7.マキナドールと、専属整備士
※展開に悩んだりして、一時間十五分ほど遅刻しました。
大変申し訳ございませんでした。
「…………は?」
歩の思考が、停止する。
意味がわからない、という訳ではない。状況を理解できていない訳でもない。
ただ、あり得ないことを目の当たりにして、どう動いていいかわからなくなってしまったのだ。
「……なっ、ちょっ……はァッ!?」
『見えるか、マキナドール。精巧な出来だろう』
「ちょ……著作権侵害ぃいいいいッ!!」
『ヘレナ、肖像権侵害です』
的はずれな発言と共に、囲みから黒騎士の一体が吹き飛ぶ。
破壊された兜から覗く顔は……やはり、ヘレナのそれと瓜二つであった。
度し難い、とRADIUSが呟く。
『――貴方の性癖はともかくも。貴方は私のマキナドールの、代替品にはなりません』
『どうかな。贋作が本物を凌駕することなど、我々にとっては当然のこと』
プリムスはそう言いながら、自身の躯体を変形させていく。
鎧は圧縮され、すらりとした手脚になっていく。
腰はくびれ、尻は丸みを帯び――胸甲の厚みは、そのままに。
『それに……センスというものは、公営品には出せないものだ』
ヘレナよりずっとオトナで、攻撃的で、露悪的な造りだが……男ゴコロにグッとくる、尖ったデザイン。
所謂“悪堕ち”マキナドールとなったプリムスは、満足そうに嗤った。
黒の連隊の囲みの中で、ヘレナが胸甲の厚みについて喚き散らしているが、プリムスはそれをせせら笑う。
『どうかな、少年。気に入って貰えたかね?』
「……全ッ然っ」
『セックスアピールが足りないか』
「ふざけろ」
いたずらっぽい笑みがヘレナと瓜二つであることが、余計に歩の癪に障る。
プリムスの目的は、ヘレナに成り代わることとその顔が証明している。
そしてプリムスは、「君の姉貴分」と言ったのだ。
それが指し示す意味は、歩にも容易に想像がつく。
「……ヘレナが、ねーちゃんだって。どういう、ことだよ……ッ!」
喪った、姉のような人。
互いという認識もろくに育っていない時頃に、全幅の信頼を置いた家族。
それは歩のトラウマであり――総ての始まりであった。
***
「……ねーちゃん!」
「あっくん、こっちこっち!」
古い記憶が甦る。
それは色褪せているが……青い青い空の中。
孤児院の遠足で乗った、遊覧飛行バスの思い出だった。
歩がまだ、五才の頃である。
「ねーちゃん、ここ、おちるよ!」
「大丈夫。これ、透明な床だから!」
そう言いながら幼い歩の手を引くのは、彼を「あっくん」と呼ぶ少女だった。
歩より八つほど年を重ねた彼女は、歩と同じように孤児院で育った子供であり、こわがりな歩の面倒を見てくれる優しい娘である。
腰が引ける歩を支えながら、少女は上東京の街並みを見下ろす。
摩天楼より更に上、遥か天空の先から覗く光景は、足が吸い込まれてしまいそうだ。
「ねーちゃん、ぼく、こわい」
「大丈夫だよ。バスの窓、すっごく丈夫なんだって! RADIUSが言ってた!」
「おばけのいうことじゃん!」
「もー、おばけじゃないよぉ」
透けて見えるRADIUSを、おばけと勘違いして怖がる子供というのは、意外と多い。
大抵はしょぼくれるRADIUSを見て徐々に慣れていくのだが、歩は彼女の物憂げな顔を見ることが多く、それがおばけの様に見えていて、まだ慣れていなかった。
しょうがないなぁと微笑みながら、少女はぎゅっと歩を抱きしめる。
「大丈夫大丈夫。おねえちゃんが守ってあげるから」
「ん……がんばる」
「その調子、その調子!」
歩が安心して、少女に身体を預ける――その瞬間であった。
足下からびしりという音が響く。
次いで、けたたましいアラート音が響いたと思えば……透明な床板に、どんどん罅が入っていた。
「え……」
「あっくん!!」
「っ!?」
呆気にとられた歩が、少女の手によって放り投げられる。
衝撃に噎せ返りながら、歩が振り返れば……床板は既に、砕け散っていた。
少女は凄まじい勢いで、船外へ放り出される。
「ねーちゃんっ!!」
「……っ!!」
辛うじてバスの突起にしがみつくことが出来た少女だったが、そんな状態が長く保てる訳がなく。
少しずつ、少しずつ引き剥がされそうになりながら、少女は助けを借りようとしていた。
しかし、大人達は動けない。
ここは遥か上空一五〇〇メートル。下手に船外に出ようものなら、そのまま自らが放り出されてもおかしくないのだ。
命綱をつけようとしている間に、少女の指は一本ずつ離れていく。
「……あっ……く、んっ」
「ねーちゃぁんっ!!」
そうして、大人達が救助体勢を整えた頃には。
少女の姿は、バスの何処にもなかった。
歩はそれを、ただただ、見ていることしか出来なかった。
***
歩は大人達を、そして自分を責めた。
何よりも腹立たしかったのは、下東京へ墜ちたであろう少女の捜索を、大人達が早々に打ち切ったこと。
孤児院の子供だから、もう死んでいるからと、優先順位が下げられていくことが、我慢ならなかった。
『だから君は飛び出した。下東京へ、お姉さんを探しに』
「それに、何の関係が」
『ある。お姉さんが行方不明となったのは、今から十年と半年前。そして、マキナドール・ヘレナが世間に登場したのは、今から十年前だ』
「……っ」
歯車の会で、ヘレナはフルボーグ化のリハビリに、半年をかけたと言っていた。
それが本当なら、辻褄が合う。合ってしまう。
でも、と目を背けることは出来なかった。
『マキナドール。お前は本当は、もう気付いていたのだろう?』
「……うん。VR空間で、顔を見た時にね」
「っ」
「もしかして、とは思ってた。でも、言わない方がいいと思ってた。……もう、忘れてたと思ってたから」
ヘレナはゆっくりと呟く。
だが、その戦意が失われた訳ではない。その手脚は今も、未だに動き続けている。
「でも……そっか。憶えてたんだね、あっくん」
「ヘレナ……ねー、ちゃん」
「えへへっ。なんだか今言われると、こそばゆいね」
黒の連隊の囲みのせいで、ヘレナの顔は見えない。
しかし気丈に笑っているだろうヘレナは、再び銃剣と拳を交え始めた。
鮮烈な音が轟く中、ヘレナの声が、確かに響く。
「待っててね、あっくんっ!
