第12章 04話 目覚め
かつて地上を支配した巨神が何を思って巨大リザードマンのホログラムをガラスに埋め込んだのか。
ガープ王国の遺跡探索隊もアッシュたちもその意図をすぐに読み解くことはできなかったが、慎重に接するべきものだということは誰もが肌で感じた。
セラが遠巻きにホログラムを眺めながら、「よくわからないのだが、このホログラムが上の……つまり大湿原のリザードマン共を呼び寄せたということだろうか?」
「拙僧も理解しかねますが、この部屋のレリーフがそれらしきことを暗示しているように思えますな」巨漢の行者ドニエプルはそう言って、長々と鼻息を吹いた。
予想はできるが誰にも正解がわからない。
そんな埒の開かない時間がしばし続き、探索隊の隊長が大空間中に聞こえるような手拍子を二度打った。
「まずこれが危険性があるものかどうか調べる必要がある。魔術系の隊員で出来るだけ確かめてくれ。他の隊員は警戒しつつ待機。アッシュ、君らのパーティも協力してくれ。以上!」
隊長の号令のもと、魔術に長けた探索隊員が様々な検証を行い、アッシュたちも隊長の号令に従っていざというときに備えた。
*
「”停滞”は部屋の中央ではなくこの巨大リザードマン……の幻像を中心として設置されているようです」
「ホログラムの下部、つまりリザードマンの足元に呪印が刻まれています。何でしょうかこれは?」
「妖魔召喚の印に似ていますね。何らかの罠でしょうか?」
「……ちょっとまってくれ。先程から”停滞”の様子がおかしい」
「なにか時間の流れが波打っているような」
「波打つ?」
「いや待て! 停滞の効果が部屋中から消えていく! どういうことだ!」
「離れろ! いいから離れるんだ!」
「”停滞”の効果が完全にロストして……」
「おい! 呪印が光っているいるぞ! 何が起きているんだ!?」
「離れろ!! それ以上は危険だ!」
「ホログラムが……」
「ホログラムが、実体化していく……?」
バシャン、と音が響いた。
それは巨大リザードマンが閉じ込められていたガラスが流れだした音だった。ガラスはガラスではなかった。時間の流れが正常になることで固体化していた”水”が元に戻ったのだ。
同時に光りだした呪印から黒いモヤがにわかに立ち上り、ホログラムに過ぎなかった巨大リザードマンに絡みつき、次第に膨れ、肉体が紡がれていく。
誰もが危険を感じながら、しかし誰も動けない。
ぬしん、とそれが台座から降りた。
それは人間の身長の倍ほどもある巨大リザードマンが、太古からの眠りから覚めて踏みしめる最初の一歩だった。
*
爆音に等しい咆哮が巨大空間にこだました。
巨大リザードマンの、いったい何年ぶりかわからない狂ったような叫び声だった。
巨体。凄まじく盛り上がった筋肉。緑と茶が複雑に絡み合ったウロコ。丸太のような長い尻尾。そして――。
「グウォウ、ルガァ、シュアアープ……」
何ごとかを唸った。それは無意味な叫び声などではなく、問いかけるような色を含んでいた。
「古代巨神語……?」とカルボ。
「分かるのか?」とアッシュ。
「意味はよくわからないけど、人類種の言葉じゃないよ」
「それはつまり、このトカゲは巨神文明時代からずっと眠っていたということか?」フォレストエルフのセラが、ロングボウを握る拳にギュッと力を込めた。「まさかこいつ、本当に始源種……?」
「それはわからない。分からないが……」アッシュは巨大リザードマンの、縦長の瞳をにらみ、「少なくとも味方とは思えないな」
リザードマンは肉体とともに復元された驚くほど巨大な斧を足元から取り上げ、肩に担いだ。
「ギルァ、マズモ、イィヮール?」
にやりと、確かにリザードマンは笑った。
それはどんな時代にも共通の、理不尽な暴力の開始を告げる嗜虐的な笑みだった。
*
その場にいたほとんどの人間が気を呑まれ、足をすくませた。
巨神族の支配した10万年の時の中で奴隷として扱われてきた人類種は、巨大な二足歩行生物に理屈抜きの恐怖心を抱いてしまう。それはトカゲ人間でも同じだった。特別な訓練や努力を積まないかぎりこれを取り除くことは難しく、探索隊の半分ほどはパニックを起こす寸前になっていた。
「シャガァッ!!」
一瞬の間だった。巨大リザードマンは手にした大斧を振り回した。恐ろしい速さだ。手近にいた隊員が上半身と下半身を真っぷたつに切断された。即死である。二秒ほど腰から下だけの両足が立ち尽くしていたが、支えをなくしてがしゃりと床に崩れ落ちた。
血が吹き出し、流れだし、石床が赤く染まった。リザードマンはぬしり、ぬしりと血塗られた床を踏みしめ、次の獲物を探す。
「くおぉっ!!」
勇気ある魔術系の隊員が呪文を放った。リザードマンの顔の周りに、かすかに紫がかったエーテルが漂う。おそらく”誘眠”か”沈静化”の呪文だろう。
