孤独
「不味かった」
舐め取られたように綺麗な器がカギロウに手渡された。
彼はそれへ、自らが食べる分の虫汁をよそう。
「味の保証はしなかった」
ぶっきらぼうに答えて、ずずと汁をすすった。
びえりおは囲炉裏の炎を吹き消さんばかりのため息を吐き、カギロウに不満を告げる。
「やはり肉だ。カギロウ、飯が済んだらまた外へ行ってこい」
「まだ食うのか? 別に構わないが、もう少し待て。今は日が暮れたばかりだから、狩りへ出るわけにはいかん」
「なぜだ?」
当然の問いに、カギロウははっとした。
彼の中で『村人と会ってはならない』というルールはごく自然に在ったから、そうして口から出てしまったのだ。
「……色々とな」
誤魔化すことを嫌うカギロウの脳が、彼にそう言わせた。
当然それで納得するびえりおではない。
「その色々を聞いているのだが」
「言いたくない」
「ならば他の者へ恵んで貰ってこい。それなら狩りに出ずに済む」
「出来ない」
「私を舐めているのか? 訳を話せ。はっきりと」
びえりおの瞳に宿る海の青が、燃える火の色に変わったようだった。
それは二人の横で揺れる炎を映したが故の錯覚であったが、それでもカギロウは彼女の視線から底知れぬ怒りを感じ取り、思わず息を呑む。
「……お前、向こうではそれなりの身分であったのだな?」
「今はそんなことはどうでも良い。肉を用意できない理由を話せ」
平伏するが相応しいほどの圧で、びえりおはさらにカギロウを睨んだ。
カギロウは自身が置かれている状況を把握できないまま、しかし冷静に、彼女の怒りと向き合った。
「そう決められているのだ。俺は村人と会ってはならない。だから陽が沈んだばかりの今は、まだ外へ出るわけにはいかない。狩りへ行くのは、皆が寝静まった夜更けになってからだ」
「ここにはお前の他にはいないのか?」
「そうだ。ここは村と海の間にある森の中。俺はここに一人で暮らしている」
「どうして」
「これ以上は言いたくない。俺なりに譲歩してここまで話したんだ。いいかげん分かってくれないか」
「……ふん、私だって何から何まで聞くつもりは無い。肉が食えれば、それでいい」
びえりおは不貞腐れたように体を横たえ、囲炉裏で背中を炙った。
わざとらしく目を瞑る彼女に、カギロウは自身が気遣われたのだと思ったのだろうか、気恥ずかしさを隠すように、これもまたわざとらしく音を立てて虫汁をすすった。
しかしそれは、本当に気のせいであったのだろう。
カギロウは些細な会話でさえその中から優しさを見出してしまうほど、孤独を生きてきたのだ。
もちろん彼自身が自覚していない訳はない。
今一度、汁をすする音が家に響いた。
「……つまりは弾かれ者なのだな、お前は」
「それ以上は知るつもりは無いと言ったではないか」
カギロウは不意に沸いた怒りに任せ、どんと器を乱暴に置いた。
合図をするかのように薪が爆ぜ、周囲を静まらせる。
居心地の悪さをどうにかするにも、カギロウは既に虫汁を完食してしまった。彼はぎこちなく手の爪を眺め始める。
「互いに似たようなものだと、思っただけだ」
滴を落とすように、びえりおはそっと呟いた。
カギロウはそれを彼女の独り言とし、何か答えるようなことはしない。
心を閉ざし、束の間の癒しを拒絶した。
つまりは傷のなめ合いを拒んだのだ。
長い付き合いにはならないという彼の言葉通り、飯を食わせておけば体力を取り戻すびえりおを、カギロウは早ければ明後日にでも村へ連れて行くつもりでいた。
「俺だって、お前のことをとやかく詮索するつもりは無い」
それは彼の意図に反し、悲痛な声として部屋の空気を震わせた。
カギロウは孤独であらねばならなかった。
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