2.ありがたくもこわいお説教
「……おう、終わったか」
「すみません、遅くなりました」
「構わン。情報さえ得られりゃな」
取調室の外で待っていたのは、都市警察の張井警部であった。
相も変わらず厳しい顔立ちだが、その口調は責める様な物ではない。
感情を出すのが不器用な男なのだ。
少なくとも歩は、そう認識を改めていた。
『入手した情報は後程、張井様宛に書面に纏めて送らせて頂きます』
「改竄すんなよ。……こっちは書面に纏めるまでもねェ」
「どういうことだ?」
「あの宗教タコ、まともに話すことも出来やしねェ。……お前にラブコールを送りっぱなしだったぞ、コンピュータ」
『着信拒否します』
「仕方ねェな」
冷淡な物言いに、張井がくつくつと笑う。
RADIUSは人々に寛大で、特定個人を否定する発言は滅多に行わない。
だが、犯罪者に対しては別だ。
贖罪を希望し、その努力を怠らない限りは慈悲深いが、そうでない者には機械特有の冷たさを発揮するのである。
親しい人工知能の無慈悲な一面を垣間見て、歩とヘレナはどちらともなく「悪いことはしない様にしよう」と気持ちを改めた。
「都市警察は上東京の警備を厳重化するつもりだ。そっちはどうする気だ、コンピュータ」
『市民への注意喚起と、各回線の監視強化を予定しております。馬車馬の様に働いて貰いますよ、警部』
「残業上等ってか。新人共がまたボヤくな」
“歯車の会”の事件後、都市政府と都市警察はその関係性を改め、連携強化に努めている。
彼ら“歯車の会”が齎した、市民十数人の猟奇殺人という衝撃は、民衆にも、都市警察にも、そしてRADIUS自身にも重く受け止められていたのだ。
米谷の息がかかっていない一般会員達は被害者として手厚い保護を受けており、市民も彼らには同情的であることだけが、唯一の幸いであった。
「ま、良い。お前達はどうするんだ?」
「ヘレナについてく」
「……分かりやすいが、そりゃ何も考えてないと同義じゃねェのか」
「だって、それが俺の仕事だろ?」
「そうだね。……で、歩くん。どうしたら良いかな?」
「えっ」
「えっ?」
「こいつら……」
とはいえ、RADIUS直属であり、ついこの間まで安静を命じられていた歩達は、その唯一の幸いこそが何よりの懸念であった為、割とのんびり構えていた。
それはいつでも動ける様に、という考えの下ではあるが、具体的な方針はなく、割と行き当たりばったりであることを、彼らは自覚していない。
「……お前達、そこに座れ」
「「えっ」」
「良いから、座れ。コンピュータ、お前もだ」
『えっ』
口の端をひくつかせながら着席を命じる張井に、怖ず怖ずと三人は揃って――RADIUSはホログラムを――長椅子に座る。
三人が居住まいを正したのを見計らい、張井は大きく息を吸うと。
「――シャキッとしろ若造共ォッ!」
「「『ひぃっ!?』」」
思い切り、怒声を上げた。
その声量に三人はこれまた揃って、背筋をピンと伸ばしてしまう。
「マキナドールと整備士! お前ら今まで何やってたッ!」
「あ、安静にしてろって言われてたから……」
「……VRで、ちょっと……遊んでました」
「休養は大事だが、その間、次の仕事の準備を怠って良いと命じられたか?」
「う……」
張井の言葉に、歩もヘレナも気まずげに目を逸らす。
“歯車の会”の騒動から、既に二週間が経過している。
その間、歩達は“超幸福RPG(仮)”で遊んだり、買い物に出かけたりなどをして完全治癒までの時間を消費していたのだ。
それ自体は悪いことではない。ないが、確かに気が抜けていたのは確かである。
「次回への方針や、それに伴って発生する、必要な準備をキチンとするのは、社会人として大事なことだってェことを忘れるな。いいな?」
「「はぁい……」」
ぐうの音も出ない。
正にそんな面持ちで、二人は項垂れる。
だが、それで不貞腐れることなく、次に活かせる所は、彼らの数多い“いいところ”の一つであった。
それを知っているからこそ、RADIUSは彼らを慰めようとするが……。
『まぁ、次に活かせば良いのですから、そうまで気落ちする必要は……』
「お前もだと言った筈だぞ、コンピュータ」
『ふえっ』
……矛先が自分に向いたことで、素っ頓狂な声を上げてしまった。
少年少女に対してより、更に厳しい顔で張井は口を開く。
「コンピュータ、お前の仕事は何だ?」
『……各種インフラ・行政・司法・教育管理、市民の皆様のサポート、各種公営事業運営、マキナドール企画管理……』
「そこに、そこのガキ共の管理指導もあるな?」
『……はい』
「だったら、こいつらの指導はお前の責任だろうが。俺の言った事は、本来お前が言うことじゃないのか。違うか?」
『違いません……』
しょんぼりと頭を下げるRADIUSは、ヘレナより幼く見えるが、これで三十年は稼働している立派なお姉さんだ。
だからこそ、歩達を教導し、サポートする責任と義務が生じる。
彼女がやっていた事は良く言えば優しい気遣いだったが、悪く言えば甘やかしであった。
「甘えるのも、甘やかすのも構わン。だが程々にしなけりゃ、互いが腐るばかりだ。虫歯と一緒で、適度に状態を改めるのが肝心ってェ訳だ」
