1008年9月13日 トラギス 2
ジャンとトニがおそるおそる、ユリースのいる部屋に入ってきた。
そのあとに、ダリとカール。続いてビッキーとキャスカ。
クラウが最後に入り、扉を閉める。
ユリースはジャン・トニに向けて、少し厳しめの口調で話しだした。
「話は聞きました。とりあえず、あなたたちに危害を加えることはしません。」
ふたりはこくん、と頷く。
「あなた達を許したという事ではありません。
クラウから一通り聞いたけど、それだけではまだ判断できない。」
「はい。承知しております。」
トニが慇懃に答える。
「そういうのはやめて。あなた達を臣下にした覚えもないしトラギアの人間でもないでしょ。
私も父の後を継いで即位したわけではないし、そもそも国がない。
ここの街の人たちに素性も隠しておきたいので、安易に王族扱いされるのは困ります。」
トニが困ったように頷く。
「賞金稼ぎのユリースでいいから。」
「わかりま・・・・わ、わかった。」
ジャンも戸惑いながら、頷いた。
「私には、どうしても確かめたいことがあって。
あの日何があったのか、どうして父はああなってしまったのか、ドラゴンはなぜ襲ってきたのか・・・
そして私は・・・・8年もどこで何をしていたのか・・・・」
ユリースが苦しそうな顔をする。
ビッキーが心配そうな顔で肩に手を置く。
「金色の竜・・・って言ってたよな。」
クラウが横から加わる。
「金色?」
皆がぽかんとした顔をする中、ユリースは語った。
トラギア崩壊の日、父の剣を手に取ってからの記憶がない事。
次の記憶は、ミトラで目が覚めてからのものだという事。
その間の唯一の記憶・・・金色の竜に咥えられる自分。
しん、と場が静まり返る。
「あなた達がそういうのなにか知らないかと思って、来てもらったの。」
「金の竜・・・か。トニ、なんか聞いたことあるか?」
「いや。ないよ。ドラゴン自体、最近あまり目撃されないし。
トラギアの事件以来、どこかの街を襲ったりという事はなかったはずだよ。
剣に関しても、なにも情報はないですね。」
「そう・・・」
ユリースは目を伏せる。
「関係ないかもしれないけもドラゴンって言えば・・・」
ビッキーが言葉を挟む。
皆に注目されて一瞬怯んだ様子を見せたが、先を続ける。
「2年くらい前かな、囲まれた事がある。」
「どこでだ?トラギアか?」
ジャンの声が石の壁に響く。
「や、違うけどその近く。んーと廃墟に登ってく途中・・・
街道の左側に、けもの道みたいなのがあってさ。そこ登ってったとこ?
3匹に囲まれた・・・」
余程嫌な記憶なのだろう。ビッキーの声が少しだけ震えた。
「あ・・・」
ユリースがなにか思い出した様子。
「そういえば・・・小さい頃、ドラゴンに殺された王族が居たって聞いたことあるかも・・・
東の山の中に竜の巣があって、そこに入っちゃったって・・・
昔話みたいなやつだったと思う。」
「トラギアから東なら、ビッキーの話と辻褄が合うね。」
「そん時は炎で焼かれて3人死にかけた。あたしはウデを少し火傷しただけで済んだけど・・・」
腕をめくって見せると、確かに手首からひじにかけて、肉がただれて盛り上がっている。
「それは怖いな。何匹も住んでるのかな?
その金色の奴もそこにいるんだろうか?」
さっきから興味津々に聞いていたダリが初めて口を開いた。
「どうなんだろうね。それ以来ドラゴンを見てない・・・ああ、一昨日赤いのがいたっけね。」
他のメンバーもそれぞれにドラゴンにまつわる話をしたが、トラギア崩壊に居合わせた面々とビッキー以外には実際に見た者はいなく、出てくるのはあくまでも噂程度の、信憑性に乏しいものばかりだった。
ひとしきり皆の話が終わり、沈黙が訪れる。
自然とユリースに注目が集まる。
「・・・ビッキーの言ってた場所に、行ってみようかな。」
ユリースがぽつり、と言った。
「え?」
「へ?」
何人かが同時に声を漏らす。
ユリースは、ひとり大きく頷いて言った。
「うん、行ってみる。もしかしたら金の竜がそこにいるかもしれない。
私はこの8年間どこで何をしていたのか。金の竜はどうして私を殺さなかったのか。
父を・・・私を狂わせた剣はなんなのか、どこにいったのか。
その竜に会えれば、わかる気がする。」
皆度肝を抜かれてポカンとしている。
わざわざ自分の故郷を滅ぼした最も危険な生物・・ドラゴンに会いに行くという。
腕が立ちすぎるとその辺の感覚もマヒするのだろうか。
「知りたいって気持ちはわかるけどさ。
大丈夫なのか?いきなり襲いかかってくるって事もあるかもしれないだろ?
