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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第14章「冒険者」
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第14章 05話 メイスvsトロール

 トロールが腕を頭上にもたげ、全身のバネを使ってアッシュへと飛びかかった。


 叫び声を上げ突進してくるトロールの体格は人間の大人のひとり半ほど。体重に至っては三倍以上ある。おまけに全身は体毛が変化した固い灰色の石で覆われている。普通の人間がその前に立てば、恐怖で動けなくなったまま首をへし折られるところだろう。


 アッシュはそうではない。


 じり、とブーツを岩肌にねじ込むような動作をして腰を落とすと、ハーピーの血がまだ残るメイスを真正面に据えた。引かない構えだ。


「ホフゥーク!!」


 トロールが思い切りハンマーパンチを振り下ろした。


 アッシュはそれをかいくぐり、トロールの下腹にメイスを叩き込む――はずだった。


 思わぬ攻撃が飛んできた。トロールはわかりやすい動作で右のパンチを繰り出しつつ、左の手で拾った石つぶてを投げつけてきたのだ。


 こぶし大の豪速球である。


 直撃すれば、少なくとも数秒は動けなくなるはずだ。


 かろうじてメイスの軌道を変え、石つぶてを叩き落とせたのはアッシュの反射神経あってのことだろう。


 だがパンチをすり抜け石つぶてを迎撃したアッシュを待っていたのは、低いところから飛んでくる膝蹴りだった。


 特に重点的に装甲している左腕で何とか受け止めるが、衝撃で思い切り地面に叩きつけられた。


 ――……野郎!


 アッシュは口元に笑いを浮かべながら毒づいた。俊敏性、筋力、そして機転。どれもが危険で、死に直結している。完全武装の重騎兵とどちらが危険だろうか。素早さの分だけトロールのほうが上手うわてか? どちらにしてもなかなか得難い強敵だ。闘争本能が加熱する。


「アッシュ!」


 叫んだのはカルボだ。心配そうな顔が目に浮かぶ。言われなくてもわかっている――とアッシュはその場から跳ね起き、トンファー状の握り手を振り抜いてトロールの拳を払いのけた。


 そこからまたトロールは石つぶてを振りかぶった。今度は握りこぶしどころか人間の頭蓋骨くらいある。


「甘い」


 アッシュは動じず、石を投げつけようとする左腕をメイスで打った。


 音がした。太く乾いた木の棒を無理やりへし折ったような音。


 必殺の”小手砕き”が、トロールのゴツゴツした親指の付け根を直撃した音だ。


「ギィヤァア!!」


 悲鳴とともにトロールがのけぞった。人間であれ、鬼族であれ、何であれ手を持つものに対して小手砕きは必殺の威力を持つ。武器を持っていれば保持していられなくなる。拳を握ろうとしても力が入らなくなる。あるいは――拳そのものが無くなる。


 アッシュの目がかっと見開かれ、ひとごろし(・・・・・)の黒い炎が宿った。


「オラァッ!」


 痛みで身体を後ろに反らせるトロールの膝を蹴るようにして駆け上がり、後方宙返り蹴り(サマーソルトキック)で顎の先端を打ち抜いた。鬼族と人類種は人型であるという点で共通している。脳は絶対的な急所だ。分厚い頭蓋骨がメイスで砕けなくても、あごの先を鋭く打たれれば脳が揺れ、しばらくは行動不能になる。そのための蹴りだ。


 トロールは一瞬全部の神経が切れたようになって膝から崩れた。


「顔面ッ!」


 アッシュは全身を使って吠え、無防備になった鬼族の鼻っ柱に黒鋼のメイスを叩き込んだ。鼻骨が陥没し、めり込んでいく手応えが柄を通して伝わってくる。


 メイスを引き抜くと潰れた鼻から大量のどす黒い鼻血が吹き出し、生きているものならなんでも噛みちぎりそうな歯が折れ、血まみれのそれが地面にぽろぽろ落ちた。

 

 それが気付け(・・・)になったのか、トロールの意識は戻った。戻らないほうが幸せだったかもしれない。潰れた顔面を手で覆い、トロールは押し殺した苦痛の声を漏らした。鼻血は止まらず、ゴツゴツした地面にちょっとした血溜まりができる。


 勝負はついた――と、その場にいるカルボたちはそう見ただろう。


 しかしアッシュとドニエプルだけは気を抜いていなかった。


「アブゥ~~ふァ……!」


 トロールが顔面から手を離し、血まみれのそれを腹のあたりでゴシゴシこすった。


「な……なんで?」


 カルボがトロールの、ぐちゃぐちゃに潰れた顔を見た。致命打と言ってもおかしくない打撃を受けた顔は、いつのまにか出血が止まり、凹んだ鼻が盛り上がり始めていた。


「再生能力ですな」ドニエプルが冷静な声で言った。「さすがはトロール。なかなかに手強い」


「じゃあ、協力しなきゃ」


「いや、その必要はなさそうですぞ?」


「え?」


 カルボがきょとんとまばたきしたのと同時に、再びアッシュのメイスが容赦のない一撃、いや二撃三撃を加えた。


 治りかけの顔面を首がねじ曲がるほど横から殴りつけ、頬骨を砕いてからその勢いに乗ってつま先を叩き潰す。そこからさらに身体をスピンさせてみぞおちに黒鋼を突き入れた。


 今度は鼻血だけではすまず、吐瀉物を撒き散らしながら腹を押さえ、血とよだれ(・・・)とで胸元辺りまでがどろどろに汚れた。


 しかしトロールには生まれつき備わった再生能力がある。


 死なない限りは傷を負ったそばから治っていく。トロールはもはや両目も見えない状態だったが、それでも闘争本能は衰えていなかった。時間はかかるがダメージは回復できる。それまで攻撃をしのげば反撃の機会はまだまだある……。


