1.政治家達の取り調べ
伊須都歩は同じ夢を見る。
失った夢、掴めなかった夢、逃げ出した夢。
総じて、悪夢。
その大元が妄想か現実か、最早歩には分からない。
下東京での過酷な十年は、それを思い出の奥底に沈めてしまった。
ただ、歩は悪夢の中で誓う。
もし、もし、もう一度。
得られたなら、掴めたなら。
「今度は……絶対に、逃げないから……っ」
呻きと共に吐き出された誓いは、乾いた喉を苛んで。
今日も歩は、咳き込みながら起き出した。
***
「……だーかーら! 知らんのだ、何もッ!」
「嘘つくと針千本飲ますぞ、オッサン」
「知らんと言ったら知らん! さぁ、フグ刺し持って来いッ!」
「それじゃハリセンボンだよ……」
電磁牢越しにぎゃいぎゃいと喚く男、江部灰尊に、二人は呆れて溜息を吐く。
まだまだ時間がかかりそうだと、RADIUSは面会時間の延長を申請した。
此処は上葛飾より更に上空に存在する、浮遊拘置所“東拘”。
上東京全域の犯罪者を隔離する、所謂刑務所である。
その管理はRADIUSの協力もあり、囚えた者は絶対に逃がさないと評判である。
この難攻不落の牢獄で、灰尊は懲役刑に服しているのだ。
そんな彼から情報を得る為に、歩達はこの施設へ赴いたのである……が、その成果は未だ見えていない。
『知っている事は話すべきですよ。貴方は今のところ模範囚ですし、早期の仮釈放もあり得ます』
「フン、知らんものは知らん。それに出所したところで、賠償請求の借金地獄だ。御先真っ暗なのだから、無理に踏み出す気はせんわ」
『金銭なら私が立て替えましょう』
「好敵手に金を無心する政治家が何処におるかぁっ!」
「このオッサン面倒くせぇ!」
RADIUSの説得にも、頑固な灰尊は耳を貸さない……どころか、益々頑なに情報提供を拒む。
いっそ張り倒してくれようかと考える歩であったが、ヘレナが一歩、前に進み出ることで、その考えを霧散させた。
彼女は真剣な表情で、灰尊の眼前に迫る。
「何か、些細なことでも良いんです。“黒騎士”について、知ってる事を教えてくれませんか?」
「……奴のことなら、貴様の方が良く知っているだろう」
「いいえ、何も。拳で語れることは、意外と少ないんです」
「脳筋め」
「鍛えられるところ、脳しかありませんから」
灰尊の暴言にもヘレナはくすくすと笑いながら、ジョークで返す。
その愛らしい姿とは裏腹に、彼女は大人びた言葉遊びが好きなのだ。
そういったお姉さんらしさもまた、マキナドール・ヘレナの魅力である。
「……こういう時は美人に見えるんだけどなぁ」
「あーゆーむーくーん?」
「何も言ってないでーす」
しかし、歩の前では、何故かヘレナは子供っぽく振る舞う事が多い。
それが彼女の素なのか、それとも歩に合わせているのか。
考えれば考える程、歩は照れ臭いやら納得いかないやら、複雑な気持ちになり、ぶす、とした顔で粗茶を飲み干すのだった。
そんな彼に、灰尊は苦笑を零しながら言う。
「何だ貴様ら。歳相応の顔も出来るのではないか」
「……悪いかよ」
「悪いものか。子供が子供らしく笑えることの、何処が悪い」
無駄に尊大だが、その顔は歩を軽んじはいなかった。
寧ろ何処か安心した様な、今迄でずっと穏やかな眼差しに、歩はたじろぎ、ヘレナはくすくすと笑った。
「何を笑っとる。貴様もだ、マキナドール」
「……え、私も? そんな顔してます?」
「おう。歳相応どころか、十歳は若返って見えるな。まるで少女だ」
「正に少女ですよ」
『ダウト』
「ギルティ」
「少女なんですっ!」
もう、とヘレナが憤慨して見せれば、三者三様の笑い声が上がる。
一頻り大笑すると、灰尊は落ち着いた様子で話し始めた。
「良いだろう、私が知っていることは余りにも少ないが、それで良ければ話してやる」
