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魔剣戦記 Ⅰ  作者: せの あすか
9/20

999年9月25日 メルケル

あの日から、2週間が過ぎた。

トラギスの難民達は、近隣集落やペ・ロウからの援助を受けて、なんとか命を繋いでいた。


だが食料も物資も全く足りていないし、住居も天幕を張っただけのものが多く、このままで冬を越せない事は、誰の目にも明らかだった。



トニ、ジャン、コビの3人は、ペ・ロウや周辺の集落を周り、援助や難民の受け入れを要請してきた。

メルケルとも交渉の必要があったのだが、若干距離があるため今まで話し合いの場が持てていない。

そこでトニとコビの二人は、しばしの暇を見つけメルケルに向かうことにした。



目的は援助と難民受け入れの交渉、それからもうひとつ、オルドナの侵略に対する備えが十分かどうかの確認。

メルケルの壁が抜かれるような事があれば、オルドナ軍がペ・ロウまで造作もなく辿り着いてしまう。メルケル以西の人間にとって、壁は生命線と言ってよかった。


その生命線が今現在どうなっているか。

難民を守る上で最も重要な要素だった。





ジャンは留守番。

住民同士のトラブルの収め役として、警備の統率役として、今彼は難民集落になくてはならない存在だ。



馬は全て食料にしてしまったので、徒歩で移動するしかない。

そうすると難民集落とメルケルの往復、交渉の時間も含めて最低でもまる1週間ほど必要だったが、その間集落に何事もないとはとても思えなかったのだ。








まる3日かけて、トニとコビはメルケルに着いた。



自由都市とも呼ばれ、数十年にわたってオルドナの脅威を間近で感じつつ決してその軍門に降らなかった街。




この街に入るにはまず、四方を囲む高い城壁を越えなければならない。

巨大な石を組み合わせた城壁。

街道に面した南東と北西の壁には巨大な門があり、旅人たちの行く手を阻む。




門扉は毎日決まった時間に開く。

敵対するオルドナに面した南東壁は昼に一度だけ、安全なペ・ロウ方面に向く北西壁は午前と午後に二度ずつ。





開門の時間になると、衛兵が並んでいる者全員に尋問する。

住人であれば照合だけですぐに通行を認められるが、旅人の場合は目的・出自・武器携行の有無などを質問される。

特にオルドナ側から来るものは厳しく調べられるが、北西側からの旅人は比較的楽に通ることが出来た。




尋問では、ふたりは修行中の剣士と従者で、傭兵の口を探しに来たという事にした。

コボルト自体が珍しいので色々質問はされたが、幸い特に怪しまれずに許可がおりた。



ふたりの他はほとんどが商人や農民だが、遊学の学生やいかにも傭兵のような輩もいる。

調べが終わると全員武器を取り上げられ、中に入るのを許された。



また街を出る段で、おかしなものを持ち出していないかの取調べがあるらしい。








門をくぐった途端、喧騒と色々なにおいを感じる。

ビルトの硬質さとも崩壊前のトラギアの闊達さとも違う、もっと卑猥で下品な空気。


言うなれば、ごちゃまぜ。






街をぐるりと見て回る。


豊富な食材が並ぶ青果市場

服屋や革製品が並ぶ一角

家財職人や大工ギルドの建物が並ぶ裏通り

飲食店や酒場が並ぶ一角・・


とにかく、人が多い。

決して広くはない所に、驚くほど多くの人が住んでいる。

ビルトも相当の人数が住んでいるが、印象としてはその倍の密度。



これだけの人間が住んでいるという事は、それを養えるだけの食料と水と住居、それから仕事が揃っているという事だ。

トニには、この街が長い間オルドナの軍門にも下らず、ペ・ロウの支援も受けずに独立を保っていられる理由が、わかる気がした。





人の力。

生き汚さ、逞しさ。


強い街だ。


だが、トラギアも強い街だった。

油断は禁物。今のオルドナは、今までのように甘くない。


トニもコビも、それは忘れていない。

この街の防備に、体制に、設備に不備がないか、弱いところがないか、そういう目で観察しながら歩く。





