第13章 02話 お買い物
ガープ王国は一種の多民族国家である。
定められた税金を納めている限りは誰でも国籍を獲得でき、宗教も限定されず、政治にも参加できる。
人口比は人間が最も多く、次いでシティエルフ。他にも自らの適応環境から飛び出した多種多彩なエルフたち。珪素生命体テクスメック。それに数は少ないが人類種ではない鬼族も条件さえクリアできれば市民として生活できる。
王都はそんな人種の見本市だった。
カネさえ払えば市民になれる場所というのは、意図せず脛に傷のあるものも呼び寄せてしまう。犯罪率は同規模の都市と比較して高めだ。反面、都市自体の活気、人々のぎらぎらした生命力は、いまにも沸騰するかのようで、何かのきっかけがあれば一気に大発展を起こすだろう――そんな風に見ている識者は多い。
泥炭の大規模な採掘もそんな熱に駆られた事業のひとつだ。燃料用エリクサーの錬成に大量投入され、将来的には余剰分の輸出も視野に入っているという。
カルボは王都の街並みを眺め、そうした繁栄のほんのちょっぴりは自分の、自分たちの力があってのことだと思うと誇らしい気持ちになれた。
そんなことを考えながら歩いている後ろから、遠慮気味に裾をひく手があった。セラである。
「どうしたのセラ?」
セラはカルボの背に隠れるようにして、「そ、外の世界というのは、その……」
「その?」
「……人が多い場所、だな?」
何やらコソコソとして、第三者から見るとセラの挙動は不審だ。
「だって、ガープ王国の王都だもん。いろんな人がいるよ」
「それは理解しているのだが……私はその、あまり慣れていないんだ」
「ん?」カルボは首をひねり、すぐに思い至った。「ああ、セラってずっと森の中で育ったんだよね」
「……こんなに人が大勢行き交う場所とは思わなかった」
雑多で騒々しい表通りはカルボから見てもいかにも人混みという様子だ。環境的に箱入り娘だったセラには少し刺激が強かったようだ。
「大丈夫だよ、別にいきなり飛びかかってくるわけじゃないし」
カルボは微笑ましく思った。わずかな期間ながらいっしょに過ごしたフォレストエルフの女は、いつもきびきびとした立ち居振る舞いで確固たる意志を持っている。それが人混みに入った途端、怖がって覚束ない小娘のようになっているのだから。
「そうなのだが……行き交う者はみな私の方をちらちら見ているような気がする……」
「そんなことないってば。もっと堂々としていればいいの、堂々と」
そう言ってカルボは胸を反らした。豊かな双丘が若干遅れて動きに追随する。
「分かった……その言葉信じよう」
セラは迷子にならないようカルボの袖を掴み、横に並んだ。
*
「それで、今日は一体どこにいくんだ? そんな普通の娘のような格好をして」
セラは隣のカルボの服装を上から下まで見た。いつもは身体のラインが出るピッタリしたソフトレザーアーマー姿だが、今日に限ってはゆったりしたオフショルダーのトップスにホットパンツ、足元はサンダルという涼し気なコーディネートだ。普段はベルトのホルダーにいくつもぶら下げているエリクサーのポットもバッグの中に忍ばせて、髪の結い方も変えてある。
「普段使ってるスーツがあるでしょ?」
「ああ」
「もともと魔法付与品で、形とかゆるさを調整できるエーテル記憶素材の服だったんだけど」
「そうらしいな」
「うん。で、こないだ遺跡の中で触手に捕まったでしょ? あれ以来なんか調子悪いの。だから魔法量販店に行って修理してもらおうと思って」
「直せるものなのか?」
「わかんない。でもあれ買ったとき150金(註:150金は150万円相当)もしたから、できれば直して使いたいかなって」
「なるほど」とセラはうなずいたが、実際のところ服や防具の相場として150金というのが高いのか安いのか判断がつかなかった。大森林の外――というより人間の世界の相場がいまいちよくわからないのだ。
「しかし私が同行する理由があるのか? どうもその辺りがよくわからないのだが」
「あるよぅ。だって、セラはエルフの偉い人から”長距離偵察”の役目を仰せつかったんでしょ?」
「まあ、それはそうだな」
「だったら森を離れたいろんな出来事に目をむけないと。ね?」
ううむ、とセラは口の中でもごもごした。カルボの言うことはもっともだ。せっかくエルフの森を出たのだ。ただエルフであることを貫き通して一歩引いていたら意味が無い。
「わかった。今日はカルボ言うとおりにする。連れて行ってくれ」
それを聞いたカルボはいたずらっぽく笑った。カルボは幼少期から盗賊の訓練を吸収している。話術で丸め込むのはお手のものである。
「それはいいとして」セラは人混みを見回して、「アッシュたちはどこに行ったんだ?」
「アッシュは武器が壊れたからって鍛冶屋に行ってる。ドニとクロ、シロは観光に行くって」
セラはわかったようなわからないような顔でうなずいた。
*
そうこうしているうちに魔法量販店にたどり着き、セラはその建物を仰ぎ見て少し尻込みした。
「お、大きいな……」
五階建ての建物である。
魔法具ブランドの看板があちらこちらに掲げられ、日用魔法道具から業務用のもの、エリクサーやその触媒、魔力付与済みの衣料品、武器防具が所狭しと並ぶ傭兵御用達コーナーなど、魔法具に関係しているものはなんでも揃っている店だ。
カルボは修理コーナーにキャットスーツを預け、セラを連れていろいろな売り場を見て回った。
