第14章 02話 空の支配者
ザ・ウォーカーの行方を追うのは何もアッシュたちだけではない。
15年ぶりのザ・ウォーカー出現の報を聞き、世界の様々な場所から人々が集まっていた。冒険家や国家のエージェント、宗教家、学者、無謀にも足から機神の身体をよじ登ろうとする命知らず。アッシュたちや大半の追跡者は馬や馬車を使っているが、徒歩で走って追いつこうとする奇特な人間もいる。
それぞれがどのような思惑で追跡しているのかは様々だ。アッシュとて、『何のために追いかけているのか』と問われても『とにかく後を追いたいから』としか答えようがない。
そんな中、アッシュはある冒険者と並走し、情報を交換していた。
「私ァね、機神は一個の芸術品だと思っているんだ」
初老の男はそう言って、首から下げている幻写機をアッシュに見せた。馬の蹄の音とザ・ウォーカーの足音に邪魔されないよう大声で叫んでいる。男の名はウェムラーといった。
「一番いいロケーションから一番いい写真を撮る。私ァ、そのためにずっとあれを追っているんだ」
ウェムラーの言葉に、アッシュは阿呆のように口を半開きにさせた。
ザ・ウォーカーの休眠と覚醒は、全くの不定期だとされる。前回の上陸は15年前。その前は25年前、それより昔は100年以上遡らなくてはならない。
いつ来るかどうかわからないザ・ウォーカーの写真を取るために――となると、半生を費やすことになるだろう。
「ははは、そうだねェ。でも人間には誰しも『これだ!』というものがある。私ァそれをあのデカブツに感じたんだ。馬鹿げた話に聞こえるかい?」
アッシュは馬上で首を振り、「いえ、自分もです。上陸してくるアレを見て、追いかけるしか無いと感じました」
「追いかけて、どうする気なの?」
「……わかりません。とにかく血が騒いで、何かあるに違いない。そんな風に思って。すみません」
「なんで謝るんだい」
「あ、いや、なんていいますか、ウェムラーさんは写真を撮るってしっかりと目的があるのに、自分は、なんていうか――動機はあるけど理由がないっていいますか、そんな感じッスから……」
「そう言いなさんな」ウェムラーは深く刻まれた目尻のしわを余計にクシャクシャにしてわらった。「君には行動を共にする仲間がいるじゃないか。本当にただの無謀な男には誰も付いてこんよ」
「恐縮です」
と、会話の切れ目を待っていたかのようにザ・ウォーカーの足が大地を踏みしめた。森のど真ん中に片足を突っ込んで、地響きと木々が砕け散るものすごい音がかなり離れているアッシュらのところにまで聞こえた。
「森が……!」
セラが苦々しい顔で言った。フォレストエルフであるセラは森で生まれ森で死ぬ。故郷の大森林でなくとも、それを破壊されるのは見ていられないのだ。
「機神というよりあれでは破壊神だ」
「邪神でなけりゃいいんだけどな」とアッシュ。「でも、やっぱり善悪どころか地形も関係なく直進しているようにしか見えない」
ザ・ウォーカーはアッシュの言うとおりひたすら真っすぐ進んでいる。方角は真北。段差があれば踏み潰し、道があれば切り崩し、山があれば乗り越える。自然も人工物も隔て無く、破壊と直進だけをする物体。過去の学者たちが調べたとおり、そこに何らかの意思を読み取ることは難しい。
「おお、このまま行くと引っかかるな」
ウェムラーが前方を指差した。そこには渓谷を流れる川があり、岩山がある。ザ・ウォーカーが避けずに真っ直ぐ進むとすれば一度渓谷を降り、さらに岩山を登る――もしくは正面から切り崩す――必要がある。
「アッシュさん、私ァあの岩山に先回りして撮影しようと思うんだが……どうだい、君たちも一緒に」
「いいんスか!?」
アッシュは興奮気味に鞍から身を乗り出した。偶然行き合っただけだが、アッシュはウェムラーという人物に惹かれるものがあった。冒険者、そして撮影のプロ。今まで見たことのないようなものを見たければ、その道のプロに案内してもらったほうがずっといい。
「かまわんよ。君たちの仲間はどうだい」
「拙僧は賛成です」ドニエプルがエーテル伝達式手綱を力強く握った。「どうも急がないと肝心なところを見逃してしまう気がしましてな」
「私もだ」セラが口を開いた。「エルフの長距離偵察としては、目に焼き付けておきたい光景だ」
「カルボ、お前はどうする?」
アッシュが尋ねると、セラの後ろにまたがっているカルボはセラに抱きつき、豊かな胸を押し付けた。
「わたしは……なんだか嫌な予感がする。首のうしろがチリチリするみたいな」
「そりゃあ……ここで留守番するか?」
「ううん、そうじゃないけど。なにか悪いことが起きそうな感じ」
アッシュは返答に困った。縁起の悪いことを言うなと返すのは簡単だが、カルボは勘が鋭い。それに仲間が何らかの危惧を抱いているのは、リーダーとしては見過ごすべきではないだろう。
「大丈夫」「大丈夫ですわ」「黒薔薇と」「白百合が」「きっちり」「カルボを」「守り」「ます」
ドニエプルの後ろで風船のように宙に浮いていた黒薔薇と白百合がそう言って、カルボの肩をふたりで抱きしめた。
「ありがと」
カルボは抱きついてきた黒薔薇と白百合のことを頬ずりして、「この子たちがそういうのなら大丈夫」
