第16章 02話 苦情
「何なんだあの連中は?」
マリンエルフの少女を襲おうとしたチンピラの後処理をしている白地に青の円十字の制服の男たち。彼らを遠巻きに見ながら、セラは小声でアッシュに問いかけた。
「知らないのか?」とアッシュ。
セラはムッとして、「知らない。悪いか」
「あ……いや、そんなことは言ってないだろ」
「ではなんなんだ」
「聖騎士団。円十字教会の最精鋭実行組織だ。見てみろ、円十字の下に丸があるだろう? あれはオミクロン聖騎士団の紋章だ」
「それにしては人数がすくない気がするが」
「あれはほんの一部だよ」アッシュは言いながら少し興奮している自分に気づいた。「24の聖騎士団があって、その団員、サポートする下部組織を含めると1万人近くになるだろう」
「そんなに」
「ああ」
「詳しいな」
「……まあな。お前にはピンとこないかもしれないが、聖騎士団は憧れの的なんだよ。とくに男の子に取っちゃな」
「ふーん。まあ、何となく分からなくもない……」
と、セラがいいかけたところで、「あ、アッシュだ」背後からカルボが声をかけた。カルボだけでなく、ドニエプルと黒薔薇と白百合も一緒だ。
「もー、ふたりとも遅いから探しに来たよ」
「すまん。部屋は?」
「とったよ。その代わり相部屋ね」
アッシュはカルボの言葉にうなずきながら、気持ちはオミクロン聖騎士団、そしてその団長を名乗るスポージに向いていた。
「あの方たちは?」と黒薔薇が首を傾げた。白百合と完全一致の行動ではなくなっている。
「聖騎士団ですな」とドニエプル。円十字の信徒ではないが、龍骸苑のモンクとして宗派は違えど知識はある。
「それで、何があったんですの?」と今度は白百合が尋ねた。
アッシュは別に大したことはないと答えようとしたが、その前にざわめきが聞こえた。オミクロン聖騎士団に、別の集団が合流したようだった。
聖騎士団の別働隊かと思いきや、それはどうやら違うようだった。
「困るのですよ、スポージ団長。もう言ったはずでしょう」
丸いサングラスをかけたスポージに対面してそう言ったのは、新たに現れたおそろいのローブに五芒星が描かれている集団、そのリーダーらしき人物だった。
「今度は五光宗ですな」
ドニエプルがポツリと漏らした。
「それは知っている」セラが口を挟んだ。「地水火風そしてエーテル。5つの根源の精霊を身に宿して新たな意識ステージの覚醒を目指すという、あれだな。開祖がエルフで、精霊の使い方に長けたエルフからの信仰が厚い。私は信者ではないが、大森林の中でも信仰を許されていた」
それが何でこんなところへ、とセラは訝しんだ。
その時、騒ぎを囲む野次馬の男たちが苛ついたトーンで「またあいつらか……」と呟いた。
「また?」物怖じせずカルボが男たちの話に割り込んだ。「またってどういうことですか?」
「うん? あ、ああ……」
男のひとりが思わずカルボの豊かな胸に目を奪われた。
「あー、なんだ、あいつらがよぉ」
「五光宗?」
「そうじゃない。逆だ」
「逆? 聖騎士団ですか?」
「ああ。ここいらは五光宗の人気が高くて、円十字教会はそれほどでもないんだ。なのにあいつら、また海のことで首を突っ込んできやがる。正義だなんだとやかましくてな」
「海のこととは?」セラが割り込んだ。「それはマリンエルフの扱いが悪いことに関係しているのか」
「それは……」男は口ごもり、セラの琥珀色の厳しい眼差しから目をそらした。「関係ある……といえばあるんだが……」
セラは思わず男の胸ぐらを掴みかからんとする気配を見せたが、それより先に別の誰かが声を荒げた。さきほどの五光宗のリーダーらしき人物だ。
「だから何度も言っているでしょう、スポージさん! アリオクの港と海の問題は我々の問題だ。円十字教会は介入しないでいただきたいと!」
「我々の問題、と」スポージはインチキくさい丸サングラスを指で抑え、「それはもう3ヶ月前に聞いたんですけどねぇ~一向に解決しないのはどぉぉ~いうことです?」
「……いろいろな懸案が複雑に絡み合っている。全てを一度に片付けるのは不可能だ」
「ですから、です。そういうことですから、オミクロン聖騎士団が顔を出さないといけない」
スポージはそう言って、白い制服の胸元にある聖騎士団の証を親指でトントンと小突いた。
「ご存知でしょう、オミクロン騎士団は海洋における邪悪な存在と戦う、そういう役割を負っている。港湾労働におけるマリンエルフの差別的扱い……はこの港の業者の問題ですからぁ~まあボクたちの出る幕じゃないでしょう。我々は警察じゃない。でぇ~もぉ~、少なくとも”幽霊海賊船”に関してははっきりと邪悪な存在ですよねぇ~」
サングラスの奥で、スポージの感情は読めない。
五光宗のリーダーは明らかに苦り切った顔をして拳を振り上げた。
「その件に関しても、我々五光宗の僧兵とアリオク海軍が合同で調査中だ! 我々はあなた方の助けを必要とはしていない」
そうだそうだ、と野次馬たちの半分ほどが同意を示した。
「調査中?」
「そうだ」
「調査というのは二ヶ月前に軍艦一隻撃沈、もう一隻が”幽霊海賊船”に乗っ取られたという、例の話ですか?」
ぐ、と五光宗のリーダーは声をつまらせて一歩引いた。図星を突かれたと言っているようなものだ。
