第12章 01話 ファースト・アタック
「不思議な光景ですなあ」
ドニエプルが湿地に穿たれた大穴を見て言った。
泥をかき分けられた穴から頂上部をのぞかせてているのは、横たわる巨神文明期の遺跡である。その大きさは眼を見張るものがある――ちょっとした豪華客船ほどもあるだろうか。巨神が中に住んでいたとすれば、このくらいの大きさは必要だったはずだろう。
「アッシュ殿、これは1万年よりも前に作られたもので?」
「どうだろうな」アッシュは片眉を吊り上げ、「いつから泥の中に沈んでいたかどうかは今の状態じゃ確かめようがない」
「そのためにわたしたち傭兵にも調査の打診が来たんでしょ?」とカルボ。
「破格の対応だ」フォレストエルフのセラが皮肉っぽく言った。
ガープ王国の領地内で新たに発見された遺跡である。本来ならその中に眠っている遺物は全てガープ王国の管理下に置かれるはずだ。それを、リザードマン攻防戦の陽動作戦にて大きな働きを示した褒賞として遺跡へのファーストアタックの権利が与えられたというのは、法外なことだといえる。
なにしろ、遺跡の中に入っているのはとんでもない価値のある神具(註:魔法付与品、大魔法具より希少価値のあるマジックアイテム)かもしれないからだ。
「ねえアッシュ」「ねえアッシュ」黒薔薇と白百合が問いかけた。「ファーストアタックとは」「何ごとですの?」
「誰も中にはいったことのない遺跡に一番最初に足を踏み入れることだ」とアッシュ。「今回大半のメンバーはガープ王国の軍人たちだけど、その中に俺たちの枠が用意されたってこと」
黒薔薇と白百合はわかったようなわからないような顔でぴったり同じ角度に首を傾げた。
「それにしてもこの外観、なんでありましょうな。とぐろを巻いたヘビ……のようにも見えますが」
ドニエプルは乾いた泥で白くなっている遺跡を見ながらそう言った。遺跡周辺には泥から立ち昇る湿っぽいにおいが漂っている。
「頭はワニに似ている」セラが掘り出された遺跡のてっぺんを指差した。「おまけに二本の腕が生えているな。トカゲ、ヘビ、いやリザードマンか?」
遺跡はある種の動物、それも爬虫類をモチーフにした姿形をしていた。
「……それだけではないぞ! 遺跡の壁面全体を両生類らしき浮き彫りがあっちにもこっちも描かれている!」
ガープ王国お抱えの考古学者らしき男が、アッシュらとともにファーストアタックに出向く軍人たちに大声でレクチャーしていた。
「つまりだ! 今回のリザードマンの蜂起は何かの偶然ではない! 爬虫類と両生類の怪物たちはみなこの遺跡に呼び寄せられていたか、もしくは遺跡の中身に何らかの”魔法的呼び子”のようなものがあるに違いない! いいかね、それを破壊しない限りこの湿地帯はいずれまたやつらの襲撃を受けるだろう!」
「……だとさ」とアッシュ。
「そんな大事なことに、わたしたちみたいな部外者が入っていいのかな?」とカルボ。
「部外者というわけではあるまい」セラは胸を張り、「湿地帯が狙われる可能性があるということは、森に住む同胞に対する潜在的な危険だ。私はそのために貴殿らに同行しているのだからな」
「そりゃどうも」
アッシュは苦笑し、首を左右に振ってコキコキと骨を鳴らした。
腰の後ろの革ケースに収めたメイスの具合を確かめ、一同を見渡して、「それじゃ行こうか、ダンジョン攻略」
*
爬虫類のキメラのような外観をした遺跡にかけられた急ごしらえの足場をおそるおそる踏みしめ、アッシュたちは遥かな年月を経て再び日を浴びる入口前まで降りた。
「泥が詰まっているな」
ガープ王国の調査隊が、半ば開いた左右開きの大扉に悪戦苦闘をしている。扉の隙間からたっぷりと泥を飲み込んでいたのだ。
「手伝う?」
「こういうのは軍人さんにまかせておきゃあいいんだ」
ガープ王国の軍人たちが持ちだしてきたスコップやらねこ車で泥がかき出され、20分ほどで内部に乗り込める状態になった。軍人たちの後に続き、アッシュらパーティも謎の爬虫類遺跡に足を踏み入れた。
*
強いカビの匂いがする。
泥の湿気によるものだろう。床と言わず壁と言わずどこかしっとりしていて、よくわからないコケの一種が弱々しく生をつないでいるようだった。
「ちょっと意外」カルボが首をすくめて左右を警戒しつつ、「もっと乾いて無機的なカンジかと思ってた」
「扉があの様子ではな」とセラ=ヴェルデ。「おそらく驚くほど長い間泥に沈んでいたんだ、いくら巨神文明遺跡といえども湿気のひとつも入り込むだろう」
一同が進んでいる廊下は、巨神の遺跡ならではの幅と高さを誇っている。人類種の感覚からは軽く3倍以上はあるだろうか。それも当然のことだ。巨神の遺跡は巨神のために作られているのだから。
*
「ほおお、これは……!」
ひとつの大部屋にたどり着き、ドニエプルは感嘆の声を発した。
人類種の身長よりずっと高い位置にある金属製の机に、ちょっとした塔のような照明器具。机の上に何が置かれているのかわからないが、湿気が常に入り込んでくるような環境下だったにも関わらず保存状態は良さそうに思えた。
「すんません、この部屋は自分らが調べます。探索隊の方々はどうぞ先に進んでください」
アッシュはいつものように愛想があるのかないのかわからない丁寧な口調で小さく頭を下げた。
「了解だ。何が起こるかわからんから、気をつけてくれ」
探索隊の隊長がそう言って、通路の先へと歩き出した。
