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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第16章「100人分の悪夢」
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第16章 05話 歌

 一方――。


 幽霊海賊船団に襲われたアリオク市所有の軍艦は苦戦を強いられていた。


『亡者どもを甲板から叩き落とせ! 本艦を幽霊船の仲間入りにはさせんぞ!』


 艦橋から拡声伝導管を通して艦内全てに艦長のげきが飛ぶ。


 接舷を許してしまった幽霊海賊船から、生ける屍(ペイルマン)に成り下がった海賊たちが軍艦へと乗り込んでくる。見るも無残で禍々しい。


 しかし軍艦に乗っているのは全員軍人だ。これ以上幽霊海賊船団の勢力を広げてはならないことを叩き込まれている。


 怒声とともに海兵のカットラスが閃いて、青ざめた海賊ペイルマン・パイレーツの髭まみれの首がすっ飛んで海中に没した。正規の軍人にとってはペイルマンのひとりやふたりでは相手にならない。接舷を許したのは痛恨事だったが、裏を返せば幽霊海賊船を沈めるチャンスでもあった。


 海兵の奮戦によって敵船の甲板でうう、と呻いていた生ける屍どもは数を減らし、攻撃の手も緩んできた。


『いけるぞ! 乗り移って爆薬を仕掛けろ!』


 再び艦長の檄が飛んだ。海兵たちはそれに鼓舞され、腐りかけた幽霊船に反撃を仕掛けた。


     *


「感謝します、あなた方が居なければどうなっていたことか」


 客船に同乗している警備兵のひとりがドニエプルたちに礼を述べに来た。アッシュは相変わらず客室でダウンしており、カルボに付き添われている。


「なんの、人助けのために拳を振るうのも拙僧にとっては修行のひとつ。どうぞお気になさらぬよう」ドニエプルが龍骸苑の印を結び、礼に答えた。


 船員たちは総出で頭を潰されたマーマンの死体を海に投げ捨て、血まみれの甲板をデッキブラシで清掃している。


「ところで、拙僧らの連れがまだ戻っておりませんが、どなたか見ておられぬでしょうか?」


「お連れ様?」


「いかにも。黒薔薇……この子とそっくりで、白い服を着た」


「ああ、それなら船橋ブリッジのほうへ行くのを見ましたよ、ふわふわ飛びながら」


「ふむ」ドニエプルはあごに手をやり、セラと黒薔薇のほうに振り返った。「妙ですな。船内の様子を確かめに行ったはずですが」


「わたくしのテレパスも通じませんわ。どうしたのでしょう」と黒薔薇。


「見てきたほうが早い」とセラ。「すまない、誰かブリッジに案内してくれないか」


 船員にそう言うと、ひとりが甲板の掃除の手を止めて、こちらですとドニエプルたちを先導した。


     *


 再び、アリオク海軍の軍艦では。


 幽霊海賊船の腐りかけた甲板を貫いて、突如として大きな水柱が立った。


 一拍遅れて土砂降りのように降り注いだ海水はすぐに腐り水の臭気を放ち、意思あるもののように数か所で凝り固まった。


 海兵たちは異様な光景に思わず足を止めてしまう。


 その目の前で、腐汁のような水たまりがムクリと立ち上がった。濁った水でできた人間のようなそれは、次第にディティールがはっきりし、その姿を明らかにした。


 溺死した男(ドラウンドマン)


 水死者の怨念とミアズマが死体に結びついて発生するアンデッド、悪霊である。灰色に膨れた体に走る青黒い静脈。あるものは手指を欠き、別の個体は現れた途端に下半身が崩れて落ちる。そのおぞましいさまは、水死体に慣れているはずの海兵ですら目を背けたくなるものがあった。


「ひるむな! 僧兵隊、前へ!」


 指揮官の命令に従い、五芒星の紋章を身に付けた五光宗の僧兵が隊列を作った。中にはマリンエルフの信徒もいる。


 地水火風空それぞれの精霊を意味する五芒に祈りと念が集中し、濃霧に煙る甲板の上に水柱ならぬ光の柱が出現した。光はやがて一点に集中し、卵のような光球に。それを破って外に出たのは、黄金の翼と長い一本角が生えた見事な体躯の犬だった。


