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ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第14章「冒険者」
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第14章 04話 けだものたち

 ウェムラーは心の底から恐怖していた。


 トロールは自然環境のあちこちに住む鬼族――人型の化け物で、生まれつき迷彩能力が非常に高い。岩山の物陰にじっとうずくまっていると、目端が利かない限りただの岩石と見分けがつかない。


 ベテランの幻写家カメラマンであるウェムラーさえもその例外ではなかった。


 ――油断したか。


 長年待ち焦がれた被写体ザ・ウォーカーに迫れた興奮で気が緩んでいたのは間違いない。しかも相手はトロールだ。獲物を見つけたら餌食にするまで諦めることを知らない。


 幻写機を岩にぶつけないように気をつけながら岩山の斜面を下る。尖った岩に手足をぶつけながらも、とにかく下った。背後からはトロールの豚と馬を混ぜたような鳴き声。トロールの腕力に捕まったらひとたまりもない。


 その焦りがさらなる窮地を招いた。岩肌にわずかに生えた苔に足を滑らせ、ウェムラーは急な坂を転げ落ちてしまう。


 ――幻写機、幻写機!


 全身を打撲の痛みが襲う中、それでもウェムラーは幻写機の無事をまず考えた。しっかりとした革のストラップで首にかけていた幻写機は、無事でこそあれあちこちに傷が入っていた。ダメージが中までいって(・・・)いるかまではわからない。


 そうしている間にもトロールは迫り、そして――。


 見上げた空には、ハーピィの群れが醜い声を上げて旋回していた。


 ――いよいよここまでかねェ……。


 ウェムラーは死を覚悟した。いや、それは見栄だ。覚悟など固まらない。幻写機の中から記録を引出さなければならない。この機を逃せば、自分の人生は無に帰すも同じだ。生きなければ。


 キエェェェ! ハーピィのぞっとするような鳴き声が抜けるような青空に響き、1羽が地上に向かって降下した。それがウェムラーを襲うための動きであることは明らかだった。幸い――と言えるとすれば、のこりの個体は全て間近まで迫ったトロールへ向かって攻撃を仕掛けるような動作をしていることだった。


 が、1羽だけであろうがなんだろうが今のウェムラーは完全に無防備である。


 抗うすべがない。


 その時を待っていたかのように、風切り音が空を疾走った。


 ド、と羽毛の生えた身体を、矢が貫いていた。


「ウェムラーさん!」


 アッシュの声。セラの弓。そしてその仲間たちの足音。


 ウェムラーは、自分がまだ死ぬのには遠いと確信した。


     *


「ええい、くさい!」


 セラが文句を言いながら矢をつがえ、やかましく騒ぎながら飛び回るハーピィを次々と射抜いた。ハーピィの下半身は糞尿が層を作るようにこびりつき、ひどい悪臭を放っている。


「このにおい」「白百合も」「黒薔薇も」「嫌いですわ」


 ふたりの少女たちも文句を言いながら、間近に仕掛けてきたハーピィの攻撃を超精神術サイオニックで弾き返した。


 その合間を縫ってカルボが飛び出し、ウェムラーを抱き起こした。


「大丈夫ですか! ウェムラーさん!」


 君たちのお陰でね、と気の利いた言葉をかけようとしたウェムラーだったが、実際に喉の奥から出たのはうう、とかああ、といううめき声だけだった。


「エリクサー射ちます。我慢して下さいね」


「が、まん?」


 どういう意味か尋ね終わる前に、二の腕の服越しにシリンジを刺された。意味がわかった。左の前腕が中ほどで折れている。変な方向に曲がっているだけでなく服が内側から血に染まっているのをみると、おそらく開放骨折だ。


