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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第16章「100人分の悪夢」
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第16章 04話 雲行き

「まあ、大きなお船ですわ」


 黒薔薇が客船の船べりから洋上で停泊する船を見つけ、指差した。大きさは、客船の1.5倍はあるだろうか。


「あれはアリオク市が独自に持っている軍艦……じゃないかな」


 カルボがあまり自信のない様子で答えた。いつもならこういうときに正解を返すはずのアッシュは、船酔いがひどくで客室のこもりっきりだ。


「幽霊海賊船団なんてものがウロウロしてるんだから、せめて港の近海だけでも軍艦で守ってくれるということだな」とセラ。


「あのお船、1隻だけで大丈夫ですの?」


 白百合がもっともな質問を投げかけた。


「ここから見える以外にも4隻が任務についているようですな」乗客や乗組員に話を聞いてきたドニエプルが言った。「幽霊海賊船団の被害を抑えるためにアリオク市も必死なのでしょう」


「死活問題だもんね」


 カルボはそう言って、船べりに背中を預けた。柔らかな髪が海風にあおられる。


「この船だっていつ襲われるかわかったものではないな……」とセラ。「だが衛兵が乗っているようだし、なんとなれば私たちも戦力になる。よほどのことがない限り突破できるはずだ。大丈夫だろう」


 力強い発言だが、彼女もカルボから酔い止めのエリクサーをもらって飲むまではげえげえ胃の中のものを海に返していた。本来森に生き森に死ぬフォレストエルフである。船に乗るのは初めてのことで、今まで感じたことのない揺れである。船酔いするのもやむなしというところだろう。


 カルボは盗賊ならではのバランス感覚が身についている。ドニエプルもモンクとして足腰を安定させる歩法ができるためこちらも船酔いはしていない。黒薔薇と白百合に至っては空中を浮かんでいるため揺れとは無縁だ。


「この晴れ模様なら、幽霊が現れることもなさそうだね」


 カルボの言葉に、皆は安心したようだった。夜でもなければ時化しけてもいない。こんな時に現れる幽霊などいるはずがないのだ。


 と、水滴がカルボの可憐な鼻先にぽつりと当たった。


「え?」


 空を仰ぐとそこは相変わらずの晴天で、雨粒が落ちてくるような状況では全くない。どこかから水しぶきが飛び散ったのだろうか。


 鼻に落ちた水滴を舐めると塩味が――しなかった。真水でも海水でもない、嫌な苦味がした。


 ――なにこれ……?


 妙に口の中に残ってイガイガする。どこかで覚えのある感覚だった。


瘴気ミアズマが混ざった水?」


 カルボはそのことを皆に伝えようとした。が、言う前にさらに水滴がぱたぱたと落ちてきて、他の乗客たちからも不審がる声が上がった。


「何だあの雲は!」


 誰かが叫んだ。つられてカルボも天を仰いだ。


「うそ」


 あれだけ快晴だった空に、薄気味悪い雲がたなびいていた。それはまるで意思を持ったかのようにどろどろと客船のほうへとのびてくるようだった。


「あの雲……おかしい動きですわ」


 黒薔薇は不安がって、カルボの体にそっと抱きついた。


「誰かが操っているみたいですの」


 白百合も同じようにカルボと腕を組むようにくっつく。


 と、奇怪な雲から狙ったように小雨が降ってきて、甲板を濡らした。雨は降ったそばから異様な蒸気になってわだかまる。


「あの雲、ミアズマのかたまりか!?」


 セラが叫んだ。それが正解だとカルボも感じた。甲板に降り注いだミアズマはやがて具象し、何かおぞましいものへと変化した。


 暗闇と泥を混ぜたようなボロ布。その中には青白いふたつの目と、しゅうしゅうと蛇のような吐息を漏らす酷い乱杭歯。手足は確認できず、人間の腰のあたりの高さで浮遊している。


幽鬼レヴナントか!」


 それはアンデッドの一種で、青ざめた男(ペイルマン)よりはるかに危険な化け物だ。肉体はほとんど失われ、消滅しかけた魂をミアズマで補って現世をうろうろする。生きている者全てから命を奪って糧にする邪悪な存在。


 甲板はにわかに大騒ぎとなった。急いで船内に戻る人の流れをかき分けて、乗船していた警備兵が武装してレヴナントに対峙する。


「幽霊海賊だ、早く客室に戻って鍵を閉めて!」


 警備兵が叫んだ。彼らも、よもやアリオク港から出て半日ほどで襲われるなどと思ってもみなかったことだろう。


「おい、そこの人たちも客室に戻るんだ!」


 カルボたちを目にした警備兵のひとりが言った。緊張で顔がこわばっている――が、カルボたちは当然のように逃げない。


「真昼の幽霊など取るに足りませんぞ!」


 最初にドニエプルが動いた。モンクであるドニエプルは、僧のご多分にもれずアンデッドを消滅させる技に長けている。体内のエーテルが両の拳に集中し黄金色に輝き出す。アンデッドに対して致命打を与える”光輝の構え”だ。


