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女神の泉  作者: sherry
1/1

瞳を閉じれば 、ひとりの少女が居た 。

もう老いる事の無い白い肌に映える瞳は

何もかも吸い込んでしまう様な漆黒だった 。

幼さを隠し切れない肢体や 、

柔らかく曲線を描く顎は可愛らしさがあった 。

それでも彼女を表すなら 〝 美しい 〟が正しかった 。


少年はもう何度も彼女に絶望していた 。

伸ばした腕や 、叫んだ声が彼女に届く事は無かった 。

その身を焼く様な激情に気付いた時は 、

もう取り戻せない所まで来た後だった 。

それは 、嘘であって真実であって変えられないものであって。

その後もそれは少年に後悔を残し 、そして罪だった 。

立ち尽くした少年の足元の大地が崩れ始める 。

正確には少年の脳が創り上げた大地の模型であり 、

真白の世界では大地なんてものが存在するかすらわからないが 、

それでも、少年は何かの激流に巻き込まれる 。

少年は遠くなる意識の中 、

戯言の様に少女の蝋人形へと言葉を置いた 。



「 - - - 、また 、来る 」


そこで 、少年の意識は断絶した 。










‐‐‐







曖昧な創造と現実の狭間から聖の意識を

引き戻したのは 、無機質なアラーム音だった 。

ふわりふわりと浮くような感覚が

次第に肢体に定着し 、

同時に全身に伸し掛る様な重力に顔を顰めた 。

少年は幾年かの歳月を超え 、美しい青年へと変化していた 。

名を 、聖といった 。


時計の針は刻々と進むが 、

聖はゆっくりと上体を起こしただけで

壁沿いの窓の奥を 、遠くを 、ずぅっと見つめていた 。

それ程室内も暖かい訳ではないのに 、

窓に見える結露が窓1枚離れた外の寒さを表していた 。

見えるはずの無い景色のその奥を 、聖は見つめていた 。

雪の精霊が藍色の空より降り落ちる。

朝だというのに夜より深い空の色が 、

聖の心中を表している様だった 。


ピリリリ .... 。


不意に鳴る着信音 。

初期設定から何も変更の無い一定のリズムで鳴る機械音 。

枕元に置かれるだけ置かれた四角形の端末が

差し込む木漏れ日の様に部屋を彩った 。

憂鬱そうに端末の画面を覗き込む聖の瞳に映るは四文字の名 。

聖は知っていた 。

否 、もう既に何度も経験した朝の事だった 。

例え出ずに放って置いても 、

その数秒後にはまた同じ機械音が鳴る事を 。


「 もしもし 」


寝起きであると言う事を体現する様な声で電話を取った 。

曲がり角をぐねぐね曲がり過ぎた嫌味であって 、

相手がそんな事を気にしないのもわかっていた 。


「 おはよう聖!起きてた? 」


電話の相手は女だった 。

聖が一度目の着信に出た事に驚いたのか 、

少し間を持って届いた朝の挨拶は弾む声だった 。


「 起きてた 。毎朝掛けて来なくて良いって言っただろ 」


溜息を付き 、言い放った言葉は冷淡 。

本心であり 、定型文の様なものだったし 、

この電話により聖の意識がはっきりと目覚めたのも事実だった 。

相手の女はクスクスと笑いながら 、

「 聖起こさないと学校こないんだもん 。」

等と綴る。


聖は母子家庭だった 。

もう少し正確に言えば 、父親は世界を飛び回る男で 、

「業界の鬼」なんて呼ばれていたと聞いていた 。

有り余る資金や不自由ない生活を送れても 、

父無い家庭は何処か少し寂しいものだった 。

たったひとり聖に愛を注いだ母も 、幾年か前に他界し 、

聖は親戚からの引取りを拒否し今は一人暮らしをしている 。

四階建ての大きな家にひとり住む彼に取り入らんと

何度か知り合いや親戚を名乗る大人達が来訪したが 、

聖は話さえ聞かずそれを押し返し 、

頑なにその家を出ようとはしなかった 。


「 ....皐月 」


冷たさだけではない 、いつの間にか陽だまりに

