第14章 01話 機神を追って
歩きまわるものの一歩が新たに大地を踏みしめ、巨大で深い足跡を刻む。
信じられないほど大きな四角い箱から伸びた信じられないほど大きな二足が、丘を崩し木々をへし折り河川の流れを変えていく。掛け値なく、それだけで地図が書き変わっていくようだった。すさまじい光景だ。
「まさに機械の神様だな」
”浮き馬”(註:空気より軽いエーテル気体を体内の嚢に溜め込み馬体重を軽くしている品種改良種)にまたがって、ザ・ウォーカーが巻き起こす大地の揺れと突風とを身体に浴び、目を細めながらフォレストエルフのセラが言った。
アッシュらは『ザ・ウォーカーの行方を知りたい』というごく単純な目的に従って超巨大機械の歩みを少し離れた地点で馬を走らせている。近づき過ぎると一歩の重みで引き起こされる局地的な地震で毎度馬が恐慌状態になってしまうからだ。
海から突如現れたザ・ウォーカーが行き先不明の行進を初めてほぼ一週間。
ザ・ウォーカーは特にコースを変えることなく、コンパスで図ったかのように真北に向けて、その名の通りひたすら歩いている。行く手にあるものは皆踏み潰された。街道も、森も山も何もかも。
幸いにもガープ王都への被害は軽微にとどまったが、すでに山村のひとつが無慈悲に破壊されているのをアッシュたちは目撃している。
ザ・ウォーカーに何らかの自己決定を行う機能があるのかどうかは誰にもわからない。箱型の胴体を解体して中身を調べれば真相が明らかにされるかもしれないが、少なくとも人類種が地上の支配者になって1万年の間にはそれに挑んで成功したものは誰ひとりもいない。
「それでは」「いったい」「何を」「考えて」「いるの」「でしょう?」
双子の少女、黒薔薇と白百合は不思議そうに小首を同じ角度でかしげた。彼女らはずっと遺跡の奥で眠っていた人造人間であり、ほんの数カ月前に目覚めたばかりである。この世の常識に関してはまだまだ白紙に近い。
「なんにも考えてないんじゃないかな、きっと」
セラの浮き馬に同乗している美しい盗賊令嬢、カルボが突風に煽られる髪を抑えつつ言った。
「今まで出てきた時だって、急に眠りからさめて歩きまわって、いきなり止まってそのまま眠って。きっとただそれだけの機械なんだよ」
「しかしながら、カルボ殿。あれは”空の領域”を侵犯するモノです。それがどんな意味を持つのか、ご存知でしょう?」
龍骸苑の行者、ドニエプルが半生体馬の鞍の上で腕組みした。魔術的な強化を受けた半生体馬は、筋肉の膨れ上がった巨漢の体重が乗っていても物ともしない。
「……ドラゴン」とカルボが返した。その顔はどこか不満気だ。
「いかにも。我らの祖先が”ジ・オーブ”を手にし地上を支配してから1万年。しかし支配したのはあくまで”地上”。この世界の空の領域は……ドラゴンの支配下にある」
”ドラゴン”という言葉に、ドニエプルは特別なアクセントを込めた。ドニエプルの入信している龍骸苑はその名のごとくドラゴンの朽ちない骸を特別視している。生きているドラゴンは有限だが、龍の骸には無限性が秘められている。つまり龍の本質は骸であり、生きたドラゴンを屠り骸から力を手に入れることはこの世で至上の価値を持つ――というのが彼らの信仰だ。
「空の領域まで届くザ・ウォーカーが何のために作られ、何のために歩きまわるのか誰にもわかりませぬ。ですが、ドラゴンたちの住まう空を侵犯する人工物であることは間違いない。実体はどうあれ、アレはドラゴンにとっては目の敵でありましょう」