「しえいッ!」


 気迫とともに、ドニエプルは幽鬼レヴナントに正拳突きを放った。ボロ布のような体が一部はじけ飛び、嫌なにおいの蒸気になって消えうせる。


「さあ皆の衆、共にこの化け物を!」


 警備兵たちに動揺が走り、困惑してからようやく緊張から解き放たれたようにレヴナントに立ち向かった。


 このアンデッドは肉体が希薄で、対ミアズマ処理を行っていない武器は効果が薄い。しかし5人がかりでめった刺しされれば別だ。おまけにドニエプルの拳が振り下ろされるたびにミアズマが消失していく。レヴナントはじょじょに萎れていき、やがて子供のようなサイズになってしまった。


「とどめィ!」


 ドニエプルの右拳が顔面を捉え、レヴナントは不快極まる悲鳴を上げて消滅した。


 片はついた。


 だが、それはほんの小雨に過ぎなかった。


    *


 ついさきほどまで快晴だった空は煙幕を焚いたように曇り始め、太陽の光が遮られていく。


 それが自然現象ではなく、何らかの魔術的な操作であることは明白だった。


「出港して3日と経たずにこれか」セラは『頭が痛い』というジェスチャーをした。「幽霊海賊船団、本当に本当らしいな」


 船内に入ったカルボたちは、一度アッシュの部屋に集まって話し合いをすることにした。さすがに六人もいると客室では狭い。


「アッシュ、大丈夫?」


 カルボの問いかけに、船酔いで干からびたようになっているアッシュは、「大丈夫じゃない……」とかすれた声を出した。


「もうひとつぶ酔い止め飲む?」


「うん」


 子供のようにアッシュが答えると、カルボも母親のようにエリクサーを用意してやった。


 それで少し安心したのか、アッシュは上半身だけ起き上がり「……で、外の様子は?」


「芳しくありませんな」ドニエプルが苦笑いをした。「ひどい濃霧に包まれて右も左もわからぬ様子。護衛に来ていた軍船とも連絡がつかぬようです」


「絶好の幽霊船日和か」


「そのようですな。下手に動くこともできず、足止めを食っております」


 アッシュはため息を付き、話す言葉もないという表情だった。出港してから水とエリクサー以外何も口にしていない。


 セラはその様子を見て、「早く船酔いを治すことだ。化け物が襲ってきたら私たちで何とかする。お前はここで寝ていろ」


「……そうはいかない、と言いたいところだけど、すまん。任せる」


 その時、会話を遮るかのように重低音がどこかから聞こえてきた。客船からではない。それは客船のエスコートをしていたはずの軍船からだった。


 アッシュと、その世話に残ったカルボを置いたままセラたちは客室を出て甲板に上がった。


 濃霧の中でかすかにしか見えないが、どうやら軍船が艦砲射撃を行ったらしい。魔法付与品エンチャンテッドよりずっと上級の大魔法具アーティファクトである”魔砲”が火を吹いて、それが何かに命中し、爆煙が立ち上っている。


「幽霊海賊船か?」


「そのようですな」ドニエプルは体内エーテルを両目に集め、「……ああ、これはいけません」


「どうしたのですか?」


 黒薔薇が不安げにドニエプルに尋ねた。


 ドニエプルは苦い表情で「幽霊船に接舷されました。軍艦に何かが乗り移っているようですが……」


「アンデッドの海賊というわけか。幽霊海賊船とはよく言ったものだ」


「セラ殿、そんな場合では」


 ドニエプルが言い切る前に、艦砲射撃が再び行われた。爆音が、離れた客船まで響いてくる。ゼロ距離での砲撃である。幽霊船に十分な打撃を与えているはずだが、ドニエプルの目を持ってしてもそこまでは見通せなくなった。


