第16章 03話 諸事情
アリオク市警が駆けつけた頃には騒ぎは収まっており、人型クラゲのような”精霊獣”を超精神術で鎮圧した黒薔薇と白百合が当時の状況を聞かれていた。
黒薔薇と白百合は得意気に胸をそらして質問に答えて、外見だけなら可憐な少女にしか見えない彼女らは大人たちにちやほやと褒められている。
「精霊獣が出て来る以上、裏には精霊術を使える何者かが関与しているとしか思えない」
セラは難しい表情をして、愁眉を開くことなく顔を伏せた。
アッシュはその理由が何となくわかった。
精霊獣は精霊使いしか使役できない。つまり今回の騒ぎは精霊使いの何者かが絡んでいる。精霊術のエキスパートといえばエルフと相場が決まっている。となれば――この都市にいるエルフの大多数であるマリンエルフの関与が最も可能性が高い。
実際に犯人がマリンエルフだとしたら?
あの港湾労働者として待遇の悪い、差別的に扱われていたマリンエルフたちの姿が脳裏によぎる。彼らが何かこの都市の方針に怒りを覚え、精霊獣によるテロに走ったとしたら、どうだろう。
――でも、そこまでやるこたぁないだろう。
アッシュはそう思いつつも、引っかかるモノがあった。
「お、聞き込みが終わったようですぞ」
ドニエプルがニッと微笑んだ。
「終わりましたわ!」
「お手柄だって褒められましたの!」
満点の笑顔でアッシュたちの元へ駆け込んできた黒薔薇と白百合は、やはり以前より少し大人びて、同一人物のようにくっついていたときとは雰囲気が変わって見える。
結局、その場では黒薔薇と白百合の働きが褒められただけで、それ以外は得られる情報もなく、一行はなんとなく疑問を浮かべながら宿に戻った。
*
港湾都市アリオクも、多くの都市がそうであるように巨神文明時代の遺跡を基礎に、蓋して埋めるように建てられている。
理由は簡単で、地面を掘って上下水道やエーテル伝導管をわざわざ地面を掘って通す必要がなく、遺跡の広大な空間を利用できるからだ。
しかしそれも良し悪しで、巨神が住んでいたほど広い地下空間には知らないうちにろくでもないものが住み着いたりする。人類種に害を及ぼす化け物や犯罪者のことだ。
街中で精霊獣を出現させ地上で暴れさせようとしたのも、そういう不逞の輩ではないか――というところでアリオク市警の捜査も一段落した。
その結論は、特にセラにとっては胸にトゲとなって刺さる。『犯人は不遇をかこっているマリンエルフではないのか』。
「お気持ちはわかりますが」とドニエプル。「我らはもうすぐ聖都カンに向けて出港する身ですぞ。あまり深く関わるのは……」
わかっている、とセラは美しい銀の髪をかきあげた。そう言いながらも、目には重いものが宿っている。
セラはフォレストエルフである。マリンエルフとは外見から生理機能、行動規範も異なるがそれでもエルフであるという一点は変わらない。困っているエルフがいるなら手を差し伸べるのが当然のことなのだ――とセラは思っている。
「五光宗の……」不意にアッシュがポツリと呟いた。
「五光宗?」
「五光宗はエルフの信徒が多いんだったな。だったら一度そこに行って、話くらい聞いてみるってのはどうだ」
「しかし、それで余計なことに首を突っ込むことになったら」セラは他の仲間達の手前、自分の勝手な希望を通すことをは良くないと感じた。
「俺だって気になる話ではあるんだ。それに、明日船が出港するまでは時間はあるからな。観光がてら、ってことでいいんじゃないか?」
アッシュを始めとする仲間たちはみなセラの悩みを理解しているような柔らかい表情で、セラは結局、皆の暖かさに乗ることにした。
*
五光宗アリオク支部は、アリオクが港湾都市と呼ばれる前身の小さな漁港だった頃からそこにあった。
その当時は人間よりマリンエルフの人口が多く、問題らしい問題もなくやっていたらしい。マリンエルフは漁をさせたら右に出るものはいないし、人間はそれを近隣の土地へ売りさばく仕事をして、分業が成り立っていた。
しかし時が経ち時代が流れるに連れ、海運の要所としての役割が重視されるようになり、人口比はあっという間に人間のほうが上回った。
そこからマリンエルフの不幸が始まる。
沿岸は漁より大型船の出入りを優先されるようになり、マリンエルフが数百年単位で築き上げた海中牧場も場所を移さざるを得なくなり、多くが破棄された。マリンエルフの失業者は増え――かつては失業という概念すらなかった――陸での仕事に従事することを余儀なくされる者が生まれ、その状態のまま、いつの間にか身分や地位が固定化されてしまったまま現在に至る。
「そういった流れがあり、アリオク市ではマリンエルフの憤懣はやる方なくなるばかり。マリンエルフがいかに忍耐強いとは言え、昨今はひどく険悪になっています。無理からぬことではありますが……」
五光宗の僧官はそのように述べ、苦悩の表情を作った。
僧官はシティエルフであり、血筋は違えど同じエルフであるマリンエルフたちに同情的だった。シティエルフは都市社会生活に適応した小柄なエルフであり、弁舌と数学能力に長けている。商売や政治に向いていることもあってどんな場所でも器用に立ち回れる種族である。