「そんなこと知ってるよぅ。だからザ・ウォーカーにドラゴンが攻撃を仕掛けに来るんでしょ」
「いかにも」とドニエプル。
「だったら……」と、そこでカルボはアッシュのほうをのぞき見て、唇を尖らせた。「……そんなの追いかけたら、危ないのに」
カルボの懸念も当然と言えた。ザ・ウォーカーは歩くだけで地震が起こるほどの大質量巨神工物である。近づくことすら危険だ。
この世界に残された巨大な謎であるザ・ウォーカー。それを追いかけるというのもいいだろう。他では得られない勇壮な冒険だ。
だが死んでしまっては元も子もない。
命を落とせばそこまでだ。死んだ人間を生き返らせるエリクサーなどカルボは持っていない。
――アッシュはそれでいいのかな。
カルボはもう一度アッシュの横顔を盗み見て、ため息をついた。これまで接してきたアッシュの行動を見ていれば、仲間の命なんてどうでもいいというタイプでないことはわかる。むしろ仲間のために力を発揮するタイプだ。
それなのに、いまはただ自分の目的だけを考えているようにしか……。
と、そこまで考えてカルボは苦い顔で髪の毛をかきあげた。
――ばか、『アッシュ自身の目的はないの?』って聞いたのって、わたしなのに。
自分の問いかけが巡ってアッシュの心に思わぬ火をつけたのだとしたら、その責任は自分にある。
「ドラゴンか」
急にアッシュが口を開いた。カルボは鞍から滑りそうになり、危うく前に座るセラの背中にギュッと抱きついた。柔らかい胸をいきなり押し付けられたセラは、なにか居心地の悪い顔になった。
「ドニ、お前本物のドラゴン見たことあるか?」
「いえ、拙僧も骸になったものしか」
「そうか」
「ええ。アッシュ殿は?」
「俺もない」
そう言って、アッシュは空を見上げ、ザ・ウォーカーを見た。
「見たいなぁ、ドラゴン」
「そうですなぁ」
男ふたりはそう言って、遠く高く跳ぶ何かを想像し、子供のように澄んだ目をした。
*
ザ・ウォーカーの巨大さを少し記しておこう。
歩いただけで地震が起こるその頑丈で平たい足の大きさは、地面にできる足あとだけで大都市の住宅地をひと区画まるごと潰してしまうほど。進行方向上にあれば、山を崩し池を広げ城を町を瓦礫に変える。『ザ・ウォーカーが歩けば地図が変わる』と言われるが、それは誇張ではない。
全高は現在この世に存在するどの人工物よりも高く――始源の塔は全てにおいて例外だ――天辺には薄く雲がかかっている。
全高の3分の2ほどを占める脚部は長く、動かす度に関節がこすれあう錆びた軋みがこだまする。鳥が逃げ、動物が恐慌し、人類種は恐怖でその場から動けなくなる。
身体は何らかの金属で作られていることだけは確かだが、現在のところ判明していることは少ない。
望遠鏡で覗くと、体表には15年間ずっと海中にいたせいか、フジツボや腐った海藻が干からびて貼り付いたままになっている。中にはまだ生きている小さなカニなどが取り残されていて、歩く度にポロポロと落ちてきさえする。この様子では、四角い胴体の天辺は巨大な潮溜まりのようになっているに違いない。上から陽光に照らされて蒸発していく潮溜まり、そこに取り残され逃げ場を失った海棲生物が干上がっていく姿を想像すると――本当にそのスケールは圧倒的だ。
あまりにも大きな機神。
しかしその行動はただ歩くのみ。
多くの謎を秘めてザ・ウォーカーはその名のごとく歩き続ける。
その目的は、行き先は?