 天使。


 五光宗の僧兵たちが、世界の外にある光の領域から聖なる天使を呼び出したのである。


 闇の領域から呼び出される”妖魔”が人間社会に対し破壊的な存在であるに対し、”天使”は調和を地上にもたらす。


 アンデッドは生命の流れを本来とは別の形に捻じ曲げるものであり、調和とは無縁の化け物だ。


 犬の姿をした天使はつぶらな瞳をおぞましいドラウンドマンに向け、高らかに遠吠えした。光輝が広がり、邪悪な気配を含んだ濃霧が晴れていく。死ぬに死ねないアンデッドは苦しみだし、動きが止まる。


 そこに海兵たちのクロスボウが発射された。


 ブヨブヨの水死体を矢弾が貫くと、信じられないほど臭い腐敗ガスを撒き散らしながら膨れた腹が破裂し、崩れた。


「行けるぞ! 次弾用ォー意!」


 天使”金色の光を(ゴールデン)取り戻すもの(レトリーバー)”の加護のもと、ドラウンドマンは次々と狩られていった。


     *


 再び、客船船内。


「何か妙な音がしないか?」船橋に向かいながら、セラは眉をひそめた。「音というか、女の声のような」


「わたくしも聞こえましたわ」


 黒薔薇も、セラの真似をするように眉根にしわを寄せた。


「拙僧には聞こえませぬが、白百合のお嬢ちゃんのものでは?」


 黒薔薇は少しオーバーなほど首を左右に振って、「違いますわ。白百合はこんな”歌”を歌うなんてありえません」


「歌?」


「はい。なんだか……恐ろしげな歌を」


「そこまでにしておこう」セラがきっぱりと言い放った。「船橋ブリッジに行けばわかることだ」


 だが、それは遮られた。


 船橋に上がる階段に、何やらぼんやりとした表情の男がふたり。酒でも飲んだように上半身をゆらゆらとさせて、階段の邪魔な位置に立っている。服装を見るに、客船の乗組員のようだ。


 そしてふたりともマリンエルフである。


「なんだ、どうしたんだお前たち?」


 ドニエプルたちを案内してきた衛兵がふたりに声をかけた。だが、反応はない。目つきが怪しく、何をしでかすかわからない雰囲気が階段を包み込んでいる。


「どいてくれ、何をしているんだ?」と困惑する衛兵。


「何やらわかりませんが、拙僧が話をつけましょう」


 ドニエプルは階段を上がり、道を開けられよ、と言って様子のおかしいマリンエルフの乗組員と相対しようとした。


 しかし。


「ひいいぃぃぃ!!」


 マリンエルフは奇声を発し、釣り上げたばかりの魚のようにむちゃくちゃに大暴れした。見るからに、これは異常事態だ。暴れまくるマリンエルフの肘がドニエプルの顔面にぶつかり、鼻血がつ、と垂れる。


「……どうもこれはいけませんなあ」


 ぺろりと鼻血を舐め、ドニエプルは対処法を変えた。強引に裸絞めを極め、頸動脈を抑えて失神させた。


「大丈夫か、ドニ?」とセラ。


「なあに、この程度のこと」


 にっと笑顔を見せて、ドニエプルはもうひとりのマリンエルフも同じように失神させ、階下に降ろした。


「気をつけて上がろう。どうも船橋で何か起こっている」


「承知」


 ドニエプルは先頭に立ち、艦橋の扉を開けた。


 途端に、歌声が漏れ出した。


「な……なんだお主は!」


 ドニエプルは叫んだ。目線の先には、異様な半魚人マーマン――いや、人型をした海棲生物の寄せ集めのような、おぞましいがいた。


 女である。


 顔から胸元にかけては青白い女のようで、ホタテか何かの貝殻に覆われているが乳房の膨らみがある。しかしそれ以外はナマコともイソギンチャクともつかないものを無理に女の姿に成型したかのようで、背中からはタコかイカの足のような触手が生えている。


