表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハガネイヌ(旧)  作者: ミノ
第11章「レプティリアン・アタック!」
59/125

第11章 01話 エルフの森へ

 ガープ王国は商業都市ヴィネの南に位置する歴史の浅い国家である。


 国土の3分の1ほどが湿地帯であり、それは北側に集中しているため、ヴィネからエーテル機関車では直通の線路がない。そのため列車では大きく迂回しなければならず、一刻を争っているアッシュたちは四頭立ての半生体馬車を使っての移動を余儀なくされた。


 アッシュたちが目指しているのは湿原に囲われた豊かな森林に住むフォレストエルフの集落である。


 人造人間の少女、黒薔薇が受けた”呪毒”の解毒剤を求めて向かう先に待ち受けるのは……。


     *


 馬車の揺れが激しくなってきた。湿原の中を通る申し訳程度の道に水たまりが多くできはじめ、地面のでこぼこがひどい。おそらくは整地しようとする人員が割かれていないのだ。


 それは当然だとも言える。いくら整地したところで、湿原から流れ込む水ですぐにダメになってしまうのだろう。橋を渡せばましになるだろうが、ガープ王国としては自然の緩衝地帯になるという理由から、わざわざ敵に攻められ易くなるものに予算を捻出する必要もない――という判断のようだ。


 馬車か、さもなければ徒歩でブーツを水浸しになるばかりの湿原地帯をわざと整地しないガープ王国の考えかたに、アッシュは納得するとともにいらだちを覚えた。


 アッシュたちが向かわねばならないのは湿原の中に多く広がる森であり、その中にあるというフォレストエルフの集落だ。


 ガープ王国はフォレストエルフたちに自治権を与え、相互不干渉という名目を掲げ湿地帯並びに森も含めて国土に編入させている。エルフたちは環境適応能力が極めて高く、森林に下手に手を出せばおそらく兵士の屍の山ができるだろうとまで言われていた。


 そんな危険な噂を知りつつも、商業都市ヴィネの地下に巣食っていた”赤い頭(レッドトップ)”の首領、ダン=ジャリスから受けた呪毒の解毒剤を作るには、フォレストエルフと交渉して分けてもらうしか方法がない。


 馬車に揺られることすでに5日。交渉が上手くいって、全く何事も無くヴィネに戻れるとしても最低でも合計2週間は見ておく必要があるだろう。


 毒を受けた黒薔薇が苦しめられる2週間である。


 そのことを思うとアッシュの胸は痛んだ。


 だがいくら焦ったところでしかたがない。いまアッシュは厳選した最短ルートをたどっている。少なくとも地図の上ではそうだ。これ以上早くエルフの集落にたどり着くのは無理だろう。


 やむなく半生体馬車で水たまりだらけの道を急いだ。


     *


 外交官マル=ディエスはシティエルフである。


 その類まれな才気を買われてガープ王国に重用されており、どちらかと言うと差別的に扱われることの多いエルフとしては破格の待遇を受けている。


「マル=ディエス卿、そろそろ時間です。ご用意を」マル=ディエスの副官が後ろから声をかけてきた。「……また無駄足にならねば良いのですが」


「そうだな」


 マル=ディエスはため息混じりに答えた。その顔は冴えず、小柄なシティエルフの体が余計に縮んでいるように見える。


「副官、君は私が何年彼らと地道な折衝を続けたか知っているかね」


「……」副官はその年月を知っていたがあえて沈黙を守った。


「12年だ。12年だよ、君。私も陛下に彼らと交渉せよと申し付けられたが、まさかこんな時間を要するとは思わなかった。同じエルフの名を冠するよしみとはいえ、別々の環境に適応すればもはや異国の民と変わらん。彼らフォレストエルフとの交渉というのはそれほど難しいのだ」


 マル=ディエスはもう一度ため息をつき、腰に手を当てて前方に目を向けた。そこには見事に広々とした湿原と、それを挟んで遥か太古から鬱蒼と茂る森林の姿がよく見えた。


「森のエルフ……」


 思わず口をついて出た言葉には、苦渋の色が染み込んでいた。


     *


 ガープ王国北部大湿原の奥には”腐れ沼”と呼ばれる泥溜まりがある。


 複雑な地形と水の流れで溜まった濁り水が外に出て行かず、ヘドロが堆積していき、ぼこぼこと硫化水素の匂いが満ちている場所だ。人もエルフも、あえて近づこうとするものはいない。


 奇形じみたカエルやトカゲ、カメ、ザリガニ、そして虫たちが、独自の生態系の中で這いずりながら生きのびて、腐生植物と毒々しい菌類、得体のしれない狂ったようなシダ植物が伸び放題に伸び、生を終えると腐れ沼の一部となって朽ち果てていく。


