第15章 03話 ゲームか、実験か
「攫われた、ってそれどういうことなの……?」
古ぼけた橋の下に設営したキャンプでアッシュたちから事の次第を聞かされ、カルボは血の気の引いた顔で言った。
「……言ったとおりだ」アッシュはずぶ濡れ泥まみれのマントを脱ぎ、「ジアンシィとヴァニアとかいうふたりが、クロとシロを人質に取った。どちらかを助けると反対側は殺される……という話になっている」
「そんなこと!」カルボは声を荒げた。「セラも一緒にいたのに、なんでそんなことになるの!?」
冷静さを失い、カルボは橋の下をぐるぐると動いて回った。
「面目次第もない」セラが憮然としながら濡れた髪をかき上げた。「だが、そういうことだ。どうやら私たちは妙なことに巻き込まれたらしい」
なおも気持ちの収まらないカルボはアッシュに食ってかかろうとして、ドニエプルに制された。
「アッシュ殿やセラ殿が好き好んでお嬢ちゃんたちを引き渡すはずなどない。そうでしょうカルボ殿?」
カルボは肩を落とし、力なくごめんとだけ言った。
「さりとて、放って置くわけにも行きますまい。今から夜襲をかけるというのは?」
「そうしたいのは山々だが……」セラは焚き火の前でしゃがみこんだ。「無策で突っ込める状況ではない。あの子たちの命がかかっている」
「夜が明けるまで待ちますか」
「せめて雨が止めばいいんだが……お前はどうする気だ、アッシュ」
アッシュは焚き火をじっと見つめ、腕を組んだまま瞬きもしない。セラたちの声も聞こえていないようだった。
「4人……」
「え?」
「俺たちが4人だってこと。やつらは知らない。それで裏をかけるはずだ」
「どうやって?」
「それを今から考える」
アッシュは頬に飛んだ泥を拭い、焚き火の前に腰を下ろした。
カルボたちはゴクリと息を呑んだ――アッシュの目には、静かな態度とは裏腹に怒りが煮えたぎっていた。
*
翌朝。
勢いは収まったものの雨はいまだ止まず、セメント色の空からかすかな雷鳴が聞こえる。
「廃村、というにはそれほど荒れてはいないな」
橋の下から抜け出して、朝の風景を見渡したセラが言った。真夜中の雨の中では判然としなかったが、そこそこ大きな村の近くで雨宿りのキャンプをしていたらしい。
「でも人の気配しないよ?」とカルボ。黒薔薇と白百合が囚われたことを知ってほとんど眠れていないようで、目の下に隈ができている。
「逃散したのか、あるいは……」
セラが何かを言いかけて、かぶりをふった。昨夜うろついていたペイルマンたちとの結びつきを推測するのは簡単だが、それを口にしたくはなかった。
「……行こう」
アッシュが低い無感動な声で仲間たちの背中に声をかけた。今度は間違いのないよう腰の分厚い革ケースに黒鋼のメイスを差し、トンファー状の柄の感覚を確かめる。
アッシュの様子を見て、パーティ一同はそれぞれの得物をチェックした。
「では参りましょうか」とドニエプル。モンクである彼は武器を持たないが、かわりに龍該苑の印を結んで黒薔薇たちの無事を祈った。
「ああ。手筈通りに頼む」
アッシュ、カルボ、ドニエプル、セラ。
四人はキャンプを放置して橋の下を出た。
振り返る者は誰もいなかった。
*
「本当に誰もいないようだな」
大雨でできた水たまりを避けながら、セラが言った。道の左右には家や納屋が並んでいるのに人も、家畜も、生きている物の気配は何もなかった。
セラに同行しているドニエプルは、無精髭の生えた顎を撫でさすって、「考えたくはありませんが、やはりどちらかに使われたのでしょうな」
「……ジアンシィかヴァニアか、アンデッドかゴーレムか。あるいは両方」
セラとドニエプルは同時に険しい顔になった。
しばし、ふたりとも口を閉ざした。本当に考え通りならば、アンデッドとゴーレムの素材として生きた村人が使われたせいで誰もいなくなったということになる。では、ジアンシィとヴァニアに捕まってしまった黒薔薇と白百合はどうなってしまうのだろうか。想像するだけで背筋に冷たいものが走る。