アッシュの胸の中で純粋な好奇心が煌々と灯っていた。
だがそれだけのすさまじい存在である。
ザ・ウォーカーを追うのはアッシュたちばかりではない。
ザ・ウォーカーが動けば人も動く。
物味遊山気分で見物に。勇壮極まる姿に魅せられて。秘められた謎に迫ろうとして。あるいは無謀にも破壊しようとして。進行方向上にある国は巨大な足で都市を蹂躙されるのをなんとか防ごうとするし、中にはこの機械の神と対話を試みようとする者もいる。
ザ・ウォーカーは自然環境を変える。
森や山河を踏み削るだけではない。強い振動を受けることで芽吹く植物を成長させ、足あとにできた新たなくぼみに水が溜まって水棲生物の生きる場所を産み出す。時には未発見だった巨神文明時代の遺跡さえ暴くこともある。
その後を付いていくアッシュたちも、その強引な変化によって影響を受けることになるのだが……。
*
「ねえアッシュ」「ねえアッシュ」「わたくしたちの」「浮遊能力で」「てっぺんまで」「飛んで行っても」「いいで」「すか?」
黒薔薇と白百合が突然馬上のアッシュに提案した。少女たちも、ザ・ウォーカーの大きさにあてられて、自分たちに何かできることがないかと考えたのだろう。
「あいやお嬢ちゃん方、それはなりませんぞ」ドニエプルが割って入った。「ザ・ウォーカーは背が高すぎる。つまり”空の領域”に頭が届いておる状態です」
「空の」「領域?」
「いかにも。お嬢ちゃん方、ドラゴンがいかなるものかご存知かな?」
黒薔薇と白百合は全く同じタイミングで首を左右に振った。
「この世界は”造物主”によって創造された。世界の最初に作られたのが”始源の塔”で、その始源の塔から一番最初に生まれたのがドラゴンという種属にござる」
「巨神ではなくて?」「ドラゴンが最初?」
「はい。ドラゴンはこの世界の生命の中で何者よりも早く生まれた。巨神は二番目。人間やエルフと言った人類種はそれより後に生まれたわけですな」
「でも」「”ジ・オーブ”を」「手に入れたのは」「ドラゴン」「ではなく」「巨神だった?」
「そうですな。”ジ・オーブ”は世界創造と同じ時に造物主から贈られたもの。普通に考えれば、一番最初に生まれたドラゴンがそれを手にするのが順当」
黒薔薇と白百合はドニエプルの話に興味を引きつけられ、前のめりになるようにしてうなずいた。
「これは10万年以上昔の話ゆえ、事実かどうかもはや確かめようのないことですが――伝承ではこのように言われております。『ドラゴンは誰にも汚されていない世界を飛び回ることに夢中で、巨神類へオーブの権利を譲り渡した』と」
「譲り」「渡した……」
「そうですな。遥か太古の話ゆえ真偽は不明ですが、そのように信じられております」
「結果ドラゴンはこの世界の支配権を手に入れることができなかった、と」今度はアッシュが話に割り込んだ。「だから後で気づいてものすごく後悔したんだ、ドラゴンは」
巨神類たちはジ・オーブの力を利用してすさまじく繁栄した。魔法と錬金術を創始し、人類種を奴隷化し、世界のありとあらゆる権力をほしいままにした。
その様を数千年、数万年横で見ることしかできなかったドラゴンはついに激怒した。世界中の空と大地と海に縄張りを作っていたドラゴンは、巨神の立ち入りを一切禁止するという宣告を行ったのだ。
巨神たちは当然反発した。
ドラゴンの縄張りは世界中に広がっている。だが巨神たちの支配権も世界中に及んでいて、”国譲り”など出来るはずもない。
「ドラゴンに勝ち目はないはずだったんだ。支配者の証のオーブを持っていたのは巨神なんだからな。にも関わらず大戦争が起きて……勝てないはずのドラゴンは当時生きていた巨神類の3分の1ほども倒してしまったらしい。もちろんドラゴンも巨神たちの反撃を受けてむちゃくちゃ多く殺されたって言われてる」
「その大戦争の時に倒された龍の骸が地に落ちて、骨の何割かは人類種の時代まで朽ちることなく埋もれているのでございますな。そのあまりの頑丈さに天啓にうたれた人間が拙僧の属する龍骸苑の祖と言うわけです」
「で、人類種の時代になってからだ」
アッシュは人差し指を立て空を指差した。黒薔薇と白百合はつられて青い空を見上げた。
「人類種は巨神類の滅亡に入れ替わるようにしてジ・オーブを手に入れた。それで世界の支配者になる……はずだった。でも出来なかった。奴隷の身分から解放された当時の人類種は、ドラゴンに対抗できる力なんて何もないに等しかった。もしそんなところをドラゴンに襲われたら……」
「ドラゴンに」「滅ぼされて」「しまいますわ」「しまいますね」
「まさしくその通り」ドニエプルは黒薔薇と白百合の答えにうなずき、「人間はドラゴンにひとつの約束をすることで、攻め滅ぼされる運命をまぬがれたのです。『人類種に地上の支配は譲るが、空をドラゴンから奪うことは許さない』。そのような約束です」
「”空の領域”」「ドラゴンの支配」「そこには」「誰も」「彼も」「入れない?」
黒薔薇と白百合の理解の良さに、ドニエプルは快活に笑った。
空はドラゴンの支配する領域。
ならば、その空に頭を突き出すザ・ウォーカーはどうなるのか。
答えはもうすぐ舞い降りようとしていた――。