第02章 01話 遺跡へ
西メラゾナ巨神遺跡群。
メラゾナの乾いた大地に大きく開いた谷。
太古の巨神文明の、あるいはその文明を利用した人類種の残した痕跡がいくつも詰まった場所だ。
偶然から行き会った傭兵アッシュと女泥棒のカルボは、鎖された太古の扉を開けるという”金の指紋”を手に、野盗の頭目クロゴールから取り上げたメモに基づいて、暴かれるのを待っている遺跡へと向かっていた。
高低差の激しい危険な遺跡を乗り越えて目的地に向かうふたりの身に降りかかるのはいったい何か――。
*
不意の突風で足場の階段が揺れ、カルボは垂直に立つ岩壁にしがみついた。
遺跡の入り口にあたるフェネクスの町を出て谷を降り始めておよそ1時間が経過している。
巨神文明の遺跡だけあって、谷の深さも幅も人類種が気軽に乗り入れるのは難しい。フェネクスの住民たちや他の先達が作り上げた足場は老朽化が激しく、ところどころ補強は入っているが一段降りるたびにぎしぎしと音を立てて、気が休まらない。
おまけに谷の間を吹き抜ける突風である。砂埃を含んだ風が吹くたびに視界が悪く足場もさらに不安定になり、谷の底に放り投げられそうになる。
「おーい、大丈夫か?」
カルボよりかなり先行しているアッシュが声をかけてきた。アッシュは度胸があるのか単に危機感に乏しいのか、せまい足場を物ともせず進んでいく。
カルボは盗賊としての経験を積んでいて、やろうと思えば曲芸じみた動作もできないわけではない。身の軽さは自分のほうが上のはずなのに、中々アッシュに追いつけない。
「あんまり大丈夫じゃない……」恐々としながらカルボは答えた。「ねえアッシュ、あなた高いところとか怖くないの」
「腰に命綱つけてるだろう?」
「そうだけど……」
「だったらまあ、大丈夫だろ、たぶん」
「大雑把だよぅ……」
釈然としないまま、カルボは髪にまとわりついた砂を払い、アッシュのあとに続いた。
*
それから数回危険な足場をやりすごし、巨大な立方体を形作っている遺跡群のひとつにたどり着いた。
「まだ身体がグラグラする……」
神経を集中しすぎたカルボは、遺跡に――無数にある遺跡のひとつに――たどり着いただけで憔悴していた。
「少し休もうよ」カルボは野盗の頭目から押収したメモをめくりつつ、「まだかなり距離と段差がある。最低でもあとみっつは遺跡ブロックを降りないとダメみたい」
「日が暮れちまうな。ま、今日はどこか安全そうな場所で野宿だ」
カルボはうつむいてため息をついた。安全な場所と簡単に言うが、そんな場所が本当にあるのだろうか。雑草生え放題の地面――立方体遺跡の天辺にあたる――に座り込み、水筒から水を飲んだ。
*
巨神文明――その文明の担い手は名の通り巨神ということになる。
はるか昔、10万年もの長きにわたって世界を支配した巨人たちの遺跡はそのスケールにおいてしばしば人類種の想像を絶する。巨神の時代が終わり人類種の時代になってすでに1万年近くが過ぎてもいまだ大いなる謎が世界中に散らばっているのはそのせいだ。
その中でも西メラゾナ遺跡は発掘が開始されてからずいぶん長い年月が経過していて、暴かれ持ち去られた遺物は数多い。にも関わらず、いまだにフェネクスのような町の経済が回るほどには発掘しきれていない箇所は多いのだ。
「その中から”金の指紋”で開く”金の扉”を探せばいいわけだ」
アッシュは自分自身に言い聞かせるように目的を確認した。手にしたボード上の”指紋”に目を落とし――構造そのものはカルボが偽造したのと同じようなもので、ありふれたノートほどの大きさだ――透明なガラスに挟まれた人類種の手のひらほども大きい”指紋”を上からなぞった。この大きさなら、指紋を押した巨神はアッシュの身長のかるく5倍はあるだろう。