「別にね、ボクたちは手を出すなと言われれば出さなくてもいいんです。ですがぁ~アレですな。これ以上死人を出したりしたら、アリオクは海運の要所から外されますよぉ~? こぉ~れはまずいんじゃないですか?」
取り巻きの野次馬たちに動揺が走った。スポージはあえて周りの聴衆を煽るようなポーズを取り、焚き付ける。
「考えてみてください、あなた方と教派は違えどボクたちは喧嘩をしに来たわけじゃない。ボクたちが一刻も早く駆除したいのは、幽霊海賊船だ。それに対処するのにおいて、この世にボクたち以上の適任はいない」
それを聞いたカルボは、「なんで?」とキョトンとした顔でアッシュを見た。
「オミクロンは海洋問題専門の聖騎士団なんだ。自由に動かせる戦艦や潜水艇まで持ってる。海賊や海の怪物を討伐させたら……まあ、大国の海軍でも出てこない限り、世界最強だろうな」
スポージと五光宗の男の口論はやがてトーンが下がり、”幽霊海賊船”の問題はアリオク市庁の判断に委ねる、という立場で五光宗側が引き下がった。
野次馬たちも、喧嘩でも見られるのではないかと期待していたところが何もないまま終わり、興ざめと言った様子でばらけていった。
「俺たちも行こう」
アッシュは仲間たちに声をかけた。旅の疲れもある。が、それ以上にスポージら聖騎士団とかかわりたくなかった。サン・アンドラスでタウ聖騎士団の支部長クライヴと行動を共にしたときも大変だったが、今度は支部長クラスではなく団長である。いきなり攻撃されるようなことはないにせよ、面が割れれば厄介だ。おそらく行動に監視がつけられるだろう。なにしろ三年前まで聖騎士として最前線で戦ってきた身だ。内情や戦術を他者にバラすようなことがあればそれは”追放者”ではなく”敵対者”になる。だから、処刑ではなく追放で済まされたのは温情だったとも言える。
紋章は剥奪され、鎧も壊れ、メイスも作り変えられた。アッシュの身につけているものに聖騎士時代のものは何もない。
だが、自身が聖騎士だったという事実だけは、アッシュの心に残り続けている。
*
その夜。
「……どうも壁が薄くていけませんな」
「ああ」
安宿の相部屋、ベッドに疲れた体を横たえたアッシュとドニエプルは、隣の女部屋から聞こえてくる声を聞くとはなしに聞いていた。どうやら風呂に入っているらしい――それも四人全員が。
『わー、セラの背中ってすべすべですわ』
『こ、コラ黒薔薇、くすぐったい……やっ』
『でもおっぱいはカルボのほうが大きいですの』
『やめ……揉むな白百合……カルボ、この子達をなんとか』
『うーん…』
『お前も一緒になって揉むなカルボ! この!』
『うひゃひゃひゃひゃ、くすぐったいよセラ』
『うるさい、こんなでっかいの毎日毎日ぶらぶらさせて!」
『そんなこと言ったって引っ込められないもん』
『あーもう! そういう言い方! やれ、クロ、シロ!』
『えい』
『やっ、だめだよそんなとこ触ったら……あっ』
『うにうにうにうに』
『もー、やめー!』
会話がそのまま筒抜けになっているのである。
「……壁が薄いな、ドニ」
「そうですな、アッシュ殿」
アッシュとドニエプルは、しばらくただの小僧っ子に戻っていた……。
*
翌日。
アッシュ一行はマーケットで必要な装備を買い集めていた。港町だけあって遠い異国の品物が店先に並んでいて、それらは目にも鮮やかだった。
「こういうの、久しぶり」
カルボが嬉しそうに言った。すでに両手に抱えるほどのエリクサーを買い込んでいる。
アッシュにはカルボが少し浮かれている理由がわかった。彼女の生まれ故郷である商業都市ヴィネの大マーケットに雰囲気が似ているのだ。
「ざっとこんなもんか」
仲間たちそれぞれが思い思いの品を補充したのを確認して、アッシュが言った。
「いったん宿に戻ろう。船が出るのは明後日だから明日は一日自由に……」
と、リーダーらしいことを言い終わる前に、マーケットの奥まったところからいきなり水柱が吹き上がった。
水柱である。
見間違いではない。大量の水が、付近の店の天井取り高くまで立ち上ったのだ。
「な……!」
アッシュたちは絶句し、数秒の間身動きが取れなかった。
水柱。そして悲鳴。さらに――その水柱の中から、不定形の何かがズルズルと這い出してくるのがアッシュのところからも確認できた。
「何だあれは!」
誰かが叫ぶ。それに後押しされるように、マーケットはにわかにパニックが広がった。
「なにあれ?」眉をひそめ、カルボは両手で抱えた紙袋をギュッと抱きしめた。「人型の……クラゲ?」
「いや、違う」セラが腰に下げたジャーのふたを触り、「あれは精霊術だ。精霊を水に宿らせて作る精霊獣」
なぜそんなものが、とアッシュが問おうとするより早く、その人型のクラゲのような何かが長い腕を振り上げ手近にあった果物屋に振り下ろした。かごに並べられた異国のフルーツが吹き飛んで、場違いな甘い匂いがあたりに漂う。
「……なんだかよくわからないが、あれを止めよう」
アッシュは腰のものを確かめてから、人垣をかき分けて半透明の化け物を倒そうと前に出た。しかしその場から逃げようとする人の波に邪魔されて進めない。
「こういうときは……」
「わたくしたちにおまかせですの!」
黒薔薇と白百合がそう言うと、可憐な服をひるがえし超精神術を使って人垣の頭上まで飛び上がった。