第10章 14話 命の期限
ダン=ジャリスが自ら暗殺者として自らヒューレンジ邸に侵入してきたのはなぜか。
その理由についてはブルーハーブの尋問役に任せるとして、アッシュは今にも飛び出してダン=ジャリスの頭をかち割りたい願望を抑えるのに必死だった。
黒薔薇が撃たれ、毒が体に回りつつあるのだ。
「それは”呪毒”だよ。単なる毒性エリクサーではない。それ自体が魔法付与品」ダン=ジャリスは誰にも聞かれていないのに口を開いた。「すぐには死なない。命の保証はできる――ただしひと月だけだがな」
「どういう意味だ……」
ヒューレンジが自らダン=ジャリスに問うた。もはや名のある豪商の顔ではない。返答によっては即座に殺すという、ブルーハーブの元締めならではの恐ろしい顔だった。
「くく、そのままの意味だよ。ひと月は死なない。その間はひどい熱と苦痛が絶え間なく続く。解放されるときは命が終わる時だ」
「貴っ様……!」
ヒューレンジは、両肩を黒服に抑えられたダン=ジャリスの顔を思い切り打擲した。
「まって、お父様」カルボがふたりの元締めの間に入った。「解毒剤……解毒剤はあるんでしょう? それを出して!」
「どうせあとで尋問されるだろうから先に答えておこう。解毒剤はある」
「だったら!」
「あいにく手持ちはないし、作り出すための材料がない」
「材料? 教えなさい、さもなければ尋問の前にひどい目にあわせてやる!」
カルボも興奮のあまり我を失っていた。
ヒューレンジの血が一瞬目覚めてしまったかのように……。
*
一方、ヴィネ総合病院救急治療室。
「呪毒、ですか……」担当医はあからさまな難色を示した。「単純な生物毒や魔法毒であれば、治癒魔法で解毒は可能です」
「じゅ、呪毒はそうはいかんということですかな、先生」
いつ暴れだしても不思議でないほど恐ろしい目つきのアッシュに代わって、ドニエプルが尋ねた。診察台の上の黒薔薇が身をよじって苦痛を訴える。
「残念ながら。元は南の森に住む森エルフが創りだした強力な毒だと聞いています。治療法は人間の間にはほとんど伝わっていない……」
「僧侶の呪文でも?」
「ええ。エリクサーの毒性と魔法毒が複雑に合わさっていて、たとえば魔法毒だけを消そうとしたらエリクサーが毒性を補填しようとする。そうなれば死期はひと月より短くなってしまうでしょう」
「そんな……では打つ手は無いということでありましょうか、医師殿」
「無い……わけでは無い……のですが」
エルフから解毒薬を譲ってもらうことです――そう言って、医師は目を伏せた。
*
「エルフの……解毒剤」
ドニエプルからの話を聞き、一同は重苦しい空気に包まれた。
「少なくとも私たちブルーハーブの在庫にはないな。可能性は低いがマーケットに出回っているかもしれない。こちらで人を手配しておくが、期待はしないでくれ」
ヒューレンジはそう言って、ソファに体を沈めた。疲労の色が濃い。
「……ダン=ジャリスへの尋問でも”毒はあっても解毒剤はない”としか答えない。自白剤を三人分射ってそれだ、ウソはないだろう」
「すみません」アッシュがガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。「ヒューレンジさん、もう諦めましょう」
「ちょ、アッシュ!?」
「アッシュ殿、それはいくらなんでも……」
カルボとドニエプルが同時に騒ぎ立てるが、アッシュはそれを制止した。
「勘違いしないでくれ。呪毒の解毒剤はおそらくこの街じゃ手に入らないと思う。だからその線は諦めて、エルフの居住地に直接行こうと思う。直談判だ」
「たしかにそれは1番ではあるが……相手はフォレストエルフだぞ?」ヒューレンジはやや乱れた髪をなでつけ、「果たして話を聞いてもらえるかどうか」
「でも、行くしかありません。そうでもしないと……黒薔薇は死んでしまう」
その一言で、ヒューレンジ邸はシンと静まり返った。
「じっとしててもはじまらない。カルボ、準備を整えてすぐに出発しよう。それから白百合……ん?」
アッシュは目をしばたかせた。白百合の姿がどこにもない。
「黒薔薇のお見舞いにいったのかな?」
カルボの言葉はもっともだが、アッシュは急激に嫌な予感に包まれた。
*
再び病院。
嫌な予感はあたっていた。
高熱に苦しみ、ベッドの上で身をよじる黒薔薇の傍らで、手を握った白百合が同じように痛みをこらえていた。
黒薔薇と白百合は人造人間であり、その精神は特別な絆で結ばれている。
手を握って共に苦しんでいるということは、黒薔薇の痛みを並列化しているに違いない。
「こうすれば……黒薔薇の苦しさを半分こできると思ったのです」
熱で赤くなった白百合の顔を見ればそれが偽りでもなんでもないことは明らかだ。
「ばか。そういうことはわたしたちに相談してからやんなさい」
カルボはそう言って、黒薔薇と白百合の額に汗で張り付いた髪を払ってやった。精神的に結合していないカルボが触っても何も起きない――カルボには、もう手当する方法がなかった。
*
「拙僧も共に参りましょう。ここで手を貸さねば我が信仰に悖る」
ドニエプルはそう言うが早いが龍骸苑ヴィネ精舎に走って旅の準備を整えに行った。
ジョプリンも誘われたが、おれァこのくらいが限界ですと言い、ヴィネに残ることにした。
「本当に三人でいいのかね?」ヒューレンジはアッシュたちを――特にカルボを見て、眉をひそめた。「組織がガタついてはいるが、応援を何人かつけても構わんのだが」
「それについては大丈夫です、お父様。それより、どうしても早く戻ってこないといけないから、移動手段を手配してくれたら嬉しく思います」
請け合おう、と父はうなずいた。
*
「さーて、まさかこんなことになるとは思わなかったが、出発だ」
アッシュは努めて明るく言った。そうでもしなければこれから先ずっと陰鬱な旅になってしまう。
「ヒューレンジさん、ジョプリンさん、世話になりました。次は解毒剤を持って戻ってきます」
アッシュはそう言って四頭立ての半生体馬車に乗り込んだ。巨体のドニエプルも窮屈そうにそれに続く。
「カルボ……」
「お父様、こんなことになってしまいました。もう二度とヴィネには戻らないつもりだったけど――またもう一度だけ、あの子達のために帰ってきます」
「そうか。そうだな。それでいい。私はもう……それだけで構わんよ」
「……では行って参ります」
「気をつけて。情けないな、娘を送るのにこれだけしか言えん」
「いいえ……それだけで構いません」
カルボはそう言い残し、馬車へと乗り込んだ。
10章 おわり
11章に続く