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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第15章「花と花」
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第15章 05話 ふたりでひとり、ひとりがふたり

 農村を取り巻く霧は時とともに濃くなり、日が高くなっても消える気配がない。


 村の南の礼拝堂から望遠鏡で戦況を覗いていたジアンシィは、さすがにその奇妙さに不信感をもった。


 それと全く時を同じくして、村の北にある館から観戦していたヴァニアもまた異常事態を感じ取った。


 ――ヴァニアめ、何か余計なことをしよったか。


 ――ジアンシィ、あのジジイの差し金か。


 死霊術師とドールマスターのふたりは、同じ考えで敵の仕掛けを疑っていた。


 だが、事実は違っていた。


     *


 カルボはぶつかり合うアンデッドとゴーレム、その影で化け物たちを狩るアッシュたちの動きを外から見られないように、水をいれると激しく反応し水蒸気を立ち上らせるエリクサー複数個を村のあちこちにセットしていた。


 ――これだけまけば霧の中の状況はわからないよね。


 あちこちを走り回り、アンデッドとゴーレムに見つからないようエリクサーを設置するのはなかなかスリルのある仕事だった。額から汗が伝い、あごから垂れて豊かな胸の谷にぽとりと落ちた。


「さて、もうひと仕事こなすかあ」


 ひとりごちて、カルボは姿勢を低くして霧の中を駆け抜けた。


     *


 時間を経るごとに濃密になっていく霧の中でアンデッドとゴーレムたちは乱戦となり、その影でアッシュはゴーレムを、ドニエプルとセラはアンデッドを仕留めていた。その点、一応はジアンシィの依頼もヴァニアの依頼も従っている形になる。


 アンデッドとゴーレムのどちらが優秀か、などという実験――ヴァニアはゲームと呼んでいたが――のために村ひとつの住民をまるごと犠牲にするような連中である。アッシュたちは依頼をこなし黒薔薇と白百合を傷つけさせないようにしながら互いの敵叩き潰すため手を打った。ジアンシィの下にアッシュとカルボ、ヴァニアに雇われる形でドニエプルとセラがそれぞれ参戦し、さらにカルボのエリクサーで戦場全体を隠すことで、アンデッドもゴーレムもきりの中でどんどん数を減らしていくという作戦である。


 だが、根の腐っている死霊術師の約束に頼るのは危険だ。黒薔薇を余計なことにこれ以上巻き込ませないよう仕掛けなければならない。


 そこでカルボに出番が回ってきた。


     *


 南の礼拝堂。


 濃密な霧が、何らかの魔法的作用であると確信したジアンシィは、望遠鏡をなげうって礼拝堂を出て直接戦場に向かうことを決めた。


 そして、入り口から枯れ木のような姿を晒して出て来るジアンシィの元に、急に老人を呼び止める声が聞こえた。


 カルボが形よく膨らんだ胸を大きく揺らしながら駆け込んできた。すでに性欲など枯れてしまっているジアンシィであったが、それでも一瞬目を奪われた。


「……何事だ」ジアンシィは淀んだ目で言った。「まだ決着がついたようには見えんが」


 カルボは膝に手を置いて息を整え、「そ……それどころじゃないんです」


「どういうことだ?」


「こ、これ。これ見てください」


 カルボは荒い息で手のひらに握っていた何かをジアンシィに見せた。筒状のガラスに入ったエリクサーのようだった。


 これが何か、とジアンシィが怪訝な顔をした。再びカルボにそれが何なのか訪ねようとすると、カルボがにこぉっと悪そうな笑顔を見せたかと思うと、エリクサーのボトルがしゅうっと音を立てて微粒子のしぶき(・・・)が吹き出した。


「これは……」ジアンシィが再び尋ねようとしたが、それはできなかった。「ああっ! なんだこれは……ぐあああっ!!」


 鎮圧用エリクサーを顔面に浴び、ジアンシィはいきなり視力を奪われ、呼吸ができず激しく咳き込んだ。


「ごめんねおじいちゃん。ああ、でも自業自得だから……まあいっか」


 カルボは喉をかきむしるジアンシィの背後に回り、胸の谷間からするっと引き抜いた何かを引き抜いた。厚みのある靴べらのようなそれはブラックジャックと呼ばれる道具で――主な使い方は後頭部をぶん殴って気絶させるというものだ。