ひと周りしあたとふたりが向かったのは、ギルド評議会の建物だった。


この街は王や領主がおらず、正規軍も無い。

街で発生する問題は、各産業のギルドや組合の代表者が合議して対応を決定する。

発言権と責任は、その産業に従事する人数が多いほど強くなる仕組みだそうで、これはあくまで民と産業を中心にすえる、という考え方から来ている。

自警団は専任の者ーー多くが傭兵ーーと、当番の住人で組織され、街の中の警備と見張りをする。

仮に敵国が攻めてきた場合には、住民全員が守備兵に変わる。


この仕組みで、この街は実に100年以上、周囲の国から独立して栄えて来た。




そして全ての合議が行われるのがこの建物。

言わばメルケルの中枢だ。




評議会の建物は質素な石造りで、門の周囲には見張りがふたり立っていた。街の幹部に提案とお願いがあることを説明すると、武器を持っていないか徹底的に調べられた後、通された。




見張りの案内で大きな部屋に通される。中に入ると、大きなテーブルの向こうで、老齢・白髪・長髪の偉丈夫と頭の禿げ上がった小男が談笑していた。


二人は来客に気づきこちらを向く。




「こんにちは。西の集落から参りました、トニ・メイダスと申します。」


「私はコボルトのコビと申します。」


コビも頭を下げる。

トラギアの事件以来、コビは見違えるように大人びた。

もう交渉事もひとりで行うし、危険な仕事も進んで買って出る。


厳しい環境に晒されると、子供は早く大人にならざるを得ない。それはとても悲しい事だったが、助かっているのは事実で、トニは不本意ながらもコビに頼る事も多かった。





白髪の偉丈夫が笑顔を浮かべる。


「これは、よくいらした。私は傭兵ギルドの長をしておる、グランゼと申す。こちらは農業家連合の長、タマス。」


「タマスです。こんにちは。はて、西から?使者というわけでは無さそうですな。遊学でしょうか?」


タマスは手でふたりに座るよう勧め、自分らも対面に腰かけた。


「いえ、私は元はオルドナの軍人ですが、今は放浪の身です。実は此度のトラギアの惨劇に偶然居合わせまして・・・」




「なんと・・・よくご無事でここまで・・」


タマスが大げさに驚いて見せる。


「オルドナ?どういう事かな?」


グランゼの顔があからさまに曇る。

敵国の軍人を名乗ったのだから当然だ。






聞けばまだメルケルには、トラギアの惨劇の詳しい情報が入っていないとの事。


事の顛末を、ふたりが知っている限り細かく伝えた。


ただし、トニ達が剣を運んだ事は伏せてある。

嘘も方便。いたずらに怪しまれる事は、今は避けたい。





「トラギアの件にもオルドナが絡んでいると?」


白髪あたまのグランゼは、話の途中からかなり厳しい顔になっていた。


「由々しき事ですな。ソラス、マリーアスへの侵攻からまだそれほど経っておらぬのに・・・」


タマスは背もたれに寄りかかって腕を組み、顎に手を当てて眉をひそめる。





「トラギアの件は不可解な点が多すぎてなんとも言えませんが・・・我々は、オルドナが絡んでいる可能性が高いと考えています。」


「なるほどな。して、そなたらは何故ここに来た?」


グランゼは厳しい顔のまま言う。

これにはコビが答えた。


「トラギアの難民はいま海沿いに避難してきていて、食料も物資も不足しています。家もない。

このままでは冬には全員死んでしまう。まずは、何とか援助を頂けないかと、伺いました。」



トニが続ける。


「出来れば食料は定期的に。それから折を見て大工や職人を派遣して頂き、家や公共物の整備をしていきたいと考えています。」


いったん言葉を切り、相手の反応を見る。




グランゼは表情を変えずじっと考えている。


タマスが、柔和な表情を作るのをやめた。




「突然の災難には心痛の極みですが・・・メルケルも決して余裕がある訳ではありません・・・特に食料は。」



物腰は柔らかいが、甘さは感じられない。

これがこの人の本来の顔か。

トニは少し驚いていた。




タマスが続けた。


「例えば求められた物をこちらが用立てた場合、なにか見返りはあるのでしょうか?

