第02章 04話 謎の研究所
研究室の隠し扉を開くとそこはうって変わって薄暗く、足元をわずかな緑色の冷光が照らしているだけだった。
「暗いね……」嫌な予感がするのか、カルボが背中を縮める。
「ランタン持ってきてるだろ、アレつけよう」
カルボが装備として用意していたのは昔ながらのオイルランタンで、かさばるが信頼性が高い。
アッシュは改めてメイスの柄の具合を確かめた。長年の相棒である。単純な敵なら頭をかち割って終わりだが、そうでなかったら?
カルボを後ろに下がらせ、アッシュは先導することにした。
暗い廊下をランタンで照らしながら進むうち、段差が目立つようになってきた。段差を超える度に廊下の幅が広く、天井が高くなっているようだった。
「なんだか巨神が使う廊下みたい」
カルボがランタンを上下左右に向けながら言った。確かに隠し扉をくぐった時よりも廊下は遥かに大きくなっている。巨大、と言ってもいい。段差も備え付けの小さな階段を昇らなければ乗り越えられないほどになっている。人間が使うサイズにしては明らかに大きすぎて、異様なものを感じさせた。
「ここは元々巨神文明の遺跡だからな。人間サイズの研究室は誰かが――誰だか知らないけど、誰かが勝手に裏口を作ったってことじゃないか?」
「なんでそんな面倒くさいことしたのかな」
「本人に聞いてくれ」
やがて廊下は本当に巨神サイズのものになり――天井まで人間の身長の5倍はゆうにある――広々としているのに息が詰まるような感覚がふたりを襲った。そんなものはもういないとわかっていても、巨神が現れて人間などらくらく踏み潰してしまう――そんな光景が頭に浮かぶ。
人類種が地上を席巻する以前、この世の支配者は巨神類だった。その期間は実に10万年の長きに渡る。人間は本能的に巨神を恐れる。10万年間、人類種は巨神の奴隷として扱われていたからだ。その記憶が脳内に刻み込まれたままになっている――と学者たちは言う。
いま、アッシュとカルボが感じているのはまさにそれだった。
*
廊下が広くなりすぎていよいよランタンが足元を照らす役目しか果たさなくなったころ、ふたりの前に突如として壁が現れた。嫌気が差すほど巨大な壁である。
よもやここまで来て行き止まりかと徒労感が頭上から降ってくるようだったが、よく見渡すと緑色の冷光で囲まれた人間サイズの扉があるようだった。
「人間サイズなのか巨神サイズなのか、はっきりしてよぅ」
「だから作った本人に聞いてくれよ」
扉は近づいただけで圧搾空気が漏れる音とともにいともたやすく開いた。
緊張。中にはとてつもない宝があるのかもしれないが、もっととてつもない罠や怪物が待ち構えていないとも限らない。
ふたりは意を決して扉をくぐった。
*
突如、強烈なライトがところかまわず光を投げかけた。
白く焼き付いた視界が安定してくると、そこは巨大な研究室だった。いや、巨大プラントといったほうがいいかもしれない。
金属製の格子が敷き詰められた床。円筒形のガラスの中で干からびている得体のしれない生物の成れの果て。パイプ。チューブ。コード。ほとんどは年月を経ているせいかボロボロで用をなしていない状態だったが、ずっと奥の方からは何かが脈動し、蒸気を吐いているらしき音が聞こえてくる。
奥に行くに従って蒸気の音がはっきり聞こえるようになった。このプラントはまだ生きている。
「あれ、見て」とカルボ。
そこにはひときわ明るいライトが投じられ、石柱と石床のある神殿のようなものがあった。巨大プラントとは似つかわしくないモノだが、パイプやケーブルの配置は神殿の奥の奥にある何かと接続されているようだった。
「なんだろう、あれ」
「行ってみよう。ここまで来たら最後まで……待て!」
アッシュが急に叫んだ。神殿の壁面から、機械の守護者が転がり出てきたのだ。数は左右二体ずつ。まるで神殿の守護者であるかのようだ。
「いいッスねえ~~こういうわかりやすいほうが好きッスよ、俺は!」
アッシュはカルボに下がるよう言ってから、喜々として真鍮色の蜘蛛にメイスを叩き込んだ。
*
不祥事によりシグマ聖騎士団から追放されたアッシュは鎧から紋章を剥ぎ取られたものの、お情けだったのだろうか、鎧そのものを脱ぐようには命じられなかった。
傭兵になってからの3年間も、メイスとともにアッシュの命を幾度となく救ってくれた大切な相棒である。
ただその胸甲に刻まれた醜い痕跡だけはアッシュの心をどこか虚ろな場所につなぎとめていた。聖騎士の証ではなく、高価で性能の良い道具に貶めてしまったことへの後悔と自己嫌悪。
錬金術により作られた発泡金属装甲の身軽さと防御力は、聖騎士であったときにはただ頼もしかったが、今は時として厭わしくさえ感じてた。
――じゃあ脱いでしまえばいい。
アッシュの頭の片隅にはいつもその言葉があった。
だが、脱げない。
自分が聖騎士というかつての立場にしがみついているせいか?
