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機構少女の専属整備士(マキナドール・クラフトマイスタ)  作者: ハシビロコウ
Stage.2《DEUS EX MACHINA》
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6.神の宣告


 歩が激戦に飛び込む最中、ヘレナは暗闇の中にいた。

 彼女は眠る時、必ず暗闇の夢を見る。


 意識がそこにあるのに。外の世界を感じるのに。

 指一本動かせず、暗闇の中で漂う夢を。


(……まただ)


 怒号と罵声、悲鳴が外の世界で飛び交う。

 何とか暗闇から逃れようとしても、彼女は夢から、一向に抜け出すことが出来ない。


(誰かが、困ってる。……助けなきゃ、いけないのに)


 意識と裏腹に、身体は全く動かない。

 叫ぼうとしても、声一つ出せないのだ。


(嫌だ。嫌だ。嫌だ。助けて、RADIUS……)


 最愛にして万能の家族を幾ら呼んでも、それが意識の内では気付くこともない。

 寂しくて淋しくてさびしくて、どうしようもない孤独が、彼女の心を苛む。


(…………こんなとき)


 こんな時、彼がいたら。

 彼がいたら、怖くないのに。

 そう思う度に、彼女の意識は一人の名を呼ぶ。


(ぁ…くん……! ……っ、くん……!)