もちろん、すぐでなくとも構いませんが。」





来た。



メルケルはペ・ロウとは違い、義や情だけでは動いてくれない。

国ではなく商人や職人の集まりだ。当然のように対価を求めて来る事は予想していた。





ここが勝負所。

ジャンも混じえた3人で、あらゆる問答を想定して準備して来た。



ふたりはタマスとグランゼを見据える。







「我々がオルドナからこの街を守ってみせる、と言ったらいかがでしょう。」





タマスの表情が固まる。

グランゼの顔がさらに険しくなる。





「はて、貴公らの力を借りずともこの街は何度もオルドナを退けているが。助けなど必要とは思わんな。」




あからさまに不快感を出してきた。

人は図星をつかれると無条件で不快感を持つ。



これなら、行ける。





「恐らく、お役に立てます。少し、説明させてください。」


トニは、ここぞとばかり真摯な表情を作る。



ふたりは黙ったまま頷く。




「まず防備ですが。」



すこし芝居がかった態度。

まるで魔法学校の教授か、軍学の講師のような。





「壁に、弱いところがあります。

門から北東側、骨組みが腐っているのか、石積みに若干のたわみが見えます。

恐らく投石器で壊れる。


それから、西側の断崖。良い馬なら駆け下りる事が出来るかもしれない。

見つかったら事です。


さらに。西からの警備が甘い。西からでも賊は侵入します。

この屋敷に私が入れた事がそれを示しています。

私は、武器無しであなたがたを殺すことも人質に取ることも出来てしまう。」




ここで言葉を切り、グランゼを見つめる。

タマスは軍事的に物を考える事は無さそうで、むしろ落とすべきはグランゼだ。




今のは単なる脅しと分かってもらえたようだ。二人とも、馬鹿ではない。




「今のままでは、壁は抜かれます。」



トニはあえて断言する。

グランゼが唸る。



「それから、各国の状況をすこし説明します。」


そう言うとトニはおもむろに地図を出し、テーブルの上に広げた。




挿絵(By みてみん)





