1.高度1000m自由落下運動から始まるボーイ・ミーツ・ガール
ふえぇ……プロローグからいっぱい集まったよぅ……。
毎日18時に更新させて頂きますのでどうぞよろしくお願い致します……!
女の子が空から落ちてきた。
というのは、二一一七年の若者にも通じる浪漫である。
落ちてきた美少女との冒険、活劇……そして恋愛! 溢れ出るロマン! ロマネスク!
数多の刺激が待ち受けているだろうイベントの数々。
その切欠が自分にも起きないかと待ち侘びる度、少年たちは空を見上げるのだ。
しかし、実際に上空……“上東京”の天殻から落ち、地面に叩きつけられ、僅かにバウンドした少女を目の当たりにした時。
「…………うわぁ」
一切の幻想がなく、科学技術と物理法則が支配するこの世界に、浪漫など期待出来ないのだな、と。作業着を纏う少年、伊須都 歩は現実逃避した。
ここは“下東京”。
西暦二〇〇〇年代の街並みが広がる首都の一部である。
昔、二一〇〇年に入るまでは、この街も主都として目まぐるしい程の人が行き交い、我先にと高層ビルを建築していた。
しかし今は、行き交う人も、新しく建つビルもない。
あるのは人っ子一人いない街並みと、不法投棄されたゴミの山。
そして空を覆い、東京都民の九割九分が住む浮上都市“上東京”へと続くエレベータだけである。
反重力式軌道エレベータ型巨大都市“上東京”。
人々が科学技術の発展により、重力から解き放たれた時代に造られた、新世代のユートピア。
ここはその真下に存在し、人々から忘れられた大地の街、“下東京”である。
***
「……どうすんだよ、アレ」
歩は半分脱いでいたぶかぶかのコートを着直し、廃材を満載したカーゴバイク――籠を大きくし、車載量を増やしたお手製自転車だ――から降りる。
困惑を隠せない歩であったが、物は上から下へ落ちるもの。
こと、空の上に上東京というもう一つの都市があるこの地において、物が落ちてくることはそう珍しいことではない。
晴れのち雨どころか、晴れのち残飯またはベッドがあり得る場所。それが下東京だ。
そういった事情から、下東京に住む者は極わずか。というより、自他共に認める変わり者である歩か、工業プラントの管理ロボット達くらいなものだろう。
……とはいえ、流石に人間が降ってくるなどという事はそう起きるものではなく。
ヘルメットを目深にかぶり、歩はなるべく少女を直視しない様に近付く。
今年十五になる少年にとって、生死不明の少女というのは些か刺激が強過ぎるのだ。
だが、それでも。
「……気張れよ、俺。見ちゃった以上、自分でやるんだ。……よしっ」
歩は少女を“人任せ”にする気は毛頭なかった。
少女が僅かに震えているのか、自分が僅かに震えているのか分からないまま、歩は少女を観察する。
幸いにも、目の前に落ちて来た少女は人としての原型を留めており、歩の心に深刻なダメージを与えることはなかった。
しかし無事とも言い難く、少女の手足は妙な方向へ曲がり、肌は裂け、そこから何本もチューブや透明な液体が漏れ出ている。目蓋を閉じた端正な顔からは意識を伺えないが……。
「……チューブぅ?」
歩ははたと、少女の腹から痛々しく傷口からはみ出るチューブに視点を戻す。
よくよく見ればその少女、手足は鋼に覆われ、紺色のボディスーツからは機械部品が溢れだしている。
とてもではないが人間とは言い難く、寧ろ少女は……。
「……なぁんだ、ロボットか! 驚かせるなよ、もう!」
……少女は人間を模造した家電、ロボットの様に見えた。
そう判断した歩は、ほっとため息をつく。
人の命が失われていない事に安心感を覚える程度には、この変わり者にも道徳心というものがあった。尤も、死体の処理をせずに済む安心感も多少はあった様だが。
「ったく、いらないロボットだからって、上東京から落とすなんて可哀想に」
そう落とした者を責める歩だったが、その顔はホクホクとした笑みを浮かべており、発言にまるで説得力がない。