「こっそりあのデカブツに近づくだけだ。ヤバかったら逃げよう。それなら?」
カルボは無言でうなずいた。
「じゃあ、ウェムラーさん、同行させてください」
ウェムラーは快諾し、街道を大きく回りこんで岩山へと急いだ。
*
どこかで雷が落ちた。
「天気はいいのにな」
アッシュは空を見上げた。薄い雲がわずかにたなびいているだけだ。雨の匂いはしない。
「音からするとそう離れていないようにも思えますが……」ドニエプルはピシャリと坊主頭を叩き、「雨具の用意が必要ですかなあ」
「いまは大丈夫だよ」
ウェムラーがニコニコと目尻に深いシワを作って笑った。
アッシュは『いまは』という言葉になにか引っかかるものを感じた。しかしザ・ウォーカーを追いかけることに関してはプロフェッショナルと言っていいウェムラーの言葉である。信用して問題無いだろう。
「それより、急いだほうがいいねェ。ザ・ウォーカーが動き始める前に、身を隠せるベストポイントを探すんだ」
アッシュ一行は半生体馬が乗り入れられる限界のところで下馬し、徒歩で岩山を登り始めた。必要な荷物を持っての山登りはなかなか大変なものがある。
「足場に気をつけなきゃダメだよ、こんな切り立った岩山は特に」
ウェムラーは最低限の荷物と幻写機だけを運び、汗もかかずにするすると登っていく。黒薔薇と白百合だけは軽い羽のようにふわふわ浮いて移動しているので別として、アッシュたちは足を滑らせないよう注意して登らねばならない。
なかなかの難行だ。
*
小一時間が過ぎた。
地上より数度低い風が吹き抜け、岩肌を音を立てて走っていく。汗を書いた身体には冷たく心地よい。
「あそこだね」
ウェムラーが指差した。その方向には岩棚があって、上は庇のようになっている。アッシュたちを含めた人数が身を潜めるには十分だし、雨風を防ぐにもちょうどいい場所だ。
アッシュたちはウェムラーの指示に従い、寝そべって顔だけを覗かせてザ・ウォーカーの四角い胴体部分を眺められる位置に収まった。
ウェムラーだけは立膝をつき、その瞬間を逃すまいと幻写機を構える。身体には魔力付与品のカメレオンシートをかぶり、周囲の岩に完全に溶け込んでいた。
アッシュは妙な感じがした。
ザ・ウォーカーの通り道が危険この上ない事はわかる。だがザ・ウォーカーは人も野も関係なくひたすら真っすぐ進むだけの存在だ。人間がどこにいようと注意を払うことはない。なのにウェムラーは明らかに何かを避け、身を隠そうとしている。
だがそれは些細な問題だ。それよりも今は見るべきものがある。
「すっげえ……」
アッシュは口を半開きにして、子供のように目を輝かせた。岩棚からザ・ウォーカーの巨大すぎる足の付け根と、四角い胴体の側面が薄い霞の向こうに見えている。
凝視すると、15年もの間どこかの海で足を止めていたというのがあらためてよくわかる。巨大な貨物船が港についた時によくわからない貝類がびっしりとへばりついているのをアッシュは見たことがあるが、それと同じだと感じた。風向きが変わると、磯の腐った臭いが未だに漂っているような気がする。
所々には人間を3人くらいまとめて閉じ込めてしまいそうなバケモノ二枚貝や、海から上がって一週間経つというのに足の隙間でのたうつ恐ろしく大きなゴカイが目に留まる。
そうしたおまけを無視すれば、ザ・ウォーカーの四角い胴体は驚くほど四角さを保っている。おそらく数万年規模で歩いては休止、歩いては休止をランダムで続けていたはずだ。
普通に考えればヒビや歪み、破損があってしかるべきだろう。
だが多少のサビは浮いているものの灰白色の胴は幾何学のモデルのように整えられた線と面で出来ており、貝やフジツボを削り落とせば完全な直方体になるはずだ。
尋常ではない耐久性があるということか。当然だろう、そもそもそうでなければ巨神文明期から今の今まで破壊もされず歩き回っているはずがない。
「ああ、天辺も見たいなァ」
不意にウェムラーが言った。
岩棚に身体を伏せて見える範囲は、望遠鏡を用いても胴の側面と足の付け根だけだ。ウェムラーでなくとも直上からの”画”が欲しくなる。
それをしようと思ったら岩山の頂上付近まで上がらなければならない。
「移動しますか? 自分もついていきますよ」
アッシュはそう持ちかけたが、返答があるより先に大きな雷鳴が轟いた。雲ひとつ無いのにもかかわらず。
「いや、待った。どうやらもう来たらしい」
「来た?」
その時、前触れ無くザ・ウォーカーの直上に入道雲のような濃密な雲が立ち現われた。
その中から現れたのは、鳥のように見えた。
翼があり長い尾羽があり、全身が青白い羽毛で覆われてーーいや、違う。鳥にはあんな牙はないし、複雑に巻かれた角は生えない。羽毛に見えたのは、分厚い羽根型ウロコだ。
それは突如天地がひっくり返るような絶叫をほとばしらせ、ザ・ウォーカーの体表に爪を立てた。金属と鉤爪がぶつかり合い、すさまじい不協和音が山を崩すかのように鳴り響いた。
「来たねェ、ドラゴンだ!」
「ドラゴン……!」
「そう。空を支配するドラゴンの一族でも上位種に位置するクラウドドラゴン。私ァコイツを……」ウェムラーの目に情熱の炎が爛々と燃えていた。「15年も待ったんだ。ザ・ウォーカーと、ドラゴンの戦いを!」