第14章 03話 プロフェッショナル
クラウドドラゴンの爪。
鋼鉄よりも堅固なそれが、凄まじい勢いでザ・ウォーカーの胴を切り裂く。
壮絶な火花が散った。
しかし火花を散らすだけでザ・ウォーカーに表面にすら傷を与えているようには見えない。
ウェムラーが幻写機のシャッターを切る。機神ザ・ウォーカーと最初の種属ドラゴンとの戦いである。冒険家にして写真家のウェムラーにとって、これに勝る被写体は早々ないだろう。
それはアッシュ、そして龍骸苑の行者であるドニエプルも同じだった。
「クラウドドラゴン……天候を操るドラゴンたちの間でもとりわけ気性が荒く、空の領域を荒らすものを徹底排除する習性をもつ……」
ドニエプルがうわ言のように言ったその横で、アッシュは呼吸を忘れるほど眼前の光景に見入っていた。
振り下ろされるクラウドドラゴンの鉤爪は、花崗岩の塊すら一撃で粉々にする。ザ・ウォーカーは、しかしその攻撃を意に介さない。慌てて次の一歩を踏み出そうとする様子さえなかった。
「あ、いかんな。みんな目をつぶって」
「目を?」フォレストエルフのセラが首を傾げた。
「うん、おそらく……」
ウェムラーの声は途中でかき消された。
クラウドドラゴンが出現した時の積乱雲がにわかに密度をまし、そこから発生した稲妻が激しい光と音とともにザ・ウォーカーに降り注いだのだ。
電光。
引き裂かれる空気。
それは巨大な爆発性エリクサー、最上位クラスの魔術師による破壊呪文、そういったものを想起させる。ただしその威力はクラウドドラゴンに軍配が上がるだろう。
雨のように降り続く稲妻は5秒ほどで立ち消えた。アッシュらがおそるおそる目を開けると、大きな積乱雲は文字通り雲散霧消。クラウドドラゴンは手を出しあぐねるようにザ・ウォーカーの上空を円状に飛び回っている。巨体のドラゴンではあるが、さすがにザ・ウォーカーと比べれば小鳥のように見える。
濃いオゾン臭が風にのって鼻をついた。
ザ・ウォーカーは――無傷だった。
表面に張り付いていた二枚貝やバケモノサイズの生き物は電撃て黒焦げになり、かさぶたのように灰白色の胴体から剥がれ落ちていく。そのボディは、元からあったと思しき細かい凹みやサビを無視すれば何らダメージを受けているように見えない。魔力付与された大型城塞の石壁であろうとも粉砕できるドラゴンの鉤爪を食らってもだ。
「あの電撃浴びて、何で無傷なんスかね……」
尋常ではない光景を目にし、アッシュはぼんやりした表情でウェムラーに聞いた。
「それがザ・ウォーカーなんだねェ」
「……写真、いいのとれましたか?」
ウェムラーは目尻の笑いジワをさらに深くして、まあまあかな、とだけ答えた。
*
クラウドドラゴンは未練がましくザ・ウォーカーの頭上を旋回していたが、何の反撃もなく、やがてどこかの空に去っていった。
空の領域を支配するドラゴンは、たいていの場合生まれてから死ぬまで地上に降りてくることがない。クラウドドラゴンは卵生だが、その卵は巨大な雷雲に守られ、そこで孵化すると考えられている。あのクラウドドラゴンも、雲でできた巣に戻ったのかもしれない。
人間の身で確かめるのは困難だろう。
*
数時間後、ザ・ウォーカーはまた巨大な一歩を踏み出した。渓谷も岩山も、その歩みを阻むことはできない。川岸に踏み込んだ足あとはちょっとした池のようになり、岩山に激突しても躊躇することなく、砕き割ってそのまま乗り越えた。
「……まだ追いかける?」
言葉もないアッシュの袖を引き、カルボが言った。
「そうだな……」アッシュはからからになった喉でかすれた声を出し、「今日はちょっと……休憩にしようか」
ウェムラーを除く全員がうなずいた。
「私ァまた移動するよ。もう少し高くから撮ってみようと思う」
「わかりました。それで、あの……」
「なんだい?」
「あとから合流してもいいスか?」
「構わないよ。気をつけて追いかけてきなさい」
アッシュらが見送ると、ウェムラーは岩山をひょいひょい登っていった。幻写機と登山用具を抱えての動きとは思えない。あれがプロフェッショナルか、と思わせる。その姿は、ザ・ウォーカーとドラゴンの一戦とはまた別の意味で感銘を受けるものがあった。
*
夜。
空には白い月と惑わしの赤い月が互いを照らすような位置に上り、きらめく星々の光がそれを彩っている。
星のひとつひとつは世界の外側にあるエーテルの集積体だといわれている。生き物が死ぬとエーテル体が抜け、始源の塔を伝って世界の外側の領域へと打ち上げられる。エーテル体は各々の色形に最も近い星に吸い寄せられ、いつか再び世界の内側に戻ってくるという。
アッシュにその真相はわからないが、星空の美しさは理解できる。
ザ・ウォーカーとクラウドドラゴンの、魂がひっくり返るような激しい光景を見た後に静謐な夜空と風の音を聞いていると、自分がいったい何のためにここにいるのかがわからなくなる。身体の輪郭線が溶け出して、世界そのものと融合しているようだった。
世界は広い。大地も、空も。
そこで何が起こるかわからない。
聖騎士団から追放され、ただ生きるためだけに傭兵となり、あちこちを放浪した。その3年間という年月でどれだけのものが得られただろうか?