それもその筈で、歩はこの下東京で活動する廃品回収業者なのである。
上東京へ移り住んだ人々が残した物や、上東京の人々が落とした資源ごみ。そういった品々を回収・解体・修繕し、上東京で売り捌くのが歩の主たる仕事だ。
それ故に、生物でなければ、上東京からの降下物は歩にとって天の恵み。
特にロボットは「一家に一台」とも言われる上東京の人気家電であり、高級品だとサラリーマンが一年間貰う給与に匹敵するのだが。
「……やった、r.U.r社製だ! ヴィンテージっぽいけど、とんでもないお嬢様だな、コイツ!」
落ちてきた少女の胸元、そこに描かれたマークを見て、歩がパッと目を輝かせる。
黒塗りのハートに、白塗りの歯車が描かれたそれは、ロボットなど家電や高性能義肢を中心に、様々な工業製品を売り出す大手メーカー「r.U.r社」の製品である事を表す企業ロゴだ。
その商品価値は高く、例え型落ち品であっても、歩の懐は常夏になるだろう。
尚、歩の夏というのは常人の秋または冬に他ならない。カネも季節も巡るものだ。
「こりゃ、是が非でも持って帰らなきゃ!」
歩は鼻歌交じりに腰袋から工具を取り出し、丁寧に少女を解体し始める。
幾ら背丈が歩と同じくらいとはいえ、ロボットは鉄や油、ポリウレタンなどの集合体である。人間より遥かに重く、歩一人で持ち運ぶには、四肢を取り外してカーゴバイクに載せる他ないのである。
「ちょっと可哀想だが、ちゃんと修理してやるからな。我慢してくれよ」
死んだ様に停止する少女は、歩を責めることはない。それでも歩は四肢を外す際は申し訳無さそうに手を合わせ、外した部品を一つ一つ丁寧に巾着袋に詰めた。
そうして、少女を全てカーゴバイクの荷台に載せ、歩はだいぶ重くなったペダルを踏む。
上東京から顔を出し、太陽が地平線に沈んでいくのを眺めながら、歩はゆっくりとカーゴバイクを漕いでいった。
***
「……ふぅ……。ただいまー、っと」
無人のビル街を抜け、野犬を避けながらカーゴバイクを漕ぎ続けること数時間。
くたくたになりながらも、歩はお目当ての町工場へと辿り着いた。
錆付き、ひび割れ、ボロが目立つ建物が殆どの下東京の中で、この町工場だけが拙いながらもベニヤ板などで修繕され、人が住んでいる事を実感させる。
そんな下東京の町工場こそが歩の自宅であった。その姿が落下物により変わっていない事を安堵しつつ、歩はシャッターを開け、カーゴバイクごと入り込む。
「帰るのが遅くなっちゃったな。えぇと、送電機は……」
歩はカーゴバイクに取り付けていた蓄電池を取り外し、入口に置かれた装置に蓄電池を挿入する。
すると、町工場の機械達が音を立て始め、発光ダイオードが眩い光を齎した。
歩が此処に住むと決めた時、四苦八苦の末に作り上げた送電機は、今日も歩が半日漕ぎ続けて溜めた電力を、五時間で消費する。
二一一六年の科学技術ではお粗末な物だが、十五歳の少年が一人で作り上げた物としては破格とも言える出来であった。勿論一発で成功した訳ではなく、その裏には大量の失敗作があるのだが、それすらも歩にとってはいい思い出である。
この町工場には、そんな歩のお気に入り達でいっぱいだ。どれも自分で直し、手を加えて自分のものにしただけに、彼はとても大事にそれらを使っている。
「……さぁ、お嬢様。お待たせしました、っと!」
そんなお気に入りの一つである、卓球台とロッカーを組み合わせた作業台に、歩は優しく少女の胴体と四肢を乗せる。
そうして少女の部品を一通り並べると、彼は疲れと眠気を訴える肉体に活を入れ、少女の触診を行う。
「見たところ、手足の関節がイカれてるだけで、胴や頭はガワが傷ついただけっぽいな。肌のコーティング剤はあるにはあるが……耐衝撃性フィルムの持ち合わせは、無いな」
少女は紺色のボディスーツ、それも高品質な耐衝撃性フィルム製――衝撃に反応して硬化する合金フィルム――を纏っていて、まるで紺色の競泳水着を着ている様にも見える。
