第10章 06話 走狗と番犬
カルボの足取りは重く、しばしば止まった。
その度にジョプリンに声をかけられ、再び足を動かす。
向かうのは盗賊ギルド”青い葉”元締めであり、カルボの父でもあるヒューレンジの邸宅。かつてカルボが飛び出した実家でもある。
すでに日が暮れ、マーケットのテント内にはエーテルランプがあちこちに光っている。
マーケットは夜になれば昼とは別の顔を見せる。取り扱う商品も変わる。露天商はどこかに消え、いかがわしい酒場が客を飲み込もうとしている。
「いい匂い」「いい匂い」
黒薔薇と白百合はふわふわと空中を泳ぎながら、かわいらしい鼻をふんかふんか鳴らしている。あちこちの酒場から漂ってくる肉が焦げるうまそうな匂いに惹きつけられているようだ。
「ねえさん」ジョプリンが見かねたようにカルボに声をかけた。「元締めの家、どうしても行きたくないようなら別の手を考えましょうや」
カルボは考えを上手く整理できないように両手を握ったり開いたりして、「……アッシュを助けるためだもの。わたしは……大丈夫」
「あんまり大丈夫には見えやせんが……」
「行って、話をつけるだけなんだから」
カルボの笑顔を引きつっていた。どうみても、実家の門をくぐる抵抗を自分の中で解消できていない。
ジョプリンもまた迷っていた。あからさまな葛藤に悩むカルボを元締めの邸宅に行かせるくらいなら、自分ひとりで何とか話をつけたほうがマシではないのか。カルボは、それをあえて己でやるという。
ジョプリンは学がない。しかしスリ師である。スるあいての目線や感情を見抜き、獲物にする。だからわかるのだ。カルボは躊躇をしながら、それでも何とか実家に戻るきっかけを探しているのではないか……。
いや、それよりも。
「ねえさん、少し、いいですか?」
「……うん」
「あのアッシュって人、いったい何者なんです? もしかしてねえさんの……」
「わっ、わたしの……わたしの仲間よ。仲間のひとり。勘違いしないでね」
カルボの声は勘違いさせるような声色だった。
「へい……」
「あのねジョプリン」
「なんでしょう」
「わたし、昔は何でも自分でできると思ってた。同じ年代の子の誰よりも早く技術を身につけたし」
「へい」
「でもやっぱりひとりではできないこともあって。アッシュと、あそこにいる黒薔薇と白百合が今のわたしの仲間」
だから――とカルボは夜のマーケットのテントを見上げた。
「そういう意味で、大切な人だよ。何とか助けなきゃって思う。見捨てて逃げるなんて絶対したくない」
「そうなんでしょうね」ジョプリンはうなずき、「そうなんでしょう。だったら、何を置いても元締めに話をつけないと。間に合わなかったらあの兄さん、本当に”赤い頭”に殺されるかも」
「うん。わかってる。ジョプリンの言うとおりだね」
カルボはキッと顔を上げ、桜色の唇を引き結んだ。
ジョプリンの後押しが、カルボに最後の決心をつけさせた。
「急ごう、本当に手遅れになる前に」
カルボは小走りにマーケットの中央挟んで西側へと急いだ。
*
レッドトップに注射された薬によって声を封じられた4人の男たちは、お互いの名前も知らず、誰が何を出来る人間なのかわからないまま地図を片手に地下世界を歩いていた。
重武装の男。
魔術師然とした男。
鞭使いの歯なし男。
そしてメイス使いのアッシュ。
この中で少なくとも歯なし男だけは実力を見ている。危うく窒息死させられる程度には腕が立つ。そのレベルの戦闘能力を持っているのなら、用心棒のひとりやふたりは対処可能だ。
だが、ひとりかふたりなのかどうかはわかったものではない。10人20人と控えていれば、あるいは……。
――クソッ!
アッシュは無音の悪態をついた。まさか犯罪組織の捨て駒に使われることになるなんて思いもよらなかった。早くカルボたちと合流したいが、首輪爆弾が爆発したら終わりだ。どんなに気に入らなくとも、最低限役割を果たす必要がある。
アッシュたちはお互いに何を考えているかわからないまま、ブルーハーブ側の用心棒の居場所へと足を早めた。
*
その接触は、最悪の形で起こった。
渡された地図に従いその場所についたアッシュたちは、突如猛烈な待ち伏せを受けた。
竜巻のようなその動きはアッシュでさえ追随するのがやっとで、鎧を身に着けた重装男は何者かの”拳”を突き入れられた。分厚い鎧の胸甲に拳型のへこみができるほど強力なものだ。
アッシュは分厚い革ケースからメイスを抜き払い、その何者かが次に魔術師男を襲う前に横合いから殴りつけた。
信じられないものを見た。
メイスの一撃は、その何者かの片手に止められていた。
そしてもうひとつ。
その男は――ブルーハーブの用心棒とは――僧形の大男、ドニエプルだった。
*
――なんでアンタがここにいる!
アッシュは叫んだ。しかし口封じエリクサーの影響で魚のように口を開け閉めするだけ。声は全く出ていない。
「驚いたぞ、アッシュ殿」ドニエプルがメイスを片手で掴んだまま、眼差しを憐憫の情で細めた。「よもやおぬしがレッドトップの走狗だったとは」
――そうじゃない、誰がそんなこと!