手を置いていた様な暖かさ 。

女の名は皐月と言った 。

親諸共古くからの付き合いで 、

小さい頃から自分の世話を焼いた女を嫌いになんてなれなかった 。

聖にとって皐月は 、枯れた太陽の代わり 。

その暖かさに何度も助けられた事を自覚していたけれど 、

聖は認める事はしなかった 。


「 ただの幼馴染だ 。もうこんな事しなくていい 」


それは突き放す冷たさではなく 、

相手のことを思う儚さであると女もすぐに分かった様だった 。

もう 、雪は止んでいた 。

雲は晴れ 、光が差し込んでいた 。


「 ...学校 、遅れてもいいから 、来てね 。

もうすぐ 、卒業なんだから 。」


ぐずぐずと煮え切らない気持ちになった 。

聖は 嗚呼 、と一言返すと 、

優しいタップで通話終了ボタンを押した 。

頭ではどれ程理解していても踏み出せない一歩があった 。

動かせない時計の針が時経つ事に

じわじわと侵食してくる感覚 。

このまま呑まれて消えられればと何度も願っていた 。

甘えであり逃げであり 、叶うことの無いものだった 。

端末をベッドに置けば 、微暖房を切り

重い足取りで部屋を出る 。


正しい 、朝であった 。




‐‐‐




聖の住む 此処 紫泉町は 、

都会より2歩も3歩も山奥へいった人里離れた小さな町だった 。

四方を山に囲まれ 、

夏涼しい風は冬熱を奪う猛威となって襲い掛かる 。

紫泉の冬は草木も凍る 。

そう歌われた事もある程に 。

冬の間だけ山を下り町を離れる者も少なくなかった 。

美しい自然だけでは人も寄らず紫泉の血は古く濃く残り 、

今では夕闇にぽつりぽつりと光る電灯や

家の明かりが寂しく思えた 。

そんな紫泉には女神の宿る泉があると伝えられて居る 。

その泉の加護を受けた草木は凍っても成長を止めない 、と。

戯言の様な都市伝説であったけれど、

紫泉にはそれを古くから進行し 、

泉へ定期的に供物を贈るという 。

その場所は大体的には発表されていないが 、

紫泉の子等は子守唄の様に女神のお話を聞かされる 。

血の濃さが之を繋いだのだろう。


そして紫泉には学校というものが2つしかない 。

一つは紫泉小学校 。もう一つは 、紫泉中高一貫校 。

町の子等は皆この場所に通うため 、

涙ぐましい別れや出会いもほぼほぼ無い 。

この事も少子化の大きな原因だ 。




「 転 校 生 ! ! ! 」



驚きを素直に声にすれば

五月蝿いのはしょうがないものなのだろうか 。

喜び混じりのその声は甲高く聖の鼓膜を響かせた 。

授業も一通り終わった夕暮れが教室を橙に染めていた 。

静かな読書の一時を害するのはもちろん皐月 。


「 五月蝿い 。...こんな時期に転校生か 」


そんな皐月に対して聖は冷静だった 。

といっても 、こんな時期

つまり後2ヶ月も無い間に卒業を迎えるこの冬の日

( 正しくは明日か近日中なのだろうが )

に 、こんな辺境に引っ越してくるなんて大体が訳ありだろう 。

それはコップに注がれる水が時経てば溢れる様な

当たり前の疑問。関心や 、興味の裏側の様な 。


「 なんか事情があるっぽいけど 、そんなことはさて置いて

もう学校に来てるんだって!書類がどーちゃらって 。

それでね 、その子ね、あのね 。」


うっとおしい溜めだった 。

聖はあらかた皐月が言おうとしている事がわかっていた 。

根っからのお節介の皐月が 、

こんな絵に書いた様な 〝 複雑な転校生 〟を

放っておく筈が無かったのだ 。


「 好きにすればいい 。俺はお前を家に送り届けるだけだ 」


と言うのも 、

17そこらの女子高校生を街灯も心許無い

田舎の道を一人で歩かせるのは心配だと

皐月の母からの頼みで 、

中学からずっと2人は下校を共にしていた 。

少なくとも冬の間は 、聖も遅れながらも

登校をする程度には二人は親密であったと言えるだろう 。


「 ホントッ !? 有難う聖 !