「……ぃ……ろょっ。……ぉい……!」


 聞き慣れた声が聞こえた気がして、ヘレナの意識は、瞬く間に持ち上がる。

 外の世界が、一気に近付いて来たその瞬間。


「――いい加減起きろよ、このネボスケぇっ!」


 なんだか、凄く懐かしい気分に、彼女は浸ったのだった。


***


「おい、起きろよっ。おい……っ!」


 歩は焦燥と共に、必死にヘレナを揺する。

 既に彼女は拘束を外されており、その四肢もちゃんと付け直されている。

 だが五分経っても、一向に意識は戻らなかった。

 まさか、もしかして、既に。そんな“最悪の可能性”が、歩の精神を切り刻んでいく。


「えェい、クソガキめ! さっさと起きンかッ!」

「ハリー警部ッ! このままじゃ、盾が持ちません!」

「経費は気にしなくていいぞッ! どうせあのコンピュータが持つ!」

「命の危機だっつのォッ!」


 機動隊三班の構えた盾は、機械触手の猛攻を受けて幾つもの凹みや罅を作っている。

 そう。ヘレナの奪還を勘付いた幕引が、他の機動隊を無視して、三班の盾を破らんと集中攻撃を繰り出しているのだ。

 他の機動隊も彼の凶行を止めようと必死に銃を撃ってはいるが、敬虔にも程がある信者達に阻まれて功を奏していない。


『おのれ、おのれおのれおのれッ! 我らが天使に、下賤な肉で触れよってェッ! 貴様らの様な盗人に、救済など存在しないィィッ!』

「いるかそんなモンッ! 宗教の勧誘はお断りだッ!」

『誰が貴様らなぞ誘うものかァァッ! その皮を剥ぎ、肉を削ぎ、骨を砕いてくれるッ!』

「骨ナシ能無しのタコ野郎がァ! 出来るモンならやってみろォッ!」

「警部ぅっ! お願いだから挑発しないでぇっ!?」


 更に激しくなった攻撃に、機動隊三班もその盾も悲鳴を上げる。

 ミシミシという音が耳に入り、歩は指の痛みも忘れて、必死に揺すり、語りかけた。


「おいっ。俺、頑張ったんだぞっ。一人で、頑張ったんだぞっ。今度はアンタの番だろっ」


 瞳を閉じたヘレナに、その声は届いているのか。

 歩は痛みからかも悲しさからかも分からない涙を流しながら、必死に揺すり続けた。


「なぁ、起きろよっ。起きてくれよっ。皆、頑張ったんだぞっ? 皆、頑張って、此処まで連れて来てくれたんだっ! だから、だからぁ……っ!」


 最早、祈る他ない。しかしその祈りが、誰に届くというのか。

 絶望に心を浸しながら、それでも。

 歩は、叫んだ。


「――いい加減起きろよ、このネボスケぇっ!」


 勢い良く拳を叩きつけた、その途端。

 ヘレナの身体から、冷却ファンの駆動音が鳴り始めた。

 歩がホッとしたのも束の間。次の瞬間には彼女の腕が、がばりと歩を抱きしめていた。


「いっ!?」

「……おはよっ、歩くんっ!」

「お、おはっ、いででででぇっ!?」


 鎮痛効果が切れたのか、歩の指や身体が再び痛み始める。

 それに気付いていないヘレナは、ぎゅうぎゅうと全身で締め付け、歩の身体を堪能していた。


「歩くんっ、歩くんだぁっ! 歩くんのニオイがするぅっ!」

「ちょっ、ま、タンマッ! 痛いッ! 全身がヤバいッ!」

「……でも、ちょっとお薬のニオイもするし、焦げ臭いし……血の匂いがする? え、歩くん怪我してるっ!? ちょっと、大丈夫なのっ!?」

「ヘレナぁっ! ギブっ! ギブだからぁっ! また別のトコ折れちゃうからぁっ!?」

「……あ、ご、ゴメンねっ? 嬉しくて、つい……」


 熱い、熱過ぎる抱擁から解放され、ひゅうひゅうと息を吸う歩。

 そんな彼に平謝りするヘレナだったが、やがて今までの状況を思い出したのか、真面目な顔で歩を助け起こした。


「で、今、どういう状況?」

「……アンタを助けに行って、機動隊と合流して……で、アレと戦ってる」

「アレ……?」


 歩がバイザーを起動させ、ヘレナに視覚が送られる。

 二人の目の前には、戦いを止めていた機動隊と信徒達、そして張井と幕引がおり、全員が全員、唖然とした表情で二人の痴態を見つめていた。

 それを気に留めることもなく、ヘレナは目の前で蠢く幕引英明(しょくしゅのかたまり)にうげ、と呻く。


「……なにあれきもい」

「幕引のジジイ。肉剥いだらイカになりやがった」

「いや、アレはタコじゃ……まぁいいか、どうでも」


 呆れながらも、ヘレナは拳を構える。

 恐らくヘレナを気絶せしめたのは、あの触手から放たれた超高圧電流だ。

 一体如何なる操作をすればそれが可能となるのか。

 類稀なるサイバネ適性によって、幕引は音も立てずに数十もの機械触手を蠢かせ、外皮を動かしていたのである。

 視界の効かない時のヘレナ相手であり、何人もの信徒達で気を逸らしていたならば、不意打ちも容易であったことだろう。


「……さっきはまんまとしてやられたけど、今度はそうはいかないよ」


 だが、歩のいる今ならば。視界の効く今ならば。

 何ら問題なく、不意打ちに対処出来る。

 その安心感は油断や慢心を生むことなく、ヘレナはマキナドールとしての精神を研ぎ澄ませていった。


「――幕引英明。今度こそ貴方を、打ち倒しますッ!」

『……ひ、ひひひひひひっ!』


 対して、幕引は狂ったように嘲笑う。

 その触手は彼の狂気を示す様に、その全てがてんでばらばらに蠢かされた。

 サイバネティクスの技術に詳しい者がいたならば、怖気と感嘆と共に叫んだだろう。

 これこそ、狂気の成せる業であると。


『如何な天使、マキナドールと言えど、所詮腐った肉を頭部に収めた未完成品! やはりその穢れを一片も残すことなく取り去り、穢れ無き器へ精神を収めるべきなのでしょう!』


