第12章 03話 最初の一匹
かつて造物主が”始源の塔”を打ち建て、”世界”を創造したとき。
創造行為を補佐しながらも”世界”の内側に入ることができなかった者たちがいた。世界以前に生まれた、淡く幽く、しかし力強い存在。
”光の勢力”、そして”闇の勢力”という名で呼ばれている。
妖魔とは、ふたつの勢力のうち闇側に属する領域から現世に呼び出された存在だ。
領域と現世の間を呪印によって繋げることで現れる、血と殺戮を好む獰猛な怪物である。
妖魔召喚の術の歴史は古い。現代でも召喚術の使い手はいる。しかし創始者たちの魔法ははるかに強力だった。創始者とはすなわち巨神たちだ。
巨神たちが世界支配者の証”ジ・オーブ”を手に入れた10万年の間、さまざまな魔法がありとあらゆる角度から開発され、発展し、研鑽を重ね、運用された。現世と世界の外の領域をつなげる方法もそのひとつにあたる。
はるかな過去、この遺跡を使っていた巨神たちも、そういった現世と異界領域をつなぐことに長けていたのだろうか?
答えは遺跡の奥に隠されている……。
*
ガープ王国の遺跡探索隊の生き残りとアッシュたちが合流し、廊下を少しづつ進みだしておよそ一時間。
罠の有無を調べ、妖魔の姿がないかを確かめつつの慎重なアタックである。二度と犠牲者は出したくない。それゆえどうしても時間が掛かる。
「いっそまとめて出てきてもらったほうが楽ですな」
ドニエプルは小声でそう言って、僧服の襟元をゆるめた。
その話には同感だったアッシュだが、同僚を殺されている探索隊の隊員たちを思うとおおっぴらにはできない。
時間をかけつつも先に進むうち、空気が変わった。比喩ではない。湿気とカビ臭さを帯びたあたりの空気が、ごく薄い水の膜が身体に巻き付いてきたかのように抵抗してくるのだ。空気そのものがねっとりと動くを遮るかのような――。
「これは……”停滞”の呪文がかけられているのか?」
探索隊の隊長がキョロキョロと周りに目配せし、言った。
”停滞”の呪文とはある物体ないし限定された空間の状態を保存するために使われる。原理的には湿気やサビ、日光などに対する抵抗力を与えて崩壊を防ぐほか、対象の周囲の時間の流れを緩やかに――あるいは極端に――停滞させる効力を持つ。
いわばその副作用によって、”停滞”がかけられた場所の周囲は、時間の流れがゆっくりになる。空気に粘り気が帯びているように感じるのはそのせいだろう。巨神文明遺跡においては珍しいものではない。
「ね、ね、アッシュ」今度はカルボが小声でアッシュの袖を引いた。「”停滞”がかけられて言うってことはさ、お宝が眠ってる可能性高いよね」
アッシュはそうかもなとだけ言ってうなずいた、が、その顔には喜びの色はない。
強力な”停滞”呪文は異物や遺跡の一部を時を越えて保存する効力を持つ。だが、強力な呪文を使うのは強力な存在ということになる。状況から言って強力な実力を持つ巨神である可能性が高い。
さきほどの罠から考えると、当時奴隷だった人間が入り込むのを防ぎたい意図がある――と考えられなくもない。
要するに危険だということだ。
と、まだ若い探索隊の隊員が遺跡の壁に横たわり、小さく背中を震えさせてから胃の内容物を全部吐き出した。
「まあ」「あれは」「お気の毒」「お気の毒」
黒薔薇と白百合がその様子を見て愛らしい眉をひそめた。
「停滞空間の周りは普通の空間と”時差”ができるんだ」とアッシュ。「乗り物酔いしやすいやつは気分が悪くなる」
「でも」「わたくしたちは」「なんともなって」「いませんわ」
「それはお前たちがふわふわ浮いてるからだろう、多分」
「三半規管が違うんじゃないかな」とカルボ。
そんなやり取りを続けつつさらに奥へ。
進めば進むほどに”停滞”呪文の効果が強くなり、めまいを起こす隊員たちが多くなってきた。タブレット型の酔い止めエリクサーを舐めているカルボと精神術で宙に浮いている黒薔薇と白百合は別として、アッシュもドニエプルもぐらぐらと頭がゆれている。
セラも同様だった。こちらは余計に症状がキツいらしい。しかしフォレストエルフの誇り高さ故か、気分が悪くなっているように見られないよう気を張っていた。しかし浅い褐色の顔からはすっかり血の気が引き、今にもしゃがみこんで嘔吐しそうな様子だった。
一行はまるで高山病にかかったまま山肌を這い上がるが如き行程を経て――突然症状が回復した。
探索隊隊長が不思議そうな面持ちで隊員たちの様子をぐるりと見て、「みんな、大丈夫か……?」
隊員たちは各々返事をし、アッシュたちも同様に肯定した。
「気をつけろ、時差が安定してきたということは”停滞”呪文がかけられた場所のすぐ近くまで来ている証拠だ」
探索隊の隊員らは足を揃え、敬礼をした。
よく鍛えられている――アッシュはそう思った。
同時に彼らのような規律から外に出てしまった自分のことを思った。謎の遺跡を探索しお宝を手に入れ、あるいは傭兵として戦争に加担し、御用聞きよろしく市井の人々の問題を解決する。そんな生活にも慣れた。これはこれで楽しい。命の駆け引きをするスリルもある。聖騎士としてありとあらゆる悪と戦い滅ぼしてきた頃に比べればぬるいものではあるが――。
