第10章 09話 密輸現場
「お父様!」
実の父であり、盗賊ギルド”青い葉”元締めであるヒューレンジを前に、カルボは柔らかいソファから弾かれたように立ち上がった。
「何ごとかね」
「少し……席を外します」
「屋敷が何やら騒がしい、やめておきなさい」
「いえ、その……」
「どうした?」
「外の騒ぎ、わたしの仲間が原因だと思います、たぶん」
*
「少し整理させてくれ」
ヒューレンジはカルボとともに居並ぶ奇妙な風体の男女を見て、こめかみを軽く揉んだ。
メイスを帯びた傭兵。
僧形の巨漢。
双子の美少女。
ブルーハーブ所属のスリ師。
その中で行者のドニエプルはブルーハーブに雇われた龍骸苑所属の用心棒であり、スリ師のジョプリンは地元のギルドの一員だ。彼らにはひとまず問題はない。
双子の少女は過去の研究者が遺した人造人間だという。興味深い話だが、それは今の文脈には関係ない。
問題は、カルボが旅先で知り合ったアッシュという名の傭兵だ。
背が高く、鍛えぬかれた肉体を鎧に包んだ男。左眉に傷跡があって、指一本分ほどの幅で眉毛が途切れている。チンピラというには妙に礼儀正しく、かと言って貴族のような鼻につく高貴さとは縁遠い。
顔は――誰が見ても美貌の持ち主のカルボと並んでもバランスが崩れない程度には普通の容姿だ。
それもひとまずどうでもいい、とヒューレンジは混乱の中で思った。
「ドニエプルと戦ったの、アッシュ?」
「まあな」
「なんで!?」
「いや、ちょっといろいろわけありでな……言葉も喋れなかったし」
「言葉!?」
「まあな」
「なんで!?」
「いや、ちょっといろいろわけありでな……いきなり注射器でエリクサー射たれたし」
「エリクサー!?」
「まあな」
「なんで!?」
「いや、ちょっとわけありで……」
カルボと親しげに――少なくともヒューレンジの目にはそう見えた――言葉を交わす青年との気安い空気に、ヒューレンジは気が気ではなかった。
よく考えれば当然のことだが、カルボも年をとる。13、4で家を飛び出して、4年。そのあいだ、表向きの貿易商の令嬢ではなくひとりの盗賊として生きてきたということになる。
そんな環境に置かれた、これほど美しい娘が男の目を引きつけないわけがない。
当然、なにか間違いが起こってもおかしくはない……。
ヒューレンジはカルボの身持ちの固さを信じつつ、大きく咳払いをした。
「つまり……つまりだ。カルボ、お前はイーソンの暗殺現場に偶然居合わせて、マーケットで暴れているレッドトップと接触し、そこの……アッシュくんといったか? レッドトップにさらわれた彼を助ける方法はないかと私に会いに来た――というわけだな」
カルボを始め一同がうなずいた。
ヒューレンジは奇妙な巡り合わせに複雑な気持ちになった。長年の腹心であるイーソンの死は腕をもがれるほどの痛手だったが、それがなければ娘に会うことは二度となかったかもしれない。
「結果として君たちは合流出来たわけだが――これからどうする気なのかね?」
一同の視線がカルボに集中した。
「わたしは……」カルボはためらいがちに父の顔を見て、「本当はもうこの街で起こることには関わらないつもりでした。でも、イーソンが殺されて、魔薬を広めようとする”赤い頭”がこれ以上幅を利かせるなら……そんなの、許せません」
「お父さん」黙りこんだカルボの代わりにアッシュが口を挟んだ。
「君にお父さん呼ばわりされる謂れはない」
「じゃあ、ヒューレンジさん」
「なんだね」
「自分はしがない傭兵ッス。でもカルボに……娘さんに力を貸す用意はあります」
「せ、拙僧も右に同じでございます。カルボ殿に手を貸せるのであれば力は惜しみませぬ!」ドニエプルが何やら焦ったように口を挟んだ。
「何が言いたいのかね」
「つまり、こういうことッス。自分らは、カルボに手助けする用意はいつでもある。でもカルボも自分らも、うまい落とし所がわからない。この人数でレッドトップを壊滅まで追い込むのは流石に無理だし、かと言って放っておけばこの都市にドラッグが蔓延する勢いだ。だから……」
「なんでもいいんです、何かお父様へお返しできることがあれば……でもわたしは、その……」カルボはためらいがちにアッシュの後に続けた。「アッシュの言うとおり、何をすればいいのかわからない。だから一度だけ、一度だけです。わたしにブルーハーブの一員として、命令してください。それが済んだら……わたしはこの家を出ていきます」
「そうか」ヒューレンジはカルボの覚悟に長々とため息を付き、「あいわかった。わかった……そう、そうだな。組織もこのままではジリ貧状態だ。これを天の配剤と思うことにしよう」
ヒューレンジは心のなかで多くのことを諦めた。そのことを表情に出さないのは、彼が長年に渡り組織の元締めとして生きてきた経験のおかげだろう。
「では、ひとつ作戦を練るとしようか……」
ヒューレンジはカルボたちを別室に案内し、会議を始めた――。
*
数時間後、深夜――。
商業都市ヴィネ郊外。
貨物エーテル機関車が運んできた荷物のうち、赤い印を押された樽が数人の男たちに密かに持ちだされ、いずこかへと運ばれている。
レッドトップの密輸の現場だった。運転手も駅員も買収済み。誰もその作業を咎めず、咎めた者から死んでいく。
樽の中からはチャプンと水が揺れる音がする。中身は書類上アルコール類ということになっているが、その実エリクサー作成の触媒となる液体が入っている。
何の触媒か?
