第10章 05話 沈黙を守るべし
――まずい。
アッシュは改めて今の状況を考えて、じっとりと焦りを感じていた。
内情を探るつもりでレッドトップに傭兵として雇われるところまで来たのはいいとして、よもやこんな首輪をつけられるとは。思いもよらないことだった。
質素な部屋にしつらえてある鏡に写ったその首輪は、赤い石がはめられている。淡く明滅しているそれは魔力付与物の証と見ることもできよう。力を込めれば簡単に千切れそうだが、”外したら爆発する”というダン=ジャリスの言葉の真偽がつかめない。
たとえば自分ならどうするか――単にチカチカ光る石だけを用意して、コストを掛けずに脅しをかけるという手もあるだろう。
その可能性はある。雇った傭兵全部に、爆発する首輪などといういかにもカネと労力が掛かりそうなものを契約の度に取り付けるか?
微妙なところだ。レッドトップはカネを持っている――とアッシュは見ている。この商業都市ヴィネでの”魔薬”を取り扱っていた”青の葉”から利権をごっそり奪っている。アッシュは魔薬取引がどれほどの利益を生むのか漠然としかわからないが、ガキの使いが扱える金額ではないことくらいはわかる。
つまり組織にカネはある。ならばうかつには外せないと考えるしか無いだろう。
――同じように雇われて同じように首輪をはめられたヤツがいるはずだ。そいつをとっつかまえて話を聞く。それから……。
アッシュはカルボたちのことを思った。
彼女らがどういう手段でアッシュを探しにくるかだ。
ヴィネの地下世界は相当入り組んでいる。盗賊が潜伏するにはこれほど都合のいい場所もないだろう。地上にはかなりの数のハッチがあり、そこから降りてくれば地下世界に入ること自体は難しくない。そこからアッシュを助けに来るとして……これは難しい話だ。カルボのエリクサーと、黒薔薇と白百合の念動力だけでレッドトップの中心部に入り込めるだろうか。
確率は低いだろう。来ないものとして――いや、来れないものとして考えるしか無い。
それなら自力脱出を図るべきだ。
首の爆弾が破裂しない方法があればの話だが……。
*
数時間の待機が終わり、アッシュは伝達係の者から部屋を出るように言われた。
「この地図を渡しておく」
渡されたのは四つ折りにされた紙の地図で、広げると地下世界のかなり詳細な道の構造が記されていた。
「そこに蒼い点があるでしょう……その左上の。そこに数日前からブルーハーブの雇った用心棒がいます」
「用心棒?」
「ええ、ちょうど貴方のような立場の」
「つまりそいつを殺ればいい、と」アッシュは無表情を装った。「そういうことッスか」
伝達係はその通りですとうなずき、アッシュに鋼鉄のメイスを手渡した。
「いいんスか、ここで暴れるかもしれないッスよ」
「あなたはすでに我々レッドトップと”契約”している。ここで”契約”を破ってしまうなら……」
「……この首輪か」
「はい」
アッシュは喉元の首輪に手をやった。軽く緩んでいて、ナイフでもあれば簡単に引きちぎれそうだ。だが、それで本当に爆発したらどうなるか……。
やはりうかつなことはできない。逃げ道を確保するまでは従っておくべきだろう。
「ああ、それと」伝達係は半身後ろに振り向いて、三人の男たちを指し示した。「貴方の仲間です、アッシュさん」
「……仲間?」
鎧姿の前衛。
ローブ姿のいかにも魔術師然とした男。
そしてアッシュをここまで連れてきた鞭使いの歯なし男。
――いかがわしい連中だ。
と思っても口には出さない。客観的には、アッシュもまた敵をなぎ倒していくらという力自慢の傭兵にすぎないのだ。
彼らはアッシュと同じく”契約”で縛られた者たちだった。前衛の男は利き腕の手首に。魔術師は鉢巻のように額に。歯なし男は外からは見えないが、性器の根本を縛っているのだという。
傭兵というのは基本的にカネで動き、裏切るリスクの高いろくでもない連中である――という見方をされる。アッシュにはそれを否定出来ない。生命の危険が迫れば、任務も契約も破棄することは悪いことだとは思えないからだ。
だからといって契約違反は即”ドカン”などというのはやり過ぎだ。
――それがレッドトップのやり口か。
元のブルーハーブから構成員を引きぬき、危険な任務は外注任せ、そいつらに命をかけさせ、邪魔なら爆死させる。
よく出来ている。
アッシュは皮肉げにくちびるの端を歪ませた。
同時に、多少光明が見えてきた。
紹介された三人の男たちは、むっつりと黙り込んでいるが一応は仲間だ。力を合わせれば契約のリングを安全に外すことができるかもしれない。
「アッシュだ。よろしく頼む」
男たちは完全に無視するか、軽く会釈をするだけだった。
世間一般では感じの悪いやつら、といってもいい。だが傭兵の、しかも死が体に巻き付いている状態では態度のひとつも悪くなろう。
「ではみなさま、よろしくお願いします……あ、アッシュさんはこちらへ」
「なんだ?」
「ちと、首筋に」
チクッ。いきなり針を刺された痛みに、アッシュは伝達係の胸ぐらをつかんだ。
「こまるなァ。いったい何をしてくれたん……?」
アッシュはぐっと息を呑んだ。男の手にはシリンジ型のエリクサーポットが握られていた。
「アンタ、まさか俺にアクセルレッドを」
――射ったのか!?