何か知ってても教えてもらえるわけじゃないし・・・」
ジャンがもっともな心配を口にする。
「私は・・・多分殺されない。
殺す気なら、いつでも殺せただろうから。大丈夫だと思う。」
ひとつひとつ言葉を選びながら、ゆっくりと喋る。
「こないだも、竜に会ったけど、なんにもされなかったし。
もしかしたら、言葉も通じるかもしれないとも思ってる。」
ユリースがひとり納得しうなずく。
「確かに、こないだも赤いのとなんか喋ってたみたいだったけど・・・」
クラウたちは、なんとか思い留まらせようとして言葉を探す。
「巣までの道はわかるのかな?徒歩で行ければいいんだけど。
、せめて炎対策だけでもすべきだと思うよ。」
トニだけは既に具体的に実行に向けて想像を巡らせているらしい。
彼はどんな状況にも対応しようとする。
良くいえば柔軟性があり、悪くいえば諦めが良すぎる・・・。
クラウとジャンが抗議の視線を送るが、あえて無視をしている。
「あたしは行きたくないね。
この娘は竜と仲良しなのかもしれないけど、あたしはどう考えても歓迎してもらえないからね。」
ビッキーは誘われる前に釘を刺した。
「ひとりで、行ってくるよ。その方が私も気楽だし早い。」
事も無げに、ユリースは言い放った。
その様子から、もう止めても無駄だという事はその場の全員が理解した。
そしてジャンが即座に申し出た。
「一人は絶対にダメだ。危険すぎる。オレも行く。」
クラウも、深く頷く。
そこからは、俺が私がついて行く行かないの押し問答が始まった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
結局、トニとキャスカはメルケルでの所用のため留守番。
途中までで引き返すという条件付きで、道案内にビッキー。
巣の手前まではクラウとダリ、それからメルケルで薬師しているタヤンという青年を呼び、同行させることにした。彼は怪我人が出た時の処置を担当する。
巣の中にまで入るのは、ジャンとユリース、カールの3人。
ジャンは警護役として。カールは魔剣が見つかった時に、かけられているであろう付与魔法を解除する役割を買って出た。
「解除」の魔法はかなり高度で、カールがこれを扱える事にトニとダリは相当驚いていた。
いつも損得勘定で動く彼には珍しく、カールはこの危険な任務に強く同行を主張した。
それは禁呪への興味なのか、ドラゴンへの興味なのか。
皆には語らないが、この若者にもそういう向こう見ずな所があることに、ダリやクラウは微笑ましさと危うさを同時に感じていた。
そのクラウは最後まで巣の中について行く事を主張したが、人数は最小限が良い、役割上盾を使えた方が良いと皆に説得され、しぶしぶ引き下がった。
竜の炎への対策で、炎無効化の付与をした法衣を全員分用意する事にした。
材料はトニが調達し、付与の作業はカールが行う事に決まる。
「よし、それが揃い次第出発だな。それまで・・・数日待機かな。ユリースはとにかくよく休んでくれ。ほかのみんな、もし良ければ今夜一杯奢らせてくれ。」
ジャンが締めて、その場は解散となった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
夕闇が暗闇に変わる。昼間の熱を蓄えた黒っぽい石畳に篝火が反射して、先程から出だした薄い霧と相まって幻想的な風景をつくる。
風は全くない。海沿いのこの街には珍しいが、トニが言うには、この季節は時たまこういう夜があるらしい。
潮の匂いが重く強く感じられる。
じっとりと、暑い。
トラギスは若い街だが、8年経って人々の生活も大分落ち着いてきていた。
ほうほうの体でここに辿り着いた難民達は、メルケルやペ・ロウからの援助を受けながら、ある者は畑を切り開き、ある者は慣れない漁業を始め、またある者は旅人の為の宿屋を開き、逞しく生き長らえた。
トニとジャンは、メルケルの守備とトラギスの建設に大いに力を注ぎ、人々の支えとなってきた。
トラギスだけでなく、メルケルでも中心的な役割を担っているのだろう。
頻繁に使いの者がふたりのもとを訪れた。
ユリースが寝ている間、トニとジャンがいかに人々に慕われ頼りにされているかを目の当たりにしてきたクラウ達はもう、ふたりに対して悪い印象を持っていなかった。
――――――――――――――――――――
ジャンはクラウとダリ、ビッキーを伴って街の酒場に向かっていた。
「付き合い悪いよな、あいつはいつもこうなんだよ。」
トニの事である。
「ほとんど休みなく働いててさ。
まあそのおかげでこの街やメルケルがうまく回ってるんだけどな。
あいつが潰れないか心配になるよ。」
(あんたも相当頑張ってるように見えるけどな)
ダリは思ったが、言わずに飲み込んで頷くにとどめた。
なんとなく、まだ打ち解けない。
「そうだ、なああんた、こないだの事なんだが・・・」
クラウが思い出したように言った。
「ジャンと呼んでくれ、クラウ。
こないだ??」
「ああ。トラギアで最初に会った時さ。
あのときユリースがあんたに襲い掛かったよな?
