2.都市警察とマキナドール
「……つまり、その“歯車の会”っていうのが、誘拐事件を起こしているかも、ってこと?」
『はい。その可能性が高いと見ています』
公用の浮遊自動車で移動しながら、歩とヘレナは事件について聞く。
反重力装置で浮かぶこの車に乗るのは、歩にとって初めてのことだったが、それ以上に座席がふかふかなことと、ヘレナが隣に座っていることが落ち着かなかった。
「……で、今は何処に向かってるんだ?」
『都市警察警視庁です。今回は彼らと協力しての捜査となります』
「……都市警察かぁ」
「どうかしたか?」
むっつりと言う歩だったが、不意にヘレナの声が暗くなったことに疑問を覚える。
心配させたと思ったのだろう。彼女は努めて笑顔を作りながら、首を横に振った。
「ううん、何でもない。……ちょっと苦手なだけ」
「あぁ、それは分かるな」
「えっ?」
「こっちで商売すると、お巡りがうるさいんだよ。これは何だーとか、爆弾ではないのかー、とか。ほとんどいちゃもんだぜ、アレ」
「あぁ……」
苦々しく呟く歩に納得する様に、困り笑顔でヘレナが頷く。
ちなみに都市警察は、RADIUSが設立した治安維持組織である。
といっても彼女が全てを掌握している訳ではなく、幹部の殆どが旧日本の“警視庁”縁の人物であり、その職権もRADIUSから独立しているのだ。
やや高圧的な者もいるが、その殆どが真面目で優秀な警察官の集まりである。
が、彼らにとっても、最早下東京とは住む環境とは言い難い様で……。
「……下東京で暮らすのが、そんなにいけないことかよ」
……しばしば偏見の目を受けるのが、歩の人生の常であった。
どれもこれも、どいつもこいつも。吐き捨てたくなる感情に浸ったところで、彼の肩にゆっくりと、重みがかかる。
軽く振り向けば、そこにはヘレナの顔があった。
彼女は穏やかに微笑むと、優しく、ゆっくりと、歩の頭を撫でる。
「大丈夫」
「ヘレナ?」
「大丈夫だよ。歩くんは良い子だもん。何も悪いことしてないから、大丈夫」
拗ねた子供をあやす様に――実際、彼女にとっては子供なのかもしれない――彼女は撫で擦る。
その手の冷たさに反した、穏やかで丁寧な手つきに、歩のささくれ立った心が癒される。
「……おう」
そうして歩がぶっきらぼうに返事をしながら、ヘレナの頬に頭を摺り寄せると。
彼女はとても、とても嬉しそうに、微笑むのであった。
***
浮遊自動車で快適な空の旅を終えて、暫く。
漸く都市警視庁に着いた二人を出迎えたのは、受付の婦警型ロボットだけであった。
『特別公務員マキナドールと、その専属整備士を連れて来ました。対策本部への連絡を』
『了解、RADIUS。第四会議室へどうぞ』
そのロボットですら、業務通りの笑顔であるものの、歩やヘレナには見向きもしない。
立場や勢力によって対応を変えるロボットは高品質だが、ただのロボットでこの有様なら、他の人間の対応は推して知るべしというものか。
これは確かに、ヘレナが苦手意識を持っても不思議ではないと、歩は不満げに鼻を鳴らした。
受付の案内を受け、歩達は行くべき部署へ向かう。
「感じ悪いな。あれでもお巡りかよ」
『彼らと私達は、職権の関係上、あまり仲が良くないのです』
「ホントは、仲良く出来れば良いんだけどね。……難しいね、オトナって」
都市警察と比べれば、マキナドールは後発の治安維持要員だ。
にも関わらず、彼女達は都市警察とほぼ同じ……いや、彼女達がRADIUSの直属である関係上、都市警察以上の権限を所持出来る時もある。
その上、マキナドールに捜査に横やりを入れ、手柄を横取りされることも多い為、昔から都市警察とマキナドールの仲はそう良くはなかった。
それに加えて……。
「……サイボーグが、何しに来たんだか」
「どうせまた、横やりだろう」
「同じ公僕なのに、奴らには血も涙もないからな」
……サイボーグということに、嫌悪感を抱くものも少なくはないのだ。
二一一七年、発展した科学技術は、サイボーグやロボットという新種を生みだした。
それは人類にとって福音であったが、同時に新たな差別問題の種火でもあったのだ。
「……っ」
目は見えずとも、耳は聞こえる。
通りすがりの警官達に放たれた言葉に、ヘレナは悲しげに、しかし堪える様に、ぎゅっと顔を強張らせた。
