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『ぎび もあ』  作者: トキタケイ
びえりお漂着編
5/46

試練①

 カギロウが12歳になった日の朝。

 夏も盛りとなり、ワク村を覆う空気は湿気を含み、熱に満ちていた。


 海岸から北へ、広大な森林を進んだ先に村はあり、空から見た時、それは一面の緑色の中に開けられた丸い穴のように映る。

 人口800人のやや規模の大きな集落は、大通りを除きたくさんの木造家屋が乱雑に建てられ、傍から見ても住人たちは自由で、穏やかに暮らしているだろうことは想像できる。


 実際そこに暮らす者たちは、ゆっくりと流れる時間の中で平和な毎日を過ごしていたのだが、それにしても年間を通して特段大きな事件などが起きなかったのは、彼らの中に確固とした信じるものがあって、その信心に誠実に従って来たからであろう。


 アキワタノカミ。万物の母なる海に宿る神である。

 ワクの人間は、村で収穫された作物、それらを育てるに能う肥沃な土壌と十分な雨、または日々を飢えることなく生きられる彼ら自身とやがて生まれ来る新しい命など、あらゆることを神から授かった恵みとし、感謝をした。

 カギロウも、誰もがそうであったように神から命を与えられ、そして見守られつつ健やな人生を辿って来た。


 その日、カギロウは母親が作った朝食をこれでもかというくらいに胃に詰め込んでいた。

 彼は食欲を超越した何らかの意思によって頬張り、たくさんの水と共に無理やりに飲み込んでいく。

 母親はただ料理を作り続け息子のもとへ運んだ。

 カギロウもまた無言で貪った。

 それは実に異様な光景であり、二人はまるで強いられているかのように作り、そして食った。

 だがその表現は正しくない。母も息子も、それぞれ確かな目的を持って行動していたからだ。


 やがて満腹を遥かに超えた彼はコップに残った水を飲み干し、勢いよく立ち上がった。

 母親は料理を作る手を止め、カギロウへと向きなおる。

「行くのね」

「ああ。ありがとう、美味しかったよ。ごちそうさま」

 なぜか涙を浮かべる母親から無理やり目を逸らし、カギロウは家の外へ駆けだした。


 表へ姿を現した彼を、道行く人々の誰もが足を止め、そしてまじまじと見る。

 しかし一人として言葉をかける様子はなく、カギロウに視線を向けるのみである。

 それは決して奇異の目で見ているのではなく、彼がこれから立ち向かうべき困難を案じてのことであった。

 つまり、少年を励ますべき真っ当な言葉を持ち合わせる者などいなかったのである。


 だがその中で、カギロウに近づいて来る者があった。

 家の前で息子の出発を待っていた、カギロウの父である。

「行くぞ」

「ああ」

 短いやり取りの後、二人は並んで歩き出す。


 木造家屋が立ち並ぶ村の大通りを、親子は進む。

 それを、ある者は熱いまなざしで、またある者は祈るように、それでもやはり皆一様に言葉を発することなく見送った。

 これよりカギロウは、戦士としてなるべく試練を与えられる。


 男は12になると北のはずれにある『スミ山』に20日間籠るというのが、この村のならわしである。

 それは純粋なヒトとしての強さと、神への信仰心を試されるものであるが、試練を無事に終えた誰もが短期間のうちにより屈強な戦士となって帰って来るのであった。


 山中で幼い戦士に襲い来るは、飢えと乾き、獰猛な獣たちと、孤独。

 やがて極限状態に追い込まれた彼らは、自らの内に救いを求める。

 村で生まれた者であれば、心にいつもあるのは揺るぎ無い神への信仰。

 あくまで乗り越えるは自身の力によるほかないが、あらゆる困難をかいくぐり、そして山を下りた時、そこには微塵の傲慢さも存在しない神に仕える戦士が誕生しているのである。