「あれが”北の屋敷”か」
民家の屋根越しに、石造りの館が見えた。やや青みがかった色調に統一され、ずいぶんカネがかかっている。石もただの石ではなく、おそらく巨神文明遺跡から切り出してきたものだろう。
「貴族か何かが住んでいたのか?」
「農村にはあまり似合いませんな。まさかその――」
「ヴァニアか?」
「そうでした。そのヴァニアが自分で建てたわけでもありますまい」
「どうだろうな。私には否定も肯定もできないが、どちらかと言えば『後からやってきて乗っ取った』ほうがそれらしいと思う」
「拙僧も同感です」
「……さて、そろそろだ」
セラとドニエプルの視線の先に館の正門が見えてきた。門の両脇には鎧兜を身に着けた見張りが立っている。身じろぎもせず、というがそのふたりは本当に糸一本分ほども動いている様子がない。
「鎧型のゴーレムですかな?」
「そうらしい。ここで待っていてくれ、ドニ。私が話をつけてくる」
セラはそう言って、正門に向けて歩きだした。足の運びに緊張が感じられる。あの肥満体の女と話をする前に、状況によっては二体のゴーレムを相手にしなければならない可能性もある。マントに隠したショートソードをいつでも抜けるようにして、セラは館の中に聞こえるよう呼びかけた。
「ヴァニアと言ったな! お前の言うとおり、ここまで出向いてきた!」
しばしの無音。霧雨があたりを包む。
『……あー、あー。聞こえるかしらぁん?』どこかに伝声装置を隠しているのか、くぐもったヴァニアの声が響いた。『アナタ、お利口ねえワタシのほうに来るなんて』
「うちの者を返してほしいだけだ」
『あらそう。まあいいわ、お入んなさい』
ヴァニアがそう言うと、ガシャリと金属音が鳴った。どうやら正門の鍵が開けられたらしい。
「行くぞ、ドニ」
「承知」
セラとドニエプルは見張りに立つ鎧型ゴーレムの間をくぐり、正門の扉を開いた……。
*
「ワシの記憶違いかな」
死臭のする礼拝堂の中に、ジアンシィのしわびた声が反響した。堂内に並べられた長椅子には、悪趣味なことにペイルマンたちが座っている。
「そこの女、夜に見かけた者とは別人のようだが」
ジアンシィの言うとおり、アッシュと一緒に礼拝堂を訪れたのはカルボだった。
「それはどうでもいい話じゃないスか?」アッシュはわざとらしく肩をすくめて言った。「アンタの出した条件とは関係ないッスよね」
ジアンシィはつまらなそうに鼻を鳴らし、まあいいだろうと答えた。
「一応聞いておきますけど、あの子は無事なんスよね」
「傷つけてはおらん」
「そりゃあ良かった」
「うん?」
「もし無事でなかったらアンタの顔面はその時点で粉々になってるところスから」
「できるかね? この状況で」
ジアンシィは酷薄な笑みを浮かべた。それに呼応するように、長椅子に座っていたペイルマンたちが一斉に首をねじ曲げてアッシュのことを見た。
「やってみせましょうか?」
アッシュの眼差しがジアンシィの眉間を貫いた。鋭く、そして殺意の黒い炎が宿る眼差しだ。ジアンシィはその目に気圧され、無意識に半歩後ろに下がった。
「……まあいいだろう。あの娘は解放する。だが約束は守ってもらう」
「約束」
「そうだ」
「あの娘を返す代わりに、ワシに協力してもらうと」
「そんな話だったッスね」
「そうだ。忘れたとはいわさん」
ジアンシィは枯れ木のような体を小刻みに揺らした。どうやらそれで笑っていることになるらしい。
「で、なにをしろと?」
「決まっておる」
ヴァニアの手下どもを皆殺しにするのだ――ジアンシィはそう言って、邪に唇を歪めた。
*
礼拝堂の地下に軟禁されていた黒薔薇は、超精神術で白百合に自分の無事を伝えるよう何度も試した。