アッシュは怒りに任せて男からポットを奪い取り、石床に投げ捨てて踏み潰した。中身のエリクサーはもうほとんど入っていない。アッシュの首筋に大半が注射されてしまった後だ。
――おい、どういうつもりだ。こんな話は聞いていないぞ!
アッシュは怒鳴りつけたつもりだった。
――どうなって……? なんだこれは。このエリクサーはなんだ!?
全く声が出ていなかった。
口をパクパクとさせるだけで、アッシュの喉からはただ空気の漏れる音が聞こえるだけだった。
「し、失礼しました。これはちょっとした保険ですよ」
――保険?
「あなた方に余計なことを喋られると困るものでね。しばらくのあいだ、口を閉じていただきます」
ちなみにこれも契約のうちですよ、と男は言った。契約書の隅に小さな文字で記されていたのだろう。そんなもの、アッシュは確かめていない。
「むろん、貴方だけでなくお仲間も同じ状態です。少々不便でしょうが、ともかく敵の用心棒を倒しさえすればいいのです。あなた方の実力に期待しましょう」
アッシュは血が遡り、伝達係の男を掴みあげ、三人の男の前へ投げ出した。
「……ッ」
男たちは声もなく伝達係に殴る蹴るの暴行を加えた。
アッシュは三人の男たちと目を合わせた。スカッとした、と言わんばかりの笑顔だ。
案外こいつらとは上手くやっていけそうだ。
*
商業都市ヴィネの地下は、華やかな地上部分と表裏一体をなすように盗賊都市と呼べるほど広く、複雑で、危険に満ちている。
盗賊ギルドとは関係ない犯罪者が紛れ込むこともあれば、盗賊のあがりを横から掠め取ろうとする者もいる。地上では生きられない快楽殺人者が獲物を求めることもあれば、生け贄を求める魔術師や邪教を崇めるカルティストのグループが紛れ込み、激しいやり取りの末にカルティスト皆殺しにしたなどという話すらある。
アッシュはそういった脅し文句を理解した上で、三人の奇妙な仲間とともにその盗賊都市を進んでいった。
かつて巨神たちが使っていた施設である。天井は闇に溶けて見えないほど高く、切り立った段差はもし落ちれば即死しかねない高低差があった。
巨神がこの場でいったい何をやっていたのか、どんな施設だったのか。どの程度解明されているのだろうか?
アッシュは歩きながらそんなことをふと思ったが、盗賊都市から悪所を一掃しないかぎりきちんとした調査はできないだろう。そしてそんな機会はおそらく永遠に来ない。
誰がどのようにしつらえたのかわからないエーテルランプがあちこちに取り付けられている中、ときおり地下の住民とすれ違う。その度に一触即発の空気が漂った。
敵か。味方か。
厄介なのはアッシュを始めとした四人は全員口封じ用エリクサーを射たれて声が出ないことだ。互いに敵意がないことを示す挨拶もろくにできないし、何か面倒事があっても弁解すらできない。
いざとなったらメイスで片を付ける――どうせ人のためにならない”悪”だ、何人か弾いても影響はないだろう。そんな風にも思える。
――いや、やっぱりダメだ。
”悪”を断罪する聖騎士だった頃とは違う。それに、盗賊なら2、3人やっても構わないというのなら、カルボはどうするという話になる。
カルボも盗賊のひとりなのだ。
その上、この街の犯罪組織の元締めの娘だという。
アッシュは音のないため息をついた。
まれに見る美貌で、下品なところがないのに盗賊をやっているという彼女の本性のようなものがなんとなく見えてきた。元締めの娘なら表向きは富豪の娘として育てられたのではないか。だから”汚れた”感じがしないのだろう。
そんなカルボは、父親が魔薬の取引に関わっていることを知って家出した。
ところが今この街で魔薬をさばいているのは父親の組織ではなくレッドトップ、そしてそのボスであるシティエルフのダン=ジャリスだ。
何がどうなっているのかまだ見えてこない。
そんな中、アッシュはひとまず心に決めたことがあった。
たぶん、この期を逃せばカルボは実家に一生戻らないのではないか。
それは良くないことだとアッシュは思った。家に戻ることが無理だとしても、家族にはもう一度顔を見せたほうがいいのではないか。
だから、そうなるために自分ができることをやる。
それがたとえメイスを振り下ろすことだけだったとしてもかまわない。
アッシュにとっては親代わりであり、シグマ聖騎士団団長であったコークスはもういない。アッシュにはもう家族と呼べる人がいない。古巣の聖騎士団からも追放された身だ。
だから――だから、カルボにまだ家族がいるのならば、もう一度会わせるべきなんだ。
おせっかいと知りつつも、アッシュは密かに心を決めた。