第15章 04話 ボディバッグはいらない
無人の農村。
曇天。霧雨に包まれ、あたりは煙っている。
遠雷の響きが時おり聞こえ、どこか不穏さを感じさせる。
村の北側、豪奢な館からは肉人形、鎧人形、麦藁人形といった疑似生命体がうぞうぞとかつて村の広場であった場所に集まってきた。
そしてもう一方。瘴気によって穢された礼拝堂からは、村人を利用したペイルマンを始め、数々のアンデッドがうめき声を上げながらゆっくりと村のあちこちに分散し始めた。
数はアンデッドのほうが多く、村の要所を抑えている動きとなっている。
「ヴァニア! 聞こえるか膨満女!」村中に、ジアンシィの増幅音声が響き渡った。「今日こそ最後にしよう。ワシのアンデッドとおまえのゴーレム。果たしてどちらがより有用な戦力であるかを!!」
「あら、アナタと意見が合うなんて何ヶ月ぶりかしらぁん」ヴァニアもまた増幅音声で返した。「いいわよジアンシィ。もう毎日毎日アナタのアンデッドを見せられるのはうんざり。今日で決めちゃいましょ」
「よかろう……ああ、そうだ。今日は特別に助っ人も用意しているからな」
「それも奇遇ねえ。ワタシのところにも協力者がいるわ」
「まさかそれを理由にどうこうする気ではないだろうな?」
「アナタの方こそ。それと、昨日の夜捕まえたキュートなお嬢ちゃんは無事なんでしょうね?」
「まだ、な」ジアンシィは含みをもたせた。「おまえのところは?」
「ワタシのところにいる白い子は無事よ。ワタシは約束を守るタイプだから」
「わかった。これ以上の話はお互い無駄だな。早速始めようとしよう」
構わないわ、とヴァニア。
と、予め定められたタイミングで礼拝堂の鐘がなった。
ジアンシィとヴァニア。
死霊術師対人形遣いの戦いの火蓋が切って落とされた。
*
ジアンシィ率いるペイルマンの集団は、ああううとうめくばかりで動きはのろい。マネキン型ゴーレムや藁束に擬似生命を与えられたストローゴーレムは体が軽く動きやすい。アンデッドの頭を、体を容赦なく弾き飛ばし、反撃を許さない。
「いいわ、いい調子よ」
高台から戦場を望遠鏡で覗き込むヴァニアはほくそ笑んだ。やはり量よりも質を追求したほうが正解だという思いが太ましい腹の中から湧いて出た。あんなジジイの気色の悪い動く死人などとは有用性が違う。
「さて、ここで一気に片をつけるわよぉん。アナタたち、きっちり仕事してもらうわ」
ヴァニアは後ろに控えていた”助っ人”に声をかけた。ドニエプル、セラのふたりである。
ふたりはうなずいて、北の屋敷の裏門からそっと外に出た。
*
「ペイルマンでは足止めにしかならんな」
礼拝堂から型の古い望遠鏡で戦況を見ていたジアンシィは、自らの手を加えた生きる死人たちの動きにもどかしさを感じた。
「だがアンデッドはペイルマンだけではないぞ?」
ジアンシィの声に呼応するように、村の物陰から得体の知れない赤黒いものが湧き上がった。血煙が人の姿を取ったような化け物、アンデッドの一種”血まみれ風船”である。
「どれ、ついでにお前たちの出番だ。あやつご自慢のゴーレムをたっぷりは破壊してくるのだ」
「もう一度確認しておく」アッシュの声が穢された礼拝堂に響いた。「クロを……あの子に傷ひとつでもつけていたなら、俺たちは他の何をおいてもお前を殺す」
「ふん。ワシは人質の価値の分からぬ愚か者ではない。貴様らこそ適当に手を抜いて戦うようなら、覚悟をしておけよ」
ジアンシィの言葉に返事をすることもなく、アッシュは礼拝堂の正面から全く身を隠す様子もなく出ていった。カルボもそれに続く。
「さて、どの程度役に立ってくれるかな?」
ほくそ笑みながら、ジアンシィはふたりの後ろ姿を見送った。
ふたりがヴァニア率いるゴーレム軍団を損耗させればそれで良し。殺されれば、新たなアンデッド研究の素材として利用すればいいまでだ。
ジアンシィは、どちらに転んでも自分の有利に働くこの状況を楽しんでさえいた。
*
黒薔薇、そして白百合は、村を挟んで南北に離れて軟禁されたまま、外の様子をうかがうこともできず祈るような気持ちでお互いの脳エーテル波を同調させようとしていた。
離れ離れになれば互いの気持ちを読み取ることさえできない。自分たちの絆とはこの程度でちぎれてしまうようなものだったのだろうか?
