7.完全正面突破スタイル
一方その頃。ヘレナと灰尊のいる広場は、キャンサーの猛攻によって穴ぼこだらけとなっていた。
「……くっ!」
「どうしたマキナドールッ! 最初のはまぐれだったかァッ!?」
繰り出される大爪の猛攻を、ヘレナは飛び退いて躱す。
やや大仰な彼女の回避は、それよりもキャンサーが大仰にしか動けず、細やかな動きを苦手としている事を見切り――否、“聞き”切ってっていたが故の行動だ。
大爪の風切り音、大穴を開けた破砕音、灰尊の癇癪。
その全てを情報に変えて、ヘレナは相手の攻撃を避ける事に専心する。
盲目の者が実は強い……というイメージは、二一〇〇年代でもフィクションで受け入れられているが、実際はそうではない。
元より強いからこそ、彼女は盲目であっても渡り合えるのだ。
とはいえ、目が見えなければ「負けない」事は出来ても、「勝つ」事は難しい。
勝つには攻撃しなければならない。だがそれを確実に行うには、しっかりとした視覚情報が必要だった。
「……歯痒いね。昔だったら、ここまで無様は見せなかったんだけど」
「はっはっはァッ! 政治家はロートルの方が強いのだ! 老いれば老いる程弱る戦士とは違うのだよ!」
「いや、老いるって程、歳食った覚えは無いんだけど!」
まだセーフだ! と自分に言い聞かせながら、ヘレナは風切り音を頼りに攻撃を避ける。
実際、ヘレナはそこまで歳を取っていないのだが、観衆が微妙に笑いを抑えきれていないのが、彼女を僅かに苛立たせた。
その苛立ちが、感覚を鈍らせる。横薙ぎの一撃を伏せて避けようとしたところ、避け損ね、重い一撃がヘレナの頭を掠める。
「か……っ!」
苦悶の声が漏れるが、チタン合金の頭蓋は重機の一撃を以てしても割れたりはしない。ただ、その中身である脳はその限りではない。
衝撃が脳を揺らし、遅れて疑似痛覚が彼女の頭を苛める。
視界が効いていたなら、ぐらぐらと揺れていただろう。何れにせよ前後不覚に陥っており、とても辛い状況である。
「……今ならば、寛大に許してやってもいいぞ?」
「こっちの、セリフかな……っ!」
「いい度胸だ。その意志を失うには惜しいが……だからこそ、RADIUSを叩き折るに相応しい!」
灰尊の操作により、キャンサーが両の爪をゆっくりと持ち上げる。
その大爪に観衆が息を呑む。
ヘレナは歯噛みし、フッと息を吐いた。
「……やっぱり、君の期待に応えられなかったな……歩くん」
「人類の礎として……死ねェェェェイッ!」
両の爪が、勢いよく振り下ろされる。
諦めと共に、ヘレナは瞼を閉じようとし――。
「……ヘレナァァァッ! “受け取れ”ぇぇええっ!」
――待ち望んだ少年の一声に、その目が“赤く”輝いた。
そのまま勢いよくバック転を決め、ギリギリのところで大爪を避ける。
「な、何ィッ!?」
「これは……!?」
急に動きが良くなったヘレナに、灰尊が動揺する。しかしヘレナもまた、灰尊と同じくらいに動揺していた。
「目が……見えてる……っ!」
そう、今まで靄にかかっていた彼女の視界が、急に戻って来たのだ。
しかし、驚きに手を目元へ動かしても、その手が彼女の視界には映らない。
まるで、映像を送り込まれたかの様に、視覚があるのみだ。
こんな芸当が出来るのは、およそヘレナの知る限り、一人と一体しかいない。
「……歩くんっ!」
「おうっ! 待たせたな!」
『一分十一秒、遅刻としては温情措置が取れる範囲かと』
彼女の頼りになる整備士と、彼女を支えるA.Iしか。
「何が起こってるの? どうして、目が……」
(それは、今俺が見ているモノだ)
「……っ!?」
頭の中で響く歩の声に、ヘレナの動きはビクリと止まる。
その反応に、歩は悪戯の成功した子供の如く笑う。
(俺は今、機械を使って、アンタの脳に俺の脳波を送ってるんだ。一方通行でな)
「……聞こえただろ?」
「……成程ね。市民IDって、そういうこと」
『伊須都様の思考・感覚は現在、常にヘレナへと送信されています。安全面にはやや……いえ、かなり難がありますが、とても独創的な発想です。ぱちぱち拍手機能を使用しますか?』
「いや、いらない」
『そうですか……』
先述の通り、歩の改造した機械、クライン・ポッドは脳波を中継機に送り込み、中継機を通じて、ネットワークに意識を送り込む機械である。
その仕組みを僅かながらに知っていたからこそ、歩はクライン・ポッドの脳波送信先を、ヘレナへと変更させたのだ。
これにより、ヘレナの喪失した“視界”を、歩の“視界”を送り込む事によって補う、というのが歩の狙いだ。テレパシーの様に脳内に響く声は、その副産物である。
勿論、送信先の変更だけでは目的の用途は果たせない。
意識がネット上にある間、身体が夢遊症を起こさない様に取り付けられた睡眠導入機能が働けば、歩はその場で昏倒してしまうからだ。
その為、歩はこの機能を取り除き、無理矢理身体を起こしたまま、脳波をヘレナに送信している。謂わば“半没入”と言うべき状態であり、その状態特有の「吸われる」感覚を味わいながら、歩は誰にも聞こえない様に、意思の送信を続ける。
(とにかく、今は俺がアンタの目になる。……これで、戦えるか?)
