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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第16章「100人分の悪夢」
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第16章 01話 船出の前に



 港湾都市アリオク。


 その名の通り外海につながる大きな港があり、日々大きな輸送船が行き来する水運の要である。


 この世界には空を使った交通は一応技術として存在こそするものの、空の領域は全てドラゴンの支配下にあり、迂闊に使えばドラゴンによる報復がもたらされる。そのため、貨物の運輸は陸のエーテル機関車と海運が要を担っている。


 アッシュたちがそのアリオク市に向かったのは、聖都カンへ向かうのに海路を使うのが最短だからという単純な理由だった。


 陸路や機関車では遠回りになりすぎるのだ。この世界は広い。軽く二ヶ月は到着が遅くなってしまうだろう。


 冒険家にして写真家であるウェムラーに、彼の会心の写真を亡くなった友人の墓に供えてくれと依頼されたアッシュたちは、聖都カンへのルートを様々に探り、アリオクから船出したほうが安全で安価でしかも速いと結論を出していた。


 半生体馬ウマや機関車を乗り換えつつ、途中で人間のクズのような死霊術師ネクロマンサーたちとひと悶着あったりして、紆余曲折あったものの無事アリオクに到着することができた。


「久しぶりにまともな都市まちですな」


 龍骸苑の行者モンク、ドニエプルはそう言って首の後をピシャリと叩いた。


 エーテル機関車の駅から降り、預けてあった3頭のウマの引き渡しを済ませると、一行はその日の宿を探すべくぞろぞろと歩き出した。馬と機関車での移動の繰り返しで体がこわばっている。人目をはばからずそれぞれ大きく伸びをして、あくびを漏らした。


「わたし、エリクサーを買い込まないといけないからあんまりおカネないよ」とカルボ。


「私もだ」フォレストエルフのセラが眉をひそめた。「もう矢が尽きてしまった。本当なら森に入って自作するのが一番だが、そうも言っていられない」


「わたくしもです」黒薔薇が、珍しく地に足をつけて難しい顔をした。「港町といえば海産物。美味しいご飯がたっくさんですわ」


 白百合もコクリとうなずいて、「ちらし寿司! ちらし寿司(註:この世界にもちらし寿司と呼ばれる料理は存在する)食べたいですの!」


 黒薔薇と白百合は、アンデッドとゴーレムの戦いに巻き込まれてすこし変化があったようで、今までのようにひとつの発言をふたりで交互に話す喋り方はあまりしなくなっていた。


「おお、それは大変ですなお嬢ちゃん方。拙僧がいくらか出してあげ……たいところですが」ドニエプルは財布を開けてむう、と唸った。「拙僧もそれほど持ち合わせはないですな……」


「アッシュ、どうしよう?」とカルボ。


「どう、って宿のレベルを下げるしかないだろう」アッシュはごく当たり前の答えを返した。


「ええーそれじゃあちらし寿司はどうなりますの」

「構わんが、弓矢は私の生命線だ。なんだったらちょっと援助がほしいくらいだ」

「わたし、お風呂入りたい。大浴場の」

「ちらし寿司はこの際がまんするしかありませんわ、白百合」

「しかしこれから船旅で聖都カンに向かうのですから、節制が必要ですな」


 仲間たちはてんでバラバラの意見を言い合い、まとまりそうもなかった。


 アッシュは左眉の古傷をしばらくなでてから、「じゃあほどほどの宿を見つけよう。疲れも取らないといけないしな。船賃は残るくらいの宿。それで適当に調べてくれ。二時間後にここで。はい解散」


 面倒くさそうにそう言って、アッシュ自身もどこかに行ってしまった。


 残った一同は顔を見合わせて、港湾都市アリオクのあちこちを探し回ることになった。


     *


 アッシュの持ち合わせも少ない。


 ガープ王国のテクスメックの鍛冶屋に頼んだ黒鋼のメイス300アウルム(註:円換算で300万円に相当)が痛かった。それに見合うだけの働きはしてくれるので後悔はしていないが、腰の革ケースに差しているのが300アウルムの塊と考えると少々重たい気持ちになる。武器ではなくもはや貴金属のたぐいだ。


