で止める手立てを思いつけるかってことだ。思いつけない僕が取った行動は別の仲間たちに相談しようとすることだった。顔を合わせて考えれば何らかの方法を思いつくことができるかもしれない……他人主体の消極的な発想に根付いた行動。これのどこに勇気があるって言えるのだろう? どうしようもなく無力じゃないか。
「僕は……」
けどミモリの誤解を解くことはできない。
五十嵐ビビの亡霊は僕にしか見えないからだ。僕にしか……言葉を語らないからだ。生前にビビが自らの死を予見していたことまで話さなければならないし、それはさらなる混乱を招くことにしかならないはずだ。それに……ビビは仲間の死を予知できていたはずだ。けれどそれを僕にすら語っていない。そんな半端な状態の現実を仲間たちに明かしたところで何になる? 隠し事をせずに済むようになったという腑抜けた自己満足にしかならない。だから僕は口をつぐみ、ミモリの言う『勇気』という言葉に空笑いをすることしかできなかった。
「許してくれますか。非道いことをしたミモリたちを」
ミモリは僕の髪に指先を埋めたままそう言う。
気になんてしてない。許してほしいのは、むしろ……
ちいさく深呼吸をして、それから普段どおりの口調で答える。
「……許すもなにもないって。仕方のないこと、だったんだよ……」
僕は笑ってみせて、それから頭を上げることで、頭に置かれた手からそっと逃れる。
「撫でられるのは、お気に召しませんでしたか?」
「お気に召すも何も……」
「やはり道具を揃えて膝枕で耳かきをした方が、男の子的にはベストだったでしょうか」
「やっぱあんまり良くないサイト見てたっぽいな! どう思う、チカシ!」
「次は俺も頼む」
「何言ってるんだこいつ!」
言うと、チカシは声をあげて笑った。釣られるように僕らは笑う。
……隠し事をしながらの笑み。ぎこちなくなってなければいいと願った。