 普通の人々にとっては目を背けたくなるような光景、そして臭気であるが、そこにもまた生命の営みが確かにあった。


 そして――。


 ジャボリ、と沼のあぜを踏む何者かの汚れた足。


 その足音を契機に、腐れ沼のあちこちからあぶくが湧き立ち何かが次々と浮上してくる。


 周囲に満ちる硫化水素の悪臭。その空気とダンスを踊るように立ち昇る汚れたミアズマ(註:エーテルが負の属性を帯びたもの)。


 異様な気配が腐れ沼を覆い尽くしていた。


 最初に現れた”それ”は、無造作に齧りかけの何かを背後にいる連中の真ん中に放り投げた。


 その連中は、大急ぎで何かを奪い合い、競うように噛みちぎった。それは泥土にまみれて白く汚れた”腕”だった。複雑な形の指輪と腕輪。どうやら女の腕であるらしかった。アクセサリは無用とばかりに引きちぎられ、骨だけになり、やがて骨髄までしゃぶり尽くされて沼に捨てられた。


 シュウーッ、と彼らの先頭に立つものが長い息を吐いた。


 それがいったいなんの合図になるのか、人間には理解し難い。


 だが、何かが確実に動き出そうとしていた。


     *


「せ、え、のっ!」


 アッシュとドニエプルはぬかるんだ道に足を取られた半生体馬車の荷台を押し、車輪を泥のくぼみから抜け出させた。


 が、今度は反対がわに荷台が傾き、危うく横転しそうになる。


「もう馬車で行くのは無理だな」アッシュは額の汗を拭い、荷台を背中で支えながら水筒の水を飲んだ。「走ってるより空回りしてるほうが長いんじゃ無駄な時間がかかるだけだ」


「荷台を切り離して馬で行ける?」とカルボ。


「幸い四頭立ての馬車です、我々三人がそれぞれ乗って、一頭は荷物を乗せましょう」


 ドニエプルはそう言って、いうが早いが荷台の荷物を下ろし始めた。3人分の数週間分の物資である。かなりの量がある。


 半生体馬車は文字通り半分は生物由来だが残りは魔法と機械の産物である。


 まず馬車を引く馬自体もただの馬ではなく人工生命体ホムンクルスとして世に生を受け、エリクサーによって脳を改造される。その上でエーテル作動式人工筋肉ゴーレムを埋め込まれ、半生体馬となる。同時に専用の荷台も魔法の産物であり、半生体馬のエーテル流を受けて左右への方向転換や御者との同調を行う。これらを1セットとしたものが”半生体馬車”と呼ばれる。


 少々信じがたいことだが、人造馬の製造コストは非常に安価であり、自然のまま生まれる馬を荷駄に仕立てあげるよりも半生体馬車を1台作る方が安く上がる。無調整馬車はむしろ高級品であり、王侯貴族たちの間ではステータスとして不便な馬車をわざわざ使うこともあるという。


 いずれにせよ、高性能であってもぬかるみに足を取られるようでは使いものにならない。


 アッシュたちはやむなく荷台を捨て、半生体馬をはずし、荷物を分配し、それぞれが馬にまたがった。


     *


 次第に日は傾き、太陽が赤く大きく燃え出す。


 やや東寄りの空には白い月の姿がうっすらと見えている。


「すっごい綺麗……」


 馬上からカルボがうっとりと言った。


 夕焼けの朱金が広大な湿地帯に照り映え、あたり一面が絢爛な織りの絨毯のようである。


 湿原に暮らす鳥達が一斉に飛び立ち、薄紺の空のどこかへ帰っていく。


 わずかに霞む雲の流れは夕日を浴びて薔薇色に浮かび上がり、見るものの視線を釘付けにせずにはいられない。


 美しい。


 自然の美しさはかくも人の心を打つものか。


「巨神たちも……」カルボがぼんやりと言った。「何万年も昔の巨神たちも、同じ風景をみてたのかな」


「どうだろうな。人間の時代になってもう一万年だ。地形も何もかもが巨神文明の頃とは変わってる可能性もある」


 アッシュは半生体馬に揺られながら、現実的な答えを返した。実際、大湿地帯がほんの数百年の間にできていても不思議ではない。人間のスケール感など巨神とは比べものにならないのだ。


「急ぎましょう。このまま夜になれば、フォレストエルフの住む森までたどり着くのも一苦労ですぞ」


 ドニエプルにも急かされ、カルボは夕日を背中にして馬首を返した。


 アッシュはああ言ったが、カルボは幻視した。巨神も、人も、エルフも、誰であろうとも関係なく美しい物は美しく見えるのだと。そうであって欲しいと――。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