 当然、無事に試練を終える者ばかりではない。

 12の男というのは、いかに厳たる教育を受けていようと子供である。

 命を落とす者もあれば、苦痛や孤独に耐え兼ね20日と経たず山を下りる者もいた。

 しかし村の人間の中に彼らを咎める者などいない。

 ただ『戦士になれなかった』と、そう判断するのみだ。


 戦士になれなかった男をこの村では、切れ味を持たぬ刃という意味で『刃引き者』と呼んだ。

 村の有事には全線に立つ戦士に対し、刃引き者は武器の整備などの雑用を担う。

 天と地が断乎そうであるように、そこには僅かな情も存在せず、戦士は命ある限り戦士として生き、刃引き者は最後まで神への信仰の劣るなまくら(・・・・)として生きる。それが村の掟だった。


 カギロウの父は、刃引き者であった。

 かつて試練に臨んだ彼は、残り一日という時に体中に傷を負った姿で村へ戻って来た。

 多くを語ろうとはしなかったが、仮借ない村の掟により、カギロウの父は刃引き者として生きていく事を定められたのである。

 カギロウは隣を歩く父の横顔を見上げた。

 試練を乗り越える事、それは父親のためでもあった。自らが戦士となる事こそが父の無念を晴らす唯一の手段だと考えたためだ。


 やがて二人は村の終わりに差し掛かり、そこで一人の老人と対面する。

 ワク村の長が、スミ山へと続く道の門で待っていた。


「これを」

 長はカギロウへ小刀を手渡した。鉈とも蛮刀とも言えぬ幅広の刃を持ったそれをカギロウは受け取り、腰に巻いた帯へ差す。

「祈りは捧げたか?」

 掠れた声はまるで嵐のさなかにいるように途切れながらカギロウへ届いた。

 しかしながら重厚で、威厳に満ちた言葉に彼は深く頷き答える。

「はい」

「その祈りが本物ならば、アキワタ様はたとえ山の中であろうとお前を生かしてくださる。カギロウ、お前は決して孤独ではない。あらゆる命に、神は寄り添って下さるのだから」


 次に、長はカギロウの父親へと視線を向けた。

 力強く鋭い光を放つ瞳を、彼は堂々と迎える。

「カギロウは間違いなく村一番の戦士となります。私はこれまで、一切の妥協を許すことなくこの子を鍛え、この子も乗り越えてきた。神はそのことを知っている」


 長は何も言わず、もう一度カギロウを見た。

 背は年相応に低いが12という年齢に似つかわしくないほどの逞しい体、高く盛り上がった筋肉には細かな、または深い傷跡が刻まれ、日に焼けた肌は朝日を受けて照り輝いている。

 見つめ返す瞳には生命力が溢れ、長は父親の言葉に嘘がないことを確信した。

「行くがよい。そして神への信仰を示すのだ」

 その言葉に送られ、親子は門をくぐって村を出発した。


 スミ山へ続く道は背の高い広葉樹に囲まれ、突如として夜のような暗闇が二人を覆う。

 それはカギロウの行く先を暗示するものではなかったが、どちらも一言も発することなくひたすらに足を運ぶのみであった。


 どこからかけたたましい鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 道端に佇んでいた蛙は二人の姿を認めると草むらの中へ避難し、優雅に羽をはばたかせる蝶も彼らを避けて通り過ぎて行った。

