第13章 05話 機神の帰還
ガープ王国王都からエーテル機関車の線路は東西に伸びている。
王都駅は難を逃れようとする住民や滞在者で大混雑となり、客車は窓が曇るほどのぎゅうぎゅう詰め。緊急時ということで貨物車までが解放されたもののそれでも乗れずに途方に暮れる、あるいは駅員に食って掛かる客があちこちに見られた。
アッシュたちが馬を使うことにしたのはどうやら正解だった。
「あの混雑では身動きがとれませんなあ」
ドニエプルがいつになく真剣な眼差しで駅を横目に馬を走らせる。行者であり、それ以前に龍骸苑の信徒であるドニエプルにとって、衆生の苦しみに何の手も貸せないことに忸怩たる思いがあるのだろう。
とはいえ、大地震でこれから何が起こるかさえわからない。ドニエプルは頭を切り替え、全てが無理なら可能な限りの人々の手助けをせんと心に決めた。
アッシュたち一行は王都から東に向かい、しばらく線路に並行して馬を走らせた。
内海の海岸線を高台から望むという本来なら風光明媚は風景が見られただろう線路の上を、白い蒸気を吹きながらエーテル機関車が音を立てて進む。
王都から東に向かう路線は次の駅で北と南東に別れ、北側に乗り換えると大湿地を迂回して商業都市ヴィネにつながっている。アッシュらは、次の駅で南東へ向かうことに決めていた。ヴィネにそう何度も戻るのは、実家を飛び出したカルボにとって苦痛であろうという配慮もあったが、それ以上に『いくならば新天地の方がいい』という、セラの意見を重視した。エルフの長距離偵察であるセラは、故郷である大森林にあらゆる情報を持ち帰ることをひとつの任務にしているからだ。
「それにしても妙だ」セラが蹄の音に負けないよう大声を張り上げた。「私の記憶が正しければ、揺れは定期的に起こっている。それにだんだん大きくなっているのも気になる」
「揺れの中心はどうも海から来ているようだな」とアッシュ。
「海……海から陸に近づいてくる?」セラの背中にしがみつき、柔らかい胸を押し付けるようにしているカルボが言った。「海底火山の噴火とか? それともクラーケンか何かが上陸してきたりして」
誰にも答えようがなかった。実際に起こっている現象は定期的な地震だけだ。その原因を突き止められるほどの材料はない。大騒ぎになっている王都の住民や、そこから避難しようとしている人々にも何がどうなっているのか知っているものはいないのではないか。
海から何かが来るのであれば、海岸線からはできるだけ離れておいたほうがいい――と、アッシュが言おうとした矢先。
沖でものすごい大波が発生した。
爆弾でも爆発させたかのような大きな水柱が立ち、どうどうと逆巻いて海岸に押し寄せる。空は優しい陽光に包まれているのに、ガープ王都の海岸には大時化の様相で、巨大な波が流れ込んできては、引き潮がどっと海へ帰っていく。
「どう見ても普通じゃないな」
アッシュは下唇を噛んで、どうすれば危険を避けられるか考えた。エーテル機関車は、大嵐の時でも波が来ない高さを走っている。その線路に並行しているうちはまず問題がないはずだ。だがそれは大波への予防策であって、今までよりも巨大な地震が起きればどうなるかわからない。
「みんな、もう少し内側にコースを」
変えよう、というところで、巨大な地震が起きた。前後左右に地面が揺れて、恐怖を感じた半生体馬たちが棹立ちになる。今までよりも高い水柱が立ち上がり、土砂降りのように周囲に降った。風にのってしょっぱい風が吹いてきたのはこの海の荒れ、そしてその源になる地震のせいだ。
アッシュたちは――加えるならエーテル機関車で避難している乗客らは、内海の沖に”それ”の姿を垣間見た。
水しぶきが濃霧になって立ち込めるその中心には、それまでになかった消波ブロックのようなものが浮かんでいる。だがそれにしては大きすぎる。沈没した巨大運搬船が浮かんできてその甲板何隻分かを並べたような、あるいは――海に浮かぶ島のような、とてつもなく大きなものだ。
異様な気配を感じ、馬たちが落ち着きをなくした。何度も嘶き、棹立ちになり、暴れている。手綱からエーテルを送り込んでおとなしくさせるのも難しい様子だった。