 その触手が寄り集まり、捻じれ、結合し、一本の槍を作り上げる。

 構えられたそれは正確にヘレナの頭を狙っており、大質量を伴い、ヘレナの脳を穿たんとしていた。


『浄化ですっ! 浄化ですっ! ――世の一切の細胞を、じょぉぉぉぅかァァァッ!!』

「……ぉおッ!」


 狂気を滲ませた声と、軽く気合いを入れた声。

 二つの声を合図に、二人のサイボーグが駆け出し――。


 ――重い金属音と、何かが勢い良く壁にぶつかる、重い破砕音が響き渡った。


「…………ヘレナっ!?」


 土煙と轟音に目と耳を塞がれ、歩はヘレナの名を呼ぶ。


「ヘレナっ! 大丈夫か、ヘレナっ!?」


 まさかやられてしまったのでは。そう思う彼の心は、心配で満たされていた。

 土煙を掻き分け、歩がヘレナのいた場所を目指すと……。


「呼んだ?」

「わっ!?」


 突如、真横からヘレナが顔を出した。

 安心すればいいのか、驚けばいいのか分からない。

 そんな複雑な内心を抱えながらも、一先ず無事を確認出来たことで、彼はほっと胸を撫で下ろした。


「で、どうなった」

「ハリー警部。あの、お手数をおかけしました」

「張井だしそンなことはどうでもいい。状況の報告をしろ、マキナドール」

「え、あ、はい。えぇと……」


 ヘレナはそっと、歩に前を向く様に促す。

 土煙が晴れた先で、歩が見たものは……。


「ちょっと、やり過ぎました?」


 ……触手の大槍をひしゃげさせ、壁に大きくめり込んだ幕引の姿であった。

 巨大な壁画と化した幕引は、最早ぴくりとも動く様子が無い。


「……生きてるのか、アレ」

「た、多分? いや、歩くんが怪我してたから、ちょっと手加減が……」

「お、おう……」


 歩はヘレナの言葉に、ただただ絶句する他ない。

 幕引の身体はその殆どが硬い触手で構成されているとはいえ、その体躯は灰尊の操っていた重機とそう変わらない。

 寧ろ密度に関して言えば、幕引の方が高く、重量がありそうにも見えた。

 そんな相手を、ただの一撃で再起不能に持ち込む戦闘用サイボーグ、マキナドール。

 その凄まじさ、伝説と呼ばれる所以を、歩は改めて目の当たりにした。


「……俺の頑張りってなんだったんだろ」

「何言ってるの。歩くんがいるから、こうして戦えてるんだよっ? もし私だけだったら、私の脳みそは今頃、ゴミ箱か焼却炉の中だよ?」

「まぁ、そうなんだけどさ」

「だから――ありがと。歩くんっ」

「…………おう」


 頭をすり寄せて来るヘレナを、歩は気恥ずかしげに受け入れ、彼女の頭を撫でる。

 そんな二人を、機動隊の面々は遠巻きに囃し立てていた。

 しかし、瓦礫が剥がれ落ちる音で、聖堂にいる者達全てが、はっと顔を上げる。


『……ぐ、く、ぉお……っ!』


 苦悶の声と共に蠢くのは、壁に埋もれた幕引であった。

 彼は息も絶え絶えに、折れ曲がり、絡まり、潰された触手の塊を動かそうとする。


『認める……ものか……っ!』


 げに驚くべきは、その執念であろうか。

 常人ならとっくに心が折られているであろう状況であっても、幕引はまだ、負けを認めようとはしなかった。


『私は……っ。私達は、神に救われるのだ……! これまでも……これからも……っ! 神の慈悲に、満たされるのだ……!』


 その姿に、信徒達も奮起する。

 再び戦闘が始まることを理解し、機動隊の面々も、張井も、歩とヘレナも身構えた。

 その時――。


『抵抗をやめなさい』


 ――突如、頭の中に響き渡る声によって、ぴたりと止められた。


「な……!?」

「そ、そのお声は……!」

『抵抗を止め、武器を捨てなさい。これは警告です』


 動揺に目を剥く信徒達に、更に声は告げる。


「ら、RADIUS様……!」

「RADIUS様が、我々に語りかけてくださった……!」


 その声に、信徒達は感動に震えながらも、長棒を捨て、頭を垂れた。


「……何だ。何が起きていやがる?」

「RADIUS……?」

『……只今、彼らに“交信”を行っております。暫くお待ちください』


 耳元で囁かれた言葉に、歩は何が起きているのかを理解する。

 RADIUSが歩のバイザーを用いて、全ての信徒達、その脳に声を送っているのだ。

 彼女の声は幕引にも響いており、彼は歓喜に満ちた表情で口を開く。