レッドトップの主力商品、魔薬”アクセルレッド”を大量に作るためのものである。
アクセルレッドは体に注入すれば全身の運動能力が強化され、体験したこともないような高揚感をもたらす。しかしその効果時間が切れると、反応速度はかたつむりのように鈍く、ナマケモノのように怠惰になってしまうという副作用がある。
ひったくりやゴロツキには重宝されるドラッグだ。一時的に敏捷性を手に入れれば、道行く金持ちからバッグを掠め取ったり、喧嘩相手に一方的に勝つこともできるだろう。効果が切れても、また射てばいい――こうして商業都市ヴィネは次第に次第に汚染域が広がっていった。
その夜、魔法都市エリゴスの闇錬金術師から大量に輸送されてきた触媒は、アクセルレッドを蔓延させることでカネを吸い上げ、ブルーハーブを一気に潰しにかかろうとする最後の決め手となる。
それゆえ、貨物列車からレッドトップの使っている大規模搬入ハッチまでの道は組織の構成員によって厳重に警護され、カタギの人間が近づけるような雰囲気ではなかった。
その光景を高所からざっと眺めたスリ師のジョプリンは、自分がとんでもないことに関わっていることをいまさら理解した。
「旦那、アッシュの旦那」隣でしゃがみ込むアッシュに、ジョプリンは小声で話しかけた。「本当にこいつらとコトを構えるんで……?」
「まあな」
こともなげに言うアッシュに、ジョプリンは「無茶がありませんかい?」
「そうでもない。別にあいつらをみなごろしにするってわけじゃない。あの樽をぶっ潰して中身をダメにしてやるだけだ」
「……周りの連中が襲ってくると思うんですがね」
「そのために俺がいる。ついでに向こう側のでかいのも一緒だ」
「それで大丈夫なのかどうか、あっしにゃ分かりかねるんですが」
「もうすぐ分かるよ……合図だ。目ェつぶって待っててくれ」
そして合図が夜空を横切った。
*
黒薔薇と白百合は手に手に大ぶりの鈴を持って、夜陰に乗ずる密輸犯たちの頭上を浮遊しながら横切った。しゃらしゃらと、闇の中で空から聞こえてくるには場違いな音だ。レッドトップの構成員たちは、ほんのいっとき注意を頭上に向けた。
次の瞬間、密輸犯たちのどまんなかにバルブ型エリクサーポットが投げ込まれ、光が爆発した。閃光エリクサー弾が強烈な光を発し、心の準備をまるでしていなかった構成員の網膜に焼き付いた。
顔を伏せ、目をつぶっていたジョプリンは何が起こったのか恐る恐る顔を上げ――となりにアッシュがいないことに気づいた。
「ぐはぁっ!」
夜陰を裂く悲鳴。触媒入りの樽を警護していた男が、視界を奪われてよろついている背中にメイスを叩きこまれていた。
――いつの間にあんなところまで!?
ジョプリンはスリ師であり、ことによっては走らなければ捕まる状況もある。手先の器用さの次に足の速さには自信があった。だがアッシュの動きを再現してみろと言われてできる距離かといえば、至難の業だ。ましてや鎧を着こみごついメイスを腰に帯びたままとなると不可能だろう。
本職の盗賊よりも身のこなしが素早い戦士――。
ジョプリンは闇の中で、廃業という言葉を頭に浮かべたが、あんな例外と自分を比較する必要はないと考え直した。
*
「……噴!」
トーンを抑えた気合の声とともにごつい拳が繰り出され、直撃を受けたレッドトップの一員が夜空に弧を描いて地面にたたきつけられた。
龍骸苑の行者、ドニエプルの技は冴えに冴え、レッドトップの男たちを次から次へと吹き飛ばしていく。閃光で視力を奪われていなければ抵抗ぐらいはできていただろう。しかしドニエプルを止めるまでには至るまい。それほどの動きだった。
「はっはっはー! 魔薬に頼りきりか、おぬしらは? そんなことでは拙僧を止められんぞ」
剛直な蹴り技がレッドトップ構成員の側頭部をもろに打ち、樽に入った触媒を守っていた者はみな崩折れた。
「半々というところかな、アッシュ殿?」
共に構成員たちをぶちのめしていたアッシュに水を向けると、アッシュはまあなと興味なさげにうなずき、代わりに触媒の入った樽にメイスをぶちかました。
派手な音を立てて樽が壊れ、赤ワインのような液体がこぼれ落ちた。アッシュとドニエプルは次々と樽を割り、辺りの砂利道にぶちまけた。
「これ、いくらくらいでやんしょうね」
ことが収まるのを待って暴力現場に降りてきたジョプリンは、地面に吸い込まれていく触媒液をみて言った。少しもったいなさそうな表情なのは、彼もまたシーフであるという証だろう。
「樽は10個、ひとつ200金前後ってとこかな」
同じように構成員が全員片付くのを待って高い場所から飛び降りて来たカルボが言った。
ジョプリンはもったいねえと反射的に言いそうになったが、何とか口にせずに済んだ。
「触媒でも結構なお値段だけど、この量で精製できる完成品のアクセルレッドなら1万金(註:1万金は日本円にして1億)……末端価格で3万から4万くらいね」
カタギなら一生暮らしていける金額だ。ジョプリンは乾いた笑いしか出てこなかった。ケチなスリ師をいくら続けていても限界がある。商売替えの時期だろうか?
「よし、まずはひとつめだ。とっとと次に向かおう」アッシュはそう言ってメイスについた触媒液を払った。「夜はまだまだこれからだ」
アッシュの言うとおりだった。
夜陰に乗じたレッドトップへの反撃。本番はこれからだ。