 カギロウの目にはそれらを実に鮮明に捉えることができ、彼は自身の神経が既に本域へと突入していることを悟った。

 そんなカギロウの耳が微弱な空気の波を受け取り、彼は背後を振り向いた。続いて父親も足を止め同じ方向に目をやる。

 そこには、遠くから走って来る少女の姿があった。

 腕を大きく振り、息を切らしながら向かってくるその者を、二人はやはり無言で待った。


 少女はカギロウの前までやって来ると、膝に手をついて息を整える。

 それから顔を上げ、そのはっきりとした丸い瞳でカギロウを見つめた。

「カギロウさん、ごきげんよう。お父さんも」

「カナサ。勝手に村の外へ出るなと言われているだろ。また叩かれても知らんぞ」

「良いのです」

 カナサはまだ少し息を荒げながら、カギロウに向けて可憐に笑った。


 彼女はカギロウと同い年の村の娘で、家が近いということもあって幼い頃からカギロウと共に遊んだり、喧嘩をしたりした。

 子供であった彼らは互いに何の疑問を持つことなく一緒の時間を過ごしたが、やがて無垢な心は成長するにつれ形を変え、一人は男であり、一人は女であるということを否が応でも意識するようになる。

 その先にある熱い感情に気付かぬ二人ではなかったが、カギロウだけは目を逸らし、父との鍛錬があるからとカナサを突き放したりもするのであった。


 神はいかなる男女の契りも禁じない。だが、未熟な戦士であることを自負するカギロウには、カナサの想いそして自らの彼女への想いでさえ信仰を妨げる障害と成り得ると思えたのだ。

 それでもなおカナサはカギロウを想い続け、厳しい折檻も覚悟でこうして試練へ向かう彼を送るためにやって来た。


「カギロウさんに、渡したいものがあります」

 カナサは懐から何やら探し始めた。

「食料を渡してはならんぞ」

「承知しております」

 父親の冷徹さを装ったような忠告にカナサは答え、そしてソレを取り出した。

 何かを握りしめるその手に、カギロウも手を差し出す。

「なんだ」

「浜辺で、一番綺麗なものを拾って来ました」

 手渡されたのは、薄いピンク色をした巻貝の殻であった。

 頂点に向け黒い縞模様が走り、細かな凹凸のある表面は角度により虹色に輝く。

 外唇部に開けられた穴には麻紐が通されていることから、カギロウはこれが首飾りであることを理解した。


 カギロウは父親の顔を窺った。

 試練に支障がないかを確認するためだ。

「貰ってやりなさい」

 その言葉にカギロウは表情を明るくしたが、すぐに感情をしまい込んで再びカナサを見る。

 彼女は涙を流していた。体を震わせながら、止めどなく流れ来る滴を拭っている。


 カギロウはカナサの肩を抱こうと手を伸ばすが、彼の信仰心がそれを許さず、彼女の震える肩にそっと手を置くのだった。

「カナサ、お前の心と共に、俺はスミへ行く。こんなに心強いことはない。それに、俺にはいつでもアキワタ様の加護が宿っているんだ。何も心配はいらない。それとも、カナサには俺がそんなに頼りなく見えるか」

「いいえ。だけど」

「それなら早く村へ戻れ。でないと、さらに罰が重くなっていくぞ」

「私は、いつでも、カギロウさんを……」

 カナサが言い終わらぬうちにカギロウは踵を返した。

 父親も、泣きじゃくるカナサから視線を外して息子の横へ並ぶ。


 そして気づかれないようにカギロウの表情を横目で伺い、尋ねる。

「なぜ最後まで聞いてやらなかった」

「俺はまだ、戦士じゃないから」

 カギロウはどこか寂しさを押し隠しているようで、それに気が付いた父親も少しだけ眉間に皺を寄せ、込み上げる感情を殺して無表情に努めた。


「でも、試練から帰ってきたら……」

 表情を読まずとも、カギロウは父親が抱く心苦しさを感じ取ったのだろうか。

 教育という建前で、幼い息子からある種の自由を剥奪したことに対する後ろめたさ。

 父の不安を払拭するためにカギロウはこの日、初めて笑顔を見せた。


「戦士になったら俺、カナサと結ばれようと思う」

「……そうか」

 父親は、息子が戦士としての強さだけではなく、人間の心もただしく成長させていたことを知り、密かに歓喜した。


 カギロウは握っていた貝殻を首にかけ、前方のスミ山を見据える。

読んで頂きありがとうございます。

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