血も涙もない“人間”。それが一般社会における、サイボーグの扱いである。
マキナドールの、特にヘレナの活躍を切欠に見直された部分もあるが、未だその扱いは人道的とは言い難い物がある。
しかしヘレナは言い返さないし、やり返さない。それで人を傷つければ、今まで彼女達が積み重ねた信頼が崩れ去るからだ。
だから何も出来ない。何も言い出せない。
だが、そんなことは。
「……ふざけんじゃねぇぞオッサン共ォッ!」
「「!?」」
生身の人間である歩には、何の関係もなかった。
彼は今までになく声を荒げ、警察官の一人に掴みかかっている。
「な、何を」
「うるせぇ、この税金泥棒ッ! 良いからサッサとヘレナに謝れッ!」
「君には関係ないだろう、口を慎みなさい!」
「友達を馬鹿にされて、関係ないもあるか!」
引っ込みがつかなくなったのか、慌てて抑えにかかる警官達に、負けじと暴れる歩。
彼とて、サイボーグの差別問題は知っていた。
だが彼は、下東京に住む者として差別される方であるし、何より今は、ヘレナという友人であり、同僚である存在がある。
そんな彼女を差別の的にされ、嘲笑されて、歩は怒っていた。
「あ、歩くん……も、もう良いよ……?」
「全ッ然、良くないッ!」
「え……」
「俺がバカにされたり、疑われるならまだ分かる! 俺は下東京に住んでるからな! ……だけど、ヘレナが上東京に住んでいて、上東京で皆の為に頑張ってるのに……それを知ってる奴らに、血も涙もないなんて言われる謂れはないだろうが!」
言われたヘレナが、ハッとした表情を浮かべる。
そう。歩とて、心ない民衆の下らない言葉なら聞き流していたのだ。
だが今回言ったのは、本来なら守るべき市民としてヘレナに接する筈の警察官である。
彼らは守れずとも、共に守る者として敬意を払うべきだと、彼は思っていたのだ。
だからこそ、彼はこうして掴みかかる程に怒っていたのだ。
それは灰尊の抱いていたものと似た、しかし彼よりずっと清らかな“義憤”だった。
「お、おい、君! やめないか! こっちはしょっ引いてもいいんだぞ!?」
「やってみろよ! こっちはテメェらが謝るまで止めねェぞ!」
「この……!」
身軽に抵抗する歩に痺れを切らしたのか、警官の一人が警棒を取りだす。
「っ、ダメ……!」
振り上げられた警棒に、ぐっと歩が歯を食いしばり、思わずヘレナが飛び出しかけ……。
「何してンだ」
……振り下ろそうとした腕を、分厚い鋼鉄の掌が受け止めた。
「け、警部ッ!?」
「何をしてンだと聞いている」
慄く警察官に、腹の底に響く程の低い声を上げるのは、大柄の身体をトレンチコートに包み、両腕を鋼鉄の義手にした男であった
歩は首を真上に向けるが、その表情を伺うのは、彼の身長では至難の業であった。
「こ、これは、その……こ、この少年が! 暴行を働こうとしたので!」
「首筋に一撃、警棒をお見舞いってか?」
「は、はい! 鎮圧の為に……!」
「そうか……」
命乞いめいた警察官の言葉に頷く男は、岩を削って顔を作ったかの様にいかつい顔をしていた。
冷たく鋭い黒衣の騎士の恐ろしさとは、また違った恐ろしさを持つ男に、ついさっきまで啖呵を切っていた歩でさえ、固唾を呑んで見つめる他ない。
長いようで短い時間が過ぎ、男は長い溜息をつくと。
「……警察官ってェのは、いつから民間人を殺す仕事になったンだ」
青ざめた警察官の顔を、鉄の手で握った。
文字通りの、アイアンクローである。
ミシミシと音を立てんばかりに圧をかけられ、警察官は悲鳴と苦悶の声を上げる。
「首筋に警棒なンぞ打てば、子供なら死ぬ。知らンとは言わせンぞ」
「ひ、ぎ……す、すみませ……っ!?」
「謝って済むなら警察はいらン。業務上過失致死も、情状酌量も、限度がある」
「……ぁがっ!?」
乱暴に解放され、突っ伏す警察官。
同僚に抱き起こされるのを見て、無事立ち上がったのを確認した後、男は大声で言い放った。
「貴様ら、今日中に始末書を提出だッ! さもなきゃ明日、貴様らの席はねぇッ!!」
「「は、はいッ!」」
その声に吹き飛ばされる様に、すたこらさっさと警察官達は逃げていく。
男はまたも大きな溜息をつくと、歩とヘレナに向き直った。
「新米が迷惑をかけたな、マキナドール」