 だがそれは見込み違いだった。


 青い空に高くアッシュの気迫の声がこだました。


 まず後頭部に一撃。目もくらむダメージ。その次に背骨に一撃。曲がった背筋が伸びるほどの痛みが疾走った。


 これ以上やられっぱなしになる訳にはいかない。再生が追いつかなくなったら危険だ。


「フォフゥーーク!!」


 喉の奥から血の泡と一緒に怒声を上げ、トロールは長く野太い両腕を振り回した。


 だがそれはまたしても裏目に出た。腰を捻り肘打ちを食らわせるつもりが、その肘に合わせてメイスを叩き込まれたのだ。ミシリと体の内側から音が伝わった。


 そこからは滅多打ちが始まり、全身のどこをどう攻撃されたのかひとつひとつ挙げることはできない。


 結末は、体中を無茶苦茶に殴打された挙句、岩山の細い道から蹴り出され、岩肌を滑って谷底に落ちていったということだけ。


 そのあとトロールがどうなったか、考えるのは無駄だろう。


     *


「いやはや、君たちがいてくれて助かったよ」


 ウェムラーがベッドに横たわったまま、にこやかに言った。


 そこは岩山を降りた1番近い場所にあった村で、アッシュたちはそこの療養所にウェムラーを運び込んだ。左前腕の開放骨折に加えありこちの打撲や骨折があり、見た目よりずっと重傷だった。大都市の病院に運び込めば治癒師の治療を受けることもできただろうが、田舎の療養所ではせいぜい治療用のエリクサーを使う程度が限界だ。


「あの……申し訳ないッス、こんなことになって。すみません」


 アッシュが苦い顔で頭を下げた。


「おいおい、別に君たちが悪いという話じゃないだろう」ウェムラーは笑いじわを寄せてアッシュを見た。「護衛に雇ったんなら文句のひとつも言いたいところだが、私ァ勝手に先行してトロールに襲われただけだ。君が気にすることじゃない」


「でも……その腕じゃ……」


「ん? まあそうだね。カルボさんといったか、彼女のエリクサーのお陰で死なずに済んだがねェ……幻写機カメラはちょっと、そうだね。しばらくは持てないねェ」


 そう言われて、アッシュの心はチクチクと痛んだ。客観的に見れば確かに自分たちのせいだとは言えない。それはわかっているが、幻写機でザ・ウォーカーの写真を取ることに生涯をかけている男の夢が潰れてしまうというのは、見るに忍びない。


「君たちこそ、これからどうするんだい?」


「自分たちは……」


 アッシュは言葉に詰まった。『もちろんザ・ウォーカーを追いかけます』という言葉は喉の奥で止まって言葉にできなかった。ウェムラーが大切な思いを捨てなければならないのに、自分が『とにかく後を追いたい』という闇雲な情熱だけで突っ走ることには抵抗があった。


「……まあ、そのことは私が首を突っ込むことでもないだろう」


「すみません……」


「ははは、アッシュさん、君は生真面目な性格なようだ」


 アッシュには言葉もなかった。自分がそういう性格なのかどうか、そう言われればそうかもしれない。


「なら、ちょっと私の願いを聞いてくれないだろうか」


「願い、スか? どんなことでしょう」


「私ァ古い友人がいてね。もう亡くなってしまったが――彼の墓前に写真を供えて貰いたいんだ」


「写真を」


「うん。彼もザ・ウォーカーを直に見たがっていた男だったんだが、なにぶん忙しい身でね。結局それは叶わなかった」


 ザ・ウォーカーが大地に上がって歩き出すのは全く周期的ではなく、いつどこから現れどこに向かうかわからない。待っていても生涯見ることができないケースのほうが多いかもしれないのだ。


「幸い、クラウドドラゴンが攻撃を仕掛けてるなんて最高のシーンが撮れた。私が彼に贈れるとしたら、これ以上のものはないと思っている。ほら、これだ」


 ウェムラーは枕元の封筒をアッシュに渡した。


 アッシュは息を呑んだ。あの凄まじい稲妻と咆哮が、ありのまま写真に焼き付いている。見ているだけで衝撃が蘇ってくるようだ。


「ははは、いいだろう?」ウェムラーは子供のように喜び、笑った。「これを友人に見せてやりたかったんだ」


「わかりました。引き受けます」


 アッシュはそう答えた。普段なら振り向いて仲間たちの意見を聞くところだが、この時ばかりはウェムラーの依頼を受ける以外の選択は思い浮かばなかったし、カルボたちのこともすっかり頭から抜けていた。


「それで、どこに持っていけばいいんスか」


「彼の墓は聖都カンにある」


 聖都カン。


 その名を聞いたアッシュは、先程までの神妙な態度から一変、悪いものでも食べたように口を引き結んだ。


「……カン、ですか」


「そうそう。君も聞いたことはあるだろう? 円十字教会のシグマ聖騎士団の本拠地だ」


 逃れられない宿命のようなものをアッシュは感じた。


 シグマ聖騎士団。聖都カン。アッシュが追放され、円十字教会からの破門を言い渡されたまさにその場所だ。


「その……どなたのお墓に?」アッシュが元聖騎士だとただひとり知っているカルボがアッシュの代わりに尋ねた。


「ああ、そうだった。友人はコークスという。シグマ聖騎士団の元団長だから、すぐに分かるはずだ」








14章おわり



15章へ続く

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