あの攻撃・・・ユリースの一手目をどうして受けられたのかって。
不意打ちで、しかもあいつの本気だからな・・・
いくら腕が立つからって、あれは腑に落ちねえんだ。」
ビッキーも大きく頷く。
「確かに。出来すぎだ。反転して受けるなんて普通じゃない。
でも後から考えると、それくらいしか止める方法がない。」
「ん、なるほどな。・・・ちょっとうまく言えるかわからないけど・・・
なあ、取り敢えずこの店に入らないか?喉も乾いたしさ。」
そう言って返事も待たずにさっさと店に入り、主人に席の用意をさせる。
もちろん異論は無いんだが、悪気の全く無い強引さに3人は顔を見合わせて苦笑した。
こういう人間は、憎めないがタチが悪い事がある。
全員エールで乾杯。料理も少し運ばれて来た所で、ジャンが改めて切り出す。
「それで・・・あれか・・・」
少し黙って宙を睨む。その場面を思い出そうとしているのか。
「まず、彼女の過去に関わっていた事が大きい。」
意外な方向から話が始まって、ダリもクラウもポカンとした顔をする。
ビッキーはなんとなく意図が掴めたようで、頷いて先を促す。
「この間も話したようにオレ達はトラギアの滅亡に直接関わっている。
王じ・・ユリースと会って少なくともいきなりニコニコお友達なんて事は無いし、事によっちゃ敵と見なされても仕方がないと解っていたのがまずひとつ。」
一気に喋って言葉を切る。
「あとは、彼女が強いって事と、正規の剣術を身に着けていることも知っていた。
つまり警戒を怠っていい相手ではなかった。」
エールをひとくち。
「奇襲ではあったが、オレ達にとっては完全な不意打ちでは無かったって事。」
自分で納得したようにうなずく。
「なるほどね。それで対応が早かった・・・でもあの反転はなに?あんなの見たことないよ。」
ビッキーが興味深々で聞く。
「それはちゃんとした説明が必要だな。」
テーブルの肉料理をひとつまみしてかぶりつく。
「美味いな。」
振り返って右後ろの店主を一瞬見やるが、他の客と喋っているのを見てまたこちらに向き直る。
ジャンは机の上に、ポケットから出した軍略会議用のコマを出して並べだした。
黒いコマを横に並べて右にジャン、左にトニ。トニのちょうど後ろに鎖帷子のスティード。
対する白いコマがユリース。
「んーと、オレは右利きで剣は左に刺しているよな。
トニは左利きだから逆。立ち位置はオレが右、トニが左、後ろにもう一人。
さて、奇襲ならどこから攻める?