馬に乗っているアッシュたちもまた、恐怖に身がすくむ思いだった。
額の汗を拭うと、血の気が引いて冷たく感じる。
「とにかくいち早く海岸から離れましょう」ドニエプルはそう言って、自らが率先して馬首を返した。「あれが何者であっても、巻き込まれたら元も子もありませんぞ」
一行は顔を見合わせ、次の大揺れが来る前に一刻も早く内陸に走らせた。
しかし海面から顔を出した何者かは、定期的だったはずの地震を盛大に起こした。
信じられないことが起こった。
そこには――内海の海面には、とんでもない高さの”壁”がそそり立っていた。あまりに巨大な絶壁だ。大きすぎて壁の左右が海水の飛沫で隠れてしまっている。高さは――堅牢な城塞都市でさえここまでの高さを必要としないだろう。
”それ”は、さらに”もう一歩”を踏み出した。
岩石のような、金属のような、フジツボを始めありとあらゆる海棲生物が貼り付いた超特大の”脚”が、ガープ王国の領土へ侵入した。
これまでで1番大きな地震が起こり、海岸線の岸壁の一部が平べったい足型のぶんだけ切り取られ、海中に没した。
さらにもう一歩。今度は左足だ。
すさまじい揺れと轟音に、アッシュたちの馬は完全に恐慌状態になった。振り落とされずに鞍にしがみつくのがやっとの状態だ。
恐慌状態に陥ったのは馬だけではなかった。
巨大すぎる”それ”は、太古の巨神文明期に奴隷として扱われた人類種に無条件の恐怖を与える。人類文明が一万年の時を経て、なおも残る恐怖の刻印なのだ。
だがその鉄の塊は、”巨大”という言葉が追いつかないない大きさだった。にわかには信じがたい。己の目で見ていても、それが本当のことかどうか判別がつかない。
そして、もう一歩。
故意か偶然か。
その超巨大な右足は、エーテル機関車が走る線路を大質量で踏抜き、2階建ての家くらいの高さのくぼみを作った。運がいいことに、エーテル機関車はまさにその巨大な足をくぐり抜けるタイミングで悲惨な結果を免れた。彼らが何をしたわけではない、ただ運が良かったとしか言いようが無い。
これは天災だ。
誰かが作った気まぐれに歩きまわる天災だった。
アッシュらの脳裏には、ひとつの言葉が明滅し、渦巻いた。
「いったいあれは……」「なんですの……?」
それが何かを全く知らない黒薔薇と白百合が誰に問うでもなく震えた声を出した。
「”ザ・ウォーカー”……あれは”歩きまわるもの”だ」
アッシュはぼんやりとしながら言った。
「巨神文明期に誰かが作った機械の神。何十年かに一度目を覚まして、活動を止めるまで歩きまわる……」
「そんなもの」「何のために」「作ったの」「ですか?」
黒薔薇と白百合にそう言われ、アッシュはつばを飲み込み、首を左右に振った。
「以前に動き出したのは15年ほど前でしたか。ここよりずっと……始源の塔を挟んでさらに東の地に上陸したので、拙僧も直に見たことはありませぬが、あの姿は伝え聞く”ザ・ウォーカー”でありましょう……」
ドニエプルはそう言って、ほとんど無意識に龍骸苑の祈りの印を結んだ。
また一歩。そしてもう一歩。
超巨大の足跡を残しながら、ザ・ウォーカーは歩く。その度に地面が揺れる。
嵐は去るものだ。
だがザ・ウォーカーは違う。
歩き、歩き、歩く。
それだけで大地は崩される。
歩く天災だ。
その姿は、ずっと遠くからみなければわからないが、巨大な箱型の胴体の下に足が二本生えている。ゼンマイを回して動くおもちゃのようだが、手も頭もない。あるのは四角い胴と足だけだ。
この世界には謎がある。始源の塔、支配者の証”ジ・オーブ”。ザ・ウォーカーもそのひとつだ。
まるきり不定期に現れ歩き出すため、一生のうちに直に目にする機会のない人類種のほうが多い。
アッシュは自らの胸に手を当てた。
巨大な姿に対する恐怖のため、鼓動が荒れ狂っている。
だが、なぜだろうか。
これは恐怖だけではない。
血が猛っているのだ。
メイス一本で敵をねじ伏せるときの興奮にも似ていたが、そのように殺伐としたものではない。指先がちりちりとして、震える。あんな恐怖の塊のような、この世界にふたつとない歩きまわる天災の姿が目の前に現れたというのに、心のなかで誰かが叫んでいる。
誰が?