 どうやら自分は思ったより重傷のようだ。


 何かを口にする前にエリクサーの急激な鎮静作用が働き、ウェムラーの意識は薄くなった。


     *


「カルボ!」


「大丈夫、エリクサーはちゃんと効いてる!」


 ハーピィの禍々しい鳴き声の中、カルボはアッシュの問に怒鳴り返した。


「そうか」


 アッシュは長い溜息をついた。額には汗が光っている。


「なら、後はこいつらをどうにかするだけだな」


 ハーピィを見た。


 目があった。


 挑発された、と思うだけの知能は十分に備えている。ハーピィは狂ったように啼き、乱杭歯をむき出しにしてアッシュを威嚇する。アッシュは動じることなく急な岩山の斜面を一歩一歩踏みしめて、ハーピィと対峙した。


 ちょいちょいと手招きして、「いつでも来てくれていいっスよ、飛んでるくらいじゃハンデにならない」


 ハーピィはアッシュめがけて素早く降下した。左右の翼に怒りの空気を孕ませて、人間大の猛禽にふさわしい鉤爪を突き出す。高所のヤギを一頭まるごとさらうほど力のある爪である。ハードレザーに鉄板を貼り付けた特注の鎧を身にまとうアッシュといえども捕まればただではすまない。


「デビュー戦がこれっていうのもイマイチ冴えないが……」アッシュは腰の後ろに下げている分厚い革ケースに触れ、その中に収められた得物の柄に手をかけた。「あいつがお前の最初の獲物だ」


 一閃。


 ハーピィの鉤爪は、左右両方とも叩き折られあらぬ方向にねじ曲がっていた。突然の衝撃にバランスを崩し、岩肌に叩きつけられる。


 人間もどきの悲鳴が岩山の空気に響いた。


 苦痛に顔を歪め、なんとか再び空に戻ろうとするハーピィ。だがアッシュがそれを見逃さない。翼を踏みつけ脇腹に当たる部分に思い切り蹴りを食らわせた。怪物と言えども鳥である。空をとぶためその骨は軽量化されておりもろい。バキバキと音を立てて折れていく。


「クアーーッ!」


 憎悪に糞尿をなすりつけたような顔でハーピィは怒りをあらわにし、アッシュに噛み付こうと飛びかかった。


 1秒後、ハーピィは死んだ。


 顔面にメイスの直撃を受けたのだ。


これ(・・)じゃ軽すぎて手応えが無いな」アッシュはトンファー状になっている”黒鋼のメイス”の持ち手を回し、ハーピィの血と脳漿がまとわりついた打撃部分を払った。「あっちはそうでもないか?」


 アッシュはハーピィ数羽に襲われているトロールのことを見た。


「アッシュ殿」


 す、と隣にドニエプルの巨漢が並んだ。龍骸苑のモンクはすでに3羽のハーピィの首の骨を折っている。


「ドニ、あいつは俺がやる。お前はウェムラーさんたちを守ってくれ」


「承知。ですがトロールは強敵。ゆめゆめ侮ることなきよう頼みま……」


 ドニエプルが全部言い切る前に、アッシュは野生動物のように走り出し、岩肌を駆け上るようにしてトロールに襲いかかった。


     *


 空中からトロールをチクチクと攻めていたハーピィは、怪鳥である自分たちよりも高い位置から襲われるなど思いもよらないことだったろう。


 声もなく振り下ろされたメイスがハーピィ1羽の側頭部を叩き潰し、赤く染まった羽毛を撒き散らされた。即死。


 残りのハーピィと、トロールの興味が一瞬そちらに向いた。


 その隙は致命的だった。小手砕きの要領でアッシュのメイスが振り抜かれ、別のハーピィの鉤爪が肉塊に変わり、ちぎれ飛んだ。寒気がするほどの叫びを上げ、岩肌に墜落。そこをアッシュの蹴りが正確に捉え、ブーツのつま先が顔面を叩き潰した。


 残るはハーピィ1羽、そしてトロール1匹。


 ハーピィは、見た目もさることながら性根も汚らしい。普段は集団で自分より弱い動物を無意味に空に連れ去って高所から地面に墜落死させる遊びを好き好んでいるような怪物である。


