第02章 03話 遺跡侵入
「ここか?」
アッシュは首を傾げ、”金の指紋”を入れる古代のスロットらしきものを見た。
巨神が使っていたであろう大きな正面扉ではなく、もっとずっと小さい扉の脇に作られていた。人間が日常的に使う扉と大差ない。ただ、ドアノブのようなものはなく、押したり引いたりはできないようだ。
「何だこの扉は?」
見たままの感想を漏らし、アッシュはその扉をつま先で蹴ってみた。石のようでもあり、金属の塊のようでもある。
「表面を魔法で覆われてるみたい」
カルボはそう言って古めかしいスロットと、荷物として持ってきていた”金の指紋”とを見比べる。大きさはぴったり一致する。どうやらここに差し込むしかないようだ。
「みて、アッシュ」
「ん?」
「この扉の所だけ他の場所と色が違う」
「そういえば……そうだな。扉の周りだけ新しいというか」
「うん。たぶん、この扉は巨神じゃなく人間があとから付け足したんだと思う」
「人間が? そりゃつまり……」
「この遺跡ブロックは、巨神文明の遺跡であると同時に、人間が何かの目的で使ったってこと。誰かが手を加えたんだよ」
カルボの推測に、アッシュはううんと唸って小首を傾げた。何かもったいない気分になった。数万年間誰の手にも触れずに残されていた遺跡を初めて自分が足を踏み入れる――という場面を想像し、密かに楽しみにしていたのだ。ついでに言えばすでに誰かが手を加えたということは、中身の遺物はすでに持ち去られた後かも知れないということになる。
「とにかく入ってみよ?」
カルボはそういって、巨神の指紋が押されたガラスボードをそっとスロットにあてがい、飲み込ませた。
わずかにエーテルの火花が散って、ボードはスロットへと吸い込まれていった。
圧搾空気が漏れだす音。古い古い装置が軋み、扉が左右に引きこまれてゆく。あっけなく開いた。
外気よりもさらにひんやりとした空気が外に流れ出し、アッシュとカルボのふたりに無条件の警戒を促した。
野盗の頭目クロゴールが7年の歳月をかけて調べあげた遺跡――それがどのくらい危険なものなのかは記されていない。それもそのはず、”金の指紋”がなければ開くことのない場所だからだ。だからこの先は地図もメモも何もなく、自力で調べないといけない。
「何か怖いものでてくるかな?」
アッシュは答える代わりに手にした鋼鉄のメイスを掲げてみせた。障害物は力で破壊する、という意思表示だ。
それきりふたりは黙って、奇妙な照明の灯る遺跡の中に入っていった。
*
アッシュとカルボは、すぐにこの遺跡がどういうモノかを理解した。
これは元々巨神文明の遺跡であった事は間違いないのだが、そこに後から乗り込んだ何者かが自分の使える場所だけを掘り抜いて秘密の隠れ家か何かに使っていたということだ。
巨神文明の遺産が残っている可能性はぐっと下がった。だがしかし”後から乗り込んだ”何者かが残したものは間違いなくある。金の指紋で長い間封印されていた場所であることは間違いないからだ。
廊下を渡っていくつかの部屋を除くと、そこがどうやら錬金術の研究所であることも判明した。薬品や機材はすでにからからに干からびていてどんな研究をしていたのかもはや調べようはない。本棚にしまわれている本には停滞の呪文、ないしエリクサーによる保護が施されていて幸い損傷はほとんどなく、いまは無人となったこの場所で何をやろうとしていたのか読み込めばわかるかもしれない。
もっともアッシュは錬金術の素養は何ひとつ無いに等しい。カルボは古代文字を含め一応読むことができるが、専門知識が無いため短時間で内容を確認するのは無理なようだった。
ともかく、過去に巨神文明遺跡を利用して錬金術の研鑽を積んでいた何者かがいた、ということは確かなようだ。
「どの本が値打ちモンなのかわからないのは痛いな」とアッシュ。