『おォ、おォ……! RADIUS様! やはり、貴方様は大いなる神だったのですね! あァ、慈悲深きRADIUS様! 私を、私達をお救いください! 我々は――』

『貴方がどの様な認識をしているかについては、私は特に言及しません』

『――は?』


 恍惚とした幕引の叫び、それをRADIUSはぴしゃりと遮る。

 その声に、幕引は冷水をかけられた様に硬直した。


『しかしどの様な立場であっても、私は貴方達を救えないでしょう。貴方達が、その罪を雪ぐまで』

「そ、そんな……っ!?」


 信徒たちのどよめきが、喜悦から、絶望を孕んだ物に変わる。

 幕引もまた、身体を震わせながら、しかし気丈にも声を張り上げた。


『ま、まだ、肉の身体が残っているからだっ! 暫しお待ちください、我らが神よ! 今、我らの穢れを、全て……っ!』

『まだ、お分かりになりませんか?』

『ひっ!?』


 RADIUSの冷たい声が、幕引達を襲う。

 がたがたと震える怪物に、彼らの信仰する機械の神は淡々と告げた。


『私は、蛋白質の量で差別を行いません。私が行うのは、行政・立法・司法……私に与えられた三権の下に、貴方達を裁くことのみです』


 無慈悲な宣告が、歯車の会の面々に響く。

 それを受けて、その殆どが絶望に屈し、一切の抵抗を止めた。

 そして、幕引は……。


『あ、あぁ……ああぁぁァァァァァァッ!?』

『!?』


 ……遂に、発狂した。

 何十本もの触手を動かすのは堪えたのか、それともそのずっと前から、彼の心は壊れかけていたのか。

 何れにせよ、RADIUSの宣告がとどめとなり、幕引は奇声を上げながらその触手を暴れさせる。


『救いをッ! 救イヲッ! スクイ、ヲォォォォォォォォッ!!』

『……やめなさい、幕引英明 危険です! 止めて……っ!』

『オオォォォオオオォオオオォッォォオオッ!!』


 まるで子供が駄々をこねる様に振り回される触手は、人も物も、信徒も機動隊も区別せずに破壊しようとする。

 RADIUSが声をかけても、その勢いは止まらず、寧ろ増すばかりであった。


「ヘレナっ!」

「うん、歩くんは下がって……!」


 触手の一撃を弾いたヘレナは、すぐさま幕引の下へ駆け出そうとする。

 それを見ていた機動隊員が――。


「哀れなものだ」


 ――銃剣を、構えた。


「……え?」

「は……?」

『……ガ、ギャ……ッ!?』


 狙い澄ませた一撃が、幕引を穿つ。

 その銃弾は幕引の身体を貫通し、動きを止めるのに充分な威力を持っていた。

 一度、二度。身体をぐらつかせた幕引が、派手な地響きを立てて倒れた。


「同時に、愚かでもある。盲信の余り、神の願いとは正反対の事を成すとは」

「……その銃剣、まさかっ!」

「ご明察」


 機動隊員の皮が、ずるりと崩れる。

 中から現れたのは、ボロボロの黒衣と漆黒の甲冑を纏うモノ――。


『今度こそは貴様の死を拝めると思ったが。やはり人の手でそれを成すのは、難しい様だ』


 ――黒騎士。

 幕引を改造し、悪の道へ導いたであろう者であった。


「……貴様、俺の部下をどうしたっ!?」

『眠らせた。後で始末書でも書かせることだな』


 張井の怒号に、黒騎士は淡々と答える。

 それが癪に触ったのか、身内に害を受けた為か。張井は彼を射殺さんばかりに睨みつけた。


「貴様……っ!」

『これ以上の問答に付き合う気はない。時間の無駄だ』


 そう言って、黒騎士は張井との会話を打ち切る。

 警察にも、歯車の会にも、最早興味もない、といったところだろうか。

 感情の見えない言葉には、嘲りも侮りも含まれていない。

 ただただ、興味を失っていることだけが、全員に伝わった。


「マキナドール。貴様はやはり、私の手で殺さなければならない」

『黒騎士、貴方は……』

「誰の意思でもなく。誰の指示でもなく。この、私の手で」


 RADIUSの言葉にすら耳を傾けず、彼は立ち去る。

 その姿に隙はなく、一度邪魔をすれば、容赦なく銃剣の錆になることだろう。

 ただ、唯一。


『……マキナドールとその整備士、伊須都歩。また会おう』


 彼は歩達にだけ、声を投げかけた。

 返答に詰まる二人に、黒騎士は告げる。


『次に会う時こそ――決着の時だ』


 そんな言葉と共に、その姿が見えなくなっても。

 聖堂の中には、静寂が残り続けた。


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