4.ゆびきりげんまん
『――では之より、第十代目マキナドール、黒瓜ヘレナの退任式を執り行います』
厳かに、そして華々しくRADIUSの声が響く。
此処はRADIUS、そして上東京の中枢。
上東京最上に秘められし、|超巨大量子コンピュータ群《RADIUS》が収められた“中枢神経塔”である。
「……い、いぇーい」
『歩様』
「茶化すとこじゃないよー?」
「……悪い」
そんな中で、退任式に参加しているのはたった三人。
歩と、ヘレナと、RADIUS。それだけであった。
スポンサーの簿社長などは影も形もない。
いたらいたであまり好ましい光景ではなかっただろうが、それはそれとして少なすぎると歩は嘆息する。
『警備上の問題で、あまり大人数は入れられないのです』
「ココを落とされると、上東京が大変なことになっちゃうからね」
「……じゃぁ、何でこんなトコでやるんだよ」
『マキナドールが、私の“中枢神経塔”に入るに値するということの、証明です』
この中枢神経塔は、RADIUSそのものだ。
此処が陥落するということは、即ち上東京の陥落を意味する。
その為、如何に簿社長の様な権力者でも、おいそれと入ることは許されないのだ。
――つまり中枢神経塔への入場許可は、RADIUSからの絶対の信頼を意味する。
『マキナドールの他にこの中枢神経塔に入ったのは……私の製造者、そして歩様。貴方くらいです』
「……なんか、ありがとな」
『いいえ。それだけの功績を、貴方は積んだのですから』
そう微笑むRADIUSの目は、慈愛に満ちていた。
RADIUSに手で促されるまま、歩はヘレナの隣に立つ。
ヘレナが鼻を鳴らして、歩へ寄り添った。
『――改めて。第十代目マキナドール、黒瓜ヘレナ。そしてその専属整備士、伊須都歩。
貴方達の素晴らしき功労により、この都市国家TOKYOの平和を守ることが出来ました。
本日を以て貴方達の任期満了とし、その功績に足る報酬と名誉を私、RADIUSから授与します』
「謹んでお受けします」
「つ、つつしんでもらい……おうけ、しますっ」
ロボットアームが、歩とヘレナに勲章を授ける。
歯車の内に星が飾られたそれは、歩のボロっちいコートを特別にしてくれた。
誇らしげに見せびらかす歩を、ヘレナもRADIUSも、微笑ましげに見つめる。
『ヘレナ。二度に渡る大任をよく遂げてくれました』
「……はいっ」
『歩様。ヘレナを支えてくれて、本当に助かりました』
「……おうっ」
『これからも、どうかこのTOKYOで幸せに暮らしてください』
RADIUSのホログラムが、二人の手を取る。
それが空気層により質感を再現したものだと理解っていても……彼女の手の暖かさを、歩はハッキリと感じていた。
『幸福は、貴方達の権利です』
その言葉は祈るように、願うように。
厳かに、そして華々しく中枢神経塔に響いていた。
***
「……終わっちゃったねぇ」
「そう、だな」
退任式を終え、ヘレナが歩を連れてやって来たのは、上江東区にあるサイボーグ職員専用住宅。
つまり、ヘレナの自宅であった。
すっかり荷造りされ、段ボール箱が重なる自室はひどく殺風景で、どぎまぎしていた歩の心をすっかり冷ましていた。
「ここも、来月までには出なきゃいけないんだ。家探ししないといけないんだけど、サイボーグ向けの住宅って中々なくて」
「……上東京にもないのか?」
「殆どの人がサイボーグじゃないからねぇ。こればっかりは、需要と供給だよ」
困ったなぁ、と笑うヘレナは、どことなく寂しげであった。
彼女にとって、マキナドールという立場はとても大事なものだ。
盲となっても、もう一度苦難と戦いに挑むこととなっても、それでもマキナドールとして立ち上がろうとした程に。
それが明日からなくなるというのは、どういう気持ちか――歩とて、少しもわからない訳ではなかった。
「なぁ、ヘレナ」
「……ん?」
だから、ほんの少しだけ勇気を出して、歩は話を切り出した。
本当はデートの日にしたかったが、自分もヘレナも、相当に運が悪いことを知っていたから。
歩はここがチャンスとばかりに、ヘレナを見つめる。
「なぁに、あっくん」
「あの、さ。もし、ヘレナがよかったら……」
「……うん」
もじもじ、おずおずと。
らしくない態度で……しかし、ヘレナに対しては何故かしてしまう振る舞いで、歩はどうにか話を進めようとする。
ヘレナはそんな歩に対し、ゆっくりと聞いて待っていた。それが、彼女の優しさなのだ。
そうして、ようやく。
「……俺と。俺と、一緒に暮らさないか」
歩は、ヘレナに最後まで伝えられた。
ヘレナは驚いたような、わかっていたような顔で、ゆっくりと微笑む。
青灰色の眦が垂れ、涙が溢れることはないのに、歩には潤んでいるように見えた。
「嬉しいよ」
「……うん」
「でも、ちょっと、待って」
「えっ」
そう遮られて、歩は頓に焦る。
何か事情があるのだろうか。それとも、同居はしたくないのだろうか。
まさか、嫌だったのだろうか……そう考えてしまい、今度は彼の方が泣きたくなっていた。
しかし歩の不安をよそに、ヘレナはやや早口でまくし立て始める。
「ほ、ほら。私って今年で二十三歳で、あっくんは十五才じゃない」
「うん」
「世間一般っていうか法的に色々アウトだし、あ、いやぁでもあっくんの歳だと保護者要るのかな!?」
「うん……」
「で、でもでもあっくん的にはどうなの!? 私がママってどうなの!?」
「うん……?」
どうにもおかしい、と歩が顔を上げれば、ヘレナは口から蒸気を噴いていた。
慌てて水差しをヘレナの口へ突っ込めば、もくもくと鼻から湯気が立ち昇る。
急に上昇する室温に対し、歩はすっかり冷めていた。
いくらなんでも台無しである。
「ヘレナ」
「はひっ!?」
「答え……アレだ。デートの後、聞くから」
それは妥協案であった。
歩としては今すぐにでも答えを聞きたかったが、ヘレナに暴走した末に答えられても困るのである。
それならば、デートの後までに、ゆっくりと答えを決めて貰おうと彼は思ったのだ。
「約束、な」
「……うん」
互いに気恥ずかしげに、ゆっくりと小指を絡める。
それは確かな誓いであり……未来への希望であった。
***
そして、デートの当日。
歩がヘレナに逢うことは、なかった。