張井は今年で五十三歳。
つまり、RADIUSの介入なく育った大人である。
灰尊もそうだが、RADIUSのサポートがなかった世代はやや強情な面はあるものの、確たる意志で以て発言する者が多い。
育った環境としては似ている歩もその傾向にあったが、張井は彼以上に堅い男であった。
「お前達の働きは認める。だが、だからこそ警部として、お前達の体たらくに物申した。……何か言うことはあるか?」
「「『ごめんなさい……』」」
「おう。次は気ィつけろよ」
とはいえ、これは説教。
反省したならそれで良し、というものである。
張井もそれを察すると、怒りをさっと引っ込ませ、元の厳つく、しかし歪みのない表情に戻した。
「で、それを受けて、お前達はどうする?」
「……えぇと、はい」
「おう、坊主。言ってみろ」
張井が顎で続きを促すと、歩は学校の様に上げていた手を下げ、暫し瞑目する。
そうして頭の中で言葉を纏めると、結論から告げた。
「下東京へ行って、黒騎士の手がかりを探す」
「下東京?」
「うん。灰尊のオッサンが、下東京にあるサーバーを通して黒騎士とやり取りしてたみたいだから。俺なら、下東京の探索は慣れてるし」
歩は頭の中にある情報を整理して、次に何をすべきかを考察する。
サーバーとは情報の塊である。
とはいえ二一一六年の今、灰尊の時代に在ったそれが大した情報を握っているかは定かでないが、そもそも上東京には黒衣の切れ端さえ在りはしないのだ。
どれだけ少なくとも、探す価値はある。
歩は確信に至らないまでも、そう結論付けた。
『でしたら、灰尊氏の私物からサーバーの位置を探ります。それである程度の特定が出来る筈です』
「下東京か……坊主は下東京に住んでるんだったか」
「うん。自分の工房だってある」
「そうか。……あそこは今、どうなってる?」
「今、って?」
「昔は俺も、あそこに住んでたからな」
「あ、そっか。上東京が出来たのって……」
『二十五年前。張井警部のお歳でしたら、転居当時は二十七歳になります』
首を傾げる歩に対し、ヘレナはぽんと手を打つ。
上東京という巨大浮遊都市は、RADIUSが東京統括の任を受けて早々に計画した一大プロジェクトである。
度重なる地震などの脅威から逃れる為、そして利権争いで雁字搦めになった土地の価値をリセットする為に行われた、RADIUSの数少ない強権を振るう場面であった。
街の上に街を作るというのは当時は賛否両論であったが、高機能な住宅地をただ同然で得られるという釣り餌には誰もが食いつき、我先にと上東京に引っ越していったのである。
今では世代も新しくなり、徐々に下東京での暮らしは忘れられようとしている。
しかし未だ、その思い出がある年齢層には、下東京での生活を懐かしむことがあった。
「ここらへんの真下……葛飾に住んでたンだがな。あっちはどうなってる? 昔はアライグマとかいたンだが」
「んー、あそこかぁ。元の景色は良く分かんないけど、建物とかが滅茶苦茶に壊れてる、とかはないかな」
「……そうか」
「でも、野犬とか多過ぎて、長時間の探索は無理。死ぬ」
「そうか……」
流石に住んでいた地域が荒れていることは堪えたのだろう。
思い出を噛み締めながら、張井は持っていたコーヒー缶を飲み干す。
そうして次の瞬間には、彼は仕事に忠実な、いつもの厳しい顔に戻っていた。
「まァ、下東京探索か。やらンよりはマシだな。そっちは任せるが……構わンな?」
「任された!」
張井がニッと笑えば、歩もニッと笑って返す。
叱られた怖さより、子供扱いされる悔しさより、認められるという嬉しさが、歩の中では勝っていた。
次いで拳を合わせる彼らは、まるで親子の様にも思える。
その光景を、RADIUSが嬉しそうに見つめる中――。
「……えっと。それで、私はどうすればいい……かな?」
――怖ず怖ずと、不出来を恥じ入りながら、ヘレナが小さく、小さく手を上げた。
「…………あは、あはは……ゴメンナサイ。考えるの、向いてないみたいで」
自分で考えて動くというのは、簡単な様でいて難しい。
こと、RADIUSのサポートを前提として動くマキナドール・ヘレナにとっては、それは戦闘よりも難しいことであった。
しかし歩は、そんなことで失望することはない。
「おいおい、驚かすなよ」
「えっ?」
「ヘレナに全部やられたら、俺やRADIUSの仕事が無くなっちゃうだろ?」
「あ……」
口をぽかんと開けるヘレナに、歩はニッと笑ってみせる。
そう、歩の仕事はヘレナの整備士で、RADIUSはヘレナのサポーターである。
ヘレナが苦手な分野まで、全て担当する必要はないのだ。
『方針さえ決めて頂ければ、その方針を結果に変える計画は私が作りましょう。……いえ、作らせてください』
「そこに不具合があれば、それを何とかする俺の仕事。で、障害があったら……」
「……私の仕事?」
「『その通り!』」
ぐっと親指を立てる二人。
バイザー越しでは歩の顔は見えないものの、彼がどういう感情で言っているかは、ヘレナには見なくとも分かった。
十年前とは、違うのだ。
それが嬉しくて、ヘレナははにかみながら。
「……うんっ!」
大きく頷いてみせるのだった。