やはり声は出ない。メイスを引き離そうとしても握力で抑えられてびくともしない。
ドニエプル。
素手でメイスの一撃を止める男。とんでもない男だ。用心棒というならば、この男ほど的確な人材はいまい。アッシュは感心さえした。
だが今はそんな状況ではない。一言、たった一言でいい。ドニエプルに説明できれば……。
「アッシュ殿、おぬしはなぜレッドトップとつながりを持ったのだ? カネか? よもやカルボ殿もグルなのか? ううぬぬぬ、なんということか……」
――違う!!
ドニエプルが”世知辛い世の中だ”とでもいうような表情を見せ、アッシュは叫んだ――やはり何の音も発せられない。
「……どうやら弁解の言葉も無いようだ。しかし拙僧とてまたブルーハーブの番犬だ。我が師、龍僧正ベルナルダスの導きに曰く”最も血が流れない方法を選んだ”と。拙僧がブルーハーブに……”相対的にきれいな犯罪組織”に手を貸すことがその方法だと判断をくだされたのだ。ならばそうする」
アッシュは理解した。
アッシュたちレッドベルの走狗は捕まっても何も白状しない捨て駒として使われ、ブルーハーブは龍骸苑と組んで行者を預かり、番犬とする。代理人同士の戦いだ。そこに組織の構成員を使わない分、地上での争いに全力を投入できるということだろう。
だったらなおさらここでドニエプルと戦ってなどいられない。
アッシュはメイスの柄から力を抜いた。なんとか身振り手振りだけで敵対する意志がないことを伝えれば、この場はおさまるはずだ。ドニエプルは少なくとも悪人ではないはず……。
しかし、それはいきなり台無しにされた。
沈黙を守らざるをえない魔術師男が、ハンドサインで”豪火”の呪文を放ったのだ。
ドニエプルの背中に突如として炎のかたまりが叩きつけられ、僧服が焼け焦げる。その勢いでつんのめり、ドニエプルはぬお、と低くうめいて四つん這いになった。
アッシュは炎を挟んだ反対側で顔をひきつらせる魔術師を殴り飛ばしたかったが、すんでのところで足を止めた。お互い何も喋れず、まともな意思疎通すらできない即席パーティなのだ。自分の役目を果たそうとした男を責めても何もならない。
「喝!」
と、炎で焼かれていたドニエプルが叫んだ。
アッシュは目を丸くした。気合の一声ひとつで、背中を焼いていた炎が消し飛んだのだ。
「ふうぅ~、なかなかの呪文」ドニエプルはぬうっと立ち上がり、「油断は禁物ということ、ですかな」
――効いていないのか……?
流石に全くの無傷ではないようだが、足止めにはなっていないように見えた。
「……誰も彼もが無言か。どうやらずいぶんと覚悟の決まったご面々であるようだ。拙僧も油断はならぬようだな」
そういうことではない、と大声で叫びたかった。アッシュはドニエプルと戦う動機がない。ここはプライドも何もかなぐり捨てて、土下座のひとつもするしかないのか。行者であるドニエプルに、降参した相手にとどめを刺す趣味はあるまい。
しかしそんなアッシュの事情は、口封じのエリクサーを射たれた他の三人の知るところではない。
歯なし男が得意の鞭を振るい、鎧姿の前衛男が剣を構えて突撃し、魔術師がさらなる呪文をハンドサインで創りだした。
無言の即席パーティは、やはり誰もが沈黙したままドニエプルを襲う。”用心棒”を倒さなければ体に巻き付いた爆弾を外す事ができない契約だ。戦わざるをえない、というのも当然のことだろう。
だが相手は只者ではない。
歯なし男が左腕に巻きつかせた鞭を逆に握りしめつつ、前衛男の顔面に巨漢とは思えぬ足刀蹴りを直撃させた。最後に残った魔術師には、左手を拘束する鞭を力いっぱい引き上げて、歯なし男の体を魔術師に投げつけて激突させた。悲鳴すらエリクサーのせいで上がらない。
「さあ、次はアッシュ殿の番ですぞ」
ドニエプルはにっと白い歯を見せた。戦闘に圧倒的自信があり、自らの役目を微塵も疑っていない顔だ。
即席のパーティはいきなり全滅に等しいダメージを被った。ドニエプルは強い。行者の修行を積んできたゆえ、素手丸腰でも肉体が堅牢な砦のようになっている。
――やはり戦っていられない。
アッシュは”喋れない””戦う気はない”とジェスチャーしようとした。
だがその前に、ドニエプルが片手で受け止めていたメイスをアッシュの足元へ投げてきた。ガチン、と鋼鉄の音がなる。
「拙僧は素手でも戦える。アッシュ殿、貴殿はそれを持って戦わねば半人力であろう」
――……何だと?
アッシュの双眸に、危険なモノが宿り始めた。
「何故アッシュ殿がレッドトップに与したかは動けなくしたあとでゆっくりお聞かせ願おう。さ、いきますぞ」
ドニエプルは戦闘態勢を取った。全身からエーテルの霧が立ち上っている。オーラだ。モンクの身に付ける能力で、全身に鉄壁の防護を与える。それゆえ、ドニエプルは僧服のみでも戦えるのだ。
――動かなくしたあとでゆっくり、か。
アッシュの目は完全に据わり、ひとごろしの眼差しとなった。
――コイツを倒して契約は果たす。そうすれば鬱陶しい爆弾首輪は外れるはずだ。その上でこっちの話を聞いてもらう。無理矢理にでも。
鋼鉄のメイスを掴みあげ、アッシュは全身の力で跳躍し、ドニエプルへと振り下ろした。