実は家も凄く近いらしくてね!あ、職員室にいるらしいから 、

私 、迎えに行って来るね!下駄箱の所にいて!」


花が咲きこぼれる様な笑顔をし 、

早々と教室を出た皐月は

聖の返事を聞く前に男の視界から姿を消した 。

一息付くと 、男も手にしていた本を閉じ 、

ゆっくりと腰を浮かせると黒の学生鞄を背負う 。


「 ................. 」


窓の外に映る夕焼けは

心焦がす様な美しさと暖かさで聖を照らしていた 。

一瞬目を逸らしたくなる様な眩しさだったけれど 、

聖は真っ直ぐに窓の外の遠くを見つめていた 。


「 刹那よ 、止まれ 」


薄く開いた口から漏れた言葉 。

掌の中の一冊の本 、〝 フレア 〟の登場人物アリアの言葉だった 。

時よ止まれ 。その願いはアリアの世界を変える事になる 。

まるで 、懇願する様に 。

それなのに 、冷え切った 、鋼鉄の様な 。


「 ーー お前は 。××××××××× 。」


静寂した水面に揺れる 、波紋はもう鳴り止まないのだと 、

聖はわかっていた 。

暫くそのまま沈黙していたが 、

やがてゆらりと身体を反転させると 、

オレンジの世界から男は足を踏み出した 。




‐‐‐




「 ... 転校生 ?」


先に口を開いたのは珍しくも聖だった 。

遡ること数分前 、教室を出た聖は

約束の下駄箱へ迎い 、階段を降り 、曲がり角を曲がった 。

淡い椿の様な赤い髪が視界を染めた 。

そう思った時にはもう遅かったが 。


「 いったぁ ... 。」


豪快に頭部と聖の肩をぶつけ 、

その場に倒れ込んだ赤髪は女だった 。

透き通る様な声を聞いた聖は 、心配よりも先に疑問が口に出てしまい 、

案の定その後半ギレ気味の女の叫び声を聞く事になる 。


「 失礼な人ね 。先ずは謝るか 、心配するかが先じゃないの?」


後最もだ 、なんて心中思いながら 、

聖は言われた通りに 棒読みの心配と謝罪をし 、

ひょいと倒れた彼女を抱き上げた 。

その仕草の躊躇の無さに幾らか驚いた風にした女も 、

少しばかり腑に落ちない様な顔をしながら

ポケットから菫色のハンカチを取り出すと 、

聖の胸元を優しく拭いた 。


「 有難う 、そしてこちらこそごめんなさい 。

リップが服についてしまって ... 。洗濯したら 、落ちると思うから 」


ゆっくりだが 、ハキハキとした言葉を続け 、置いて 。

綺麗な佇まいは背筋の美しさだった 。

薄い化粧と整えられた髪 。その赤 。


「 貴方の言う通り 、転校生 .... の 、星井 有梨花よ 。

明日から 、宜しく 。」


身震いする様な 、高潔さを 、聖は感じていた 。

身も燃える様な 。

それを飲み込む様にゆっくりと息を吐く。

数拍置いて 、自己紹介へと移ろうと薄く唇を開いた 。

掻き消すように 。


「 聖! ...あ 、貴女 転校生の?」


駆け寄ってきた皐月は二人の前で止まると 、

少し荒れた呼吸を整え 、緩まった前髪を留めるヘアピンを付け直した 。

余程急いでいたのか額にはうっすらと汗をかいていた 。


「 ....ええ 。転校生の 、星井 有梨花です 。貴女は?」


空気を読む様に間を開け 有梨花が微笑む 。

にこやかなその表情が作られたものであるのは

見て取れるほどだったが 、初対面の人との挨拶の場ならば

それは当たり前であって 、それでいて好印象だったのか

皐月もにっこりと微笑み名乗りを上げた 。

付け加えと言うよりは自分の紹介の一貫と言うように聖の紹介もした 。


「 幼馴染み ... ね 。

事情はわかったわ 。お気遣いどうも有難う 。