「この客船も逃げたほうがいいですわ」黒薔薇が不安そうにドニエプルとセラを見た。


「きっと次はこちらに襲って来ますの」白百合もコクリとうなずき、愛らしい眉根にしわを寄せた。


「そうですな。船長もそのような指示をしているものと思いますが……」ドニエプルは険しい顔で天井越しの船橋ブリッジ見上げ、「船内に警告も出していないのは妙ですな」


「クロ、シロ、お前たちのどちらでもいいが船内の様子を見に行ってくれ。静かすぎる」とセラ。


「わかりました」白百合はそう言って、「黒薔薇、あなたはここに残って。テレパスで状況を知らせますの」


 黒薔薇はこくりとうなずき、「気をつけて、白百合」


 白百合は微笑んで、さっそく船内に飛んでいった。


「さて、甲板こっちも何が起こるかわからない。気を引き締めよう」


 その時、まるでセラがそういうのを待っていたかのように船べりから音が聞こえた。柔らかい餅を板に叩きつけたような音だ。


「ドニ」


「ええ。何か来たようですな」


 べたり、べたりとその音は海面から船べりまで這い上がり、甲板に飛び上がってきた。


 ひどく猫背の、前身に鱗が生えているぎりぎりで人間型の化け物。なまぐさい臭いを撒き散らし、膜のある手指で鋭いもりを持っている。


 海中をすみかにする鬼族、半魚人マーマンだ。


     *


 全部で五匹。


 マーマンは客船に乗り込んできた。何の感情も見いだせない目つきであたりをきょろきょろと長め、船内への入り口に目をつけた。五匹のマーマンは鳴き声ひとつ漏らさず入り口に入っていこうとする。


「そうはさせませんわ!」


 最初に動いたのは黒薔薇だった。脳内のエーテル波を集中させ、先頭の一匹に向けて”切れないロープ”を張った。


 ロープはぺたぺたと進むマーマンの足に引っかかり、見事に転倒させた。後ろに続いていた残りのマーマンたちも転んだ先頭に邪魔され、足が止まる。


「でかした!」


 セラはそう言って、背中に回していた弓を手にし、迷いなく最後尾のマーマンを射抜いた。


「どっせい!」


 今度はドニエプルがマーマンの群れに疾走し、勢いに乗った飛び蹴りを叩き込んだ。一匹が弾き飛ばされて木箱に背中から叩きつけられる。


「いったいどういうこと!? 幽霊だけじゃないのか!」


「拙僧にもわかりかねますが……今はこやつらの制圧が先!」


 しかしマーマンたちは、ドニエプルたちの攻撃をまるで意に介さず船内への出入り口をくぐっていく。攻撃に晒され血が流れても、仲間の脳天に鋭い矢が突き刺さっても、足を止めることがない。


「なんと……これではいつぞやのアンデッドかゴーレムのようですな」


 ドニエプルは寒いものを感じながらも、マーマンの体を捕まえて甲板に思い切り叩きつけた。全力でのボディスラムは、常人なら息が詰まってしばらくまともに起き上がることができなくなる。マーマンは常人どころか人間ですらないが、それでも動きが止まった。


 マーマンは海中に生きる鬼族だが、基底汎用言語は通じるはずだ。一匹は気絶させて事情を吐かせ、残りは全てとどめを刺す。それがセオリーだろう。


 セラは言われずともそれを察し、別の個体に矢を射かけた。客船の甲板は、弓の射程を考えるとそれほど広くない。そんな距離で矢を喰らえば鱗に覆われたマーマンの体を貫通させることは容易い。


「よしこの調子で……」と、セラはニヤリと笑いかけて、表情がそのまま固まった。


 肩口から背中までぶち抜かれたマーマンは、それすら意に介さず船内に入ってしまった。マーマンであろうが何であろうが今のは間違いなく重傷である。普通に立って歩ける一撃ではないはずだ。


「わたくしもいきますわ!」


 黒薔薇の黒い瞳が底光りする。脳内のエーテル波がマーマンの足元の空間に干渉し、膝から下がメキメキと音を立てて360°以上ねじれた。そのマーマンは歩けなくなって転倒する。しかしその個体も、どういうことか悲鳴のひとつも上げず這い進み、これも船内に入ってしまう。


「効いていませんわ!?」


 黒薔薇が目を見開き、恐怖を感じて自分の肩を抱いた。


「そんなはずがない」セラが苦い顔をして、「効いているのに足が止まらない。何かに操られているのか?」


「考えるのはあとにしましょうぞ、セラ殿。今はこやつらを……潰す!」


 ドニエプルは宣言通り、一番近くにいたマーマンの背びれを思い切り引っ張って転倒させ、その頭を踏み潰した。体がビクビクと痙攣するが、やがて動かなくなる。さすがに脳を破壊されてまで動けるようにはできていないようだ。


「なるほど、素っ首叩き落とせばいいわけだ」セラは弓を背中に戻し、ショートソードを抜き払った。「精霊合体術”剣風”!」


 ジャーに封印してある精霊がショートソードに取り憑き、フォレストエルフの小剣から輝く刃が伸びる。


「黒薔薇、援護を頼む!」


「がってん承知ですわ!」


 セラ、ドニエプル、黒薔薇の三人は、確実にマーマンたちにとどめを刺すべく踊りかかった。


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