この”金の指紋”がいつ作られたのかは想像することしかできない。一見ただのガラスに見える素材も、固定化エーテルガラスと現代の錬金術師が名付けた非常に頑丈なモノでできている。おそらくは谷底に放り捨てても無傷のままのはずだ。
「あのクロゴールってやつ、相当頑張って遺跡について調べてたんだな」
「”七年かけた”って言ってたもんね……」
カルボはあくび混じりに返した。朝に出発して谷の遺跡をずっと下ってきて、すでに日は沈んでいる。歩き通しのせいで、高所の恐怖もすでに薄らいでいた。
「あそこに発掘済みのブロックがある。今日はその中で休もう」
「ふわーい」
重い足を引きずり、カルボはアッシュのあとに続いた。
まだ顔を合わせて数日しか経っていないが、カルボはアッシュのことを信用し始めていた。出し抜いたり騙したり裏切ったり、そういうこととは無縁の男だとシーフの勘が告げていた。女の勘かもしれない。
お互いの素性はまだ何も知らないに等しい。いつかはそういうことも話すかもしれないが、今はこの”曖昧だが信頼できる”間柄で過ごすのがいいのだろう。そんなことを思いつつ、カルボは寝袋に入ってすぐに眠りに落ちた。
*
焚き火を挟んでカルボと反対側に腰掛けたアッシュは、愛用のメイスに不具合がないかを確認しつつ、子どものような顔で眠りこけるカルボのことをちらりと見た。
よく寝ている。本当は焚き火の見張りを交代でやるべきなのだろうが――世界中に眠る遺跡はたいてい危険に満ちているのだ――アッシュは彼女の眠りようを見て諦めた。日が落ちるとメラゾナの大地は昼間とはうって変わって冷え込む。面倒だが体力温存のためには火を焚いたほうがいい。
――何モンなんだろうな、この女。
ふと疑問が湧いた。自分のことを泥棒と呼んではばからないが、立ち居振る舞いや言葉遣いには野卑な感じがない。そういう職業にありがちなひねた感じもなく表情も明るくて――おまけに体にピッタリとしたキャットスーツに包まれたスタイルは思わず目を奪われる。そんなカルボを見ていると、ついもっとふさわしい仕事があるだろうと無用な心配をしてしまう。
――俺が言うことじゃないか。
アッシュは自嘲するように笑った。今の自分は一介の傭兵、報酬次第で武器を振るう命知らずの仕事だ。
無意識に、プレートメイルの胸甲に手が伸びた。
かつてそこにはシグマ聖騎士団の紋章が堂々と輝いていた。
今はもうない。引き剥がされて、目の前で金槌を振り下ろされ、グシャグシャの金属塊にされたからだ。もはや醜い傷跡を残すだけ。
「聖騎士、か」
巨神遺跡の片隅で、アッシュは天井を仰いでため息をついた。
パラディンであった当時もアッシュの得物はメイスだった。誰よりも早く敵の前に飛び出し、敵の頭を叩き潰す。それが自分の仕事で、もっとも得意としていたところだ。そこには”悪”を滅ぼす栄光があった。確固たる組織の存在意義があり、自分の命をそこに捧げた。そうするだけの価値があった――とアッシュは今でもその考えを捨てていない。
アッシュの得物は今でもメイスだ。
紋章を剥ぎ取られ、聖騎士団から追放された自分に残っていたのは鎧とメイスを振るう腕のみだった。
メイスを振るう以外の生き方はわからなかった。
だから傭兵になった。
傭兵には傭兵の戦い方がある。生き方がある。そこにいいも悪いもない。
元聖騎士で、今は傭兵。
単にそれだけの話だ。
あのクロゴールのように野盗に身を落とさなかっただけずっとマシなはずだ。
もしもう一度聖騎士に戻れる道があるとしたら、どうするだろう? ふとそんな考えが頭をよぎった。
アッシュは鋭い目で焚き火を睨み、短く刈り込んだ髪をかき回した。
未練だ。
犯した罪は上官殺しである。道などありはしないのだ。
自分自身に腹が立つ。
アッシュは傍らにメイスを置き、座ったままの姿勢で少し眠った。