「どしたのアッシュ、考えこんで」
気が付くとカルボの顔が下から覗き込んできた。瞳が大きく、人懐っこいネコのよう。
「お、おう」アッシュは驚いて半歩下がり、「すまん、ちょっとぼーっとしてた」
「じゃ行こ? みんなもう先に行ってるよ」
カルボはそう言って愛らしく笑い、先行する仲間たちのもとにかけ出した。
翻った髪から漂うかすかな甘い匂いにアッシュはしばし固まり、それから急いで追いついた。
これはこれで悪くない――とアッシュは思った。
*
「これはすごい……」
巨神用の巨大な扉を協力して開け、中の光景を見た探索隊の隊員たちはそろって感嘆のため息をついた。
そこは巨神が使うよう設計された大部屋で、人間の感覚からはエーテル式エアドーム並の広さに感じられた。美しいも妖しい紋様があちこちに刻まれた大部屋の部分部分に”停滞”呪文がかけられ、その影響が時差になってアッシュたちを苦しめていたらしい。
「見てください、隊長!」
隊員のひとりが巨大な壁の一角を指差した。
そこにはレリーフが刻まれていた。
カエルの成長過程を示したものらしい。カエルがあり、卵があり、オタマジャクシを経てからカエル。
不可解なのは矢印の方向だ。
一番左のカエルが一番大きく、右向きの矢印が次に指すのは卵、オタマジャクシの順に刻まれているのだが、一番左のカエルと最後のカエルでは最初のカエルの方が明らかに一回り大きいのだ。
「成長して代を重ねるごとに小さくなっているのか?」セラが無造作にレリーフに触りながら言った。「ああ、やっぱりそうだ。あそこを見てみろ」
フォレストエルフが壁際を移動し、指差した先には同じような成長過程が刻まれていた。やはり最初のカエルが一番大きく、次代のカエルは明確に小さく描かれている。壁にはそんなレリーフがずらりと並んでいるらしかった。
「”始源種”から現代のカエルに至るまでの図ってところか」
アッシュはそう言って、一番最初のカエルを見た。その先にある巨大で垂直な”塔”のレリーフを。
「始源種?」「始源種?」「塔から生まれた」「最初のひとり?」
黒薔薇と白百合はアッシュに続いてふわふわと宙を泳いで巨大な”塔”に触れた。
「そう、始源種。始源の塔から生まれたあらゆる種属の最初の一匹だ。どんな生き物も最初に生まれた始源種が一番大きく、賢くて偉大だったらしい」
アッシュはそう言って、カエルのレリーフ以外に目を向けた。視線の先ではトカゲやカメが年月を重ねて小さく、迫力がなくなっていく様子が描かれている。
「つながりが見えてきたようですな」
ドニエプルは腕組みし、大きな部屋の床と壁をぐるりと見渡した。床にも同様の紋様が刻みつけられている。高すぎて明かりが届かないが天井もおそらく同じようなものだろう。
「この部屋は爬虫類と両生類が始源種から零落していくさまを示している。そして描かれているのは爬虫類と両生類のみ……」
「湿地帯で起きたリザードマンの襲撃にこれが関係していると?」と探索隊の隊長。「理屈は通っているようだが……レリーフがあるだけで一斉蜂起、というのは少々信じがたい」
「ああっ、そうだよリザードマン!」
カルボが声を上げた。
「リザードマン?」
「うん。だって湿地帯で襲撃しに来たのってリザードマンに率いられてたんでしょ? だからこの部屋のどこかにリザードマンのレリーフもあるんじゃないかな」
「なるほど、それをたどれば何か意味を読み取れるかもしれんな。手分けして探そう」
カルボの話を聞いた隊長はそう言って、隊員たちを手早く分担させてレリーフを調べるよう指示を出した。
「クロ、シロ。お前たちは空をとべるんだから、天井の調査を頼む」とアッシュ。
「はい」「わかりました」
アッシュの指示の下、エーテルランプをそれぞれ手にして黒薔薇と白百合は天井へと浮遊していく。
「隊長、少しいいスか」アッシュが隊長に声をかけた。
「なんだね」
「”停滞”の呪文、どう思います?」
「どう、とは?」
「巨神はこのレリーフを未来に残すために呪文を掛けたかもしれない。たしかに芸術的価値があるかもしれないッスけど。でも」
「少々大げさにも感じる」
「はい。まさにそういうことッス。時間の流れを遅くしてまで保存しておくのは、保存する価値のあるもの……だと思うんス」
「価値あるもの……?」隊長は小首を傾げてから、はっと目を見開いた。「まさか、それを手に入れようとリザードマンが!?」
かもしれません、とだけ言ってアッシュも大空間の調査に加わった。
*
遺物――あるいは”異物”は程なく見つかった。
大空間の1番奥の壁に半ば埋め込まれたガラスに浮かぶリザードマンの幻像だった。
ただのリザードマンではない。
大きい。身長は平均的な成人男性の3倍近くもある。普通のリザードマンの比ではない。アッシュたちが数週間前いやというほど戦った連中とは違う。トカゲ人間ならぬトカゲ巨人だ。
錬金術で生み出された変異種か?
あるいは――これこそがリザードマンの始源種なのか?
大空間の空気が張り詰めた。
このホログラムが、ただの幻である保証はどこにもないのだ。