黒薔薇と白百合はふたりでひとり。どこに行っても離れることはないし、眠るときも起きるときも一緒だ。お互いが考えていることがわかるのも、無意識のサイオニクスで精神が完全に同調しているからだ。
だが、今は互いに別の場所に閉じ込められてどうしてもテレパシーが届かない。白百合が生きているかどうかもわからないのだ。
心細い、という言葉では到底言い表せない。
体と心が真っ二つに裂けてしまったかのようだった。
おそらくは白百合もテレパシーで自分と連絡しようとしている――と信じたいが、今の黒薔薇にはそれすら確かめようがない。
「黒薔薇は……」
何かを言おうとする黒薔薇だったが、白百合が喋るパートが歯抜けになって、うまく口に出せなかった。
「白百合のことが……心配です」
かすれた声でそれだけを言って、黒薔薇は自分の肩を抱いて涙を流した。
*
一方、北の館。
「ゲーム……だと?」
応接室に通されたセラは整った眉を吊り上げ、肥満体の女を睨みつけた。
「そう。ワタシとあのジジイ……ジアンシィとでね」
ほとんど球形に近い女、ヴァニアはそう行って、ソファに座った背後に立つ”人間のようで人間でないもの”ことを振り返った。
「これは何って聞きたそうだから教えてあげる。これは人間の死体ベースで作ったゴーレムよ。ワタシの傑作。”肉人形”よぉん」
「アンデッドか」セラは苦り切った顔で無作法も気にせず思い切り舌打ちした。「おまえも、あのジアンシィとかいうやつも同類だな」
「セラ殿」とドニエプル。「あれはアンデッドではありませんぞ。肉を素材にしているだけです」
「同じようなものだろう。少なくとも私には死者への冒涜そのものにしか見えん」
「あらあら、嫌われたものね。そっちの大きい坊やの言うとおりよ。この館――”ドールハウス”にあるのはアンデッドではなく様々な種類のゴーレムだけよぉん。鉄もあれば木や石もある。肉もそのひとつ。単なる素材にすぎないわ」
知ったことではないな、とセラは鼻息を長く吐き出した。
「この芸術的な魔術の結晶ちゃんたちの価値がわからないなら……ま、それはさておき話の続きよ」
ヴァニアの言葉に、セラは身を乗り出した。「そうだ。ゲームというのはどういう意味だ?」
「文字通りよ。ワタシはゴーレムで、ジアンシィはアンデッドで。どちらが強くて、どちらが勝つのかって言うゲームね。あのジジイは頑なに実験だって行ってるけど。どっちが強いかどうかの検証なんて条件次第でいくらでも変わる。そんな実験、ゲームも同然よ」
「ひとつよろしいかな、ヴァニア殿」とドニエプル。
「なにかしらぁん?」
「この村は住民がひとりもおらぬようですな」
「ええ、そうね。アナタの想像通りよ。ここはワタシたちの遊び場、ジアンシィに言わせれば実験場。村人の皆さんにはアンデッドやゴーレムとして活躍してもらっているわぁん」
「貴っ様……!!」
瞬間的に激昂したセラがショートソードを抜きかけたが、ドニエプルはそれを制した。
「あいわかりました。それでは我々の仲間をお返しいただきましょう」
「あの可愛らしいお嬢ちゃんね。ただし」
「『条件がある』ですかな」
「話が早いわね。あのお嬢ちゃんは返すわ。ちなみに五体満足よ。傷つけたりしていないわよ」
セラが頬を高調させ、「当たり前だ。うちの者に指一本髪一筋でもケガをさせたのなら私はこの場で貴様を殺す」
「あらあら、乱暴なこと。話を戻すわよ。アナタたち、ワタシの配下に加わりなさい。はっきり言って、半年も決着がつかないゲームにうんざりしてるの。ワタシのゴーレムとアナタたちの混成部隊で、ジアンシィの首を取る。そうすれば人質――あのお嬢ちゃんは解放するわ。どう?」
「やるわ」
「やりましょう」
セラとドニエプルは異口同音に言った。
あまりの即答ぶりにヴァニアは丸顔の目をしばたかせ、「そう来なくっちゃ。じゃあ、早速今日実行するわよぉん」
ヴァニアに従い、テーブルに広げられた村の地図をセラとドニエプルはともに覗き込んだ――。