 反面、個体だけで敵に立ち向かうような真似はしない。あくまで自分の安全が確保された場所でいたぶるのが好きなのだ。


 だからメイスを持った人間に仲間が殺されても、敵討ちなど全く考えない。一刻も早くその場から逃げようとし――次の瞬間には地面を舐めていた。セラの弓が正確に動きを捉え、羽の付け根を狙撃したのだ。


「悪いけど、こういうことッスよ」


 アッシュはメイスを逆手に持ち替え、打撃部アタマを垂直に叩き込んだ。即死。


「ホフゥーック!」


 トロールが吠えた。大型のサルに岩石片をびっしり貼り付けたような鬼族。周囲の環境に溶け込み、擬態する生き方を選択した蛮鬼。


 岩山トロールは歯を剥き出しにしてほう、ほう、と騒ぎ、「おまえ、つよい」それだけ言って恐ろしい腕力をもってハーピィの死体を岩山のはるか下までぶん投げた。


 醜悪で、恐ろしい膂力りょりょくを振るう暴力的なトロールだが、わずかに人類標準言語を喋ることが出きる。


「こい」とトロールは嗤った。


「いいッスね~そういうの。話が早い」


 アッシュはトロールと同じ種類の笑顔を浮かべた。


 血みどろの戦いが始まる。


     *


「これで10羽目!」


 空中を旋回し、隙あらば鋭い爪でかきむしって来ようとするハーピィを次から次へと弓矢で撃ち落としたセラはそう叫ぶと、空っぽになった矢筒を打楽器のように叩いた。


「矢が尽きた! 後は頼む!」


 アッシュはその声を背中で聞き、セラの援護が無いことを逆にありがたいことだと思った。


 仲間パーティがいるのは心強い。


 だが今は高揚している。


 手にしている”黒鋼のメイス”を試したいという意識が頭の中を占拠していた。


 人間と鬼族のにらみ合い。


 先に動いたのはトロールのほうだった。身を低く下げての突進。


 猿型に積み上げた石壁のような身体からは想像できないスピードだ。直撃すれば固い地面に押し倒され、脳震盪を起こすか下手をすればふっとばされて崖から転落しかねない。


 アッシュの反射神経と機敏な動きは簡単に捉えられないが、足場の悪い岩の山道である。安易にジャンプして避けるのは足を滑らせるリスクを伴う。


 単純明快な対応をアッシュは選択した。ひとかたまりの岩石のようなトロールのタックルにあわせ、メイスを頭めがけて思い切り叩き込む。


 激突! アッシュは勢いに負けて大きく後ろに転がされた。直撃は避けたが、危うく道からはみ出して岩肌を転げ落ちかける。


 トロールはゆらりと立ち上がり、アッシュのほうに歯をむき出しにすると――そのまま後ろに崩れ落ちた。勢いでは勝ったとは言えメイスを叩き込まれたのである。並の頭蓋骨なら叩き割られ脳みそが鼻から垂れ流しになってもおかしくない。


 だがトロールのタフネス、しかも岩山という環境に溶け込んで固い石のようになった体表はそう簡単には破壊できなかった。


 アッシュが砂埃にまみれた身体をおこすのと同時に、トロールもむくりと起き上がった。岩のような大猿は頭からじわりと血が滲んでいたが、コキコキと首を左右に振る仕草からは大きなダメージとはなっていないようだ。


 トロールは大口を開け、喉の奥でヒキガエルをねじ切ったような声を上げた。笑い声だ。


「いいね」


 アッシュは革鎧についたホコリを払い、立ち上がった。口元には皮肉げな笑み。双眸には殺意の昂ぶり。


「こういうのがいい。こいつ(・・・)を叩き込むには」


 トロールもまた黒曜石のような目に爛々と攻撃の意を燃やした。それは食欲だけではない戦いの喜びというべきものがこもっている。鬼族は人類種に近い生物であると同時に、根本的な部分で相容れることができない。人間は鬼族を食料とはみなさないが、鬼族はそうではないからだ。


 その鬼族が動いた。


 長く野太い腕を頭の上に掲げ、大きく振りかぶった。


 咆哮とともに、暴力が迫る。


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