「ううん。お久しぶりです、ハリー警部」
「張井だ。……着いて来い。茶ぐらいは出してやる」
そう言って男、張井 努民警部は、のっしのっしと踵を返した。
***
こじんまりとした会議室で出されたのは、ごく普通の、温かい麦茶であった。
「粗茶だ」
「……麦茶だな」
『麦茶ですね、市販品の』
「粗茶だって言ってンだろうが……いや、粗茶ってのが分からンのか?」
「ん?」
全く最近の若いモンは、という張井のうめき声に、バツが悪そうに歩が茶を啜る。
いかにも安物の麦茶の味だが、それでも温かさがいらつきを和らげた。
「人に出すお茶を、謙遜して言ったものだよ。知らない?」
「知らない。小学校で習ってないなら分からん」
「えっ?」
「……おい、どういうことだ」
あっけらかんとした歩の発言に、ヘレナも張井もぎょっとする。
会議室の内蔵ディスプレイに映し出されたRADIUSだけが、鷹揚に頷いた。
『歩様。記録が正しければ、貴方の最終学歴は小卒ですね』
「おう。……RADIUS、専属整備士に中卒とかの資格っているのか?」
『いえ。技術さえ伴っていれば、私からは特に言う事はありません。貴方であれば、充分に合格範囲です』
「なら、問題ないな」
『はい』
勝手に結論付けた二人に対し、ヘレナや張井は難しい顔をしている。
一体、この十五歳の少年の人生に何があったのか、推し量ることが出来ないからだ。
とはいえ、ヘレナにとっては彼は頼れる友人であり、張井にとっては深く詮索すべき案件でもない。それぞれが後回しにすることを結論付け、本題へと話題を移した。
「……まぁ、いい。今日呼んだのは何故か、そのコンピュータから聞いてンな?」
『RADIUSです』
「……聞いてンな?」
「あ、はい。……概要、程度ですが」
『RADIUSが説明しました』
「そうか。なら、改めて説明しよう」
張井はRADIUSを無視しながら、ヘレナに話しかけるが、彼女は萎縮し、弱弱しく首を横に振るばかり。
社交的な彼女にしては珍しい反応に、歩は首を傾げながらも、張井の言葉に耳を傾けた。
「半年前からか。上信濃町で、複数の行方不明者が出ている」
「そこに歯車の会、っていう奴らがいるのか?」
「そうだ。行方不明者の目撃情報やコンピュータの監視カメラから、行方不明者はそこで消息を絶っていることが分かった」
彼の話によると、歯車の会は上東京が出来てから発足した新興宗教らしく、その活動内容はサイボーグ化の奨励とサイボーグ市民の生活援助、そしてRADIUSへの称賛と信仰とのことだ。
それなりに規模は大きく、会員の数も多いらしい。
当の信仰対象であるRADIUSは非常に微妙な顔を浮かべた後、情報を補足する。
『会長の幕引英明氏は、上東京では多くの慈善事業を展開しており、その社会貢献度は無視出来るものではありません。つまり……』
「……本当に幕引さんがやっているのか、分からないってこと?」
『はい。私としては、彼が関わっていないことを望んでいますが』
「外からじゃ、証拠が上がらないってだけだ」
張井は苦々しく呟くと、麦茶を飲み干す。
その鋭い眼光に、見えていないにも関わらず、ヘレナが身を縮ませた。
「外から分からンなら、内から攻めればいい。……だが、お前たちが見た通り、ウチの馬鹿共じゃボロを出すかもしれン。上の連中のクダ巻きを真に受けて、すっかり目が凝り固まっちまってるからな」
『差別意識の改善は行わないのですか?』
「一朝一夕で出来るなら苦労はしねェよ」
吐き捨てる様に言う張井は、果たして部下の差別意識をどう思っているのか。
歩は僅かに疑問を持ったが、次いで張井から放たれた言葉に、意識を移してしまった。
「そこで、お前達の出番だ」
「俺達の?」
「そうだ。お前達には見学希望者として、奴らの会館に潜り込んで貰う。有罪になる証拠が見つかれば、俺達が乗り込んでお縄を頂戴する、って寸法だ」
『逆に、証拠が都市警察に渡らなければそれまでです。安全第一で構いませんね?』
「雑な仕事をしなければな。……やれるな、マキナドール?」
張井は少し距離を図るかの様に、ゆっくりとヘレナに確認する。
ヘレナは少し考え込んだ後、鷹揚に頷いた。
「……やれるだけ、やってみます」
その唇を、悩ましげに引き結びながら。