――冒険者、か。
世の中には自分のことをそう名付ける人たちがいる。傭兵と違いカネで雇われて動くのではなく、自分の意志で世界を旅し、巨神文明時代や人類1万年の歴史に秘められた謎を解こうとする者たちだ。ウェムラーのような人物はまさに冒険者と言えるだろう。
――俺はそういう人間になりたいのか?
はっきりとした答えはでなかった。
もしかしたらそれは、ウェムラーについていけばわかるのかもしれない。
*
翌朝。
早朝いきなり動き出したザ・ウォーカーが岩山に正面からぶつかる恐ろしい音でアッシュたちは目を覚ました。
「なんてはた迷惑な機械なんだ」
銀色の髪の毛をかきあげ、セラが文句を言った。寝不足でいかにも苛立っているという感じだ。
「目覚まし時計でもついてるのかな」少しズレたことを言って、カルボはふあふあの髪を手ぐしで落ち着かせようとする。「ほら、あそこの鳥も」
「鳥? ああ、あそこですな」
ドニエプルは薄明の空に黒い粒を撒き散らしたような鳥の群れを見た。
エーテルの光が目の奥で淡く明滅し、急にその目が鋭くなる。体内のエーテルを操作して視力を引き上げたのだ。
「あれはどうもただの鳥ではなさそうですぞ……」
「ほんと」「ですわ」「あの鳥」「人間の顔がついてます」
「なんだって?」ドニエプルと黒薔薇、白百合の言葉にアッシュも顔を引き締め、カルボから半ば強引に望遠鏡を借りた。「……あれはハーピィだ」
「はー」「ぴぃ?」
「ああ。大きな猛禽類の身体に人間の胸から上がくっついた怪物。主な食い物は人間を含めた動物の腹わたで、できたてが好物」
黒薔薇と白百合は怖がってお互いの身体に抱きついた。
「こちらの岩山に近づいてくるようだ」とセラ。
「この岩棚に隠れていれば大丈夫……」と言いかけて、アッシュの顔色が変わった。「ああ、マズいな、ウェムラーさんが撮影で高いところまで登ってるはずだ。身を隠す場所がなかったら襲われるかもしれない」
「急ご、もしあんな数に襲われたらひとたまりもないよ」
カルボはそう言って、大急ぎで装備を身につける。こういうときのカルボの行動は誰よりも早い。
アッシュたちは荷物をまとめ――寝袋などはそのまま放置し――岩棚をぬけて登り始めた。
*
ザ・ウォーカーの足音に驚き飛び立ったハーピィの群れは、しばらく空中を旋回したのち、鉄の塊が次の一歩を踏み出さないと見たのか、ついでに朝の食事を見つけようとあちこちに飛んでいった。
普段は山の高いところ巣を作り、糞を撒き散らしながらずる賢くエサを探るハーピィだったが、ザ・ウォーカーという超巨大な存在に興奮しており、普段より殺気立っていた。怪物行動学者がいれば、食事だけでなく、何か弱い生き物を引き裂いて溜飲を下げなければ我慢ができないという飛び方と推察していただろう。
実際ハーピィの群れは動くものならなんでも掻きむしりたいという衝動に駆られていたが、その獲物になるものが見当たらないことに気づいた。
それもそのはずだ。ハーピィ同様、普段から餌食にしている山羊や羊といった動物もザ・ウォーカーに追い散らされる形になっていて、餌場がカラになっている。
群れの1羽がゲェッ、と汚らしい鳴き声を発すると、総排泄孔から糞尿を垂れ流した。苛立ちのサインだ。ハーピィは見た目こそ汚らしい鳥の化け物だが知能はかなり高い。が、言語を持たないため鳴き声とボディランゲージで意思疎通を行っている。糞を出すのもそういったジェスチャーのひとつだろう。
と、別のグループが立て続けにぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
その視線の先には、岩山の道なき道をほうほうの体で移動している何者かがいた。人間だ。何かに追われている。
ハーピィたちはギイッと低い鳴き声を連続して発した。それは群れ全体に伝播して、騒がしさが増した。
獲物を横取りしようとする別の獲物がいる。
人間、そして動き回る岩石のような鬼族――トロールだ。