 カルボは、自分で武器を持って戦うことを好まない。代わりにエリクサーを多種多様にそろえている。だからジアンシィを殴りつけるのは少々気が引ける。だが、結局は打った。この老人は死霊術師で、農村をまるごと死霊のすみかにして、おまけに家族のように大切な黒薔薇を拉致したのだ。


 バチン、と音がしてジアンシィは前のめりに倒れ、泥の中に顔を突っ込んだ。残念なことに――ジアンシィにとっては不運なことに――鎮圧エリクサーの目と呼吸器に与える痛みは気絶することを許さず、ひたすら涙と鼻水を垂れ流し、激しく咳き込み、後頭部を抑えなければならなくなった。


 昨夜の豪雨で緩んだ地面を転がる老人をしばし困ったように眺めてから、カルボは自分のやらなければならないことをやるために礼拝堂へと駆け込んでいった。


     *


 火の付いた藁束人形ストローゴーレムに抱きつかれ、ペイルマン・ウォーリアはなんとか引き剥がそうとするのだが、人の大きさと形に作られたの藁束内部には爆発性エリクサーが染み込ませてあり、自爆して双方ばらばらになった。


 霧に煙る無人の村で繰り広げられる全面対決は一進一退で、決着はなかなかつかない。苦悶のうめき声を発して敵を絞め殺すだけのペイルマンだけではなく、武装した兵士のペイルマンも現れ、ゴーレムたちと切り結んでいた。


 一方で見通せない霧を通して戦闘に参加しているアッシュ、ドニエプル、セラの三人はそれぞれの陣営の化け物たちを次から次へと屠っていった。


「さすがアッシュ殿、ゴーレム相手に見事なメイスさばきですな」


 ドニエプルはそう言ってペイルマン・ウォーリアの体を持ちげ、ボディスラムの要領で地面に叩きつけた。泥水がはね、じたばたと立ち上がろうとするがドニエプルは容赦なく顔面を踏み潰し、穢された魂を自由にしてやった。


「おまえこそ圧倒的だなドニ」


 アッシュは苦笑しながら泥でできたマッドゴーレムにメイスを叩き込み、飛び散った泥が触れる前に横に跳び、エーテル機関が埋め込まれている心臓部に黒鋼を突き入れた。エーテル機関が半壊し、泥人形は形態を保てなくなり、結局むき出しになったエーテル機関を粉砕され、泥人形はただの泥に戻った。


 と、互いの実力を褒め合う男どもの背後に、ペイルマン・アーチャーが弓を構えていた。キリキリと弦を絞る音が聞こえ、アッシュとドニははっとなって振り返るが、その前に屋根の上からセラが狙撃し、アーチャーは顔面を射抜かれて行動不能になった。


「どうした? 私のことは褒めないのか?」


 セラが屋根の上でふんぞり返り、ふふんと鼻を鳴らした。


「セラ殿お見事」

「すごいな」


「なんだそのやる気のない感じは!」セラは板葺きの屋根で大きく一度地団駄を踏み、「そんなことより、カルボの首尾はどうなってる!」


「言っただろう? クロを助けだしたら礼拝堂の鐘を鳴らすって」アッシュはメイスをヒュッと振り抜いて血汚れを払い、「たぶんもうすぐだ」


 アッシュの言う通りになった。


 アンデッドのたまり場になっていた礼拝堂から、それでもなお清らかさを残した鐘の音が村に響いた。


 村にわだかまっていた霧も、それにならうように消えていった。


     *


「な……何なのよこれは……!?」


 肥満体のゴーレムの女主人(ゴーレムミストレス)、ヴァニアは呆然とし、怒りがこみ上げ、もう一度呆然とした。


 望遠鏡片手に観戦していた彼女は、濃霧のせいで何が起こっているかさっぱりわからなくなってしまったため、こっそり自陣である北の館から抜け出して民家の陰から様子を覗いていた。


 そこで行われていたのはアンデッドとゴーレムの最終戦争などではなく、ふたつの対決に乗じた助っ人(・・・)たちが両陣営の混乱に乗じて戦場をかき回し、化け物どもを始末していく様子だった。


 ――あの人質の娘のせい!? いや、そんなことどうでもいいわ。このままじゃワタシまで一緒に殺されちゃう!