お気遣いありがとうございますと付け足して、アッシュは大きな部屋をぐるりと見渡した。
「あそこから上がってみよう」
アッシュの指差す方向には、巨神が使っていたと思われる机の端に、人間の歩幅で上がることのできる階段があった。
*
「……錬金術のプラント?」
机の上に広がっている光景を見てカルボが言った。様々なエリクサーを操る彼女は、自分自身で作れるわけではないがエリクサーに関する知識は豊富だ。牛馬をまとめて煮込んでも十分余裕のあるビーカーや、地下水の組み上げに使うようなホース、その他の錆びついた土木用具のように大きな錬成道具がずらりと並んでいる様子は、ちょっとしたエリクサー合成工場の一角のように見えた。
「こんなところに」「レバーが」「スイッチが」「ハンドルがあります」
空中をふわふわ漂って黒薔薇と白百合がプラントに近寄り、指差した。言うとおり、こまごまとした操作用の設備があちらこちらにつきだしている。
「人間サイズだね」とカルボ。「巨神が操作するには小さすぎ」
「何のためにそんなものが?」セラが腕組みして言った。
「そりゃあ当然、奴隷の人類種に操作させるためだよ」
アッシュはそう言って、何かの溶液がからからになってへばりついた特大サイズのビーカーを軽く叩いた。ちょっとやそっとでは割れる気配はない。
「巨神といえば体がでかい。細かい仕事は我々のご先祖が担当しておったのですなあ」
ドニエプルの感嘆にアッシュはうなずき、「何となく奴隷というと力仕事を任されるような感じがするけど、単純な力なら巨神のほうが圧倒的に強いわけで、そうなると小さな奴隷には細かい作業をあてがっていたわけだな」
アッシュたちは感慨にふけった。
巨神の奴隷から自らを開放した人類種という、ひとつの神話の一端に触れたような気分であった。
「よし、地図を作ってとっとと他の場所に移ろう」
アッシュの合図に、カルボは部屋の作りと金属製の机、そこにつながった形の階段などを紙に書き留めた。地図作りは盗賊の基本的な技能だ。
「ここの遺物は持って帰れないのか?」
セラが大きな棚にしまわれた巨神サイズの完成済みエリクサーのポットをゆびさした。容器に入った色とりどりの液体――あるいは気体や個体――は、太古に巨神の知恵で生み出された高度なエリクサーであるはずだ。それを使いこなすことができればどれほどの力になるだろうか。あるいは持ち帰ってガープ王国に渡しても報奨金のひとつも出るに違いない。
「じゃあセラ、お前が持って返ってくれよ」アッシュが鼻で笑うように言った。
セラはアッシュの物言いにムッとして、一抱えもある円柱形のポットを引っ張りだして動かそうとした。
「ふぐぐ……!」
フォエストエルフ特有の浅い褐色の肌を紅潮させて目いっぱい力を込めるも、ドラム缶のように大きな巨神サイズのポットはひとりで運ぶには不向きなようだ。棚から取り出すところまでは頑張ったが、それ以上は無理だった。
「なんだこれは!」セラは呼吸を整えてからまなじりをつり上げた。「重い! こんなものどうやって持って帰るんだ!」
「だから、そういうのは軍人さんに任せるんだよ。個人で持ち帰れる規模じゃない」
「わからん! 私はてっきり遺跡を探索してカネになるモノを持ち帰るものだと思っていたぞ!?」
「今回は地図作って売るだけでもカネになるっての。そういう契約だ」
巨神文明遺跡は基本的に巨大でありその遺物もまた大きい。場合によっては公共事業並みの人員を割かなければ持ち帰るのは不可能になる。
それゆえ、まずは危険がないかのチェックを行い、全体の地図をつけながら問題点を洗い出す必要がある。アッシュたちパーティはそれを依頼され、調査の対価を得るという契約を結んでいるということだ。
それを聞いてもセラはなにか釈然としないようで、文句をブツブツ言いながら自分で引っ張りだした巨大ポットをあちこちいじりだした。
「すごいなぁ」地図をつけていたカルボが、ちらりとエリクサーの巨大ポットを見て言った。「ここのポットだけで50個以上あるよ。いっこ300金だとしても15000金かあ(註:15000アウルム=1億5千万円程度)」
「それは随分と値打ちモノですな」
ドニエプルが巨神文明期のガラスポットをゴンゴンと叩いた。液体エリクサーの水面がゆらゆらと揺れる。ラベルのようなものの痕跡があるが、これは湿気でボロボロになっている。何が入っているかひとつひとつ確認する作業を手間を考えると、ガープ王国の錬金術師たちに丸投げしたほうがマシだろう。
「よし、ここはあらかた調べがついたな。じゃあ次の場所に……」
アッシュが音頭を取ろうとした矢先、異変が起こった。
セラが未練がましくいじっていたドラム缶ほどのポットが、しゅっと空気を噴出する音とともに蓋が開いてしまったのだ。
「あ」
思わず声を漏らすセラだったが、それは後の祭り。中に入っていた緑色の液体は空気に触れるとゲル状に変化し、蓋を弾き飛ばして膨れ上がった。
それはまるで緑の噴水のように宙に伸び上がり……。
「にゃーー!!」
カルボがすっとんきょうな悲鳴を上げた。緑色のゲルは触手へと変化し、カルボの体を締めあげてつりあげてしまったからだ。
「カルボ!」
異常事態にセラはカルボへと手を伸ばすが、触手もまたグニャグニャと身を変じ、反対にエルフの体をも持ち上げてしまった。
「これはいかんですな、アッシュ殿!」
「ああ、わかってる!」
アッシュとドニエプルは駆け出し、ふたりの仲間の救出に向かった。