まずマリーアスとオルドナの国境付近を指差す。


「トケイトとジャジール将軍を失ったマリーアスは既に堤壁内に篭もり防御を固めています。

恐らくしばらくは兵を出すことすらままならない。」




今度はオルドナの北東ノヴドウ公領と、南東コルテス島を順に指す。


「しかしオルドナはまだ後方にノヴドウとコルテス島という憂いを背負っている。

だからマリーアスが弱体化したとはいえ総力戦を仕掛ける訳にはいかない。


ノヴドウ、コルテスは地域の豪族がそれぞれ私兵を持っているので、もし攻めるにしても平定までには最低でも数年はかかります。」




トニはグランゼの反応を見る。

こっちの話がどう転がるかを見据えようとしているのか。地図を睨みつけたまま、一切反応がない。




「そこで・・・」



メルケルに指を置く。

「今手っ取り早く版図を拡げたいなら、メルケルです。」


グランゼが息を大きく吐いた。

タマスがぶるっと震える。



「精鋭を集め、ここの壁を短期決戦で一気に抜く。

作戦はいくつか思い付きますが・・・

もし抜ければここより西には抵抗する勢力はほぼ無い。


トラギア亡くマリーアスも出てこれない今であれば、ペ・ロウまで一息で侵攻出来ます。」




指をずーっと西に持っていき、ペ・ロウで止めた。



「さらに・・・」


「待て。」


グランゼが片手を上げ、続けようとするトニを止めた。

怒っているのがひと目でわかる。白髪が逆だっているように見える。


だが、彼はなんとか冷静さを保った。


「貴公は、メルケルに来るのは何度目だ?」


「初めて。数刻前に壁を越えました。」


「それで壁の弱点を見破ったか。オルドナには伝わっていまいな?」


「初めて来たばかりですし、既に軍籍を離れた身。報告する義理はありません。」


「オルドナ軍にいた時の所属は?」


「近衛です。仲間がもうひとり、ここには来ていませんが、特攻の中隊長がおります。」



「・・・中央の精鋭か。いつまで居た?」


「離れることを決めたのは、トラギアの崩壊を見て以降。最後の軍務はふた月ほど前。その時点での軍の編成、配置や物量は記憶しています。」




「・・・・・」


損得勘定、こちらの能力の値踏み。

評議会の票読み。

金、物資、オルドナの動き。

新兵の調達、古参の傭兵共の反感。

そして、実戦の想定。

そろばんが、戦略盤のコマが、グランゼの頭のなかで踊る。

トニもコビも、タマスも黙って待つ。



長い長い沈黙の後、彼は言った。





「貴公らの提案を、明日の評議会の議題にする。

とりあえず、貴公が気付いたことと予測されるオルドナの動き、それから貴殿とご友人の事を最初から、余さず教えてくれ。」


もう、彼の目から怒りの色は消えていた。





ーーーーーーー



グランゼはトニの考えを余さず聞き出し書き留めたあと、ふたりに宿をあてがい、明日まで滞在するよう命じた。


ふたりが出て行ったあと、グランゼとタマスは引き続き話し込んでいた。



「何者でしょう。かなり出来るようです。コボルトも珍しいですな。」


「うむ。特にあのトニと申す者、あれほどの識眼とは・・・

最初はオルドナの謀略かもしれぬと思ったが・・にしてはオルドナに利が無さすぎる。

信じて良いと思うが。」


「そうですな。ただ、かなり危険だと思います。武器を渡さぬよう、また若者や自警団の連中にあまり近づきすぎぬよう、注意しておきましょう。」



力のある若者は、他の若者に影響を与えやすい。

自警団や傭兵の間で英雄視されて束ねる力を持たれるのは、メルケル評議会としては非常に厄介だった。


しかし、戦力としては逆に結束していてくれた方がずっと強い。

軍としてはうまく結束させる。ただし、自警団単独で動くことを絶対にさせない。

これが、文民が長を務めるこの街の最低限、絶対のルールだった。




夕刻の鐘がなる。知らぬ間にもうだいぶ日が傾いている。

あの若者たちは、数日歩き通しだったのだろうか?

それでもあれだけ闊達に喋り動けるのだから、若さというのは羨ましいものだ、とグランゼはぼんやりと考える。





「うちで預りたいですな。畑に置いておけばまず害はないですし、彼ならばすぐに成果を出しそうだ。」


そんな使い方はさすがにもったいないとグランゼは強く思ったが、口には出さず、笑って首を振るに留めた。



「しかし、あの男・・・壁の弱点をひとめで見抜いたというのか。オルドナの偵察だったらと思うと、寒気がするな。」


「そうですな。今日中に建築ギルドに話を持っていきます。」


「頼んだ。明日の評議会までに調べておくよう伝えてくれ。私も西の岩壁を見ておく。・・・・忙しくなるな。」


「フフフ、なにやら嬉しそうですなグランゼ殿。そんなにあの若者が気に入りましたか。」


「からかうな。さあ、わしは一旦詰所に顔を出さねば。後は任せたぞ。」


「承知しました。」


グランゼが大股で出ていった。



「軍人というのは話が早いですね・・・さて、建築ギルドですね。急がねば。」

そう独り言ちて、タマスは上着に手を伸ばした。


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