「……うん。大丈夫」
意思を受け、ヘレナがにぃ、と笑う。
「すぐに終わらせるよ」
半歩下がり、拳を灰尊へと構え――。
――次の瞬間。キャンサーの脚が、消えた。
「――なァッ!?」
一拍遅れた破砕音と共に、人の胴程もある脚の二本が地に落ちる。
その断面は赤熱し、まるで大砲でも受けた様にひしゃげていた。
堪らずキャンサーはバランスを崩し、それに振り回された灰尊が無様な悲鳴を上げる。
観客も歩も呆然とする中、RADIUSが淡々と告げた。
『伊須都様、前を向いてください』
「……あ、お、おう!」
『ヘレナ。調子は如何ですか?』
「サイコーだねっ!」
「おぉっ!?」
声につられて、歩が横を見れば、ヘレナは既に歩の後ろに立っていた。
彼女は歩の肩に顎を置き、ぎゅっと抱きついて様子を見ている。
歩の視界に頼らざるを得ない都合上、密着するのが最も視点にブレが無いのは確かであったが、まだ多感なお年頃である歩にとっては、それは些か刺激が強いものであった。
「凄いよ歩くん! 君、ホントに天才だねっ!」
「ち、近いって!」
「だってこれが一番見えやすいんだもん。そっかー、これが歩くんの目線かー」
「……悪かったな、高い視点じゃなくて」
「ううん! 寧ろ都合いいから大丈夫!」
ぶい! と歩の目の前に手が差し出され、次いで物珍しげに顔を揉まれる。
新しい装置に興味津津、といったところなのだろうが、デリケートな装置には触れないで欲しい、と思う歩であった。
「……で、今……何やったんだ?」
「え? ただのパンチだよ?」
「えっ」
「えっ?」
首を傾げるヘレナに、目を丸くする歩。
とどめとばかりにRADIUSが一言。
『ただの正拳突きですね』
「なにそれこわい」
衝撃的な事実を叩きつけてきた。
戦慄する歩を余所に、観客達の前には超低速で再生された映像が映し出され、観客達が漸く事態を呑みこんでいた。
歓声に手を振って応えながら、ヘレナが言う。
「確かに、重機の力は怖いけど、見て避けられるなら怖くないよ。それに……」
彼女は地を蹴って、歩の前に立つ。
淀みのない動作で半身の構えを取り、敵に真っ直ぐと対峙した。
「えぇい、まぐれだッ! やれェ、キャンサーッ!」
それと同時に、漸く体勢を立て直した灰尊が大爪を振り上げる。
加重を伴った渾身の一撃が、真っ直ぐと振り下ろされ……。
「……ば、バカな、こんな容易く……!」
「私の方が、馬力は上だよ!」
……呆気なく。一撃で。
大爪は真正面から、拳で粉砕されたのだった。
沸き立つ歓声の中、口を開けて歩は呟く。
「……すげぇ」
正に、圧倒的であった。
あれだけ猛威を奮った大型重機が、まるで綿の様に攻撃を受け流され、麩菓子の様に砕かれていく。
『あれが本来の、ヘレナの力です』
「目が見えていた時の、ってことか?」
『はい。柔道・空手・合気道。その他、数々の武道を習得し、その中から常に最適な行動を取る戦闘技術。それらに裏打ちされた戦術眼。そしてそれらを十全に用いた、正々堂々、真正面からの戦闘。それこそが……』
懐かしげに眼を細めるRADIUS。
“眼”が開いたことで、彼女の持ち味は十全に活かされることとなった。
持ち前の戦術眼と、生半可な機械より頑丈な戦闘用の身体。そして修練を重ねた武道。
視界が利かなかったことで封じられていたその三つを全力で使うことで、彼女の力は大きく増す。それは、視界が他人の物であることを補って尚有り余る程に。
『……彼女がマキナドールの地位を確固たるものとした、栄光の在り方なのです』
それこそが機巧少女。それこそが最も新しき科学の伝説。
ヘレナという少女の、“完全正面突破”という戦闘スタイルであった。
「く、くそぉ……ッ!」
「これで、終わりだよッ!」
ヘレナが宙を舞い、脚を振り上げる。
爪先から推進剤が吹き出し、彼女の速度は瞬間的に、加速度的に増す。
超高速の踵落とし。かつてヘレナが使いこなしていた必殺技だ。
それを残る大爪で防ごうとする灰尊が、頼りの重機と共に吠えた。
「貴様にっ、貴様の様なモノに、この私の、大義ある闘争がああぁぁぁっ!」
「言った筈だよ。大義を求めるなら――」
大爪と踵が触れた瞬間、床が大きくひしゃげる。
キャンサーが歪み、罅割れ、黒煙を噴き上げ……。
「――暴力なんかに、頼るんじゃないッ!」
……キャンサーの大爪が、音を立てて吹き飛んだ。
悲鳴を上げる間もなく吹き飛ばされた灰尊が、床から飛び出した網に捕らえられ、吊り下げられた。
声すらも失った観客達に、着地したヘレナは勇壮に声を上げる。
「……成敗、完了ッ!」
その瞬間。十年ぶりに英雄が蘇った瞬間に。
その場に居合わせた全ての観衆が、諸手を上げて沸き立った。