 その足元には、気を失った船長と操舵手、そして黒薔薇が倒れていた。


「お嬢ちゃんに何をしたか、この女怪にょかいめが!」


 ドニエプルは素早く構えを取り、正体不明の化け物に正拳突き放った。


 化け物は妖しい笑いを浮かべ、背中の触手を使ってドニエプルの剛拳をいなした。


 だけでなく、女の化け物はうねるような声で歌った。美しい声だ。心をかき乱すような、それでいて安らぎに満ちたような……。


 ドニエプルの視界の中で、化け物は海棲生物の体を脱ぎ捨て、ひとりの美しい女となった。


 ――この女性にょしょう……何たる美しさか。


 ひと目でドニエプルは恋に落ちた。美しい女に抱擁され、ドニエプルもそれに答えた。ただそれだけで満足し、子守唄のような歌声が頭のなかに響き、眠りに落ちた……。


     *


 ドニエプルはその場で膝から崩れ落ち、眠ってしまった。


「どうしたドニ! 何をされた!」セラの声が船橋に響いた。


 セラたちの目からは、海産物女と対峙したかと思ったらいきなり床に倒れようにしか見えなかった。


「こいつが”歌”の正体か」


 セラは奥歯を噛み締め、どうやって攻略するかを考えた。歌を使って幻術をしかけてくるらしい。となると接近戦は危険だ。遠距離から弓で撃つべきか。


 ――ダメだ、この船橋は狭くて距離を取れない。


 となれば手持ちの武器はショートソードしかない。


「オ前たちモ……」


 突如、海棲生物の塊のような化け物が口を利いた。マリンエルフたちのような訛があるが、基底汎用言語だ。


「オ前たちモ、あのオ方に捧げル」


「おだまりなさいませ!」


 白百合につづいてドニエプルまで昏倒させられ、黒薔薇は怒りの声を上げた。脳内のエーテル波が急激に高まり、空間を捻じ曲げて空気の槍を作って女の胸に叩き込んだ。


 化け物女は衝撃で後ろに吹っ飛び、船橋の窓に叩きつけられた。


「そこ!」


 セラはその隙を狙い、一気に距離を詰めた。フォレストエルフ製の鋭いショートソードを抜き払い化け物女の首筋を狙う。たとえどれほど理解不能な敵であっても、生きていて人型をしている以上は首を落とせば死ぬはずだ。


 しかし海棲女は黒薔薇から受けたダメージから素早く復帰し、甲高い声でセラに歌声を浴びせかけた。


 セラの足元がぐらつき、膝をつく――かに見えたが、セラは立ち上がって敵の喉元を狙って剣を突き出した。


 化け物女はかろうじて触手を使って防御。あと少し遅ければそのまま突き刺されていたことだろう。


 女は凄まじい形相になってセラを睨みつけ、威嚇の声を上げた。それはもう人間を模した顔ではなくなっている。大型の肉食魚のようだ。


「ナゼ効かなイ……」


 セラの両耳には薄緑の燐光がまとわりついていた。精霊術を使った、いわば精霊の耳栓である。


「答える義理は……ない!」


 ショートソードを触手の防御から抜き払った。鋭い刃がのたくる触手を一本深く切り裂き、ボトリと落ちた。透明なぬめり(・・・)と青い血が入り交じったものが傷口から流れ出る。


 次いで二撃目を突き刺そうとしたセラだったが、今度はなまぐさい臭気を放つ妖女の強烈な蹴りをくらい、くの字になって吹っ飛んだ。


 狭い船橋である。背中を伝声装置にしたたか打ち付けて、セラは息をつまらせた。


「セラ!」


 黒薔薇が叫んだ。白百合、ドニエプルに続きセラまでを戦闘不能に追い込まれた。もはや動けるのは自分だけだ――。


「次はオマエを」


「聞く耳持ちませんわ!」


 女怪にょかいが歌声を放つ前に黒薔薇は超精神術サイオニクスを放った。その途端、化け物は喉元を抑え、サメのような歯がぞろりと並ぶ口をぱくぱくと開け閉めした。エーテル波で対象の顔の周りの空気を操り、呼吸を妨げる”窒息”である。歌声を武器にする化け物には最悪の相性だ。


「とどめ!」


 黒薔薇はさらにサイオニクスで攻撃を加えようとした。


 しかしそれだけは許すかとばかりに化け物の触手が飛び、黒薔薇を鞭打った。


「あう!」


 脳内のエーテル波が集中を乱され、黒髪の美少女は頭を抑えてしゃがみこんだ。サイオニクスは脳内で生じたエーテル波で直接対象を操る強力な能力だが、反面精神集中を乱されるとすぐに散らされて(・・・・・)しまう。


 しかし化け物もまた呼吸の限界を迎え、呪わしい視線を黒薔薇に投げかけてからブリッジの窓ガラスを叩き割った。ドニエプル、セラは倒れたまま、黒薔薇も集中を乱され、誰も追うことができない。


 女は窓から飛び降り、そのまま海中に没した……。


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