10.ヘレナとプリムス
「……豚野郎ッ」
『ホホホ! 子供の負け惜しみは快い』
歩の悪態に、贅肉を揺らしながら簿寸満は嘲笑う。
この悪党の私欲によって、どれだけの人が、機械が不幸に遭ってきたかを思えば、ヘレナの人生がどれだけ狂わされたかを思えば、歩の肺は自然と熱くなる。
目の前で佇む灼眼のマキナドールが、この男の悪行を象徴していた。
「ヘレナに、何をした」
『決まっているだろう? “商品”としての加工だよ』
「お前……ッ」
『あァ、お前達の頑張りはちゃァんと見ていたよ。後で編集したモノを放映し、特別会員の皆様のお愉しみとさせて貰おう……。
題名は、“人形兵隊の裏切りとその末路”でどうかな?』
『センスがまるでないな』
『よろしい。ではお抱えのクリエイターに任せようか』
新たな遊びを思いついた、という風に出された簿の提案を、プリムスは素気無く斬り捨てる。
歩の熱い怒りも、プリムスの冷たい殺気も、モニター越しの簿寸満にとってはただの娯楽に過ぎない。
彼が愉快そうに顔を吊り上げる様は、まさに醜い豚であった。
『とりあえず、締め括りを撮ろうじゃないか。
……素材は多いほうがいいから、長生きしてくれたまえよ?』
『走れ、少年ッ!』
「……応ッ!」
勢い良く歩は反転し、ヘレナから距離を取る。
その一歩一歩を見送る彼女は、まるで人形のように表情が消えていた。
そんな機械人形に、簿が命ずる。
『餓鬼を殺せ。惨たらしくだ』
「……命令、受諾」
ヘレナがゆっくりと、感情味もなく動き出す。
一歩、一歩が徐々に速まり、長くなる。
そして遂には、歩の百歩を一歩で追い越さん程に加速した。
『……チィッ!』
「障害の排除、開始」
その行く手を阻まんと、プリムスが銃剣を抜き放つ。
放たれた弾丸は、真っ直ぐにヘレナの胸部へ飛び――彼女の掌に掴まれた。
『ッ!?』
掴まれた弾丸が、その回転を止めるよりも早く。
ヘレナはまるで手裏剣を投げるかのように、弾丸を弾き返した。
一瞬の隙を突かれたプリムスが、銃剣で己を庇う。
炸薬による科学現象よりも遥かに素速く飛んだ弾丸が、銃剣を破壊した。
『莫迦な……ッ!』
「目が、視えてるっ!?」
『ホホホ! 我が社の最高級品が、十年そこらで壊れるとでも?』
驚くべきことは、銃以上の威力で弾丸を放ったことではない。
弾丸を捉え、掴み、目標へ放つ。
これらの動作には、“視覚”という要素が必要不可欠なのだ。
それが出来るということは、ヘレナの視覚が回復していることを指し示している。
『失明と思って絶望するマキナドール・ヘレナは、裏番組でも大人気のシーンでした!
いやぁ、どう思ったでしょうね?
どう足掻いても戻らないと思っていたら、裏で最も信頼していたRADIUSに光を奪われていたなんて!』
「テメェ……ッ!」
『あァ、心配ご無用! ただカメラ・アイから来る視界を、RADIUSが強制遮断していたに過ぎません!
我が社のサイボーグ技術は安心・安全! 十年先まで動作保証です!』
コマーシャルを述べる簿の目には、愉悦の色が湛えられていた。
希望に走る少年を嘲り、その背を庇う機械を踏み躙り、その背を追う少女を嗤わんとしていた。
その悪趣味さに、プリムスは臍を噛む。
だが、彼女の相手は強力無比にして冷酷非情と化したマキナドール・ヘレナである。一切の油断も、支援さえも許されなかった。
「排除、開始」
『……いいだろう』
プリムスは脱力し、両の拳を握る。
姿勢を真っ直ぐに保ったその立ち居振る舞いは、一見して抵抗を止めたように見えるが、実態は真逆である。
それはプリムスが長きに渡り研鑽し、突き詰めた対マキナドール用格闘術。
『時間を、稼がせて貰おうか』
システマである。
『殺れ、マキナドールッ!』
簿の声をゴングに、マキナドール・ヘレナが拳を振るう。
音を置き去りにした正拳突きは、プリムスの胸を穿つことなく、彼女の腕に絡め取られた。
空いた片腕に殴られる前に、プリムスはその肘でヘレナの鼻を潰す。
「……!」
『拳が鈍いな』
僅かにぐらついたヘレナだったが、即座に絡め取られた腕を更に前に押し出す。
そのまま組み付けば、ヘレナは肩を犠牲にプリムスを押し倒し、瞬く間に寝技へ持ち込むだろう。
しかしそれを避ける為にプリムスが腕を離せば、忽ちの内にヘレナは歩に肉薄する。
この一瞬でその二択を強いるのが、マキナドールとしてのヘレナの真骨頂である。
『少しは弱体化して貰えない、か……っ!』
当然、黒騎士として戦い続けたプリムスが、そんな二択を取るヘマはしない。
彼女はヘレナの懐へ入り、前へ押し出される勢いを背に負う。
両の膝をバネに相手を浮かせば、一本背負いにヘレナを床に叩きつけた。
『く……ッ!』
それで勢いが止まることを祈る間もなく、ヘレナは身を捩り、足を振り回す。
強烈な足払いが、プリムスの膝をへし折った。
バランスを崩された彼女は、倒れ込む勢いのままにヘレナの頭を穿たんとする。
気絶による機能停止を狙ったその一撃は、更に身を捩られ、床に穴を開けるだけに終わった。
『ガ……グガッ』
『いいぞ、殺せ! 殺せ!』
立て直す間もなく、プリムスは裸締めを受け、その喉を潰される。
身を捩りながら、プリムスは暫し、ヘレナの無機質な瞳を睨みつけた。
『……チッ。この身体は大事にしようと思っていたんだがな』
「……」
やがてみしみしと音を立てていたプリムスの頚椎が、派手な音と共にへし折れる。
それと同時に、彼女の首と胴は分かたれた。
『ハッハー! いいぞ、残虐ショーだ!』
「……排除完了」
生気を失ったプリムスの首が、だらりとヘレナの手に提がる。
歩は既にいなくなっていた。
探すのには時間がかかるだろうが、不可能ではない。
「追跡、再開」
無機質に、無感情にヘレナが囁く。
その瞳が……わずかに、揺れた。