 これがなければ守れる命も守れないんだ、と思えば悔いはない……はずだ……と自分に言い聞かせ、万が一にも泥棒に奪われたりしないよう警戒した。


 港町というのは得てして犯罪者が多い。密輸に関わる組織がいたり、そうした組織の下っ端がつまらないいざこざを起こしたり、港に降り立った旅行者からのスリや盗みが横行したり、おおよそそんなところだ。


 そんなことを考えていると、気づかないうちに船着き場の護岸まで足が向いていた。


 潮の匂いが風にまじり、何かがべたつくような感じがあって、アッシュは少し立ち止まった。


 ――これだから海は嫌いなんだ。


 心のなかで毒づいた。が、実際のところアッシュは海だけでなく湖も幅広い川も好きではない。


 泳げないからだ。


 自力で泳ぐのはもちろん、船での移動も結構な決意がいる。転覆したら? 何かの事故で水の中に飛び込まなくてはならなくなったら? ましてや水中を潜らなければならない状況を考えると、船旅なんてやめようと仲間に切り出したくなる。


 だが陸路で行けば聖都カンに到着するまでの期間が最低でも2ヶ月は伸びる。一応リーダーとしては仲間にさらなる長旅を強要するのは気が引ける。だからやむなくこの港湾都市アリオクに来たわけだ。


 しばらくそのまま歩くと、大きな貨物船の姿が目についた。大きいといってもあの”ザ・ウォーカー”ほど衝撃的ではないが。


 なんとなく気になって、アッシュは船着き場へと向かった。


     *


「オラ、何やってんだエルフ! さっさと運び出せ!!」


 どこかから怒声――と言うより罵声が聞こえた。


 アッシュの眉がわずかに動く。エルフという言葉に引っかかりを覚えた。


 貨物船からの荷降ろしを行っている場面が見えてきた。そこにはたしかにエルフがいた――ただしセラのようなフォレストエルフではない。下半身に腰巻き一丁の格好。イルカを思わせるやや灰色がかった白い肌と流線型の体型。


「マリンエルフだ」


 背中から声をかけられ振り向くと、いかにも気に食わないという顔のセラがいた。


「マリンエルフ、ってことは海に適応したエルフか」


「そう。本来ならな」


「本来?」


「海に潜って海洋牧場を作り、船団を作って雄大な漁に外洋に出る」


「海の男か」


 セラは険悪な目つきでアッシュをにらみ、「エルフ・・・だ。海のエルフ」


 アッシュたちが話している間も、マリンエルフ数人が重そうな木箱や樽、固形エリクサーのかごなど荷物が次々と降ろされていく。


 と、船側から何かどよめきのような声が上がった。見ると、ロープがほどけてスイカか何かがぼたぼたと港の水面に落ちていた。


「何やってんだ、オイ! 客の荷物落としてどうするんだバカヤロ―!!」


 荷降ろしの監督役と思しき男が荒っぽく怒鳴り散らしてから、その矛先をマリンエルフたちに向けた。


「おいエルフども、とっとと取りに行け! 泳ぎは得意だろうが!」


 監督役がそういった途端、なにか空気中にある見えないスイッチのようなものが入るのをアッシュは感じた。


「どうした、何を黙っていやがる? こういう汚れ仕事をするために雇われたんだろうが、泳ぎエルフども!」


 マリンエルフたちの手が一斉に止まり、人間に比べれば奇異に感じるほど大きな黒目を静かに監督役へと向けた。怒りのにおいがした。


「それはしまっておけよ」


 アッシュが小声でそう言わなければ、セラは背負っている弓で監督役を狙撃していたかもしれない。フン、とわかりやすく鼻息を荒げ、セラは横柄な人間の監督役を恐ろしい目で睨みつけた。もっとも、その矢筒にはもう矢は入っていなかったのだが。


     *


 結局のところ、アッシュもセラも部外者の旅人でしかない。


 なぜマリンエルフたちが人間にあごで使われ、人間の港湾労働者の失敗の尻ぬぐいを押し付けられるような関係になっているのか、想像はできるが勝手に入り込めるような話ではないだろう。


 荷降ろしをしているマリンエルフたちはかなりの不満を溜め込んでいる様子だが、それを耐えて仕事を続けるということは他に生活できる道がないからではないか……。


 貨物船に乗り込んでいかにも嫌なヤツ(・・・・)を海に放り込むことは簡単だ。しかしその後マリンエルフたちが荷降ろしの仕事を失って路頭に迷うことがあったら? 有り得る話だ。