わからない。
その答えを考えないようにするために、アッシュは傭兵になって武器を振るう機会を追い求めているのかもしれない。
メイスを振るい、敵を叩き潰している間は忘れていられる。ただそのためだけに。
*
誰かが荒い息をしていて、それが自分のものだと気づくまでしばらく時間を要した。
アッシュの足元には、ガラクタに成り果てた機械の蜘蛛が4体分転がって、きな臭い煙を立ち昇らせていた。
身体のあちこちに打撲の痛みがあるが、たいていは鎧が受け止めてくれた。
*
簡単にアッシュの手当をしてから、ふたりは神殿の階段を登った。期待と不安が入り交じる。
頂上には祭壇のようなものがあり、さらに奥にはガラスのように磨き上げられた――あるいは本当にガラスでできた――蒼い柱が二本、左右対称に立っていた。蒼い柱には、プラントから這い上がってきたパイプやケーブルが集中的に接続されていて、まるでこのプラントそのものが柱のために存在しているようだった。
それ以外のものは何も無い。
清潔に全てが片付けられているようだった。
「むきゃー!」奇声とともにカルボは自分の髪をもしゃもしゃかき混ぜた。「何もなし? ここまで来て!?」
そんな都合よく奥に行けば宝があるわけじゃないだろう、とアッシュはなだめようとしたが疲労感がどっと押し寄せて祭壇の上に座り込んだ。世の中なんでも都合よく行かないということは頭で理解していても、じっさい命がけでここまで来てコインの一枚も落ちていないのではやっていられない。
「この蒼い柱が全部宝石で出来てるとかないかな?」
「それはそれで運び出せないな……」
「んもー腹立つ……あれ?」
「どうした?」
「これ! ここ、見て」
カルボが指差したのは蒼い柱の根元にある丸いくぼみで、それはどちらの柱にも存在した。
「で、そこの祭壇に」
「……おう、丸いな」
アッシュは祭壇の上にちょうどのサイズの金属球が埋め込まれているのを見た。まるで祭壇から取り外し、くぼみにはめ込めと言っているかのようだ。
「……出来過ぎてて気持ち悪いな」アッシュは金属球を見つめつつ言った。
「それはそうだけど。でも」
「放って帰る手はない、か」
アッシュは意を決して祭壇から金属球を引き抜いた。一個、そしてもう一個。
すう、と静かな音を立てて祭壇の隠しスリットが開き、”指紋”が出てきた。遺跡に入った時とほとんど同じものだ。入り口に入れたものがここまで運ばれてきたのだろうかと首を傾げたが、どうも指紋のパターンが異なっているようだった。おまけに”指紋”の裏側に、手紙のような文字が刻印されていた。
「古いものだけど、一応汎用語みたいだね」カルボが刻印を覗き込んで言った。「巨神文明のものとは違う……『この球を取り外した者に告げる』?」
さっきまでの気抜けた態度とはうって変わって、カルボは目を輝かせてメッセージを読み始めた。
*
この球を取り外したものに告げる。
君もしくは君たちがどこから来た何者でどんな種族であるのかは分からないができれば人類種であることを望む。
さて、蒼いタンクには私の生涯をかけた研究成果が入っている。遺産として受け取って欲しい。君がどう思い、どのように扱うかは自由だ。捨ててしまうという選択も、私に止める権利はない。
私の遺産を受け取るにあたってひとつだけ条件がある。
安全装置とでも言うべきものがセットされていて、それはすでに解除不能の状態にあるのだ。
ゆえに手間を掛けさせることになるが、安全装置は君自らの手で停止させて欲しい。時間の経過ですでに崩壊している可能性もあるが、そうであれば君は幸運だったといえるだろう。
では子細よろしくお願いする。
”過去に生き、過去に死んだ孤独な研究者 ジャコメ・デルーシア”
*
「安全……」
「装置?」
アッシュとカルボが顔を見合わせたちょうどその時、安全装置は上から降ってきた。
ふたりとも、目を釘付けにされて言葉もなかった。
それはピンク色でシワシワの肉塊で、開頭して取り出した脳みそそっくりだった。ただし人間サイズのものではない。二頭立ての馬車の荷台ほどもある。
前頭葉の真ん中には馬鹿でかい眼球がひとつついていて、側頭葉からはいったい何のつもりなのか太く長い触腕が生えている。
そして口もないのに恐ろしく耳障りな叫び声を上げ、ゆるゆると空中に浮いていた。
”浮遊する絶叫頭脳”。
魔法によって生み出される怪物である――。