しかしリザードマンには全く何も効果を及ぼさず、反対にその隊員は頭頂部から股の間まで縦真っぷたつに切り開かれた。
「しっかりしろ! 反撃だ! 奴の足を止めろ!!」
探索隊隊長の腹から絞り出すような声に我に返り、隊員たちは素早く武器を抜き、あるいはクロスボウを構え、あるいは呪文を唱え始めた。
「撃ーッ!」
号令とともにクロスボウ部隊が一斉射撃をリザードマンに仕掛けた。
タイミングは間違っていないはずである。だがリザードマンの瞬発力は予測を上回った。
「シュアア!」
直撃の瞬間に身を翻し、石床の上を二度宙返りしてクロスボウの矢弾をかわしてしまったのである。それでも全てはよけきれず、岩の塊にウロコを生やしたような肩に一本突き立っていた。リザードマンは難なくそれを引っこ抜いた。青黒い血が一筋流れるが、致命傷には程遠い。
「どうしよう、アッシュ。このままじゃ……」カルボが不安げにアッシュの袖を引いた。
「わかってる。ドニ、あのトカゲの動きを止めるぞ」
アッシュの指示にドニエプルは承知、と短く返し、全身の体内エーテルを白く燃え上がらせた。
「カルボとクロたちは隙があったらエリクサーと超精神力で足止めを頼む。セラは……」
「言われずともわかる!」
セラは長弓を構え、すぐに矢をつがえた。早速リザードマンに狙いを定め、まず一射目を打ち込んだ。ド、と音を立てて脇腹に突き刺さる。
「行け、アッシュ、ドニ。私が弓で引っ掻き回す!」
セラの言葉通り、リザードマンの縦長の瞳はセラのことを見おろした。注意が向いている。殺意もだ。
「早く!」
アッシュは腰の後ろの革ケースからメイスを抜き、ドニエプルと示し合わせて一気に駆け出した。
*
人間の倍近い身長――と簡単に言うものの、その大きさ、迫力は尋常ではない。さらにその俊敏な動作と巨大斧の破壊力。全身を覆うウロコの固さ。
探索隊の隊員は、単なる調査を行うだけでなく遺跡の中の危険を制圧できるだけの実力を持った者たちで編成されている。決して腰抜けなどではない。
そんな彼らがリザードマンにボロ切れのように跳ね飛ばされていた。尻尾が恐ろしく俊敏に動く。長く野太い尻尾の打撃は武装した兵を軽くなぎ倒し、その鎧を歪ませる程の威力があった。
――これじゃ全滅するぞ……。
アッシュは素早く判断し、「隊長! 一端下がらせてください! 自分らが隙を作ります!」
有無を言わせずアッシュは駆け出し、特注品の強化型ハードレザーアーマーを着込んでいるとはとても思えないほどの速さでリザードマンの膝下にスライディング。そのまま起き上がり、勢いで目一杯の力を込めたメイスをふくらはぎに叩き込んだ。
ギャッっと悲鳴が上がる。古代巨神言語ではない。痛みの悲鳴だ。
「ドニ!」
「承知ィ!!」
全身のエーテルを燃え上がらせ、ドニエプルがリザードマンの巨大な足首にタックルを敢行した。巨大な敵はまず転ばせる。基礎である。
ドニエプルは足首を刈って、転倒を狙った。激しい激突。しかしリザードマンの巨大な体躯はびくともしない。
「ンヌァンザ!」
リザードマンが吠えた。その意味は分からないが、語調から”邪魔だ””離れろ”と叫んでいるようだった。
「ドニ、離れ」
アッシュが言い切る前に、リザードマンは思い切り足を振った。
ドニエプルは人間にしては明らかに巨漢である。そのドニエプルを、リザードマンは足を蹴りだし吹き飛ばした。
軽々と空中に飛ばされ、頭から真っ逆さまに石床に叩きつけられた――かに見えて、ドニエプルは見事な受け身をとって無傷のまま立ち上がった。
「ドニ!」
「お気になさるなアッシュ殿! それよりもエーテルを蓄える時間を稼いでいただきたい!」
アッシュは答える代わりにメイスを構え、再びリザードマンの左足を徹底的に狙った。
――片足を潰す。尻尾で支えても片足が使えなくなれば必ず隙は作れる。
すう、とアッシュの目が半眼になった。そこに浮かぶのはひとごろしの鈍い光だ。人であろうと妖魔であろうと、遥か過去から眠り続けた怪獣であろうと、必ず殺すという眼差し。
無言のまま排気し、アッシュはまずリザードマンの左膝に前蹴りを繰り出した。固い。重い。岩の塊を蹴っているようだった。
――やっぱり効かないか。
アッシュが効かないと思ったのは前蹴りではなく、特注の鎧に仕込んだ足裏の仕掛けである。
ブーツのソールに青銀珊瑚(註:地上で成長する珊瑚。”生ける銀”とも呼ばれる高価なもの)の鋲を打ち付けてあるブーツである。もし効果があるなら敵はアンデッドや妖魔のような連中ということになるが、リザードマンは異界領域から呼びだされたわけではないらしい。
ならばメイスで行くのみだ。
アッシュは振り下ろされる死の塊のような大斧をかいくぐり、左膝に思い切りメイスを叩き込んだ。