アッシュ自身だ。
傷をかばうようにしまいこんでいたアッシュのこころが、純粋な叫びをあげていた。
『あれを追いかけたい』と。
ドォォォン。
さらにもう一歩、ザ・ウォーカーが大地を踏みしめ、土煙が立ち上る。
「ねえ、アッシュ……」
浮き馬から降りたカルボが、自分の胸を抑えるアッシュに声をかけた。
「これから、どうするの……?」
あまりの体験にどこか気が抜けたようになったカルボ。いまはいつもの体にピッタリとしたキャットスーツを身に着けているが、魔法量販店で修繕して貰うときについでに追加した機能で新しい色と形になっている。
「俺は……ザ・ウォーカーを追いかける」
夢見るようにアッシュは答えた。
仲間たちに動揺が走った。無理もないだろう。なぜあんな規格外の天災を追いかける必要がある? 当然の疑問だ。
「アイツの行き先がどこなのか、確かめたい」
アッシュの目は本気だった。戦闘の時に度々見せるひとごろしの眼差しではない。大きく真っ直ぐな意志の力がこもっていた。
「待って、待ってよアッシュ。ちゃんと話して。あんなの追いかけてどうなるの?」とカルボ。
「自分でもわからない。でも、追ってみたいんだ。アイツがこの先どこを歩いて、何をして、何が起こるかを。見たいんだ」
「そんなこと……!」
「カルボ。言ってたろ、俺の目的を聞きたいって」
「うん……」
「俺はアイツを追う。カネにもならないし、学者みたいに研究がしたいってわけじゃない。でも、行きたいんだ。何が起こるのか、ただそれを確かめたい。俺のこころが、身体が、そうしろって言っている」
カルボは絶句して、どうすればいいのか戸惑いを隠せなかった。
「……私の任務は大森林に私の見聞を持ち帰ることだ」セラが口を開いた。「できれば大きい方がいい。ふふっ、あの大きさなら合格だ。アッシュ、私も行こう」
「セラ! ほんとうにいいの?」
「いいも悪いもない。どうすればいいのか考えて、より見聞を広める選択したまでだ」
ドォォォン。またザ・ウォーカーが一歩大地を踏みしめる音がこだました。
「……わたしたちも」「わたしたちも……」「アッシュと」「アッシュと」「いっしょに」「行きます」
黒薔薇と白百合が、祈るように胸の前で指を組んだ。
「黒薔薇も」「白百合も」「アッシュを」「守ります」
それを見たドニエプルは、アッシュとはまた別の意味で目の輝きを増した。「拙僧も参ります。龍骸苑の行者としては、ザ・ウォーカーは追わねばならないものなのです」
「お前はどうする、カルボ」
「…………」
「無理強いはしない。馬鹿げた目的と言われればそこまでだしな。でも……」
「……でも?」
「一緒に来てほしい」
「はじめからそう言え、ばか」
「そうだな」
アッシュは照れくさそうに笑った。
アッシュはあまり笑わない。
だが、今この場だけは隠そうともせずに笑った。
きっとそうしている方がこの人にはふさわしいのだろう――カルボはそう思い、微笑んだ。
13章おわり
14章に続く
※ザ・ウォーカーの全高は1000メートルです。スカイツリーの1・6倍、シンゴジラの10倍近くの動きまわる鉄の塊をイメージしてください。