手足は黒くペイントされたチタン合金で出来ており、端正な顔を装飾する様に、後ろ纏めにしたプラチナブロンドの人工毛が揺れている。
破損さえ無ければ、少し古臭さはあるものの、愛らしさと格好良さを兼ね備えた、とても良いデザインをしたロボットに見えるだろう。
そんな上質な機械に歩はほう、と感嘆のため息をついた。
「売るのが勿体無いぐらいだ。こりゃぁお嬢様というよりお姫様ってくらいの……ん?」
そんな時、歩は少女から異音がする事に気付く。
少女の胴体から、ざぁざぁと風を通す音がするのだ。
通常のロボットではあり得ない異音に、何処が故障しているのかを探る歩であったが、それらしい場所は見当たらない。
「……おい、まさか」
嫌な予感を覚えつつ、異音の正確な位置を探るべく、少女の胸に耳を当てる歩。
そんな彼の耳に、ゆっくり、しかしはっきりと。
とくん、とくん。
という、心音が響いてきた。
「……マジかよ」
その瞬間歩は、これは機械ではないと確信し、顔を青ざめさせる。
無論、その大半は機械部品で出来ている。腹部からはみ出るチューブや、チタン合金製の手足などは生身の人間ではあり得ないものだ。
だが、これには唯一つだけだが生身がある。これを少女足らしめる要素が一つある。
この心音も、ざぁざぁと聞こえる呼気音も、その要素を維持する為の機構である。
比較的無傷な頭部に収まる、人間として認められる為に求められる最低限の生身。
脳以外を機械化した“人間”。
少女はロボットではなく、全身を機械化したサイボーグであった。
「マジかよぉ……」
歩は茫然自失した様に同じ言葉を呟き、頭を抱える。
今までの楽しそうな顔から一変しているが、無理もない。
自分が今まで弄っていた人形が実は人間でしたと言われれば、誰だって動揺の一つはするだろう。いつの間にか、自分が人一人の生殺与奪権を握っていたのだから。
「…………」
混乱からついに黙りこくる歩だったが、思考は絶えず蠢き、目は状況を整理するべく走り続けていた。
頭の中で踊る情報は口から言葉として吐出され、それが耳に入る事で、歩の思考は段々とクリアになっていく。
彼の悪癖である独り言でさえも、歩は無意識に利用して、状況の改善を試みていた。
「……腹部のチューブから察するに、頭部を覗いて全て機械部品。心音・呼気からして、人工心肺とか、重要な代替臓器は無事……」
思考の絡まりが解けていく度に、歩の身体は動く様になっていく。
手短に触診をやり直し、破損した部分の見積もりを終えると、歩はさしあたっての問題を指折り数える。
「……問題は、はみ出たチューブから液が漏れている事。液の味からして人工血液の上、俺が気付かなかったせいで時間が経っているから、早急な対処が必要な事。それと……俺がサイボーグの修理……いや、手術なんて、やったことある訳がないこと」
最後の問題が言葉として発せられた時、歩の頭には二つの選択肢が浮かんでいた。
全て見なかった事にするか、素人判断で相手の命を賭けた修理に挑むか。
メリット・デメリット、倫理観と価値観、理性と本能。
様々な要素が、歩の頭をぐるぐると巡り、その理性と本能が「何も見なかった事にしろ!」と叫び……。
「……Do it yourself!」
その全てを、「諦めて見捨てたら格好わるいから」という、少年らしいちっぽけなプライドが抑え付けた。
「ビビんな! 男見せろ、伊須都 歩!」
頬を両手で叩き、己を叱咤した歩は、工具を手に少女の修復に臨む。
やったこともない大手術。
それでもやってやろうと意気込むのは、若さ故の勢いが成せる業だ。
「……待ってろよ。すぐに治してやるからな!」
そして己の僅かな知識と勘を頼りに、歩は少女の身体を修復し始めた。
戻し、塞ぎ、手を突っ込み。 試しながら修正し、そして正解へ近付けていく。
作業の音は数時間もの間、町工場に響き続け……そして、夜が明けた頃に鳴り止んだ。