でも遠慮するわ 。道も数回通れば覚えるし 、

こう見えても私足早いから 。何かあった時は走って逃げられるわ


長々と話した内容を聖は左から右へと聞き流していたが 、

大事な部分は聞いて取れた 。

つまりザックリ言えば 、「自分に関わるな」と言っているのだと 。

皐月はそこまで馬鹿ではなかった 。

遠まわしであっても拒絶した事をわからない事は無かった 。

だけれど、ああそうですかと引き下がるほど聞き分けがよくも無く 、

食い下がる様に でも、と口を開きかけた 。

その薄朱色の唇と頬肉を一緒くたに掴んだ聖は 、

強引に皐月の言葉を阻み 、有梨花に視線をやった 。


「 ....紫泉の夜は早くて長い 。気を付けなよ 。」


微かに声を響かせれば 、有梨花は一瞬きょとんと

目を丸くして 、次にまた笑った 。

聖は心中こんな心配の声掛け 、自分らしくないなぁなんて

考えながら 、皐月の口元を自由にした 。


「 ...じゃね 。」


そうしてスタスタと歩き出した聖を 、

慌てて追い掛ける様に皐月も走り出す 。

パタパタと軽い足音を1度止めた皐月は 、

急ぎ目の声で有梨花へと叫び掛けた 。

困ったような表情を浮かべて 、それでも前を向き 。


「 困った事あったら 、何でも言ってね!」


転校生こと星井有梨花は 、

2人の男女の背中を見送ると まず溜息をついた 。

自分の胸を撫で下ろす様な長くしっとりとしたものだった 。

もう陽も落ちかけ 、黒掛かる夕焼けに照らされた彼女の髪は

燃えるような朱に輝く 。

その瞳にも 、深く深くに浸透する 朱と黒 。

淡く溢れるように呟いて 。


「 刹那よ 止まれ ... 」


記憶の片隅にあるそれ 。

懇願し願い絶望し真白の中で息をした自分の朱 。

重い足取りで校舎を出た女の影はゆらりと揺れた 。

間もなくして 、闇と同一になるまで 、

女はそれを見つめていた 。



---



「 朝子 」


蝋人形 。白さ。美しさ 。儚さ 。夢 。幻 。

嗚呼 、これは悪夢 。


止めてしまった時の代償 。


「 朝子 」


黒髪の少女は答えない 。

彼の脳が作り出し見せる 幻驢芭 。


「 ....朝子 」


許して欲しい 。

自分を許す事は絶対に無いから 。


「 ... 」


時計の針は動かない 。

否 、同じ方向には 、もう動かない 。


「 許せない 」


お前を 。


「 許したい 」


なんて 、浅はかな 自分 。




あの日散った白雪を忘れる事なんてない 。

愛し 、愛された 幼い日の 。


『 助けて 』


少女が唸るような声を上げる 。

少年はその耳を塞ぎ 、無の大地に頭を垂れた 。



『 助けて 』



枯れた涙 。



『 許さない 。』



蜘蛛の巣状に世界が崩れ 、

白の濁流にまた飲み込まれた少年は

幾度目かの絶望に身を委ね 、明日もきっと同じ世界を生きる 。




目を冷ませば色がある 。

皐月との下校を終え 、家に帰った聖はいつのまにか

眠っていたらしく 、ソファーの上に居た 。

ギシギシと軋む身体より 、抉られたような痛みが

胸のあたりを襲っていた 。


もうすぐあの日が来る 。

チカチカと光る端末にも記される絶望の日 。


少女の命日だ 。


「 ....朝子」


瞼の裏には揺れる白。

黒髪に白い肌 。大きな瞳は良く映えて 。


少年は無色の世界を生きる。


細くしなやかな髪をソファーに散らばせて 、

少年はまた眠りに落ちた 。

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