 だからアッシュたちはそのまま通り過ぎようとした。負いきれない責任を抱えることは必ずしも善や正義ではないのだから。


 と思った矢先。


 不思議な甲高さを持った悲鳴が、倉庫の一角から聞こえた。


 どうやらエルフ語のようで、セラは完全に血相を変えてその場を飛び出した。


「どうしたんだセラ!」


 アッシュは並走してセラに尋ねた。セラはそれには答えず、大きな倉庫と倉庫の隙間の前で止まった。


 ちょうどそのタイミングで、マリンエルフの若い娘が飛び出してきて、転びそうになったところをセラが抱きとめた。一見してただ事ではない。体に巻きつけて独特の結び方をするマリンエルフ特有の服が大きく切り裂かれて、乳房がまろびでていた。


 セラは汎エルフ語でマリンエルフの少女に何事かを尋ね、途端に顔色を変えた。


「アッシュ! あそこにいる男!」セラは叫んで、倉庫と倉庫の隙間道を指差した。「この子を襲ったらしい!」


 次の瞬間にはアッシュは姿を消し、隙間道に飛び込んでいた。


     *


「あれか」


 アッシュは倉庫の陰から逃走する派手な格好の男を見つけた。人間の男だ。キラリと手元で光るものがある。ナイフを片手にしているようだ。


 軽く息を吸い込み、アッシュは全速力を出した。止まれとわざわざ言う必要もない。猟犬を凌ぐ足の速さは、訓練していない一般人に追いつくことなど造作もない。


 男が倉庫を抜け、通りに抜け出た。


 アッシュはあと五歩でジャンプして、後頭部に飛び蹴りを入れる――はずだった。


 本当にギリギリのタイミングでアッシュの足が止まった。倉庫街のきっちり整地された道で足を踏ん張り、ブーツの底が焦げる匂いが上がってくる。


 アッシュは目を丸くした。


 倉庫を抜けた先にいたのは人ほどの白い制服を着た一団で――そこには大きく染め抜かれた円十字の紋と、その下にすこし斜めになった丸。


 ――オミクロン聖騎士団!?


 アッシュは口から驚きの声が漏れるのをかろうじて防いだ。


 円十字教会オミクロン聖騎士団。


 全速力で走ったことよりも、聖騎士団の存在がアッシュの鼓動を早くさせた。


「たっ、たっ、助けてくださひぃ!!」


 アッシュが追っていたチンピラ風の男が、よりにもよってオミクロン聖騎士団に助けを求めた。


「何事だぁ~い?」


 怪しげな丸いサングラスをつけた聖騎士のひとりが、気の抜けた声で尋ねた。


「あ、あ、あ、あの男に追われているんです!」


 チンピラに指さされ、アッシュは思わず「ふざけるな!」と叫び、叫んだあとに口元を隠した。


 アッシュはシグマ聖騎士団を追放され、それだけでなく大もとの円十字教会から破門されているのである。聖騎士団との接触は可能な限り避けなければならないし、身元が割れた上で教会に入れば異端者と同じ扱いを受ける。


「あら~? キミもしかして……」丸サングラスの男はそのサングラス少しをずらし、アッシュのことを見た。「悪い人?」


 うう、とアッシュの喉の奥で声がわだかまった。なんと答えればいいのかわからない。


「そうなんです、おお俺はアイツにころされ」


 喋りきらせる前に、サングラスの男は何かを手にして振った。するとチンピラの襟に何かが引っかかり、身長の三倍くらいまでいきなり跳ね上がった。


 ――糸!?


 アッシュでなければ見破れなかったかもしれない。サングラスの男は、針のついた釣り糸で釣り上げられ、そのまま背中から叩き落とした。


「馬ァ鹿言っちゃいけないよボウヤ~ボクたち聖騎士団なんだからね~悪事がバレないと思ったらおおまちがいよぉ?」


 とぼけた喋り方の男は、サングラスをくいっと直してアッシュの方を見た。


「キミは?」


「じ、自分は……」アッシュは声をつまらせた。


「この男を追ってたんだよね~わぁかるわかる」


「え?」


「そりゃわかるよ~だってボクは聖騎士団団長だもの」


 アッシュは目を真円に近く開いた。


「ボクは円十字教会オミクロン聖騎士団団長。スポージ団長だよぉ~」


 スポージはそう言って、丸いサングラスの奥でニヤリと笑った。


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