黒薔薇も白百合も、不安や孤独より『自分たちのつながりはしょせんただの超精神術の結果にすぎないのではないか』という思いに駆られていた。
彼女たちは普通の出自ではない。数百年前、ジャコメ・デルーシアという錬金術の研究者が生み出した人造人間である。自然に生まれた人間ではないのだ。
だから――黒薔薇としての自分、白百合としての自分は存在せず、ただ同じ反応を示すだけの、あくまで”人造”にすぎないのではないか。と、皮肉なことにふたりは離れた場所で全く同じ疑念にとらわれていた。
――白百合……。
黒薔薇は一刻も早くもうひとりの自分と会いたいと願った。
――黒薔薇……。
白百合もまた同じくもうひとりの自分と会いたいと願った。
ふたりは全く同じひざまずく姿勢を完璧に同じタイミングで取り、両手の指を組んで祈った。
*
霧雨は降ったり止んだりを繰り返し、無人の農村に立ち込める濃霧は視線を遮るほどに強くなった。
その霧を弾き飛ばすようにして、何かが猟犬のように素早く飛び出した。アッシュである。
「ふんッ!」
黒鋼のメイスが、暗黒の軌跡を引いて鎧型ゴーレムのフルフェイスヘルメットに直撃した。オレンジ色の火花が飛び散り、疑似生命の人形はぐらりと姿勢を崩した。
そこにあわせてアッシュはかかとを鎧の膝にぶち当てた。ゴーレムといえども構造そのものは鎧の可動範囲を出ない。元聖騎士であったアッシュは、フルプレートアーマーの脅威も弱点もよく知っている。上半身がぶれたとき、下半身にどうしても受け流しきれない死角と呼べるところがあらわになるのだ。
そのひとつである膝頭に衝撃を受け、物言わぬ動く鎧に数秒の隙が生まれた。
数秒。アッシュには長過ぎる。
側面に回って脇腹に一撃。背後に回って再びヘルメットに一撃。そして膝裏に黒鋼のメイスを叩き込んで、朽木倒しになったところを顔面に一撃。
ゴーレムは構成素材を完全に破壊されるか、エーテル機関を止めるかいずれかでないと倒せないとされる。鎧型ゴ―レムは頑丈な鎧でできているがしょせん中身が詰まっていない。外皮である鎧に隙間を作るほどのダメージを受ければ、自然とエーテルが漏出し、機関が止まる。
――飾りモンの鎧じゃこんなもんか。
アッシュは、鎧型ゴーレムが実戦用ではなく展示用ものと見抜いていた。一見厳しいが、結局はハリボテのたぐいだ。実戦用のものであれば、もっと苦戦を強いられていたところだろう。
と、今度は別の方向から霧をかき分けて何かが現れた。
鎧ではない。人間――いや人間ではない。肉ゴーレムだ。(註:Flesh。fresh=【新鮮なゴーレム】ではない)
死体の肉を素材にツギハギにして作り出される人形。レンガや鎧や石造りのゴーレムに比べればやわらかいが、その分体が軽く動きは滑らかで俊敏だ。
腰布だけを巻いた大男で、悪趣味にも頭がふたつ。男と女のものが生えている。腕は四本あり、どれも野太く、肘と拳に鉄板が埋め込まれている。
アンデッドを死者の冒涜と呼ぶなら、このフレッシュゴーレムはいったい何を冒涜しているのだろうか。
――知ったことか。
再び黒鋼のメイスが霧の尾を引いての迎撃。肉人形の動きを止めた。
む、とアッシュの眉がつり上がった。
フレッシュゴーレムは動きを止めたのではなく、4つの腕を総動員して反対にアッシュの一撃を受け止めていたのだ。
男の頭が吠え、女の頭が叫んだ。肉人形は人為的に強化された膂力で強引にメイスをアッシュからぶんどり、後ろの方に投げ捨てた。これで丸腰になったアッシュを攻めようと四本腕を振り回し、アッシュに迫る。
が、ゴーレムは動きを止めた。
ほんの数秒前にいたはずのアッシュの姿がかき消えている。
ゴーレムは主人の単純な命令に従うことはできても、機転や推理とは縁が薄い。もはやその場に敵なしと判断し、住人のいない家の裏手に回ろうとした。
その動きに邪魔が入った。