 ヴァニアは、捕らえたままになっている白百合を使ってこの場を切り抜けるべく、太った体を揺らしながら館に急いだ。


 が、何かに足を取られて泥の中に思い切り転倒した。


「ブパァッ!」ヴァニアは泥まみれの顔を上げ、ブタのように鳴いた。「何なのぉこれは!?」


 なんとか体をひねって足元を見ると、突き出た腹の向こう側に矢が刺さっているのが見えた。スカートの裾を射抜かれていたらしい。


 さらにその向こうに武装した男女が横並びになってこちらに歩いてくるのが見えて――ヴァニアは命乞いの文言を頭のなかで思い浮かべた。


     *


 白百合は北の屋敷に囚われたまま、祈り続けていた。


 白百合もまた、黒薔薇の脳内のエーテル波の同調ができず苦しく、心細い思いをしていた。


 ヴァニアに軟禁されたへやにあった時計を見るに、10時間以上黒薔薇と引き離されていることになる。生まれて――作り主であるジャコメ・デルーシアの封印が解かれて――以来、こんなに長期間お互いの顔さえ見ることのできない状況は初めてだ。


 白百合は、自分という概念がよくわからない。自分とは黒薔薇であり白百合のことだ。それは黒薔薇も同じことだと、白百合は当然のように思っていた。黒薔薇と白百合は、ある意味で同一人物だと。


 だからエーテル波の同調ができない状況が苦しくて、不安に包まれているのだと。


 だがそれは少し違うのではないか。


 白百合は祈りの中で、黒薔薇が『助けに来てくれる』と信じることができた。『自分の半身が戻って来る』のではなく、もうひとりの自分が助けに来てくれるのではなく、黒薔薇という『大切な人』が飛んできてくれる。そんなふうに思えた。


 ――私と黒薔薇は、どんなに完全に同調できる存在だとはいえ、別の人間なんだ。


 自分たちが錬金術の粋を凝らして生み出された人造人間であることはもはや関係ない。


 同一人物ではない、大切な姉妹が迎えに来てくれる。


 白百合はそう信じることができた。


 その時、扉の向こうから声が――脳エーテル波よりもっと強い結びつきが、扉の向こうから聞こえた。


「白百合! 白百合! そこにいるのですね!?」


 白百合は目をうるませて、「はい、黒薔薇。私はここにいます!」


「じゃあ、鍵を開けるね?」これはカルボの声だ。


「カルボ、大丈夫ですわ。私と白百合がいれば、こんな扉くらい」


 いきますよ白百合、と扉を挟んでくぐもった声が聞こえた。


「はい、黒薔薇」


 ふたりのエーテル波が完全に同調した。


 互いの超精神術サイオニクスが今までにない力を発揮し、軟禁部屋の分厚い樫の扉が瞬時にして粉々に砕けた。


「白百合!」


「黒薔薇!」


「よかった、無事だったのですね」


「はい。黒薔薇の方こそ」


 姉妹は互いの体をギュッと抱きしめた。


 もはや彼女らは『ふたりのひとり』ではなく『ひとりずつのふたり』であった。


 それを間近で見たカルボは、なぜかとてもうれしい気分になって、ふたりを抱きしめて一緒に涙を流した。


     *


 不思議なことに、農村には生き残りの人間がいた。


 だがそれはある意味当然だと言える。


 ジアンシィとヴァニアがどれだけ村の住民をおもちゃとして扱っても、アンデッドやゴーレムに身の回りの世話をさせるようなことはしなかったらしい。生ける死体に日々の給仕を任せる人間がいるとすればそれはもはや完全な狂人だ。


 彼らを解放し、無責任ながら村の最高やジアンシィとヴァニアの身柄を当局に引き渡す役目を押し付けたが住民たちは文句のひとつも言わず、六人の仲間たちは救世主のように送り出された。


 偶然居合わせ、1アエス(註:1アエスは1円に相当)の得にならないのに厄介な戦いを強いられただけの一日だったが、それでもアッシュたちは晴れやかな気分だった。


 醜怪な悪を滅ぼし、それ以上に黒薔薇と白百合がほんの少し成長の兆しを見せてくれた。アッシュはそれに報酬以上の何かを感じ、それは仲間たちも同じであった。


 ――こういうことがあってもいい。


 今までよりくっつかず、しかし今まで以上に信頼関係を結んだ黒薔薇と白百合を見て、アッシュは満足だった。


15章 おわり


16章へ続く

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