*
その頃ドニエプルは黒薔薇と白百合を連れて王都を歩いていた。
「すごい人」「沢山の人」「目が回り」「そうです」
黒薔薇と白百合が大通りの前後左右を眺め、足元がおぼつかないというようなジェスチャーをした。
「ははは、商業都市ヴィネに勝るとも劣らぬ混雑ですなあ」
迷子にならないよう黒薔薇と白百合の手を左右で握りながら、ドニエプルは快活に笑った。
「空を」「飛んで」「頭の上を」「飛び越したいですわ」
「それをやったら余計迷子になりますぞ? 拙僧が見失ったら大変です」
不承不承、黒薔薇たちはうなずいてドニエプルのいうことを聞いた。
と、どこからか食欲を刺激する匂いが漂ってきた。いつのまにか飲食街に入っていたらしい。途端に黒薔薇と白百合は目を輝かせた。この双子の少女たちは食欲旺盛で、おいしい食べ物に目がない。
「ドニ」「ドニ」「わたくしたち」「お腹が」「お腹が」「空きました」
通りの両脇に並ぶ飲食店や露店を見回して、ふたりはよだれを垂らさんばかりだ。
「うむ、拙僧もちょうど何か口に入れたくなって来たところ。さ、どこに入りますかな?」
ドニエプルがそう言うと、黒薔薇と白百合は稲妻に撃たれたかのように身体を硬直させ、と思ったら身をよじり、苦悶の表情を浮かべた。
「な、何ごとですふたりとも?」
「どの店がいいのか……」「すごく悩みます」「大変なことです」「重要なことです」
確かにそうですな、とドニエプルは深刻な顔でうなずいた。子供に調子を合わせるという様子ではなく、一緒になって悩んでいる。ドニエプルとはそうした男だった。
「肉と魚どちらがよろしいかな?」
「ドニは」「お坊様なのに」「肉も」「魚も」「食べちゃう」「の?」
「食べちゃいますな。龍骸苑はそもそも肉喰も妻帯も禁じておらぬゆえ……おお、あれなどはどうですかなお嬢さんがた」
ドニエプルの目線の先には”海鮮”と東方字体で染め抜かれたのれんがあった。
「この都市は海に接しておりますゆえ、新鮮な魚が」
「食べ!?」「放題!?」
「……いや食べ放題というわけでは」
「行きましょう!」「行きましょう!」
黒薔薇と白百合はドニエプルの話が耳に入らないようで、走って店の中へと入っていった。
一瞬遅れを取ったドニエプルは、「ま、待ちなさいふたりとも!」
慌てて後を追って店ののれんをくぐった。
*
「ずいぶんと多く買い込むのだな」
セラはそう言って、呆れ気味にカルボの笑顔を見た。
魔法量販店で買い物を済ませたカルボとセラだったが、その帰り道で抱えている荷物の量は雲泥の差がある。
元々フォレストエルフであるセラは、エリクサーをあまり使わない。リザードキングの時に使った”精霊術”という技術があるからだ。身体の強化や怪我の治療、はたまた弓矢の威力を増強させるなど様々な用途に用いられる精霊術があれば必要性が低くなるのも当然、といったところだろう。
カルボは違う。
盗賊であり、いろいろな種類のエリクサーを使って仲間をサポートするのを得意としているカルボは、使えるエリクサーが多ければ多いほどいい。錬成術師ではない彼女は自分で作り出すことが出来ないので、エリクサーを売っている店をめぐるのは彼女にとって必須のことであり、同時に女性ならではの買い物欲を満たすという意味合いもあった。
「だって、田舎に行くとあんまり良いのが手に入らないし。こういう時に買い込んでおかないとね」
とカルボは両手いっぱいに紙袋を持って少し持ち上げてみせた。重そうだ。エリクサー以外にもいろいろとつめ込まれている。
「私は人の多さと商品の多さでなんというか……」
「疲れた?」
「い、いやそんなことはないのだが……」
セラは口ごもった。フォレストエルフを代表する立場の自分がこんななんでもない場所で音を上げているなどと思われたくない、と顔に書いてある。
「じゃあ、クロたちの服は明日にしよっか」
「服?」
「うん」カルボはうなずいて、「こないだのね、リザードキングとの戦いで思ったんだけど。あの子たちだって戦いの真っ只中にいる場面も多いし、流れ弾で毒を受けたりもしたから。なるべく怪我しないような格好をさせようと思って」
「しかしあの子らに鎧兜は似合わんな」
「それはもちろんそうだけど。だから魔法付与品の軽い服か何かを買ってあげようと思って」
「それは良いアイデアだと思う」
「でしょ? あの子たちを戦いの場に連れて行くのも本当はいいことだと思ってないけど……でも傭兵の仕事であちこち回っていると結局一緒に戦わざるをえないから」
かつては孤児院に預けようと持っていたことをセラは聞かされている。アッシュとカルボがいろいろと手を回した結果、そういう結論を出したのなら口を挟むことではないだろう。それにセラも黒薔薇と白百合の愛らしさにやすらぎを覚え始めている。だから、カルボがそう言うならそれで良いのだろう。
カルボは雑踏の中でほんの少し立ち止まり、青空を見上げた。
鬱蒼とした大森林に住んでいてはなかなかお目にかかる機会のないものだ。
と、そのとき。
セラの鋭敏なとがり耳が何か遠鳴りのような音を微かにとらえた。それに、ほんのわずかな地面の揺れも。
――地震?
ごく軽いもので、気にするほどのものではなさそうだった。
「セラー、置いてくよー?」
カルボの呼び声にセラは苦笑し、迷子にならないようその後についていった。面倒見の良い人間だ。