自分の武器は片手剣だ。相手の生死は問わない。」
クラウが面食らった顔で言い淀む。
ダリがコマを動かして答えた。
「トニは後まわしで・・・まずあんたから・・・」
「いいね。単純な二択なら、文官と軍人ならまず軍人。
軍人のほうが腕がいい可能性が高いから先に殺す。
で、下段から攻めても別にいいんだけど、足や腹は当たっても即死にならないから上を狙う。
左右はちょっと迷うけど、オレは右利き。
受ける側から見て左上段からの攻撃の場合、剣を鞘から抜き切らなくても、ひと動作で受けられる。
でも右上段まで剣の刃を運ぶのは、正対したままだとちょっとだけ遅いんだよな。
当てた後トニに挟み撃ちされることも防げる。
だから一撃で仕留めに行くなら、軍人を自分から見て左上段から狙うのが正解って事になる。」
「ユリースは確かに左上段から攻めたな・・・あいつそんな事考えてたのか?」
ダリが目を丸くする。
「いや、考えてないさ。逆上してたし。
過去の経験から成功率の高いほうを無意識に選んだ・・・
それか、過去に奇襲の訓練をみっちり受けていて、教わった事が無意識に出た。
どっちかだろうな。
君らも随分経験を積んでそうだから、自然にそこを突いてくる可能性はある。」
「そういうものか。そうかもしれないな。」
ジャンが立ち上がる。実演も混じえて講釈が始まった。
「で、オレは過去にそういう定石に対応する訓練を徹底的に受けている。
奇襲を受けた時の立ち回り、というやつだ。
だから咄嗟に・・・左手で剣を抜くと同時に最短で利き腕側上段に剣を持っていく・・・
つまりこうして、しゃがみ反転して、んーと王女から見て左上方で受けることが出来た。
剣をはじき返せるように強く受けることと、すぐにもう一回反転し直して構えることも重要だ。」
「ひええ・・・すげえ。」
クラウが悲鳴をあげる。
ジャンはまた座ってもう一度ジョッキを持って呷る。
もう空になりそうだった。
「そして次。一撃で決められなかったので、今度はトニとスティードが参戦してくる可能性が高い。
だから彼女はオレの右に回る。
まだ奇襲の有利は残っているけど、あと一撃かわされたら相手の迎撃態勢が完全に整ってしまう。
急いで、少なくともひとりの動きを止めないとマズい。」
白いコマが右回りに動く。3人とも身を乗り出して続きを待つ。
「だからとにかくひとつ当てたい。
こういう時、剣を振り回すよりは、突きの方が当たる可能性が高い。
ただ、突きは相手の反撃に対処しづらいって欠点があるので、普通全力では突けない。
重心を残して手だけで突く。」
突きの真似事をした後、ひと息ついてエールをあおる。
ダリたちは3人共興味津々だ。この講義は面白い。
「ぷはっ・・・でも、彼女は捨て身で踏み込んで全力で突いてきた。
だから、不覚を取った。」
左頬の傷を触り、いたずらっぽく笑う。
「次まともにやったら勝てないな。
もうこっちの剣技や筋力、剣の重さまで彼女に把握されたと思う。
王女が裏をかくような攻撃をして来たら、対処出来る気がしないよ。」
つい「王女」と大声で言ったジャンをダリが口に人差し指を当てて咎める。
「そうか。別に訓練受けてるからって定石に乗らなければならないって訳でも無いもんな。」
クラウが声を落として言う。
「そう、剣術の訓練を受けたもの同士であれば、あえて定石の逆を行ったり、定石を少し変化させて裏をかいたりする。
定石は合理的ではあるけど、あくまで選択肢のひとつ。目的はとにかく勝つ事だからな。」
ジャンも少し声を落ち着けた。
「なるほどね。そうすると・・・あの時にユリースがあんたらを仕留めるにはどうすれば良かったの・・・?トニから殺るのが正解?」
ビッキーが深刻な顔で考えている。
「ははは、面白いけど、トニとオレは、剣の腕が互角だからな。
あの時トニも動じずに剣を抜いて構えてただろ?
その反応が適切で速かったから、ユリースは右に回らざるを得なかった。
オレが2度目の突きを躱せたのは、トニのおかげもあったって事。」
エールを煽ってジョッキを空にする。
店主が頼まれてもいないのに、全員分の二杯目を持って来た。
ダリなどはまだほとんど口をつけていないのだが。
「互角って・・・あんたらどうなってんだ。
うーん、それじゃユリースに勝ち目は無かったって事かよ。なんか悔しいなあ。」
ダリがおかしな事を言うが、何故かクラウも大きく頷く。
「オレがやられる可能性も十分にあったよ。
一撃目がフェイントだったら絶対に対処できなかった。
でも、もしそうなってたら、王女がオレの身体から剣を抜く間にトニが仕留める・・・いや、あいつの事だから王女は傷付けないで峰打ちにして・・・オレの葬式もそこそこに王女を味方に引き入れて・・・ちきしょうあの野郎、いつもそうだ!」
少し酔っ払って来たようだ。どうしても「王女」が出てしまう。
だが、周りの様子を居ても、人の会話を聞いてるような人間がるとも思えないので、ダリもあきらめたようだ。
「あの優男のやりそうな事だね!見るからにいいとこ取りで要領がいい!あれはモテる!」
ビッキーも悪乗りする。
その後は全員で、ひとしきりトニの悪口で盛り上がった。
(その頃、トニは原因不明のくしゃみに悩まされていた。)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
宴もたけなわ。
そろそろお開きの時間。
「そういえば」
クラウがふと真顔に戻って言った。
「あんたさっき、ユリースを「味方に引き入れる」みたいな事言ったよな?どういうことだ?」
ジャンからもスッと笑みが消える。
そして辺りを見回してから、少し声を落として言った。
「うん・・・ユリース王女には、オルドナとの戦いに加わってほしいと思ってる。一員としてではなく、総大将としてね。」
皆から、笑みがなくなった。