――私、あっくんに話したいこと、いっぱいいっぱいあったから……こんなパチモンなんて、すぐやっつけるからっ!」
ヘレナの声が、屋内に、耳に、心に響く。
苦悶の声が、励ましの声が、誓いの様に響く。
その総てが、歩の心を暖機させていた。
『哀れなものだな』
「……今度は、何だよ」
『彼女は報われない。本当に報われない……敵手として、此程に口惜しいことはない』
苦悶の声が、多くなる。
黒の連隊の連携が、更に増したのだ。
それは歩に焦燥を与えるが、眼前のプリムスは一分の隙も与えはしなかった。
『見えるか、あの哀れな姿が。理解るか、あの努力が、如何に物悲しいものか。
全盛期のマキナドール・ヘレナはあんなものではなかった。
我々の猛攻など、苦でもなく凌ぎ、あっという間に全滅させた筈だ』
それは懐かしむ様な、悔しさを滲ませる様な言葉であった。
その眼に燃えているのは憎悪ではない。
使命感の様な――まるで長年の友を労る様な、物哀しい眼差しであった。
『それが、どうだ。
次代のマキナドールが出る度に、その活躍は人々から忘れ去られていく。
伝説のマキナドールは、最早過去の栄光とせせら笑う者が出る。
……それだけならまだ良いだろう。それだけなら、この世には多くあったこと』
だが、とプリムスの眼が開かれる。
細孔に怒りが、憎悪の念が灯る。
初めて、その声に激情が籠もった。
『過去の英雄に待っていたのは、謂れなき差別と、妬み僻みのみだったッ!
サイボーグ差別! 警察共のやっかみ! 居場所を奪う誹謗中傷!
愚かな! 何処までも愚かな市民共! 貴様らこそ真に度し難き者共よ!
貴様らを守った英雄を、貴様ら自身が貶めたのだッ!!』
それはマキナドールへの敬意であり、侭ならぬ世の中と人々に対する、プリムスの慟哭でもあった。
サイボーグ差別から守る為に立ち上がった少女が、その任を終えた途端に生贄の羊とされていく光景を。
誰かの失態を時に庇い、時に手助けしてきた少女が、その誰かに守られることなく傷付いていく光景を。
人々に夢と希望を与えてきた少女が、人々に謂れなき誤解と悪意で居場所を奪われていく光景を。
プリムスは、この十年見てきたのだ。
『大いなる計画など、知った事か!
私はこの好敵手がこれ以上貶められる様こそ我慢ならない!!
私はマキナドールに成り代わる者! 私はマキナドールとなる者!!
彼女の傷は私の傷だ! 彼女への誹りは、私の誇りを奪う行いだ!!』
プリムスが、泣いている。
その瞳からは何も流れていないのに、歩には、そう思えた。
プリムスにとっても、ヘレナは特別な存在だったのだ。
唯一無二の、掛け替えのないものだったのだと、その声が示していた。
『それでも――それでも、正義の為に立ち上がるというのなら。
私はマキナドール、貴様を破壊する。
RADIUSの示す先に、お前の幸福などあり得ないのだから。
この先の絶望に押し潰される前に、貴様を殺す。
それこそが、マキナドール・ヘレナ。
十年を共に在り続けた、私からの手向けなのだ――!』
プリムスが、銃剣を構える。
殺意を伴った一撃が、すぐにヘレナの脳殻を撃ち抜くだろう。
それだけの覚悟が、プリムスにはあった。
だが。
「……ふざけんなっ」
だが、それが正しいとしても、歩が納得できる筈がなかった。
歩が雄叫びと共にプリムスに飛びかかり、素気無く蹴り飛ばされる。
『邪魔をするな』
「するに決まってんだろッ!」
何度も、何度も飛びかかる。
その度に蹴り飛ばされ、殴り飛ばされ、投げ飛ばされる。
ボロボロになりながら、それでも歩は諦めなかった。
「それなら……尚更ッ! 放っておけるかってんだッ!!」
プリムスの言葉は、その想いを余すことなく表していたのだろう。
だが、それでも歩は退く訳にはいかない。寧ろ退いてたまるかと、奮起する材料にしかならなかった。
もう二度と、逃げないと誓ったのだ。下東京に飛び出した、その時に。
「未来に絶望しかない!? 幸福なんてあり得ない!?
うっせぇんだよ! だったら……だったら、俺がずっと、どうにかしてやるッ!!」
小型立体成型機が、唸りを上げる。
イメージするのは、禁じ手。
ジャンクデータから引っ張り出し、再製させたそれに、吹き飛ばされてきた黒騎士の一体から拝借した、銃弾を装填する。
「Do it yourselfッ!
未来は、自分で切り拓くんだッ!!」
即席成型銃。
未来を切り拓く一発が、狙い通りに発射された。