「……どういう風の吹き回しだ?」
「個人的に満足したのだ。その礼だと思っておけば良い」
相も変わらず傲慢な物言いで、灰尊は茶を啜る。
しかしその瞳には、元政治家らしい確かな意志を歩に感じさせた。
「私が奴、黒騎士と出会ったのは、旧式の連絡網でだ」
「連絡網?」
「上東京が無かった頃に使われていたIRCだ。鯖なんてとっくに無いものと思っていたから、私も驚いた」
「……魚がどうしたって?」
「一昔前の表現だよ。サーバーだから、鯖」
「あぁ、成程」
ヘレナの補足に、歩はぽんと手を打つ。
上東京とは違い、下東京はRADIUSにあまり管理されていない区域だ。
黒衣の騎士の様なテロリストが、拠点として使うにはうってつけだろう。
電子メモ帳を利用しながら、歩は灰尊の話を傾聴する。
「最初は何の冗談かと思ったが……不覚にも、奴の甘言に惑わされてしまってな。協力すると返事した次の日には、上東京の外郭で……」
「……あの装置の受け渡しをしていた?」
「そうだ。“スイッチ一つで、RADIUSを屈伏させられる”と言われてはな」
『それ程までに脆弱になった覚えはありませんが、確かにアレを中枢で使用されたら、少しだけ困っていたでしょうね』
RADIUSの発言に、ヘレナは重々しく頷く。
彼女、RADIUSを屈伏させるということは、この上東京全てを支配するということに他ならない。
それはこの都市国家“上東京”の弱点であり、絶対にあり得てはならない事象であった。
「RADIUSさえ支配すれば、愚かな民衆は全てが市民の意志を蔑ろにした洗脳だったと気付く。お前が正しかったのだと気付くだろう……」
「黒騎士は、確かにそう言ったんですね?」
「あぁ、間違いない。……私の心中に宿る、ドス黒い物を肯定された気分だった。あの男は、箸を使うより造作もなく、私を掌握してみせたのだ」
灰尊は、酷く苦々しく頷く。
彼としても、この結果は極めて不本意なのだろう。
人々を導く政治家である彼が、テロリストである黒衣の騎士に支配される。
それは彼の尊ぶ“人の意志”の敗北に他ならないのだ。
にも関わらず、灰尊は屈し、暴虐を振るった。
これは黒騎士が、卓越した人心掌握術を使えるという証左であった。
「貴様らなら大丈夫だろうが……他の市民がそうとは限らん。注意することだな」
「はい。……RADIUS」
『対症療法ですが、注意喚起はしておきましょう。警備の厳重化も急務と判断します』
ヘレナの真剣な声に、RADIUSも淡々と返す。
その裏では既に動かせる機構を、粗方稼働させているのだろう。迅速な対処の出来る政務官としては、RADIUSの右に出る存在はないのだから。
確信にも似た信頼と共に、ヘレナは頷き、立ち上がる。
「……今日はここまでにしましょう。また来るので、しっかり更生してくださいね?」
「フン、暇人め。次は茶菓子の一つでも持ってくることだな」
「経費で落ちたらそうします」
「じゃぁな、オッサン。風邪引くなよ」
「貴様もな、坊主」
ヘレナに促され、歩も退室する。
取調室に残るのが、ホログラムのRADIUSと灰尊だけになった辺りで、彼は不意に呟いた。
「……RADIUS」
『はい』
「あれが、お前の守りたい物か。お前が、願っていた物か」
『はい』
「……なら、きちんと守れ。子供の未来を守るのは、政治家の役目だろう」
『……はい』
その表情をぴくりとも動かさず、RADIUSのホログラムは消え去る。
簡素で、素っ気のない二文字の言葉たち。
しかしその返答は、今迄聞いたどんな返答より、確固たる信念が宿っていたと灰尊は感じていた。
「……祈る他ないとは、老いたものだな」
自嘲する様に呟かれた言葉は、誰にも聞こえることなく。
殺風景な牢獄に響いていた。