ゴーレムが足元を見ると、ふくらはぎに麦わらを運ぶ農具が突き刺さっていた。ぐう、とふたつの頭が唸った。痛みのせいではない。フレッシュゴーレムは素材に肉を使っているだけの疑似生命。痛覚もないのだ。
しかし構造上、尖った農具を突き刺されると動けなくなるのも事実である。肉でできた人形は四本腕の一本を伸ばして農具を引き抜こうとした。
「でいりゃあ!」
気合の声が霧の中で響いた。フレッシュゴーレムは、今度は本当に悲鳴を上げた。男のほうの頭に鋤が叩き込まれたからだ。
女の頭も2秒ほどの混乱を見せたあと、敵を潰さな獲ればならないと判断を下した。
それも不可能だった。
女の両目に小型の投斧が突き立てられ、視界が奪われたのだ。
フレッシュゴーレムは、ゴーレムであるゆえに脳で考えたりはしない。脳の代わりにエーテル機関が入っていて、それが命令どおりに肉の体を動かしている。それでも頭を潰され目も見えなくなれば、与えられた命令にだけ従ってはいられない。自己の安全を確保しようと右往左往した。
それは、アッシュを相手にするには致命的な隙となった。
全身をメイスで滅多打ちにされ、両方の頭をもう一度念入りに破壊され、肉人形はその役目を強制的に終了させられた。
アッシュはふう、と息をついた。
黒鋼のメイスの柄をポンポンと叩き、「これ300アウルム(註:300金は300万円相当)もしたんだ、勝手に投げ捨てられたら……」
最後まで言い切る前に、そんな愚痴を言っても無意味だと気づいた。フレッシュゴーレムは、エーテル機関を破壊されてただの肉の塊になった。話し相手には向いていない。
――この肉も、この村の誰かの死体だったんだろうな。
アッシュはぐにゃりとした気分になり、再び霧の中に消えた。
*
「噴ッ!」
ドニエプルが気合の声をあげ、猛烈な裏蹴りをペイルマンのひとりに叩き込んだ。ペイルマンの、すでに腐敗が進み脆くなった腹部が半ばちぎれるようにして吹っ飛び、ほかのアンデッド共を巻き込んだ。
「あのジアンシィとかいうネクロマンサー、これだけの住民をアンデッドにしたということですな……」
抜かりなくファイティングポーズを取りつつ、ドニエプルは憤怒の形相になった。龍該苑において生命への冒涜は、他の宗教団体と同じく忌み嫌われている。
「ドニ、右手奥から何か来る!」
民家の屋根から弓での狙撃を行っていたセラが戦況を伝えた。言う通り、細い民家と民家の間の道から、赤い風船のようなものが姿を表した。アンデッドのひとつ、血まみれ風船だ。中にミアズマと血液の混合物を入れた丸く浮遊能力を持ったアンデッドで、ペイルマンに比べれば上位の存在と言える。
シュアア、と壊れたシャワーのような音を立て、ブラッディバルーンの表皮から赤い煙が撒き散らされた。ミアズマと血液の混合物――すなわち毒煙だ。
「むう」
ドニエプルは重量級の体躯に似合わず俊敏に跳び、赤い毒煙から逃れる。
「厄介ですな! セラ殿!」
「わかってる、もう少し離れてくれ!」
ドニエプルに叫び返したセラは素早く矢をつがえ、赤い毒風船を的確に狙撃した。途端、破裂音がして赤黒い毒煙が大量に漏れ出した。
「ドニ、それを吸い込んだら……」
「心配ご無用!」
そう言うと、ドニエプルは全身に力を込めた。僧形の巨漢に聖なる銀のオーラがまといつく。”噴射の構え”同様、モンクの技である。噴射の構えが全身のバネを一瞬に集中、爆発的な一撃を与えるのに比べ、”聖炎の構え”はミアズマの影響を消滅させ、邪悪なものを寄せ付けないというものである。
「そいりゃあ!」
聖炎の構えからの正拳突きがブラッディバルーンの残りカスを完全粉砕した。
その場で残身し、次にうようよと足元のおぼつかないペイルマンたちに襲いかかった。
「なかなかにやるじゃないか!」
民家の屋根の上で賞賛の声を上げ、セラは再び強烈な矢を放った。