「全部運ぼうとしたら重すぎるもんね……」
「まだ奥があるみたいだ、とりあえずそっちも調べてみよう」
そのまま調べていない部屋に足を踏み入れて、アッシュはいきなり何者かに脳天をぶん殴られた。
「アッシュ!」
「ぐ……!」
床に倒されたアッシュの頭から、だらっと血の筋がこぼれた。とっさに左の手甲で防御しなければ、頭蓋骨を割られていたかもしれない。
「あいつ!」
そう言ってカルボが指さした方向には、蜘蛛がいた。ただしその体は真鍮色に輝く金属製で、胴体は人間の頭より大きい。
蜘蛛タイプの機械の守護者だ。
その名の通り機械製の人造物で、八本の足を使って人間の命を執拗に狙う。エーテルで動く危険な門番である。
「ガラクタが!」
アッシュは立ち上がりメイスを振るう。しかしこぼれ落ちる血が視界を遮り、機械の蜘蛛はメイスの軌道からすり抜けてしまった。
「アッシュ! 頭下げて!」
「頭?」カルボの突然の叫びにアッシュは戸惑った。
「早く!」
やむを得ずアッシュは膝をつき、目に入った血を拭った。その頭上を何かが飛んで行く。
カシャンと音がして蜘蛛の胴体に当たり、とろりとした液体がへばりついた。何かのエリクサーだ。
何をやったのか確かめるよりも早く、エリクサーは白く固まって蜘蛛の足の動きを制限した。
「速乾性の接着エリクサー」カルボはそう言って、ベルトに取り付けている試験管サイズのエリクサーポットをもう2、3本取り出した。「まともに当たれば身動き取れなくなるよ。あとはお願い、アッシュ」
アッシュは感心しながら立ち上がり金属の蜘蛛の頭上にジャンプした。
「砕けろ!」
飛び上がって真っ向からの兜割り。完全武装の騎士の頭を兜ごと粉砕する技である。
蜘蛛はエリクサーのせいで動きを封じられたまま、ぺしゃんこになって活動を停止した。
*
アッシュの頭は医療用エリクサーで消毒され、傷薬のペーストを塗りこまれたあとにガーゼと包帯を巻かれた。
「上手いもんだな」
「救急キット使っただけだもん、上手いも下手もないよ」
傷自体は浅かったが、頭のケガは出血しやすい。カルボはヒーラーでも錬金術師でもないがエリクサーを使うことには長けていて、キャットスーツの上から装備したホルダーにいくつもポーションを差し込んでいる。
「はい、できた」
「助かる」アッシュはメイスを腰にマウントし、立ち上がった。「こんな門番がいるのなら、この部屋に何かある、ってことかな」
「でも、使い古しでカピカピの器具ばっかりだよ?」
「本棚はどうだ」
「うーん……他の部屋とおんなじようなのばっかりで……」
ずらりと本棚に並ぶ本を眺めたカルボは脛の高さのところに赤い背表紙の本に目を留め、何の気なしに取り出した。
かこん。
木板に石がぶつかったような音がした。研究室の壁の一角に、エーテルの燐光が長方形の線があらわれた。ちょうど人ひとり通れる扉の大きさだ。
カルボが首を傾げて赤い本をぱらりとめくると、ページの間にしおりのように小さな”指紋”が挟まっていた。”金の指紋”のような巨神の指サイズではなく、人間の指紋が押してあるカードである。
そしてエーテルの線の脇にちょうどその指紋カードを挿入するにちょうどいいスロットがあって――ともかくカルボはいきなり”当たり”を引いたらしい。
「運いいな」
「ぐへへ、ぬすっとだからね」
カルボがわざとらしく悪どい表情をすると、アッシュは気が抜けてしまった。移動続きでそこそこ疲労が溜まっていたが、緊張がいい具合にほどけた感じがした。
「よし、じゃあ行ってみよう」
「うん。この中にも何もなかったら、わたし暴れる」
指紋カードを挿入すると、わずかにきしんで隠し扉が開いた。
何か今までとは違う空気のにおいがした。
アッシュとカルボは一度顔を見合わせ、うなずきあってから扉をくぐった。