同じエルフであるのに、人間中心社会に根本的な部分で馴染めないマリンエルフ。
彼らの苦境を、五光宗の力では守りきれない実情。
「そんな折に現れたのが”幽霊海賊船”です。今はもう”船団”といったほうが良いでしょう」
シティエルフの僧官は眉根に深くしわを寄せ、短く五光宗の祈りをつぶやいた。
「気になっていたが、妙な名前だ」とセラ。「”幽霊船”も”海賊船”もわかるが、なぜ”幽霊海賊船”などと?」
文字通りですよ、と僧官は言った。
アリオクは海運の要所であり、当然ながら船の出入りが多い。その近海で何が起こるかというと海賊行為がはびこりやすいのである。荷物をたんまり積んだ輸送船は海賊から見れば宝の山に見えたことだろう。
自由都市国家として独自の軍隊を保持しているアリオク市庁は海軍を派遣し、その都度はげしい戦いの末に海賊たちを追い払っていた。しかしそうしたイタチごっこはやがて終りを迎える。
海賊行為を働く船に混じって、船全体が瘴気に包まれた死者で満載の船、幽霊船が現れ始めたのである。
幽霊船は海賊船よりはるかにたちが悪く、商船、軍船の区別なく乗組員を皆殺しにし、新たな幽霊船を生み出してしまう。まるで吸血鬼が仲間を増やすようにミアズマに感染させ、仲間に引き入れてしまうのだ。
「このおぞましい行為はアリオク周辺の海賊たちにも被害を及ぼしました。海賊船が襲われ、2隻の幽霊船に。その2隻が新たな犠牲者を。やがて海賊船たちは”幽霊海賊船”へと姿を変えてしまいました……」
ああ、恐ろしい――とシティエルフの僧官は魔を切る印を空中に描いた。
「なるほど、それでオミクロンが出張ってきたわけか」アッシュは左眉の古傷をなで、「でもよそから首を突っ込まれるのは、五光宗の立場としちゃあ面白くないッスね」
「……お察しください」
僧官はそれだけ言って軽く一礼した。アッシュの指摘が事実だったからだろう。
聖騎士団の――つまるところ円十字教会の介入があり、幽霊海賊船の問題が片付いたとしたら、どうか。五光宗の影響力は落ち、今は小勢力の円十字教会の信徒が増えるだろう。
いや、それより危険なのは『犯人が本当にマリンエルフだったら』という問題だ。
万が一、本当にマリンエルフが仕出かしたことであると聖騎士団に暴かれれば、五光宗もアリオク市庁も、もはやマリンエルフをかばいきれない。差別は助長され、人間とエルフの関係に決定的な亀裂を生じさせるに違いない。
ゆえにアリオク海軍と五光宗の武装僧官がなんとか内々に片を付けようとしていたのだ。
そこにオミクロン聖騎士団が来た。
*
「……セラ」アッシュが抑えた声で言った
「どうした」
「言っておくが俺たちは聖都カンに向かうただの旅行者だ」
「それが?」
「間違っても幽霊海賊船団の討伐なんて考えないでくれよ」
セラはフン、と鼻を鳴らし、「お前は私をイノシシかなにかと思っているのか? 私にも手を出せる状況かそうでないかの区別くらいつく」
「それならいい」
「ねえアッシュ、セラ」カルボが遠慮気味にふたりの間に入った。「幽霊海賊船の討伐に参加するくらいはいいんじゃないかな? 傭兵の募集もしてたし」
「でもカルボ、わたくしたちには目的がありますわ」と黒薔薇がふわりと浮かんでカルボの前に降り立った。「ウェムラー様から預かった写真。あれを届けるのが今の目的ですわ」
「それはそうだけど。でも……」
カルボは何か引っかかりを感じてアッシュのことを至近距離からじろっと見上げた。
「……なんだ」
「なんでもないっ。早く戻ろ?」
カルボはそう言ったきり、先頭に立って早歩きで歩きだし、宿に戻った。
*
翌日。
数日前から停泊していた客船の整備や補給が整い、出港の日となった。空は快晴、波も静かで申し分ない。
「絶好の航海日和ですなあ!」
ドニエプルが眩しさに目を細めながら客船の姿を眺めた。ゴーレムガレー船や精霊帆船ではなくエーテル機関船である。乗船券はかなり高くついたが、聖都カンまでの移動は20日以上かかる。揺れが少なく快適でシャワーも使えるエーテル機関船のほうがいいという判断だった。
一応、女性陣への配慮というていでわざわざ選んだということにしているが、実際のところは……。
「カ、カルボ……」アッシュがか細い声でカルボの名を呼んだ。
「どしたの……わ、すごい汗」
「頼んでおいた酔い止めのエリクサー、今あるか?」
「客室にあるけど、っていうかまだ船動いてないよ?」
「酔った」
「何に!?」
「こ、怖い」
「何言ってるの? 泳げないってのは何度か聞いたけど、船もダメなの?」
「そ、そ、そうらしい……」
そこに汽笛が低い音を長く響かせた。出港の時間だ。
「じゃあ、わたし取ってくる……」
「いや、ちょ、待って……」
「うん?」
「手、握っててくれ」
「え? そ、え?」
真っ青なアッシュとは対照的に、カルボの頬に赤みがさした。
戸惑うカルボをよそに、アッシュは一点を見つめたまま強引にカルボの手を掴んだ。
アッシュの手は血の気が引いて冷たく、汗ばんでいた。
「もぉ、しょうがないなあ」
カルボは呆れた声を出しながらも、アッシュの可愛らしさのようなものを見たよう感じた。
悪い気はしなかった。