Prologue ――そして少女が墜ちてくる――
冬の夕暮れは他の季節よりも早く、燃え尽きる灯火の様に明るい。
そんな日の終りに、浮上都市“上東京”には一切の情緒もなく、冷たい風が吹き荒んでいた。
地上から一キロも離れた人工の都市に砂埃が起きる事は無いが、その高さから落ちればひとたまりもないだろう。
それでも臆することなく、少女――ヘレナは、外殻部の細い足場を、手摺を伝い進む。
『……ヘレナ。目標は右折後、二十メートル先です』
「うん。……アイツらだね、RADIUS」
ヘレナの脳に、無機質なA.I――RADIUSの声が響く。
その声に合わせて、ヘレナは壁に手を伝いながら進んでいく。
曲がり角を行けば、RADIUSの報告通り、その先にいた男がぎょっと目を剥いた。
「き……貴様、“マキナドール”ッ! どうして此処に……!?」
「やぁ、悪者さん。年貢の納め時だよ?」
「く、くゥ……っ!」
挙動不審な男に、ヘレナは拳を向ける。
鋼鉄の拳が空を切り、音を裂く程に、男の顔は焦りに歪んでいく。
だが、男の背後から一つの影が飛び出すと、男の顔は勝利を確信した笑みに変わった。
「……は、ははッ! そうだ! やってしまえ、同胞……いや、“黒騎士”!」
「……“黒騎士”。やっぱり、キミのせいなんだね」
男とヘレナの間に、影が躍り出る。
夕暮れの光に晒されたそれは、黒い甲冑とぼろを身にまとう、騎士としての姿を現した。
“黒騎士”と呼ばれたそれは勝ち誇る男にも、対峙するヘレナにも声をかける事無く、ゆっくりと、拳を構えた。
無言のまま足を踏み鳴らし、黒鉄の篭手が音を奏でる。
それが本気でないと知っているだけに、騎士の行動はヘレナの癪に障る。
しかしその動作に反応して、RADIUSはヘレナの脳に警鐘を鳴らした。
『ヘレナ。“黒騎士”、徒手空拳による戦闘態勢に移行。応戦を推奨します』
「そのつもりだ……よッ!」
男が逃げ出した瞬間に、ヘレナと“黒騎士”の両者が激突する。
互いの拳が交わり、ぶつかる度に火花が飛び、外れる度に風が切られる。
両者共に、拳の速度と重さは人間が出来る域を越えている。
鋼鉄の身体とそれに合わせた戦闘技術を持つ者だけが立ち続けられる、文字通り人間離れした戦いと化していた。
「……くっ!」
しかし、形勢は徐々に“黒騎士”に有利になっていく。
ヘレナはRADIUSの誘導と積み重ねた鍛錬により、相手の攻撃を上手く防いでいるものの、自らの攻撃は当てられずにいた。
それは“黒騎士”が上手く避けている訳でもなく、正確に相手を捉えられていないが為に。
徐々に焦りの表情を浮かべる彼女に対し、“黒騎士”は冷静に攻撃を繰り出す。
そして、起死回生を狙い、ヘレナが大ぶりの一撃を繰り出した瞬間。
「――ぐ、ぅっ!?」
その隙を突き、“黒騎士”が蹴りを放つ。
重く鋭い蹴りは、ヘレナの細い身体を吹き飛ばし――。
「……ぅ、わ、わぁあああああっ!?」
――少女は真っ逆さまに、“上東京”から落下した。